防災街区整備事業への対応
行政|密集市街地整備法|都市再開発法|都市計画事業|還元率|東京地裁平成28年9月29日判決
目次
質問:
郊外の駅前に戸建て住宅兼店舗を所有して、店舗を賃貸し、居住部分は自己使用しています。数年前から、近隣の地主の一部が不動産デベロッパー業者と共同で「防災街区整備事業協議会」なるものを組織し、防災街区整備事業準備組合というものを結成しようとしています。協議会事務局を名乗る担当者から面談を求められて、コンサルタント会社の名刺を渡されて、モデル権利変換という書類を渡されました。建て替えビルの床面積では約7割程度に減らされてしまうと言います。再開発事業ですかと尋ねたら、違いますが似たようなものです、と言われました。私は先祖代々の土地建物に建てた自宅を建て替える積りはありません。しかし担当者は「ご協力をお願いします。既に多くの地権者の御賛同を頂いております。」などと言って余裕綽々の態度です。私は自分の権利を守るためにどのように対応したら良いでしょうか。
回答:
1、 協議会事務局の説明からすると、今回の事業は、密集市街地整備法という法律に基づいて行われる、密集市街地整備事業や市街地防災街区整備事業と考えられます。これは、都道府県の都市計画審議会の都市計画決定により進められる都市計画事業(行政処分)として行われる区域内の一括建て替え事業です。
2、 区域内の一括建て替えということですので、都市再開発法の市街地再開発事業と似た趣旨の事業ですが、「都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図り、もつて公共の福祉に寄与することを目的とする(都市再開発法1条)」のが都市再開発法であるのに対し、「密集市街地について計画的な再開発又は開発整備による防災街区の整備を促進するために必要な措置を講ずることにより、密集市街地の防災に関する機能の確保と土地の合理的かつ健全な利用を図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とする(密集市街地整備法1条)」のが密集市街地整備事業です。木造密集地区の防災機能向上という目的にフォーカスされた制度です。簡単に言えば、都市再開発法の要件を満たさない地区であっても、防災上の必要が高ければ密集市街地整備法により一括建て替えを進めることができるということです。
3、 密集市街地整備法では、都再法と同様に、「都市計画決定」「組合施行方式」「権利変換手続き」などの手法が踏襲されています。公益目的が認定された上で進行して行きますので、土地収用法の強制収用に関する規程が準用される「都市計画事業」として進行します。民間の建て替え事業のように、「書類にサインしなければ進まない筈」などと考えていると後日強制執行により有無を言わさず立ち退きさせられてしまうことになってしまいます。手続きの法的性質を学ぶことが必要です。
4、 区域内地権者(区域内の土地、建物の所有者)として自分達の権利を守るために必要なことは、通常の再開発事業と基本的に同じです。防災の必要性が強いとしても、事業の主体となる防災街区整備事業組合が権利変換計画案を作成して、参加組合員となるデベロッパーに建物の権利を与えることになり、地権者と利益が対立する可能性があります。立て替え後の建物を法律の趣旨を逸脱するようなデベロッパーの地上げ行為(お金儲け)は認められないと主張していくことです。防災街区整備事業組合の運営が適正公平に行われているか、地権者とデベロッパーの権利床と保留床の分配割合が適正なものか(保留床÷総専有面積)、施設建築物の設計に無駄が無い体的に進めていくことです。防災街区整備事業組合は、行政処分の主体となる公務員に準じる立場ですから、贈収賄の罰則規定もあります。法律違反が無いかどうか、地権者が目を光らせる必要もあります。お困りでしたら経験のある弁護士事務所に御相談なさって下さい。組合との代理人交渉を依頼することもできます。
5、 防災街区整備事業に関する関連事例集参照。
解説:
1、防災街区整備事業
防災街区整備事業は、平成15年に改正された「密集市街地における防災街区の整備の促進に関する法律(密集市街地整備法)」に基づいて進められる、区域一帯の一括建て替え事業です。
密集市街地整備法第1条(目的)この法律は、密集市街地について計画的な再開発又は開発整備による防災街区の整備を促進するために必要な措置を講ずることにより、密集市街地の防災に関する機能の確保と土地の合理的かつ健全な利用を図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とする。
これは、木造密集地区など災害時の火災延焼など被害拡大が懸念される区域の防災機能を高めるという公益目的に基づいて進められる行政手続きです。公益目的を行政裁量に基づいて認定するために、有識者を集めた都道府県の都市計画審議会決議を経て都市計画決定を行い、都市計画事業(行政処分)として手続きが進行します。都道府県知事など行政庁の認可により行われる公共事業なのです。
密集市街地整備法119条(施行者)第2項 防災街区整備事業組合は、都市計画事業として防災街区整備事業を施行することができる。
都市計画法1条(目的) この法律は、都市計画の内容及びその決定手続、都市計画制限、都市計画事業その他都市計画に関し必要な事項を定めることにより、都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もつて国土の均衡ある発展と公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。
都市計画法4条(定義)
第15項 この法律において「都市計画事業」とは、この法律で定めるところにより第五十九条の規定による認可又は承認を受けて行なわれる都市計画施設の整備に関する事業及び市街地開発事業をいう。
都市計画法69条(都市計画事業のための土地等の収用又は使用)都市計画事業については、これを土地収用法第三条各号の一に規定する事業に該当するものとみなし、同法の規定を適用する。
要するに、道路拡幅や空港設置などと同様に、土地収用法の強制収用の手続きを適用して事業を進めることができる公益事業と位置付けられているのです。
防災街区整備事業組合は、区域内の地権者(土地所有者、建物所有者、借地権者)で構成されますが(密集市街地整備法144条1項)、定款に定められた不動産デベロッパー事業者も、保留床の対価として参加組合員分担金を負担して参加組合員として組合手続きに参加することができます(密集市街地整備法145条)。但し、前記の通り、都市計画事業は公共の福祉を増進(都市計画法1条)させるための都市計画施設の整備をするための行政手続きですから、民間事業者が過大な利益を上げることは本来予定されていない事です。
防災街区整備事業の主な要件は、木造など延焼防止上支障のあると見られる木造建築物の密集区域であることです。除却する建築物のうち、延焼防止の防災目的上支障があると考えられる木造建築物の割合が50%以上となる建て替え計画が必要です(密集市街地整備法5条1項1号、密集市街地整備法施行規則5条)。なお、防災施設建築物の敷地面積は100平米以上で、敷地面積の合計は500平米以上とされています(密集市街地整備法施行規則6条および6条の2)。
密集市街地整備法第5条(建替計画の認定基準)1項 所管行政庁は、建替計画の認定の申請があった場合において、当該申請に係る建替計画が次に掲げる基準に適合すると認めるときは、その旨の認定をすることができる。
一号 除却する建築物の建築面積の合計に対する除却する建築物のうち延焼防止上支障がある木造の建築物で国土交通省令で定める基準に該当するものの建築面積の合計の割合が国土交通省令で定める数値以上であること。
二号 新築する建築物が耐火建築物等又は準耐火建築物等であること。
三号 新築する建築物の敷地面積がそれぞれ国土交通省令で定める規模以上であり、かつ、当該敷地面積の合計が国土交通省令で定める規模以上であること。
2、市街地再開発事業との違い
区域内の一括建て替えということは、都市再開発法の市街地再開発事業と似た趣旨の事業ですが、「都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図り、もつて公共の福祉に寄与することを目的とする(都市再開発法1条)」のが都市再開発法であるのに対し、「密集市街地について計画的な再開発又は開発整備による防災街区の整備を促進するために必要な措置を講ずることにより、密集市街地の防災に関する機能の確保と土地の合理的かつ健全な利用を図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とする(密集市街地整備法1条)」のが密集市街地整備事業です。
都市再開発法1条(目的) この法律は、市街地の計画的な再開発に関し必要な事項を定めることにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図り、もつて公共の福祉に寄与することを目的とする。
都再法に比べて、密集市街地整備法は、木造密集地区の防災機能向上という目的にフォーカスされた制度です。簡単に言えば、都市再開発法の要件を満たさない地区であっても、防災上の必要が高ければ密集市街地整備法により一括建て替えを進めることができるということです。古い木造建物は大地震で倒壊したり、地震後の火災で延焼による被害拡大の危険も高いですから、建替えによる防災機能を向上させる緊急の必要性も高いと言えます。
※東京都不燃化ポータルサイトの説明ページ
https://www.funenka.metro.tokyo.lg.jp/initiatives/disaster-prevention-block/
参考のために、東京都の防災街区リストを御案内致します。
地区名、施行者、施行区域面積ha、都市計画決定年月日、事業計画認可年月日、令和6年末時点の進捗状況です。
1板橋区板橋三丁目組合0.4ha 平成18年11月 2日平成19年 3月26日平成23年完了2足立区関原一丁目中央 個人0.4ha 平成19年 9月26日平成22年 4月13日平成25年完了
3墨田区京島三丁目 機構0.2ha 平成21年11月 6日平成22年 8月 3日平成25年完了
4品川区荏原町駅前 組合0.1ha 平成24年10月31日平成25年 4月10日平成28年完了
5目黒区目黒本町五丁目24 番組合0.06ha 平成25年12月27日平成27年 1月19日平成29年完了
6品川区中延二丁目旧同潤会 組合0.7ha 平成27年 4月17日平成28年 2月12日令和元年完了
7新宿区西新宿五丁目北 組合2.4ha 平成27年 8月25日平成28年12月 6日事業中(工事完了)
8北区志茂三丁目9番 組合2.4ha 平成30年11月 1日平成31年 3月27日令和3年完了
9北区上十条一丁目4番 組合0.2ha 令和元年 8月22日令和 2年 3月18日令和5年完了
10目黒区原町一丁目7番・8番 組合0.4ha 令和元年10月25日令和 2年 6月23日事業中(工事完了)
11豊島区池袋本町三丁目20・21番南 組合0.2ha 令和 2年 1月28日令和 2年 7月 2日令和5年完了
12品川区東中延一丁目11番 組合0.2ha 令和 4年 3月10日令和 4年10月25日事業中
13墨田区東向島二丁目22番 組合0.2ha 令和 4年 4月 1日令和 5年 4月14日事業中
14中野区弥生町二丁目19番 組合0.2ha 令和 5年 8月 4日令和 6年 8月 6日事業中
例えば、都市再開発法の第二種市街地再開発事業では0.5ha(5000平米)以上という要件が法定されていますし(都再法3条の2第2号)、民間の再開発組合が施行する第一種市街地再開発事業でも、これに倣って概ね0.5ha以上の施行区域を設定して事業計画が認可され施行されています。
これに対して、防災街区整備事業では、例えば0.1haなど、0.5ha(5000平米)未満の狭小区域であっても、木造密集区域であるなど防災上の必要性が高いと認定されれば事業計画が認可され施行され得るのです。狭小区域でも施行できるということは、その狭小区域の多数の地権者の賛同が得られれば、組合施行方式の意思決定も円滑に進むということです。狭小区域ですから、賛同を得るべき地権者の数も少なくて済むのです。ずっと建て替えに反対していたが、いつの間にか自分以外のほとんどの地権者が賛成に転じていたということも有るのです。
このように防災街区整備事業では事業要件が緩和されているのは、防災上の差し迫った危険を除去するという公益上の政策実現の必要性が高いためです。防災街区整備地区計画を定める都市計画決定では、「建築物の構造に関する防火上必要な制限、建築物等の高さの最高限度又は最低限度、建築物等の用途の制限、建築物の容積率の最高限度又は最低限度」などを定めることができますが(密集市街地整備法32条4項)、新たな建築費の負担をすることが事実上難しい区域内地権者の経済事情に配慮して、計画容積率を従来の指定容積率よりも適宜割り増すことにより、計画整備組合が取得する保留床面積を確保できるようにする運用が行われています。建築基準法の前面道路規制などによる許容容積率に比べて2倍以上の計画容積率が設定されることも多くなっており、増加した床面積を保留床としてデベロッパー等に譲渡すれば、地権者は新たな経済負担をすることなく、耐火耐震の共同住宅を取得できる事例が多いのです。
防災街区整備事業でも、都再法の市街地再開発事業と同様に、権利変換処分の手法が用いられており、防災街区整備事業組合が権利変換計画案を策定し、これを行政庁に認可申請することにより、権利変換期日に権利の一括移行をさせることができます。この時の権利の移動は、当事者(地権者や組合)の同意や意思表示を要せず、密集市街地整備法の規定により法定された法律効果として発生します。私有財産の処分ですが、権利者の意思に基づかない手続きで移動してしまいます。
密集市街地整備法221条(権利変換期日における権利の変換)1項 施行地区内の土地は、権利変換期日において、権利変換計画で定めるところに従い、新たに所有者となるべき者に帰属する。この場合において、従前の土地を目的とする所有権以外の権利は、この法律に別段の定めがあるものを除き、消滅する。
2項 権利変換期日において、施行地区内の土地(指定宅地を除く。)に権原に基づき建築物を所有する者の当該建築物は、施行者に帰属し、当該建築物を目的とする所有権以外の権利は、この法律に別段の定めがあるものを除き、消滅する。ただし、第百九十七条第七項の承認を受けないで新築された建築物及び施行地区外に移転すべき旨の第二百三条第一項の申出があった建築物については、この限りでない。
※権利変換期日における権利の移動
土地所有権→権利変換計画で定める新たな所有者が取得する(再入居を選択した区域内地権者が、区分所有建物の区分所有権に付随する敷地利用権としての土地所有権持分や地上権持分を取得する)
建物所有権→施行者(防災街区整備事業組合)に帰属し、建物を除却して建て替え事業を推進できる根拠となる。
建物所有権に付随する賃借権や担保権→全て消滅し、権利変換計画に定める通り、適宜、施設建築物の区分所有権に付随して新たな権利を取得する。
権利変換計画認可の基準は、都再法と密集市街地整備法で概ね同様のものとなっています(都再法74条、密集市街地整備法206条)。
都市再開発法74条(権利変換計画の決定の基準)1項 権利変換計画は、災害を防止し、衛生を向上し、その他居住条件を改善するとともに、施設建築物、施設建築敷地及び個別利用区内の宅地の合理的利用を図るように定めなければならない。
2項 権利変換計画は、関係権利者間の利害の衡平に十分の考慮を払つて定めなければならない。
密集市街地整備法206条(権利変換計画の決定の基準)
1項 権利変換計画は、特定防災機能を確保し、都市環境を改善するとともに、防災施設建築物、防災施設建築敷地及び個別利用区内の宅地の合理的利用を図るように定めなければならない。
2項 権利変換計画は、関係権利者間の利害の衡平に十分の考慮を払って定めなければならない。
3、行政手続として進行する防災街区整備事業
防災街区整備事業は、公益目的を実現するための行政手続きであり、行政庁は行政裁量に基づいて、次のような行政決定や行政処分を行うことにより建て替えが進行して行きます。道路拡幅や空港整備をする公共事業と同様の都市計画事業です。
「特定防災街区整備地区を定める都市計画決定」「防災街区整備事業を定める都市計画決定」
「防災街区整備事業組合の設立認可決定」
「防災街区整備事業の認可決定」
「権利変換計画の認可決定」
「明け渡し通知(法231条1項)」
「土地又は物件の引渡し等の代行及び代執行(法233条2項)」
つまり、防災整備事業は、通常の民間の不動産取引や民間の建て替え事業とは全く異なる手続きです。「余計なお世話だ」とお考えになるかもしれませんが、駅前に古い木造の住宅密集地があって、細い道路で消防車や救急車の通行もままならず万一地震や火災の場合に被害が拡大してしまう恐れがあるという事情があれば、行政庁は、この危険を法令に基づいて除去する権限と努力目標が与えられているのです。想像しにくいかもしれませんが、防災整備事業による一括建て替え事業は、救急車が緊急出動したり、警察官が現行犯人を逮捕したりする行為と同様の行政作用なのです。行政代執行による明け渡しを実力で阻止しようとすれば公務執行妨害罪(刑法95条1項)が適用され得ることになります。
あなたは「私たちは先祖代々の土地に自分の費用で建物を建設してそこに一族で暮らしているだけだ」というお考えをお持ちかも知れませんが、地方過疎地の一軒家であればともかく、市街地の住宅密集地であれば、全ての建物は隣接して建ち並んでいます。地震などで建物が倒壊して近隣住宅にも被害が及ぶリスクがありますし、火災が発生した場合は延焼の恐れも大きく、前面道路が狭小であれば消防車や救急車が通ることもできず、防災対応という行政目的の達成に支障を生じてしまいます。市街地に土地建物を所有しているということは、このような行政目的に協力すべき内在的制約を課せられているということなのです。
このことを理解した上で、日本国憲法の財産権保障と、三権分立構造や適正手続き保障などの基本原則を学び、デベロッパーがやろうとしていることはこれを逸脱しているので違法無効であるという主張ができるかどうか、検討していく必要があります。
※財産権保障について完全補償説に関する基本判例最高裁判所昭和48年10月18日判決
「おもうに、土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によつて当該土地の所有者等が被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものであるから、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもつて補償する場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するものというべく、土地収用法七二条(昭和四二年法律第七四号による改正前のもの。以下同じ。)は右のような趣旨を明らかにした規定と解すべきである。」
公益目的で私有財産を収用する場合の補償は、同等の代替地を取得できるような「完全な補償」が必要であると判示しています。これは憲法29条3項の「正当な補償」の解釈論です。完全補償説は、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであるという考え方です。
日本国憲法第29条第1項 財産権は、これを侵してはならない。
第2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
第3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
これを防災街区整備事業にあてはめて考えれば、「防災街区整備事業の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきである」と解釈できることになります。公共の福祉を実現する公共事業であると言っても、一部の地権者に損害を押し付けるものであってはならないということです。
※行政裁量の逸脱に関する基本判例最高裁判所昭和63年7月1日判決
『医師法七条二項によれば,医師が「罰金以上の刑に処せられた者」(同法四条二号)に該当するときは,被上告人厚生大臣(以下「厚生大臣」という。)は,その免許を取り消し,又は一定の期間を定めて医業の停止を命ずることができる旨定められているが,この規定は,医師が同法四条二号の規定に該当することから,医師として品位を欠き人格的に適格性を有しないものと認められる場合には医師の資格を剥奪し,そうまでいえないとしても,医師としての品位を損ない,あるいは医師の職業倫理に違背したものと認められる場合には一定期間医業の停止を命じ反省を促すべきものとし,これによつて医療等の業務が適正に行われることを期するものであると解される。したがつて,医師が同号の規定に該当する場合に,免許を取消し,又は医業の停止を命ずるかどうか,医業の停止を命ずるとしてその期間をどの程度にするかということは,当該刑事罰の対象となつた行為の種類,性質,違法性の程度,動機,目的,影響のほか,当該医師の性格,処分歴,反省の程度等,諸般の事情を考慮し,同法七条二項の規定の趣旨に照らして判断すべきものであるところ,その判断は,同法二五条の規定に基づき設置された医道審議会の意見を聴く前提のもとで,医師免許の免許権者である厚生大臣の合理的な裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。それ故,厚生大臣がその裁量権の行使としてした医業の停止を命ずる処分は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合でない限り,その裁量権の範囲内にあるものとして,違法とならないものというべきである。』
これは医師免許取消処分の取消訴訟において、行政裁量を逸脱して違法性を帯びて取り消し判決の対象となるのは、「社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合」に限られると判示しています。行政目的を実施するために、行政庁には、高度な技術的専門的な判断が求められるのであり、行政庁の広汎で合理的な裁量に委ねられているとされています。
これらの判例に鑑みると、都市の防災機能を高めるという行政目的を実現するために行政庁(都道府県知事)には、広汎で合理的な裁量が与えられていると考えられますが、その際に立ち退きが必要な地権者の財産権を用いる(立ち退きをさせる)場合には、同等の不動産を取得し得る「完全な補償」が必要であるし、区域内地権者の犠牲の下に特定の民間事業者に過大な営業利益を収受させるような事業は、行政裁量の濫用になり得ることが分かります。
前記の行政目的に鑑みれば、民間デベロッパー事業者が営利事業を行う余地は本来ありませんが、多くの第一種市街地再開発事業や、防災街区整備事業では、地権者の権利床を不十分な内容で権利変換計画を策定し、参加組合員である不動産デベロッパーや、特定業務代行者であるゼネコン業者が莫大な量の保留床を取得し、これを分譲することにより莫大な分譲利益を上げている事例が跡を絶ちません。開発利益の分配が、参加組合員に偏っている事例が散見されます。
4、区域内地権者の対応方法
区域内地権者として自分達の権利を守るために必要なことは、通常の再開発事業と基本的に同じです。法律の趣旨を逸脱するようなデベロッパーの地上げ行為(お金儲け)は認められないと主張していくことです。
そのためには、次の事項について地権者が意識して、デベロッパーと交渉していくことが必要です。
(1)保留床比率
権利変換により地権者が取得する床を「権利床」、防災街区整備事業組合が取得し参加組合員分担金と引き換えにデベロッパーに譲渡される床を「保留床」と言います。参加組合員分担金は、地権者の実質的な持ち出しの費用負担無しで建て替えを実現するために、総事業費の大部分を占める資金です。建物除却費用や補償費の一部については、行政庁からの補助金を充てることもできます。
建物の建設費用の対価として完成建物の床面積を事業協力者に譲渡することは、従来から行われてきた「等価交換方式による建て替え事業」と基本構造が同じものです。等価交換では、ゼネコンに4~6割程度の床面積を譲渡して、地権者は新たな費用負担無しでビルの建て替えを行うものです。
都市再開発法の市街地再開発事業や、密集市街地整備法の防災街区整備事業でも、完成ビルの床面積の一部を保留床としてデベロッパーに譲渡する構造は同じです。「保留床」というのは、竣工ビルの床面積のうち、地権者に権利床として割り当てず(保留して)、組合が取得する床面積という意味です。保留床は参加組合員分担金と引き換えに参加組合員に譲渡され、施設建築物の建設費用などの事業費に充てられることになります。
公益社団法人全国市街地再開発協会が発行している「日本の都市再開発9」(令和4年9月30日発行)の296ページには、第1集から第9集までの組合施行方式の市街地再開発事業558地区の権利床(増床分担金を支払って取得する増し床を含む)と保留床の平均比率が掲載されています。これによると、権利床(増し床を含む)が39パーセント、保留床が61パーセントとなっています。地権者とデベロッパーが4対6の比率で、床面積を分け合っている形なのです。この比率から大きく乖離するような事業計画は、何らかの問題があると考えるべきです。デベロッパーが8割とか9割の床面積を独占するような事業は地権者の利益が毀損されているものと考えられます。
保留床比率=保留床面積÷(権利床面積+保留床面積)です。
防災街区整備事業の計画が進行しているのであれば、地権者としては、この保留床比率がどのような数値で予定されているのか、事業協力者に開示を求めていくことが必要です。そして、この数値が妥当なものか、区域内地権者の間で広く議論することが必要です。
(2)施設建築物の有効率(レンタブル比率)
再開発事業でも防災街区整備事業でも、施設建築物整備費用が高額になればなるほど、参加組合員デベロッパーの分担金が増加し、デベロッパーが取得する保留床面積が増加する性質があります。そのため、参加組合員デベロッパーは、施設建築物の基本設計において、様々な共用施設を提案し、建築延床面積を増加させ、総事業費を増加させようとする場合があります。防災街区整備組合の理事や組合員は、この基本設計に問題がないかどうか精査・議論して批判する努力が必要です。
その際に、指標となるのが、有効率(レンタブル比率)です。
有効率=専有面積(賃貸可能面積)÷建築延床面積です。
専有面積以外の権利区延べ床面積は、例えば分譲マンションであれば、共用廊下や、エレベーターや、階段や、共用エントランスや、集会室や、駐車場などの共用施設です。共用施設は勿論必要なものですが、これをいくら造っても分譲することはできませんので、不動産デベロッパーの自社開発物件では、これをなるべく最小化して、最小限度の共用施設を設計して、なるべく多くの専有面積を販売できるように工夫しています。その結果、有効率(レンタブル比率)は80パーセントに達することも珍しくありません。
他方、再開発事業や防災街区整備事業では、商業施設が計画されたり、共用宿泊室や共用パーティールームや共用ジムが計画されたり、ペデストリアンデッキ(歩行者通路)が計画されたり、エスカレーターや、機械式駐車場や機械式駐輪場などが計画されたりして、豪華な共用施設が設計されることがあります。デベロッパーとしては、豪華な共用設備があれば、取得する保留床の分譲単価を上げることができますから、面積と坪単価の二重に有利な条件となります。その結果として、有効率(レンタブル比率)が60パーセント未満となってしまう事例も珍しくありません。
地権者としては、有効率がどれくらいの数値で計画されているのか、関心を持ってデベロッパー側と交渉していくことが必要です。無駄な工事を削減し、建築費を削減し、保留床も削減すべきだと主張することができます。
(3)地権者の権利床還元率
防災街区整備事業では、地権者の同意を集めるために、準備組合設立時、本組合設立時に、「モデル権利変換」というものを作成し、各地権者に提示する取り扱いが一般的です。
これは、権利変換手続きにおいて、各地権者の権利がどのように金銭的に評価されて、それが、再開発ビルの床面積として割り当てられるのか概要を示すものです。勿論、準備組合設立時や本組合設立時であっても、ビル竣工の5年~10年以上前の段階における予定ですから、具体的に取得する住戸の詳細も確定していませんので概算値となってしまうことは仕方ないものですが、「従来床面積の同等以上を目標とする」「従来床面積の8割以上を目標とする」などの概算値が表示されていることが多くなっています。
この、モデル権利変換において重要となるのが、還元率です。
従前床面積=登記面積あるいは専有面積
従後床面積=従前資産評価額÷権利床平米単価
還元率=従後床面積÷従前床面積
ここで、登記面積と専有面積の違いがありますので注意が必要です。登記簿に記載されている床面積は壁芯面積が登記されていることがあり、必ずしも実際に使用できる専有面積とは一致しないことがありますので、実際の専有面積は建物調査を行って各部屋の内法面積を計測して算出することが必要です。
還元率が100パーセントということは、防災街区整備事業により建て替えが行われた後に取得できる権利床の床面積が従来面積と同じという意味です。
還元率が80パーセントということは、建て替え後に取得できる権利床の面積が2割削減されてしまうということです。多くの防災街区整備事業では、区域内地権者の費用負担無しでも事業進行可能なように事業計画が策定されますから、建築費の負担無しで取得できる床面積ではありますが、2割も面積が減ってしまうと、例えば家族で居住している建物であれば、家族の生活が成り立たなくなってしまうおそれがあります。
実際の権利変換手続きでは、地権者が「増し床分担金」を支出することにより、保留床の一部を権利床として取得できるように調整が図られています。そのため、モデル権利変換における還元率がどうなっているかは、増し床分担金がどうなるかも含めて、一体として考えていく必要があります。
地権者としては、容積率の緩和措置を受けて建て替え前後における専有面積が大幅に増加するのだから、地権者の還元率が100パーセントを下回ることは無い筈であると主張していくことが必要です。
公益社団法人全国市街地再開発協会が発行している「日本の都市再開発9」(令和4年9月30日発行)の295ページには、第1集から第9集までの組合施行方式の市街地再開発事業560地区の従前従後の延べ床面積の倍率が掲載されています。これによると、従前延床面積は平均9741平米(容積率124.3パーセント)に対し、建替え後の従後延床面積は44981平米(容積率644.2パーセント)に高度利用が進んでいることが分かります。延べ床面積の増加率は、44981÷9741=4.62倍です。これに、前記の権利床比率0.39を乗算すると、増し床や共用施設も含めて、従前地権者の床面積は、約1.8倍に増加していることになります。このように還元率が100パーセントを超えている事業も多数あるということを踏まえて、参加組合員デベロッパーと交渉していくことが必要です。
(4)贈収賄の規定(理事とデベロッパーの密約)
防災街区整備事業組合の理事は、行政処分の主体となる公務員に準じる立場ですから、贈収賄の罰則規定もあります。
密集市街地整備法第312条1項 個人施行者(法人である個人施行者にあっては、その役員又は職員)、事業組合の役員、総代若しくは職員、事業会社の役員若しくは職員又は審査委員(以下この条において「個人施行者等」と総称する。)が職務に関して賄賂ろを収受し、又は要求し、若しくは約束したときは、三年以下の懲役に処する。よって不正の行為をし、又は相当の行為をしないときは、七年以下の懲役に処する。第313条1項 前条第一項から第三項までに規定する賄賂を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、三年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
記憶に新しいところでは、東京オリンピック組織委員会の贈収賄事件もありました。これは大会のスポンサー契約をめぐり多額の贈収賄が摘発されたものでしたが、再開発事業や防災街区整備事業でも、総事業費が数千億円になることも珍しくなく、理事が参加組合員デベロッパーと密約をして、事業計画の策定や保留床単価の設定などで便宜を図っているのではないかと疑われる事例があります。
東京地裁平成28年9月29日協力金等支払請求反訴事件では、再開発組合設立前に地権者の賛成同意を取りまとめて事業を推進する対価として6千万円の協力金を支払う密約があり、原告が再開発組合の理事長に就任して事業を推進し事業完成したもののデベロッパーが2500万円しか支払わなかったため残金の支払いを求めた訴訟において、理事の職務に関して請託を受けて職務上不正の行為をしたり相当の行為をしなかったことを示す証拠は見当たらないとして、つまり当該契約は公序良俗違反(民法90条)による無効とはならないとして、協力金残金3500万円の支払いを命じたものでした。しかし、一部の地権者のみに対して利益を供与して建て替え事業を推進しようとすることは、地権者の公平要件(密集市街地整備法206条2項)に反する事情であり、贈収賄の規定が適用される可能性もある問題のある行為です。刑事事件化するかどうか警察検察の判断も限界事例だったと思われます。協力金の原資は、デベロッパーが再開発事業から得る開発利益です。この判例の事案では、再開発事業が予定通り完了したようですが、もしもこの6千万円の密約が再開発手続き中に区域内地権者に露見して、都道府県などの許認可庁にも権利変換縦覧意見書(密集市街地整備法216条2項)などで「公平性に問題がある」との主張がなされていれば、認可の判断に影響を与えた可能性があります。地権者への開発利益還元が促進された可能性があります。防災街区整備組合の理事は、区域内地権者を代表して理事会を組織しているはずですが、参加組合員デベロッパーの利益ばかり重視する議決権行使が疑われる事例もあります。法律違反が無いかどうか、地権者が目を光らせる必要もあります。
お困りでしたら経験のある弁護士事務所に御相談なさって下さい。組合との代理人交渉を依頼することもできます。
以上