生前における遺留分の放棄
家事|相続|遺留分放棄の代償措置|被相続人と遺留分権利者の利益対立|相続の本質と他の相続人の利益対立
目次
質問:
今の妻とは再婚なのですが、今の妻との間の息子の他に、前妻との間にも、息子が一人います。私も80歳となり、この先、長くは生きられませんので、今のうちから、今の妻や息子達の間で法的な諍いが起こらないよう、自分の財産関係を整理しようとしているところです。私の財産は、現在居住している不動産(土地と建物を併せて、資産価値は3000万円程です。)の他には、預金が1000万円程あるだけなのですが、20年程前に、前妻との間の息子に対し、住宅購入代金として1000万円程を援助していることから、前妻との間の息子には、何らの財産も相続させずに、今の妻とその間の息子に全てを相続させるのが公平なのではないかと考えています。この点を前妻との間の息子に相談してみたところ、前妻との間の息子も理解を示してくれ、遺留分を放棄しても良いとまで言ってくれました。
そこで、遺留分の放棄についてインターネットで調べてみたのですが、生前における遺留分の放棄は難しいというようなことが書かれていました。実際のところ、私が生きている間は、前妻との間の息子に遺留分を放棄してもらうことはできないのでしょうか。
回答:
1 兄弟姉妹以外の相続人には、遺贈等によっても奪われない相続権である遺留分が存在しますが、遺留分も個人的な財産の一つに過ぎないことから、これを放棄することが認められています。
ただ、被相続人の死後、相続発生後においては、相続人は自由に遺留分を放棄することができるのに対し、被相続人の生前、相続発生前においては、家庭裁判所の許可がない限り、遺留分を放棄することができません(民法1049条1項)。相続の権利自体の放棄は、相続の放棄と言って、相続発生後にしか認められていません。生前に相続による財産の移転を否定するためには、遺言書を作成することになりますが、その場合でも遺留分の制限があります。そこで被相続人意思の尊重と相続人の権利保護のため、生前に遺留分の放棄が出来るが、そのためには家庭裁判所で相続人の権利が侵害されていない場合に限って、遺留分の放棄を認めようとする制度です。
2 実際に、被相続人の生前における遺留分放棄の許可を得るためには、遺留分を有する相続人が、被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に対し、遺留分放棄の許可審判を申し立てる必要があります。この審判では、遺留分の放棄を許可するか否かにつき、遺留分を有している相続人の保護の見地から①遺留分の放棄が申立人の真意に基づくものであるか否か、②遺留分の放棄に合理性と必要性があるか否か、③遺留分放棄の代償が支払われているか否か、という基準によって判断されることになります。
まず、①遺留分の放棄が申立人の真意に基づくものであるか否かについては、例えば、被相続人から強く迫られた結果、遺留分放棄の許可審判の申立てがなされたような場合には、申立てが却下される(遺留分の放棄が許可されない)ことになります。
次に、②遺留分の放棄に合理性と必要性があるか否かについては、例えば、被相続人とその前妻との間の子である相続人が、将来的な遺産を巡る紛争に巻き込まれないようにするために、遺留分を放棄するような場合や、相続人の一人が被相続人と同居して療養看護を行う代わりに、他の相続人が遺留分を放棄するような場合には、申立てが認容され得る(遺留分の放棄が許可され得る)ことになります。
最後に、③遺留分放棄の代償が支払われているか否かについては、過去の先例を見ても、その考慮の程度には軽重がありますが、被相続人の現在の財産を基礎にして算定される遺留分に相当する生前贈与がなされているか否かを一応の基準に考えておくのが無難かと思います。
3 本件についてこれを見るに、相談者様には、今の奥様とその間の息子さんの他に、前の奥様との間の息子さんもいらっしゃる、ということですので、相談者様の遺産を巡る紛争に発展する危険が潜在的に存在するといえます。こうした背景事情を踏まえると、遺留分の放棄に合理性と必要性があるといえそうです。
また、相談者様は、前妻との間の息子さんに対し、住宅購入代金として1000万円程を援助しています。この金額は、相談者様の現在の財産を基礎にして算定される遺留分の金額よりも多いため、遺留分放棄の代償は支払われているといえそうです。
このような要件を満たしているか否かを家庭裁判所が、審理することになりますが、手続きとしては、申立をすると家庭裁判所から、これらの事情についての照会書の用紙が後日郵送され、それに記載して回答し、問題がなければそのまま許可の審判が出ることになります。場合によっては裁判所から呼び出しがあり、裁判所に出向いて、審判官(家庭裁判所で審判をする裁判官)から質問されることもあります。前の奥様との間の息子さんが、遺留分放棄の許可審判の申立てがご自身の自由な意思によるものであること等を照会書に記載すれば、お伺いしている限りでは、申立てが認容される(遺留分の放棄が許可される)可能性は十分にあると考えられます。
なお、許可申立はご自分でもできますが、弁護士に依頼し弁護士が代理人となって申し立てをすると原則として上記の裁判所の審尋は行われないようです。これは弁護士が申立に際して、本人の意思を確認し、その他の要件も満たしていること満たしていることを前提に申し立てをしていることを前提に、裁判所、申立人の便宜を図ってそのような扱いとなっているようです。
4 遺留分放棄に関する関連事例集参照。
解説:
1 遺留分の概要
兄弟姉妹以外の相続人には、遺贈等によっても奪われない相続権である遺留分が存在します。すなわち、被相続人は、遺産を全く自由に処分することができるわけではなく、自由に処分することができるのは、全体の2分の1又は3分の2に過ぎません。自由に処分することができない2分の1又は3分の2を総体的遺留分といい、遺留分権利者が複数である場合、これを法定相続分で按分することになります(民法1042条)。
本件の場合、相続人は、今の奥様と息子さんお二人ということになりますので、遺留分の総体は2分の1となり(なお、直系尊属のみが相続人である場合には、遺留分の総体は3分の1となります。)、これを法定相続分である4分の1で按分し、前の奥様との間に息子さんの遺留分は8分の1となります。
2 遺留分の放棄
この遺留分を遺贈等によって侵害された場合、遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができますが(民法1046条1項)(なお、旧法下では、遺留分侵害額請求ではなく、遺留分減殺請求という名称であり、減殺された遺贈又は生前贈与の目的財産は、原則として、受遺者又は受贈者と遺留分権利者との共有になりましたが、現行法では、金銭債権に一本化され、遺留分侵害額に相当する金銭の支払いを請求できるのみとなりました。)、これを放棄することも認められています。
ただ、被相続人の死後においては、相続人は自由に遺留分を放棄することができるのに対し、被相続人の生前においては、家庭裁判所の許可がない限り、遺留分を放棄することができません(民法1049条1項)。遺留分が個人的な財産の一つであることからすれば、被相続人の生前においても、自由にこれを放棄することができそうですが、同項は、被相続人の威力によって遺留分の放棄が強要される事態を危惧し、被相続人の生前における遺留分の放棄には、家庭裁判所の許可が要求されるとしたものです。
3 家庭裁判所による遺留分放棄の許可
⑴ 被相続人の生前における遺留分放棄の許可を得るためには、遺留分を有する相続人が、被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に対し、遺留分放棄の許可審判を申し立てる必要があります。
この審判では、遺留分の放棄を許可するか否かにつき、①遺留分の放棄が申立人の真意に基づくものであるか否か、②遺留分の放棄に合理性と必要性があるか否か、③遺留分放棄の代償が支払われているか否か、という基準によって判断されることになります。これらの許可基準の一つでも満たしていない場合は、原則として遺留分の放棄が許可されません。
⑵ まず、①遺留分の放棄が申立人の真意に基づくものであるか否かについては、例えば、被相続人から強く迫られた結果、遺留分放棄の許可審判の申立てがなされたような場合には、申立てが却下される(遺留分の放棄が許可されない)ことになります。
実務上、申立人の意思を確認するに当たっては、照会書を申立人の元に送付する、場合によっては、裁判官が申立人の面接を行う、という方法が取られます。
⑶ 次に、②遺留分の放棄に合理性と必要性があるか否かについては、例えば、被相続人とその前妻との間の子である相続人が、将来的な遺産を巡る紛争に巻き込まれないようにするために、遺留分を放棄するような場合や、相続人の一人が被相続人と同居して療養看護を行う代わりに、他の相続人が遺留分を放棄するような場合には、申立てが認容され得る(遺留分の放棄が許可され得る)ことになります。
⑷ 最後に、③遺留分放棄の代償が支払われているか否かについては、過去の先例を見ても、その考慮の程度には軽重がありますが、被相続人の現在の財産を基礎にして算定される遺留分に相当する生前贈与がなされているか否かを一応の基準に考えておくのが無難かと思います。
ただ、遺留分侵害額請求とは異なり、その考慮対象に期間制限等があるわけではないので(なお、遺留分侵害額請求の場合、遺留分を算定するための基礎となるのは、原則として、相続開始前10年以内にされた特別受益(婚姻若しくは養子縁組のための贈与、生計の資本としての贈与(民法903条1項参照))としての生前贈与に限られることとなります。)、より柔軟な処理が可能だといえるでしょう。
更に言えば、被相続人と申立人との間で、遺留分が放棄された後、数年が経過してから贈与を履行する、との贈与契約が締結されていた事案で、申立てを却下した(遺留分の放棄を許可しなかった)審判例(神戸家裁昭和40年10月26日審判)が存在することから、遺留分放棄の許可を得るためには、審判の申立て前に、遺留分放棄の代償を支払っておくか、少なくとも、遺留分の放棄の申し立てと同時に、その代償を支払う、との贈与契約を締結しておいた方が良いでしょう。
4 本件における検討
相談者様には、今の奥様とその間の息子さんの他に、前の奥様との間の息子さんもいらっしゃる、ということですので、相談者様の遺産を巡る紛争に発展する危険が潜在的に存在するといえます。こうした背景事情を踏まえると、遺留分の放棄に合理性と必要性があるといえそうです。
また、20年程前ではありますが、相談者様は、前妻との間の息子さんに対し、住宅購入代金として1000万円程を援助しています。この金額は、相談者様の現在の財産を基礎にして算定される遺留分の金額(500万円)よりも多いため、遺留分放棄の代償は支払われているといえそうです。
したがって、前の奥様との間の息子さんが、遺留分放棄の許可審判の申立てがご自身の自由な意思によるものであること等を照会書に記載し、場合によっては、裁判官との面接に際し、遺留分放棄の許可審判の申立てがご自身の自由な意思によるものであること等を述べれば、お伺いしている限りでは、申立てが認容される(遺留分の放棄が許可される)可能性は十分にあると考えられます。
なお、遺留分放棄の許可審判の確定から5年が経過していなければ、家庭裁判所は、当該審判の申立人の陳述を聴いた上で、遺留分放棄の許可が不当であると認めるときは、職権で、当該許可を取り消すことができるとされています(家事事件手続法78条)。
5 最後に
以上のとおり、相談者様の生前においては、前の奥様との間の息子さんに遺留分を放棄してもらうためには、合意書等を取り交わすだけでは足らず、家庭裁判所の許可が必要となります。しかも、遺留分放棄の許可基準は抽象的なものとなっていますので、より詳細なご事情をお伺いしなければ、遺留分の放棄が許可される見込みがどれ程あるのかを判断するのも難しいところです。
そのため、そもそも遺留分放棄の許可審判を申し立てるべきかどうかという点も含め、お近くの法律事務所でご相談されるのが宜しいでしょう。
以上