不起訴処分の裁定・一事不再理
刑事|起訴裁量|不起訴処分告知書|最高裁昭和55年12月17日判決
目次
質問:
私は以前ある罰金刑の罪を犯してしまいましたが、依頼した弁護士が被害者と示談してくれたので、担当検察官から、「不起訴処分にする方針である」と口頭で言ってもらいました。しかし、数ヵ月後に突然、私のところに呼び出しがありました。検事は、「この事件はまだ正式な不起訴処分決定をしていなかった」と説明しました。そのようなことが許されるのでしょうか。「一事不再理」という言葉をテレビで聞いたことがありますが、今回のことは関係ないでしょうか。
回答:
1.検察官が、被害者との示談が成立し「不起訴の方針である。」と説明しながら、不起訴処分の決定を数カ月間放置することは、違法とまでは言えないと思いますが、妥当な対応ではありません。在宅とはいえ、特別な事情がない限り被疑者という不安定な地位に長期間置くことは人権、名誉の観点から認められないからです。迅速な裁判(憲法37条1項)の趣旨は、起訴前の迅速な捜査、処分にも当てはまるからです。検察官、捜査機関は被疑者の不安定な地位にかんがみ、公訴を提起するかどうか速やかな捜査、対応が求められるからです(刑訴259条乃至261条、246条)。検察官の警察官に対する指揮権もその目的ために行使されます(刑訴193条)。
2.担当弁護士も、不起訴の方針であれば担当検察庁に対して「不起訴処分」証明文書(不起訴裁定書もしくは不起訴処分告知書といわれています。)を請求すべきであったと思います(刑訴259条)。
3.本来不起訴にすべき裁定を放置しておいたという今回の件は、一事不再理「既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」(憲法39条。)とは直接関係ありません。被告人が裁判において得た無罪という法的効果を不利益に変更することは許されないという刑事裁判における被告人保護の規定は、裁判官ではない検察官の不起訴裁定には及ばないからです。従って、不起訴を決定しても再度証拠、情状により再度公訴を提起することも可能になります。
4.但し、不起訴裁定がなされた後、何らの証拠、余罪、情状に変更がないのにもかかわらず、逮捕勾留、起訴することは信義則に反し許されないと思われます。勾留の請求、裁判に対しては、検察官、裁判所に各意見書の提出、勾留決定に対しては準抗告の申し立てが必要でしょう。さらに、検察審査会(法2条1項2号)、検察庁の責任者に文書による異議の申し出をなすべきです。
5.不起訴処分に関する関連事例集参照。
解説:
1.(不起訴処分と一事不再理効)
不起訴処分には、確定判決のような一事不再理効はありませんので、理論的にはあらためて起訴することも可能です。一事不再理とは、事件について確定判決がある場合には、その事件について再度実体審理をすることは許されないという原則です。近時、日本で無罪判決が出た場合に、海外で再度同一の事実について逮捕ができるのか、という問題が社会で取り上げられました。一見当たり前のようですが、国民の重大な権利であり、憲法39条、前段に規定されています。刑事訴訟法上の一事不再理効は、いったん無罪となった場合、後から有罪の証拠が出てきても再度刑事裁判を行うことはできないという原則です。勿論刑の加重もできません。被告人が有罪の場合は、新たに証拠があれば再審請求(刑訴435条、旧刑訴481条では不利益再審が認められていました。)ができるのにおかしいように思いますが、これは近代刑事裁判の基本原則です。
自由主義のもと本来自由である国民が、例外的に刑事手続きによってのみ生命身体の自由を強制的に奪われるものであり、刑事被告人の利益を特に保証した原則です。英米法の二重の危険禁止の法理(憲法39条後段)を理論的根拠としています。従って、被告人に有利な再審も可能になります。判決の既判力に根拠を求めると不利益再審不可を説明できません。民事訴訟上は口頭弁論終結時の権利関係を確定するものであり(民訴253条1項4号)常に変動していくので、同一の事実関係はありませんから、一事不再理という概念は理論的にありません。又、対等の当事者の権利関係の確定であり、再審は当事者双方有利不利にかかわらず認められます。これに対して、検察官の不起訴処分は、訴追裁量に根拠があります。すなわち、公訴を提起するかどうかの最終判断を公益の代表である検察官の裁量にゆだねる起訴便宜主義(刑訴248条)です。
法の支配の理念は公正な社会秩序維持による個人の尊厳保障にあり、反規範的人格により法秩序を侵害してもむやみにレッテルをはらず犯罪者を教育更生することを最終目的とするものです(犯罪者を教育して社会秩序を維持する特別予防主義)。従って、一旦不起訴処分にしても、新たな証拠の収集、余罪の発見、情状の変化などにより起訴手続きを行うことができることになります。但し、裁量権により被疑者に不公平があってはいけませんので、不相当な不起訴処分については検察審査会の手続き(検察審査会法)、準起訴手続き(刑訴262条)が用意されています。他方、不当な起訴に対しては公訴権乱用論(形式裁判で公訴を棄却する。)が唱えられています。例えば、有罪の見込みなき起訴、本件のような訴追裁量の逸脱、違法捜査の起訴です。判例(最高裁判決昭和55年12月17日。水俣病患者が交渉の過程で会社の警備員を殴った事案。)は限定的で消極的です。公訴提起自体が検察庁の職場の犯罪を構成するような事態の場合に限られる。判旨後記参照。但し、東京高裁は訴追裁量の濫用(公訴権乱用の法理)を認め公訴を棄却しています。
2.(起訴便宜主義と一事不再理効)
刑事事件がどのように進むかについては、当事務所HPのほかの記事(ホームページ事例集)も参照していただきたいのですが、検察官は、被疑者を起訴するかについて、裁量を持っています(刑訴248条、起訴便宜主義)。これは、起訴・不起訴を検察官の手に委ねることによって、それぞれの事件の解決を柔軟に行えるようにするというものです。例えば、一口に窃盗と言っても、出来心で安価なものを万引きしてすぐに見つかった場合と、計画的に高価な財産を窃取した悪質な犯行では大きく犯情は違います。このようなときに検察官は、本人の反省、被害弁償、被害感情などを考慮し、起訴は不要であるという判断を下すことが出来るのです。また、起訴便宜主義は、国家権力から独立した機関である検察官が、国家の恣意的な犯罪検挙から国民の権利を守るという効果もあります。このように、起訴便宜主義も、一事不再理効も、国民の権利を守る重大な権能であるといえますが、冒頭に示したように、起訴便宜主義によってある被疑者が不起訴処分とされた場合でも、一事不再理効はおよびません。一事不再理効は、あくまで「確定判決」に及ぶものであり、わが国における最終判断機関である裁判所の判決以外には認められるべきではないからです。すなわち、裁判において公平・公正かつ慎重な審理が行われたからこそ、その事件については蒸し返しをするべきではないという考えに正当性が見出せるのであり、刑事事件における一方当事者である検察官の判断に裁判と同じような正当性を見出すことは出来ないからです。すなわち、司法権は裁判所に専属し独立しており(憲法76条)検察官は裁判所の判断の対象たる事実を起訴状に訴因として提示する職務を有するにすぎません(刑訴256条)。
3.(検察審査会の任務)
なお、証拠不十分で検察官が不起訴と判断した事件でも、被害者を初めとする国民は、その判断に不服があれば、検察審査会という機関に不服を申し出ることが出来ます。検察審査会は事件を調査し、検察官の処分が適当であったかどうかを判断することになっています(検察審査会法1条、2条。)。検察審査会の判断に法的拘束力があるかどうかは争いのあるところですが、被害者の立場からすれば検察官の職権濫用を防ぐための重要な手続といえるでしょう。
4.(不起訴裁定後の、再度の逮捕、勾留、公訴提起)
このように、検察官は起訴便宜主義によって権限を与えられている一方、一事不再理のような強力な効力までは与えられていないといえます。このことは、検察官の判断に一定の権能を認めるとしても、被害者を初めとする国民の信頼を担保するために、検察審査会に対して不服を申し立てることが出来るという制度とあいまって、社会正義、法の支配の実現に資するものであり、このこと自体は妥当であると考えられます。しかし一方で、被疑者の反省が認められ、被害者のお許しをいただいて、不起訴処分を得たといえるのであれば、余罪、証拠、情状の変化がないにもかかわらず、あまりに時機を逸した再度逮捕・拘留などの手続を認めることは、刑事被告人の刑事手続き上の利益である一時不再理効の趣旨にそって違法と判断する余地があるのではないかと考えます。なぜなら、不起訴処分というものは、被疑者にとっても被害者にとっても一定の事件終結の契機であり、実質的には判決と同様の社会的影響をもつ事実であると考えられますし、被疑者の法的安定性確保の要請は検察官の処分においても当然認められるものであると考えられるからです。
5.(本件の対応)
本件では、不起訴処分にする方針である、ということは口頭でしか確認されておらず、実際に最終決定がされていなかったかどうかは外部からは知ることは出来ません。現在、検察官の起訴、不起訴処分は、被疑者、被害者が要求した場合に、検察官がこれを書面で通知することになっています(刑訴259条)。弁護人などは、弁護活動の一環として、検察官から不起訴処分の判断を受けた場合には、不起訴処分通知書(不起訴裁定書)を取得することができます(被疑者のご要望があれば弁護人として文書を取得してお渡しするのが通常の取り扱いです。)。この通知書は、検察庁に請求すれば発行してもらえます。
6.(まとめ)
これまで、被害者が不当な不起訴処分に対して異議を申し出るケースは多く報告されていますが、不起訴処分が覆されたことに対する異議というケースは報告されていません。本件でも、不起訴処分がいったん決済されていたという事実を確認することは不可能であると思われますので、争うことは困難であると思われます。不起訴処分を得た場合には、これらの事情を明確にすると共に、検察官に対し、不当な再捜査をさせないための意思表示としても、不起訴通知書(不起訴裁定書)の取得などを弁護人を通じて積極的に行ったほうが良いと考えます。
以上