覚せい剤使用・捜索差し押さえ令状で強制採尿は許されるか
刑事|覚せい剤取締法違反|強制採尿|昭和55年10月23日の最高裁決定
目次
質問:
知人が覚せい剤の所持で逮捕されてしまいました。私の推測ですが,彼は最近覚せい剤を打って使用したこともあると思います。警察では尿検査をするそうですが,それを拒むことはできないのですか。
回答:
1.警察等捜査機関から尿の提出を求められても拒む事は出来ます。しかし,捜査機関が裁判所から尿を強制的に採取することを認めた適正な捜索差押え令状の交付を受けて執行する場合には拒否する事は出来ません(刑訴218条1項)。しかし,この令状は,一般の捜索と異なり捜索対象が被疑者の体内であるということと体内にある尿を強制的に差し押さえ採取するので被疑者のプライバシー,人権が関わっており解釈上令状交付に厳格な要件が求められていますから検討が必要です。
2.覚せい剤取締法違反事案に関する関連事例集参照。
解説:
1、覚せい剤を所持していた人は,一般的に覚せい剤の使用もしていた可能性が非常に高いですから,警察では覚せい剤所持の嫌疑に加え,使用の嫌疑でも捜査をすることになります。使用の事実を立証するための証拠収集活動として,一般的に行われているのが,被疑者の尿の鑑定です。現在は簡易鑑定の方法がありその場で試験用薬品に尿を通して陽性反応を見ることが出来ます。正式な証拠としては警察の科学捜査機関に鑑定(専門家の意見を聞く手続です)を依頼し鑑定書を作りこれが証拠書面となります(刑訴321条4項)。この尿に覚せい剤の成分が検出されれば,使用したことを示す動かぬ証拠(客観的証拠)となりますから,所持と使用の両方の罪で起訴される可能性が高いでしょう。逆に,覚せい剤成分が検出されなければ,裁判をしても無罪になると予測されるので,使用の罪については不起訴になると考えられます。
2、そこで,警察はいずれにしても尿の鑑定を行うことになるはずです。この尿の鑑定を行うため,法的な手続きとしては,被疑者に尿の「任意提出」を求め,それを警察が「領置」して鑑定に回すのが原則です(刑訴法221条)。法律上は,尿が証拠物であり,被疑者がその所有者であり,被疑者が任意に占有を放棄することを前提に,警察が占有を取得するという形式がとられるのです(尿の場合,通常は所有権の放棄も同時に行います)。これはいわゆる任意処分の一種ですから,被疑者が尿の提出を拒むことは自由です。その意味では,ご質問に対する答えは,「拒むことはできる」となります。
3、しかし,尿の任意提出を拒んだとしても,実務上警察にはそれに対抗する強力な手段が用意されています。それが「強制採尿」と呼ばれる,カテーテル(導尿管)を用いて体内から強制的に尿を採取する方法です。貴方の知人は覚せい剤を持っているし,多分その様な人間は使用もしていると予想できるので当然の処置であると思うかもしれません。しかし,この強制採尿については,それそのものを規定した直接の条文はありませんので強制処分法定主義(刑訴法197条)に反し違法な捜索差し押さえによる証拠物で有りその様な証拠物を鑑定した鑑定書は証拠能力がないかどうか問題となります。すなわち捜査段階において被疑者の体内から尿を取り出し押収するのですから刑事訴訟法218条の捜索,差し押さえ(押収のうち強制的に物を押さえる事をいいます。任意に提出する事は領置といいます)の問題になりますが,そもそも捜索とは,押収しようとする物,被疑者,被告人の所在を発見するため強制的処分であり被疑者の身体の内部を対象としたものではありませんし,通常の身体検査のように身体を外部から調査する場合でも特別の令状(身体検査令状)を必要としている趣旨(法218条後段)から被疑者の体内を医学的に検査,調査し発見して物(尿)を取り出すことは法218条捜索差し押さえの範囲外と考えられるからです。そのうえ,手術等でご経験のある方であればおわかりのとおり,不快感や精神的苦痛を伴うものですから,公訴も提起されておらず有罪無罪も不明な被疑者の段階でこのような方法は違法ではないのか疑問があるといわれています。
4、私としては原則的に218条の令状では,強制採尿(被疑者身体の内部から証拠物を強制的に採取して押収,差し押さえ)は出来ないものと考えます。しかし,例外的に,捜査の必要上事件の明白性が高く且つ事件の性質上当該証拠の重要性があり,証拠収集について他に方法がなく,他方被疑者の不利益保護のため身体検査令状の要件が記載され被疑者の肉体的精神的苦痛を過度に伴わない医学的条件方法が備わり令状に明示されている場合(刑訴219条,身体の特定と条件,方法)には218の令状で強制採尿は許されるものと解する。すなわち,捜索差し押さえ手続は違法にならず,尿の鑑定書面も証拠能力(証拠として裁判所の判断資料となります)を有する事になります。
5、その理由ですが,
①憲法31条は,「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない。」と規定していますが,この条文は,国民の基本的人権,個人の尊厳を確保保障するため法律が事前に定められていなければいかなる人も処罰されないという罪刑法定主義を定めたものであると同時に,手続き自体も法律に定められた適正な内容の手続きであることを要求するものと解釈されています(適正手続の保障といいます。デュープロセスオブロー,due process of law)。この法律の手続きとは,刑事手続をいい,刑事手続とは犯罪を捜査し,起訴し,判決により刑罰を宣告し,執行することを言います。
そして,この手続を規定しているのが刑事訴訟法です。民事訴訟法は,私的な紛争を公的に強制的に解決するものですから,当事者の公平,適正な解決,裁判の迅速性(憲法37条1項),訴訟経済性がもともめられるのですが,基本的に刑事訴訟法も同様ですが,対立当事者が一応対等な民事訴訟法と違い国家権力(検察,警察の捜査機関)と国民という権力者と力のない一般市民ということであり最初から対等な関係にありませんし更に判断は民事訴訟と違い個人の法益を強制的に剥奪する刑罰権の行使を内容とし,歴史的に国家権力が権力を濫用ししばしば国民の基本的人権たる生命,身体を不当に侵害した事実から当事者の実質的対等性,公平性を確保して真実を発見し適正な判断をするため沿革上刑事手続には厳格なルールが定められているのです。この大原則が罪刑定主義であり適正手続の保障です。国家と国民との利害が最も峻烈に対立する強制処分について,この大原則をさらに厳格にルール化したものが強制処分法定主義や令状主義なのです。
従って,刑事手続の適用,解釈は,厳格に,謙抑的に類推適用は民事手続と違い原則的に認められません。しかし,刑事手続の真の目的は,犯罪者を処罰するためではなく国民から委託された公益の代表として国家が刑罰権を行使し犯罪者を教育更正させ最終的に社会秩序の回復,安全を実現するという公益的性質を有しています。従って,刑事手続法の適正な手続の解釈に当っては,法律は抽象的にならざるをえませんので被告人,被疑者の人権利益と社会的公共性を加味し行う必要があります。
②公判提起前,捜査段階の証拠保全の方法として法218条捜索差し押さえが規定されていますが本来,この手続は被疑者の身体の内部まで検査する事を予想していませんから,強制採尿をみとめる規定がない以上罪刑法定主義,厳格な解釈の原則から許されないと考えるのが原則です。しかしそもそも,令状主義の制度趣旨は,捜査権力が逮捕,捜索押収などの強制処分を行う場合に司法機関の判断許可により,捜査権力の濫用を防止し人身の自由,住居,財産の自由を守ろうとするところにあリます。従って,その危険がないような現行犯,令状逮捕,緊急逮捕の場合には令状は不要となります(刑訴220条)。すなわち嫌疑が明らかであり人身,財産,住居の自由を不当に侵す危険がなければ真実発見,適正な裁判,社会秩序維持のために令状なしで捜索差し押さえが出来るのです。そうであるならば,嫌疑の明白性が明らかで,証拠保全のため方法がなく,医学的方法が令状に明示され,身体検査令状の要件が帰されている場合は,被疑者の人権侵害の危険がなく,社会秩序安全の利益を重視して強制採尿を認めるべきであると考えられるからです。
6、ところで 昭和55年10月23日の最高裁決定は,強制採尿を「捜索・差押」(刑訴法218条1項)の一種として,一定の条件のもとでは合法であると認めました。最高裁が示した条件とは,①「被疑事件の重大性,嫌疑の存在,当該証拠の重要性とその取得の必要性,適当な代替手段の不存在等の事情に照らし,犯罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合に」「最終的手段として」行うこと,②「適切な法律上の手続きを経」ること,すなわち裁判官が発布する「捜索差押令状」に基づき,しかもその令状には「医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない」旨の記載があること,③「その実施にあたっては,被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮が施される」ことです(括弧内は原文)。それ以後,捜査実務ではこの判例にしたがい,捜索差押許可状を得て病院等の施設で医師の手による強制採尿を実施しています。この事件では捜査機関は,捜索差し押さえ令状ではなく(この令状は採尿に無理だと判断し),身体を外部から取り調べる身体検査令状と尿の鑑定処分許可状(刑訴225条 この令状により鑑定人が鑑定に必要な処分として身体検査,死体解剖を行えるので捜索に利用したものと考えられる。鑑定人は捜査機関ではありませんから捜索をする事は出来ません。)により執行されていますが上記要件が備わっていればこの瑕疵も重要なものではないとして,この尿の鑑定書について証拠能力を認めています。原審名古屋高裁は身体検査令状,鑑定処分許可状について違法としていますが尿の鑑定書について証拠能力を結果的に認め使用罪について有罪を言い渡しています。この点については適正手続の原則から議論の余地があります。
7、覚せい剤の所持で逮捕された被疑者が尿の任意提出を拒む場合には,上記①の要件があると判断されやすいといえます。なぜなら,覚せい剤使用の罪は10年以下の懲役(覚せい剤取締法41条の3第1項1号)にあたる重い罪ですし,最初に述べたように所持の被疑者には使用の嫌疑も通常認められること,尿の鑑定結果が陽性であれば決定的な証拠となること,覚せい剤を使用した後,尿に成分が検出される限界の期間は通常1週間から2週間程度であって,即時に尿を採取する必要性が高いことなどに照らし,「犯罪の捜査上真にやむをえない」といえる場合が多いからです。なお,代替手段に関して,現在の技術では髪の毛による鑑定も可能で,それによれば数か月前の使用の事実についても証拠を得ることが可能とされます。しかし,費用等の面で一般的な実用化には至っていないようですので,現在の段階では,尿の鑑定以外に適当な代替手段があるとまではいえないと思われます。
8、そこで,通常の場合,警察からの令状請求に対して,裁判官から被疑者の尿を目的物とした捜索差押許可状が発布されることになるでしょう。それを示され,医師により合理的かつ安全な方法で強制採尿が実施されれば,結局,尿の鑑定は行われることになります(実施の際,被疑者が暴れたりする場合に身体を押さえつける程度のことは,必要最小限度の有形力行使として許されます)。多くの被疑者は,当初は尿の任意提出を拒んでいても,令状が発布された段階で警察官に説得されると,観念して任意提出に応じているようです。もちろん,警察官が判例のルールをひそかに無視して,要件がないのに令状を請求したり,不適切な方法で執行したりすることはありえます。このような捜査方法は違法ですので,日時,場所,刑事さんの名前,具体的な状況等をよく覚えておいて,専門家にご相談ください。
9、例えば,運転中の車両を停止させて免許証を拝見するとして車内を事実上捜索し,お願いする形で身体を検査して注射痕らしきものや,汗をかき落ち着かない挙動等,覚せい剤使用と思われる状況がある場合大勢の警察官で取り囲み移動を阻害してその間に強制採尿の捜索差し押さえ許可令状を用意して病院に連行して諦めさせて任意提出の形で採尿する場合です。この場合は,嫌疑が十分でなく犯罪の明白性という点から捜索差し押さえ令状は違法である可能性がありますので捜査機関に事情説明を求め要件吟味をして手続の違法性を主張する必要があります。
10、最後に,薬物依存を克服しようとする方のために,各種の支援団体があることをご紹介しておきます。お知り合いの方が,覚せい剤を断ち,健やかな生活を取り戻されることを願ってやみません。
以上