新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース 質問:長男(乙)が勝手に私(甲)の不動産を自分の名義に変え,その後,売却してしまいました。乙が権利者であると信じて取引した買主(丙)から不動産を取り戻すことはできるでしょうか?教えてください。 解説: 2.(原則論の理由)その理由は,自由主義に基づく私的自治の原則にあります。本来個人は自由な存在であり私法関係の規律,個人の権利関係は当事者の自由意思による契約(契約自由の原則)と過失(過失責任主義)による法的責任しかなく,無権利者からいくら権利者であると信用して取引しても,権利者の自由意思に基づかない取引は有効にならないのです。しかし,流動性が高く無数の動産取引にこれを適用すると,権利関係確認のために時間を要し,事実上円滑な取引ができなくなる危険があり,例外的に動産の外観を信用したものを保護したのです。これを公信の原則といいます。もともと私的自治の原則は,公正な社会秩序建設のための手段的制度であり,このような例外的規定も是認されることになります。しかし,不動産取引は,経済的価値も高価であり,流通性も動産ほどではありませんので,原則論から無権利者から信用して譲渡を受けても権利を取得できません。すなわち,登記には公信の原則(公信力)は適用になりません。取引安全(動的安全)より本来の権利者(静的安全)を保護しています。フランス民法も同様です。外国では登記に公信力を認めている国(ドイツ,スイス)もあります。しかし,経済の発展,不動産取引の厖大化に伴い以上の基本原則は修正する必要が発生しそれに応じ判例も対応することになりました。そこで,その理論的根拠が問題となります。 3.(具体的不都合)本件でいえば,貴方の所有権を勝手に登記したのは息子さん乙であり,虚偽の登記が終了すると税金の関係,取引活動の関係から貴方が虚偽の登記を知り放置していた場合があります。このような場合も事情を知らない善意の第三者が保護されるかどうか問題になります。貴方は,虚偽の登記の存在を自ら作出したわけではありませんが,結果として,虚偽登記の状態を放置しており,そのような虚偽の外観を信じた第三者を保護しないのは不公平ですし,取引が不安定になるからです。 4.(94条2項の適用の否定)そこで,このような場合,94条2項の適用が問題になります。しかし,結論としては94条2項を適用することはできません。なぜなら,94条2項の趣旨は,通謀し虚偽表示により当事者甲と乙とが意思の連絡の上,外観を作出しそのような外観を信じたものを例外的に救済する規定だからです。すなわち,契約自由の原則は,当事者の自由な法律効果を発生させようとする効果意思に法律的効果を認めようとするものであり,通謀により不動産の権利移転の効果を発生させるという意思が当事者にない以上権利移転は発生しないのが原則ですが,虚偽の外観を自ら作出したものより(例えば自ら不動産登記を息子の名義にしておいた場合),外観を信じたものを保護することが公平,公正の理念に合致しますし,私的自治の原則に内在する信義則からも本来の権利者は例外的に権利主張を制限されることになります。しかし,虚偽の外観を第三者が作出した後に,この状態を覚知した場合は,自ら外観作出に直接の責任はなく94条2項の適用範囲外になるからです。 5.(94条2項の類推適用)しかしこのような場合は94条2項の直接適用ではなく,94条2項の類推適用が認められています。判例(最高裁判所昭和29年8月20日判決,最判昭和41年3月18日,同45年4月16日)も同様です。すなわち,最初から虚偽の外観を作出していませんが,不動産取引の重要性から一旦虚偽の登記を知った以上,直ちにこのような登記を抹消し不測の第三者が生じないようにすべき信義則上の義務が生じるからです。このような義務を怠った場合は,通謀して外観を作出した場合と同様にペナルテイーが課され外観を信用した第三者が保護されることになるからです。従って94条の趣旨の類推適用になります。 6.(94条2項の類推適用に無過失は不要)この場合94条の直接適用と同じように第三者は善意の他に,無過失は必要ありません。94条の条文上も善意としか書いてありませんし,公平上,虚偽登記後といえども自ら虚偽の外観し作出と同様の責任があり,取引関係ではあたかも,虚偽の表示を信頼する者が出現することを容認しており,取引上保護に値しないからです。他方,善意の第三者は過失があっても権利者よりも帰責性は少なく無過失を要求することは公平上妥当性に欠けることになります。判例(最高裁判所昭和29年8月20日判決,最判昭和41年3月18日,同45年4月16日 )も同様です。 7.(虚偽の外観作出について特別の間接的責任がある場合)次に,息子さん乙が協議の登記をした後に虚偽の登記の存在自体を知らなかった場合はどうでしょうか。このような場合は,例外規定である94条2項の類推適用もありません。虚偽の外観作出状態を知らない以上94条2項の守備範囲を超えるものであり,例外規定の類推適用も許されません。原則に戻り真の権利者が保護されることになります。 8.(94条2項,110条の類推適用)しかし,虚偽の外観の存在を知らなくても,登記には少なくとも登記済み権利書(又は登記識別情報)と実印,印鑑証明が必要ですから,貴方が,これらの書類を乙に預け,他に不動産取引,登記手続きを委託していたような虚偽登記作出について原因を与えた間接的責任がある場合に救済することができないかどうか問題となります。このような特別な事情がある場合は,94条の類推適用の他に表見代理110条の類推適用により第三者丙を保護し,甲は自らの所有権の主張をできない場合があります。どうして,94条2項の他に,表見代理110条の類推適用が必要かというと,前述のように,虚偽の外観の存在を甲が知らない以上94条の趣旨を逸脱するもので適用しようとしても理論的にできないからです。しかし,結果として生じた虚偽の外観を信用した丙を保護する必要があり,虚偽の外観作出の基になった間接的原因を与えた責任はあるのですから,基本代理権以上の取引行為をした場合に相手方を保護する同じ外観法理に基づき規定されている代理権限逸脱の表見代理の規定の類推(基本となる代理権は存在しないので)適用が理論的に必要となります。唯,問題はこの特別の事情とはいかなる内容かを詳細に検討することが必要です。抽象的ですが,94条は取引保護のための例外的規定ですから,本来の権利者が虚偽の外観作出を後に知った場合と同じ程度の責められるべき特別の事情が必要となるでしょう。例えば,安易な権利書,印鑑証明書の交付,登記書類の署名,業務等の白紙委託のような事情です。従って,単に権利書,印鑑証明書を交付,預けたというだけでは足りないでしょう。 9.尚,外観法理とは,ドイツ大陸法の権利外観理論,英米法では禁反言の原則といいます。真の権利者が,自分以外のものが権利者であるかのような外観を作出したときは,それを信頼した第三者は保護されるべきであり,自らその外観を作った権利者は権利を失ってもやむを得ない,とする法理です。 10.(無過失は何故必要か)但し,この場合は,第三者は,善意の他に「無過失」を必要とします。110条は「信ずるべき正当な理由」と規定し,「正当な理由」すなわち解釈上無過失を必要とされていますし(最高裁判所判例昭和53年5月25日判決),甲に直接的責任がない以上,真の権利者の保護と,取引の安全の利益考量から丙に無過失を要求することはやむを得ないからです。判例も同様です。最高裁判所平成15年6月13日判決参照。 11.(過失の具体的内容)過失の具体的内容ですが,例えば,自宅土地建物の売却では,買主が現地訪問をせず現地調査を良くしないで買い受けた場合や,父親から長男に対する所有権移転登記が終わった直後に売却しているのに前所有者である父親に確認を怠ったケースなどが考えられます。取引内容により個々具体的に判断されることになります。このような場合,判例は,94条又は110条を根拠として本人の帰責性との相関関係により判断しているからであると考えられます。つまり,本人の帰責性が大きい場合は,第三者の保護の要件としては善意のみしか要求せず,本人の帰責性が小さい場合には,無過失をも要求し,本人と第三者とのバランスを図っています。 12.(外観法理と不動産登記の公信力の調和)前述のようにわが国においては,不動産登記に公信力が認められていません。公信力とは,外観上は権利があると認められるが,真実は権利がない場合に,その外観を信頼して取引した者に権利取得を認める効力のことをいいます。外観法理とよく似ていますが,本人の帰責性を問題にしない点で異なります。したがって,あまりに広く94条2項の類推適用を認めると,登記にこの公信力を認めることにもなりかねない,つまり本人保護が疎かになってしまいますので,動的安全と静的安全の調和として,94条類推的用を認め,第三者を保護するか否かを判断するには以下の点の検討が必要です。@本人の帰責性の具体的内容(外観作出後その事情を知っていたかどうか,重要な間接的責任があるかどうかの具体的事実),A94条類推の他に110の類推が必要な場面かどうか。B第三者の過失が必要かどうか,C必要であれば過失の具体的内容等です。 13.(94条適用についての学説上の概念)学説上の概念ですが,94条2項の適用,及び類推適用,の場面を類型化して本人の意思が虚偽の外観と一致しているかどうかで(知っているかどうか),@一致している意思外観対応型とA一致していない意思外観非対応型に分類し,@はさらに,虚偽の外観を誰が作出したかによって(権利者自身がしたかどうか),外観自己作出型と外観他人作出型とに分類する考え方があります。本人の帰責性がどれだけあるかという面から分類し過失の必要性も明らかにしています。責任が重い@の場合は94条の直接,及び類推適用であり,第三者は無過失不要。Aは,帰責性が間接的で軽いので事案により110条の類推を必要として,取引の第三者は過失が要件をなります。この分類によると後述の判例(最高裁平成18年2月23日判決)は,Aの場合に該当することになります。妥当な分類でしょう。 14.(最近の判例1)最後に,最近の判例をご紹介します。最一小判平成18年2月23日民集60巻2号546頁は次のように判示しています。「上告人は,Aに対し,本件不動産の賃貸に係る事務及び**番*の土地についての所有権移転登記等の手続を任せていたのであるが,そのために必要であるとは考えられない本件不動産の登記済証を合理的理由もないのにAに預けて数か月にわたってこれを放置し,Aから**番*の土地の登記手続に必要と言われて2回にわたって印艦登録証明書4通をAに交付し,本件不動産を売却する意思がないのにAの言うままに本件売買契約書に署名押印するなど,Aによって本件不動産がほしいままに処分されかねない状況を生じさせていたにもかかわらず,これを顧みることなく,さらに,本件登記がされた平成12年2月1日には,Aの言うままに実印を渡し,Aが上告人の面前でこれを本件不動産の登記申請書に押捺したのに,その内容を確認したり使途を問いただしたりすることもなく漫然とこれを見ていたというのである。そうすると,Aが本件不動産の登記済証,上告人の印艦登録証明書及び上告人を申請者とする登記申請書を用いて本件登記手続をすることができたのは,上記のような上告人の余りにも不注意な行為によるものであり,Aによって虚偽の外観(不実の登記)が作出されたことについての上告人の帰責性の程度は,自ら外観の作出に積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合と同視し得るほど重いというべきである。そして,前記確定事実によれば,被上告人は,Aが所有者であるとの外観を信じ,また,そのように信ずることについて過失がなかったというのであるから,民法94条2項,110条の類推適用により,上告人は,Aが本件不動産の所有権を取得していないことを被上告人に対し主張することができないものと解するのが相当である。」 15.(判例の検討)この判例の事案は,認識はないけれども,間接的関与はあるという場面です。外観作出の認識がない場合でも,その帰責性の大きさから,94条2項,110条の類推適用を認め,第三者を保護したものです。本件不動産の賃貸事務,本件不動産以外の登記移転手続きの委託,印鑑証明交付,第三者の前での登記書類への押印,等の事実から帰責性が大きく第三者保護の必要性が勝り妥当な結論と思います。本人に対し,本件のように外観作出について帰責性がかなり大きければ,外観作出の直接責任を認めて第三者を保護するための要件としては,94条の類推適用のみ,すなわち110条の類推適用を行わず善意のみで足りるとすることも可能なはずです。しかし,この点は,本来与えられていた権限に関する逸脱行為が行われているということで,理論的根拠として110条の類推適用ということになったのでしょう。 16.(最近の判例2,最高裁判例平成15年6月13日)当該不動産の地目変更のためであると偽って預かった書類を流用して,自己の名義にしたもの(不動産業者)から善意,無過失で取得した第三者(その後の取得者である業者2社)に対して94条2項,110条の類推適用を認めていません。虚偽の外観作に対する間接責任の程度が軽く94条の基本である外観作出の責任が否定されました。すなわち,本来の権利者は,一般人(不動産取引経験がない会社勤務)であり,迂闊であったとはいえ業者側に登記済証,白紙委任状,印鑑登録証明書等を騙されて手渡し,悪用されており(所有権移転の時期も接近している。),外観作出状態を放置し関与した状態とは言えないとの評価です。登記書類を事実上騙し取られたのですから94条の前提が欠けるので,94条の類推は無理であり妥当な判決です。 17.(本質問の検討)ご質問のケースにおいて,相談者甲に何ら帰責性がなければ,第三者丙に対し,登記の抹消または,自己に登記移転請求が可能です。これに対し,長男が勝手に登記を移転したことにつき,その後虚偽外観の存在を知りながら放置すれば権利主張はできませんし,虚偽の外観の存在を知らなくとも外観作出に間接的な帰責性が認められる場合は,第三者に無過失あるかどうか問題になると思います。例えば,長男に対して別件で自ら実印を預け,その用事が終わったのに長男が実印を返還しなかったのに,それを黙認放置していたようなケースが考えられます。 18.(その他の方法)上記のように,第三者に対して不動産の所有権を主張できない場合,相談者は長男に対して不当利得返還請求権もしくは,不法行為による損害賠償請求権を行使することが可能です。例えば,長男が丙から,受け取った不動産の売買代金の仮差し押さえ,その代金で購入した不動産の仮差し押さえです。一度,お近くの法律事務所へご相談してみることもご検討してみて下さい。 <参考条文> 民法 <最高裁判例> 最高裁判例2
No.905、2009/8/18 12:18 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm
【民事・契約・虚偽登記に基づく売却・94条2項の類推適用の他110条の類推適用が必要な理由・権利外観理論・公信の原則】
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回答:
1.不動産の登記は、真実の権利関係を公示するための制度です。公示内容が真実に合致していることが理想ですが、合致していないからといって、所有権を失ったり取得したりすることはありません。一般論から言えば,長男乙が,権利書,実印の窃盗,偽造のように勝手に不動産の登記名義を自己名義へ変更登記しても,息子さん(乙)は無権利者であり,動産と異なり,不動産登記に公信力がない以上,第三者丙は丙が乙を権利者と信じても(善意)所有権を取得できません。従って,相談者(甲)は丙から不動産を取り戻すことが可能です。乙,丙に対して所有権移転登記抹消請求訴訟を提起して,同時に丙に対して所有権の処分禁止の仮処分を申請します。
2.但し,相談者甲が乙の名義になったことをその後知っていながらそのまま放置していた場合(のように真実の所有者にも帰責性が認められる場合)は,94条2項の類推適用により丙が善意(乙が無権利者であると信じる。無過失は不要です。)の場合には不動産を取り戻すことはできません。
3.又,相談者甲が,乙の名義になっていることを知らなくても,乙の名義にすることについて手続き上の関与があり,それが原因で乙の名義になったような特別の事情,責任があれば民法94条2項および,表見代理(又は外観法理論)の類推適用により丙が,善意であって無過失(取引上の一般的注意義務を果たし乙が権利であると信用してしまった場合)の場合には当該不動産を取り戻すことはできません。その場合は,長男に対する損害賠償請求を行い,経済的な損害を回復することになります。
1.(原則論)ご質問のケースでは詳しい事情がよく分かりませんが,長男乙が勝手に自己名義へ登記を変更してしまったということですので,乙には本件不動産の所有権は移転しておらず,無権利者のままのはずです。その無権利者である長男乙から本件不動産を買い受けた第三者丙も無から有は生じませんから無権利者であり,相談者甲は丙第三者へ対し,自己に所有権があることを主張できることになります。甲は,不動産移転登記抹消訴訟を乙,丙に対し提起し,新たな利害関係人が出てくると困りますので処分禁止の仮処分も申請することになります。丙は,乙が権利者であると信じていますが,登記簿上の権利者を信用していても動産と異なり(民法192条),不動産登記上の権利者を信用したものを救済する規定はないので不動産の所有権を取得することはできません。これを「登記の公信力」の問題といいます。不動産登記簿は取引の安全を保護するため国家が管理する公示制度なのにどうして善意の第三者を保護する規定がないのでしょうか。又,どうして,民法192条は,動産を占有している無権利者から譲渡を受けたものを保護しているのに(善意取得,動産の占有に公信力を認めています。),不動産取引には救済規定がないのでしょうか。
(虚偽表示)
第九十四条 相手方と通じてした虚偽の意思表示は,無効とする。
2 前項の規定による意思表示の無効は,善意の第三者に対抗することができない。
(代理権授与の表示による表見代理)
第百九条 第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は,その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について,その責任を負う。ただし,第三者が,その他人が代理権を与えられていないことを知り,又は過失によって知らなかったときは,この限りでない。
(権限外の行為の表見代理)
第百十条 前条本文の規定は,代理人がその権限外の行為をした場合において,第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。
所有権移転登記抹消登記手続請求事件
最高裁判所第一小法廷平成15年(受)第1103号
平成18年2月23日判決
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人河野浩,同千野博之の上告受理申立て理由1について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)上告人は,平成7年3月にその所有する土地を大分県土地開発公社の仲介により日本道路公団に売却した際,同公社の職員であるAと知り合った。
(2)上告人は,平成8年1月11日ころ,Aの紹介により,Bから,第1審判決別紙物件目録記載1の土地及び同目録記載2の建物(以下,これらを併せて「本件不動産」という。)を代金7300万円で買受け,同月25日,Bから上告人に対する所有権移転登記がされた。
(3)上告人は,Aに対し,本件不動産を第三者に賃貸するよう取り計らってほしいと依頼し,平成8年2月,言われるままに,業者に本件不動産の管理を委託するための諸経費の名目で240万円をAに交付した。上告人は,Aの紹介により,同年7月以降,本件不動産を第三者に賃貸したが,その際の賃借人との交渉,賃貸借契約書の作成及び敷金等の授受は,すべてAを介して行われた。
(4)上告人は,平成11年9月21日,Aから,上記240万円を返還する手続をするので本件不動産の登記済証を預からせてほしいと言われ,これをAに預けた。
また,上告人は,以前に購入し上告人への所有権移転登記がされないままになっていた大分市大字松岡字尾崎西7371番4の土地(以下「7371番4の土地」という。)についても,Aに対し,所有権移転登記手続及び隣接地との合筆登記手続を依頼していたが,Aから,7371番4の土地の登記手続に必要であると言われ,平成11年11月30日及び平成12年1月28日の2回にわたり,上告人の印鑑登録証明書各2通(合計4通)をAに交付した。
なお,上告人がAに本件不動産を代金4300万円で売り渡す旨の平成11年11月7日付け売買契約書(以下「本件売買契約書」という。)が存在するが,これは,時期は明らかでないが,上告人が,その内容及び使途を確認することなく,本件不動産を売却する意思がないのにAから言われるままに署名押印して作成したものである。
(5)上告人は,平成12年2月1日,Aから7371番4の土地の登記手続に必要であると言われて実印を渡し,Aがその場で所持していた本件不動産の登記申請書に押印するのを漫然と見ていた。Aは,上告人から預かっていた本件不動産の登記済証及び印鑑登録証明書並びに上記登記申請書を用いて,同日,本件不動産につき,上告人からAに対する同年1月31日売買を原因とする所有権移転登記手続をした(以下,この登記を「本件登記」という。)。
(6)Aは,平成12年3月23日,被上告人との間で,本件不動産を代金3500万円で売り渡す旨の契約を締結し,これに基づき,同年4月5日,Aから被上告人に対する所有権移転登記がされた。被上告人は,本件登記等からAが本件不動産の所有者であると信じ,かつ,そのように信ずることについて過失がなかった。
2 本件は,上告人が,被上告人に対し,本件不動産の所有権に基づき,Aから被上告人に対する所有権移転登記の抹消登記手続を求める事案であり,原審は,民法110条の類推適用により,被上告人が本件不動産の所有権を取得したと判断して,上告人の請求を棄却すべきものとした。
3 前記確定事実によれば,上告人は,Aに対し,本件不動産の賃貸に係る事務及び7371番4の土地についての所有権移転登記等の手続を任せていたのであるが,そのために必要であるとは考えられない本件不動産の登記済証を合理的な理由もないのにAに預けて数か月間にわたってこれを放置し,Aから7371番4の土地の登記手続に必要と言われて2回にわたって印鑑登録証明書4通をAに交付し,本件不動産を売却する意思がないのにAの言うままに本件売買契約書に署名押印するなど,Aによって本件不動産がほしいままに処分されかねない状況を生じさせていたにもかかわらず,これを顧みることなく,さらに,本件登記がされた平成12年2月1日には,Aの言うままに実印を渡し,Aが上告人の面前でこれを本件不動産の登記申請書に押捺したのに,その内容を確認したり使途を問いただしたりすることもなく漫然とこれを見ていたというのである。そうすると,Aが本件不動産の登記済証,上告人の印鑑登録証明書及び上告人を申請者とする登記申請書を用いて本件登記手続をすることができたのは,上記のような上告人の余りにも不注意な行為によるものであり,Aによって虚偽の外観(不実の登記)が作出されたことについての上告人の帰責性の程度は,自ら外観の作出に積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合と同視し得るほど重いものというべきである。そして,前記確定事実によれば,被上告人は,Aが所有者であるとの外観を信じ,また,そのように信ずることについて過失がなかったというのであるから,民法94条2項,110条の類推適用により,上告人は,Aが本件不動産の所有権を取得していないことを被上告人に対し主張することができないものと解するのが相当である。上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は,結論において正当であり,論旨は理由がない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
最高裁判所平成15年6月13日判決(所有権移転登記抹消登記手続等請求事件)
しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1)前記原審の認定の事実によれば,上告人は,地目変更などのために利用するにすぎないものと信じ,Aに白紙委任状,本件土地建物の登記済証,印鑑登録証明書等を交付したものであって,もとより本件第1登記がされることを承諾していなかったところ,上告人がAに印鑑登録証明書を交付した3月9日の27日後の4月5日に本件第1登記がされ,その10日後の同月15日に本件第2登記が,その13日後の同月28日に本件第3登記がされるというように,接着した時期に本件第1ないし第3登記がされている。
(2)また,記録によれば,上告人は,工業高校を卒業し,技術職として会社に勤務しており,これまで不動産取引の経験のない者であり,不動産売買等を業とするベルファーストの代表者であるAからの言葉巧みな申入れを信じて,同人に上記(1)の趣旨で白紙委任状,本件土地建物の登記済証,印鑑登録証明書等を交付したものであって,上告人には,本件土地建物につき虚偽の権利の帰属を示すような外観を作出する意図は全くなかったこと,上告人が本件第1登記がされている事実を知ったのは5月26日ころであり,被上告人らが本件土地建物の各売買契約を行った時点において,上告人が本件第1登記を承認していたものでないことはもちろん,同登記の存在を知りながらこれを放置していたものでもないこと,Aは,白紙委任状や登記済証等を交付したことなどから不安を抱いた上告人やその妻からの度重なる問い合わせに対し,言葉巧みな説明をして言い逃れをしていたもので,上告人がベルファーストに対して本件土地建物の所有権移転登記がされる危険性についてAに対して問いただし,そのような登記がされることを防止するのは困難な状況であったことなどの事情をうかがうことができる。
(3)仮に上記(2)の事実等が認められる場合には,これと上記(1)の事情とを総合して考察するときは,上告人は,本件土地建物の虚偽の権利の帰属を示す外観の作出につき何ら積極的な関与をしておらず,本件第1登記を放置していたとみることもできないのであって,民法94条2項,110条の法意に照らしても,ベルファーストに本件土地建物の所有権が移転していないことを被上告人らに対抗し得ないとする事情はないというべきである。そうすると,上記の点について十分に審理をすることなく,上記各条の類推適用を肯定した原審の判断には,審理不尽の結果法令の適用を誤った違法があるといわざるを得ず,論旨はこの趣旨をいうものとして理由がある。
したがって,原審の前記判断には,判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は破棄を免れない。そして,上記の点について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。