新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース 質問:私は、痴呆症の母を介護つき有料の老人ホームに預けていましたが、先日、母が転倒して骨折してしまいました。ホームの管理体制にも責任があったと思い、治療費と慰謝料を請求したいのですが、ホームは「責任はない」と言い張ってとりあってくれません。このような件を弁護士に相談するには、どのような点に注意したらよいのでしょうか。 2.安全配慮義務とは、業務上相手方の生命身体に危害が及ぼす可能性がある一定の法律関係にある者は、当該契約関係に付随して生じる相手方の生命身体の安全を配慮し保障すべき信義則上の義務を言います。信義則上の義務ですから契約書に書いていなくても認められるものです。その根拠は私的自治の原則に内在する公平公正の理念にあり、報償又は危険責任(民法では715条乃至718、使用者、工作物、動物占有者の責任)を背景に労働契約、請負契約、在学契約等に認められ、医師の診療行為契約、そして、業務の性質上老人の介護サービスにも適用されることになります。安全配慮義務については、判例も集積されています。この義務は、公平の理念に基づき認められるもので、法的性質に、契約責任、不法行為責任か問題点がありますが、契約関係に付随し一体とした責任であり、被害者側の救済という見地から契約上の債権に準じて時効期間も10年(不法行為なら損害を知ってから3年)であり、事案(労働災害等危険性が大きい責任)によっては過失(結果発生の予見可能性)の立証責任を事実上転換するものと考えられています。唯、遅延損害金は、不法行為責任ではありませんので請求の日の翌日から認められることになります(不法行為なら事故の翌日からです)。 3.安全配慮義務違反の判断は、当該契約の内容、性質、当事者の職種、地位、事情を総合的に考慮して決定されますが、信義則上生命身体の安全を確保する情報、システム等に詳しくそれに対応した設備を設置することが可能な業者側に、重い責任が認定される可能性が大きいと思います。損害額については、交通事故と同様に計算することになります。 解説: 2.一方で、介護事故に特有の問題もあります。例えば、高齢者の増加に伴い、事故が起こってしまった後でも、別の施設に移ることは難しく、引き続きその施設を利用せざるを得ないケースもあり、その場合には、訴訟などによらない「穏便な解決」をせざるを得ないケースもあるでしょう。また、医療事故に類似した問題として、施設という密室で起こった事故であるため、介護日誌、カルテなどの重要な証拠が全て相手方の手元にあり、すばやく証拠資料を収集しなければ改竄などの危険もあるという点です。さらに、一番の問題は、今回の相談者にもあるように、施設を利用する高齢者にはさまざまな状態があり、事故態様と公平の理念から主張されている素因減額(被害者が元々有していた身体的、精神的健康状態による損害発生も損害の算定に考慮する考え方。)や過失相殺の判断が難しく、判例の蓄積もいまだ未成熟、という問題があります。高齢者は、一般の成人に比べて、事故に遭う危険性は高いものといわざるを得ませんが、一方で、老人ホームの施設にも物的・人的限界があり、四六時中転ばないように見守る義務があるとまではいえません。 3.(責任追及の根拠)そこで、本件老人ホーム入居契約の性質ですが、老人の身の回りを含む総合的ケアーサービスを含むものであり、受任者側に裁量権が認められ有償委任(民法633条)に類似した無名契約と解釈するのが実態に即するものと考えられます。無名契約であっても、委任に準じてホーム側は善管注意義務を負うことになります(民法634条、同400条)。善管注意義務とは、契約当事者の具体的な能力に無関係に認められる注意義務であり、契約当事者の職業業務、社会的地位に一般的に要求される高度な注意義務です。その根拠は、最終的に契約関係に入った当事者の公平に求めることができます。従って、無償寄託の注意義務(民法659条)は例外規定です。しかし、善管注意義務は取引一般に認められるものであり、注意義務違反の内容は抽象的であり、被害者側が立証することは契約書面上困難な場合もあります。そこで、本件の老人ホームの業務内容が、老人の生命身体の安全確保を内容とするものであり、安全配慮義務も認められます。安全配慮義務とは業務上相手方の生命身体に危害が及ぼす可能性がある一定の法律関係にある者は、相手方の生命身体の安全を配慮し保障すべき信義則上の義務を言います。すなわち、契約書面が不確定であっても、安全配慮義務という高度な具体的な注意義務により被害者側が加害者の責任追及を容易にすることが可能になります。法の理想は、当事者間の公平、公正な秩序維持、損害の分担にありますので、生命身体の防御に無防備な被害者の救済が、被害発生防止に体制、知識、設備を用意できる加害者側よりも優先されなければなりません。安全配慮義務は、労働災害による被害者救済に認められていましたが、公平の理念から生命身体の自由を侵害する業務に広く適用されるようになっています。以下判例をご紹介します。 4.(判例@)最高裁判所平成18年3月13日判決。差し戻し審であり高松高等裁判所平成20年9月17日判決。サッカー大会出場の高校生が落雷にあい後遺症障害1級の重症を負った事案について、引率教諭、主催サッカー協会担当者の安全配慮義務違反を認め総額3億円以上の損害を認めています(それに基づく所属高校、大会主催者協会の使用者責任も認める)。最高裁の判断「原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。教育活動の一環として行われる学校の課外のクラブ活動においては,生徒は担当教諭の指導監督に従って行動するのであるから,担当教諭は,できる限り生徒の安全にかかわる事故の危険性を具体的に予見し,その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り,クラブ活動中の生徒を保護すべき注意義務を負うものというべきである。」と述べ、大会主催者の担当者にも同様の責任を認めています。適正な判断でしょう。 (判例A)最高裁平3年4月11日判決。三菱重工神戸造船所難聴訴訟事件。親会社の下請け会社従業員について安全配慮義務を認めています。「上告人の下請企業の労働者が上告人の神戸造船所で労務の提供をするに当たっては、いわゆる社外工として、上告人の管理する設備、工具等を用い、事実上上告人の指揮、監督を受けて稼働し、その作業内容も上告人の従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったというのであり、このような事実関係の下においては、上告人は、下請企業の労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったもので、信義則上、右労働者に対し安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。」危険、報償責任から公平上妥当な判断です。その他、労働災害に関する安全配慮義務に関する判断として最高裁平成12年10月13日決定があります。 (判例B)最高裁判所第一小法廷平成14年9月26日決定。東京高等裁判所平成13年年9月26日判決。都立高校海洋科の高校生が上級生の指示で防波堤から飛び込みの訓練をした水難事故の責任について、事故の発生について予見が可能とされる特段の事情があり担当教諭の安産配慮義務違反及び、東京都(国家賠償法)の不法行為責任(契約責任ではなく)を認定しています。判決内容。「大島南高校教職員らの本件事故の予見可能性の有無)について。(1)当裁判所も,本件事故は寄宿舎における生徒の生活関係や舎監らの生活指導と密接な関係のもとで起きたもので,大島南高校教職員において事故の発生について予見が可能とされる特段の事情があったと認められ,大島南高校の教職員らは本件事故を防止するための安全配慮義務を負いながら,これを尽くしたとは認められず,寄宿舎を設置した控訴人東京都は,国家賠償法1条に基づき,控訴人3年生らと共同して不法行為責任を負うと判断する。その理由は,原判決の事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」欄三(原判決124頁7行目から同139頁5行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する(但し,原判決136頁7行目の「,事故直後の現場」から同9行目の「伝わっていたこと」までを削る。)。」 (判例C)最高裁判所平成9年9月4日第一小法廷判決。広島市立中学校柔道部クラブ課外活動中の生徒の怪我、後遺症に関し、指導教諭に安全配慮義務違反を否定しています(被上告人は債務不履行と不法行為の両責任を主張。広島高裁は指導教諭の安全配慮義務違反を認め広島市の国家賠償責任を認定。)。 (判例D)最高裁平成4年10月6日判決。大学の応援団員が上級生の暴行で死亡した事案で大学側に管理者についての使用者責任を認めていますが、第一審京都地裁昭和61年9月30日判決では大学側に安全配慮義務を認めています。判決内容「いうまでもなく被告学園と環との間には在学契約が存し、被告学園としては同契約に基いて、環の生命・身体の安全に配慮すべき義務を負担していたというべきである。ところで、ここにいう安全配慮義務とは、被告学園の管理可能な領域において、客観的に予測される学生側の危険に適確に対処し、事故の発生を未然に防止すべき義務と観念するのが相当である。よって、これに即して本件につき検討すると、さきに説示のように被告学園は、応援団内部において上級生が下級生に対し、気合いを入れると称して、度を超える暴行を常時働いていたことを十分に承知していたというべきであるから、応援団に所属する下級生であった環の生命・身体に危険が存したことは、被告学園にとって客観的に予測の範囲内のことであったと解するのが相当である。しかるに、被告学園が前叙のとおり通り一遍の対応をするにとどまったが故に、本件事故として具体化するに至ったというべきである。もっとも、本件事故自体は、場所的に被告学園の管理可能な領域で発生したものではないけれども、それはたまたま危険の具体化の場がそうだったというだけのことで、客観的に予測できる該危険が管理可能な領域において存した以上、安全配慮義務懈怠の責を免れることはできないと解するのが相当である。」控訴審の大阪高裁も同様です。 上記いずれも妥当な判決と思われます。 5.今回は、高齢者と施設の責任が問題になったケースの判例を分析してみます。 @東京地裁平成15年3月20日判決。病院でデイケアを受けていた高齢者が、送迎バスを降りた直後に転倒、骨折したケースでは、被害者が重度の痴呆症であったことから、一部未舗装の道路での転倒の危険が高かったこと、介護職員の配置数が少なく、増員が容易であったと認められることから、施設の責任を認めています。また、この事件では被害者はその後肺炎を起こして死亡しましたが、一般に高齢者は、骨折などで長期臥床を余儀なくされた場合、その後に肺炎などを併発して死亡する可能性が高く、予見可能性はあるとしました。 A横浜地裁平成17年3月22日判決。85歳の要介護2と認定された高齢者で、普段から歩行解除が必要であった被害者が、トイレに行く際に介護職員の介添えを断って独力でトイレに行こうとしたが、便器までの道幅が狭く、手すりなどが設置されていない状況で転倒した事故について、トイレの設置状況に責任を認めたことに加え、介護職員が、介添えを断られても説得して介添えを行うべき義務(安全配慮義務)があった、と認定しました。 Bこれらの判例で重要な要素となっているのは、個々の高齢者の状態です。痴呆症の程度、歩行能力の程度、また、嚥下事故などでは食事をする能力なども認定の対象になります。それらの高齢者の個々の特徴を、施設が認識していたかないしは認識しうべき状況にあり、これを特に注意して介護することを怠った過失が施設にあるかどうか、という点が介護事故では特に問題になるといえます。そのためには、事故当時の施設の物理的状況、人的配置、高齢者の事故当時の心身の状態、事故が発生したときの状況、事故が発生した後の施設の対応などを詳細に把握し、分析し、法的な構成を組み立てる必要があります。死亡という結果に繋がった場合には、事故と死亡との因果関係も問題になります。上記のように、高齢者の場合は、単なる転倒から死亡に至ることは少なくありませんが、一概に転倒すれば死亡、という因果関係がいつも認められるとは限らないでしょう。 6.(本件相談について)相談者の事例においても、お母様の事故時の心身の状況から、お母様が必要とする介護の程度を検討し、施設がその当時それを認識していながら実践しなかったという過失、事故結果との因果を明らかにしなければなりません。介護事故においては、相手方の過失を問題にする点、専門的、技術的な知識を必要とする点で、単なる不法行為にとどまらず、医療過誤と同等、またはそれ以上の高度の調査力分析力が必要になる問題です。もしこのようなケースに巻き込まれてしまった場合には、お早めに経験豊富な弁護士にご相談いただくことをお勧めします。 ≪条文参照≫ 民法 労働契約法 <参照判例> 東京地方裁判所平成15年3月20日判決(損害賠償請求事件)判例抜粋。 第二 事案の概要 ---中略--- 二 争点(1)(被告又は訴外戊田の亡太郎に対する注意義務の有無及び内容)について 三 争点(2)(被告又は訴外戊田による注意義務違反の有無)について 四 争点(3)(注意義務違反と死亡との間の因果関係の存否)について
No.936、2009/12/16 15:24
【民事・老人ホームの介護に関する事故・有料老人ホームの信義則上の安全配慮義務】
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回答:
1.貴女及び母親と老人ホームの契約の性質ですが、介護付きで母親の身の回りの世話をするという委任の性質を含んだ無名契約と考えられます。契約の内容は契約書に詳細に記載されているでしょうが、老人ホーム側としては、有償契約からくる善管注意義務を負うとともに(委任644条の準用)、信義則上の安全配慮義務を負うものと考えられます。
1.近年、高齢化社会の進展や老人ホーム事業の拡大に伴い、このような事故の報告も多くなっています。介護保険制度(利用者がケアマネージャーなどと相談し、最適な介護のプランを作成してもらい、それに従った介護の利用に国から補助が出るもの)の開始に伴い、以前の措置制度(都道府県などが、必要な措置として高齢者に介護サービスの利用をさせるもの)に比べ、利用者が自分にあっているサービスを選択しやすい環境になっていますが、これにより、利用者と施設は対等な契約関係に近づき、契約時に契約内容を詳細に設定することが可能になったことから、介護事業者の責任が明確になりやすくなったという事情があります。
(特定物の引渡しの場合の注意義務)
第四百条 債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。
(委任)
第六百四十三条 委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる。
(受任者の注意義務)
第六百四十四条 受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。
(労働者の安全への配慮)
第五条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
本件は、被告の設置運営する医院においてデイケアを受けていた訴外亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)が、そのデイケアから帰宅するための送迎バスを降りた直後、転倒して骨折し、更には肺炎を発症して死亡したことにつき、この死亡は被告又はその雇用する介護士の注意義務違反により生じたものであるとして、亡太郎の相続人である原告らが、被告に対し、民法四一五条又は同法七〇九条若しくは同法七一五条に基づき、損害賠償金及びこれに対する亡太郎の死亡した日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた事案である。
(1)上記一(1)で認定した事実関係によれば、亡太郎は、被告との間で、被告医院においてデイケアを受けるとともに、その通院にあたって被告医院の送迎バスによる送迎を受けるという、診療契約と送迎契約が一体となった無名契約を締結していたものと解するのが相当である。
この点、被告は、診療契約と送迎とは必然的な結びつきはないと主張し、診療契約と送迎契約が一体となった無名契約なるものは存在しないと主張する。確かに、患者がデイケアのために被告医院に通院する場合に、被告による送迎を希望しないことがあり得るとは考えられるが、そうであるからといって、本件のように、患者が送迎を希望したことにより被告による送迎が行われる場合に、これを診療契約と一体のものと解し得ないということはできない。本件においては、被告医院ではデイケアを行う部署と患者の送迎を行う部署とが区別されていたなどという、診療契約と送迎契約を別個のものと解するに足る事情が認められず、むしろ、上記一(1)で述べたとおり、デイケアの際に介護に従事していた介護士が、亡太郎ら患者の送迎をも行っており、デイケアそのものについての診療費、デイケアの際の食事代、雑費などとともに送迎代も一括して請求されていること等の事情が認められるのであって、デイケアと送迎を一体のものと解するべきである。
(2)そして、上記(1)で述べたような亡太郎と被告との契約関係等に鑑みれば、被告は、亡太郎と被告との間で締結された無名契約に付随する信義則上の義務として、亡太郎を送迎するに際し、同人の生命及び身体の安全を確保すべき義務、すなわち、原告らの主張する安全確保義務を負担していたものと解するべきである。
この点、被告は、亡太郎から受領していた送迎代が低額であることを理由に、その負担する注意義務の範囲が自己と同一の注意で足りると主張する。しかしながら、すでに述べたとおり、当該契約は、デイケアを行う診療契約と送迎契約が一体となった契約であって、送迎代としての追加額のみを取り出して、注意義務の程度を論じることは相当ではない。被告の主張は採用できない。
一般に、老年者は、生理的活動性が低下しており、歩幅が狭く、重心がふらつき、転倒を防御する反射機能に欠けることから、転倒しやすく、また、加齢とともに骨が脆弱化することから、軽微な外傷により骨折を生ずるものとされている。
上記争いのない事実(1)アで述べたとおり、亡太郎は、大正一〇年生まれであって、本件事故当時七八歳の老年者であった。そして、これに加えて、上記一(2)で認定したとおり、本件事故当時、亡太郎は、自立歩行が可能であって、簡単な話であれば理解し、判断する能力が保たれていたものの、貧血状態にあって、体重も減少傾向にあったのであるから、ささいなきっかけで転倒しやすく、また、転倒した場合には骨折を生じやすい身体状況にあったものということができる。また、上記一(3)で認定したとおり、本件事故の現場は、一部未舗装の歩道であって、必ずしも足場のよい場所ではなかったのであるから、亡太郎が転倒する可能性があることは被告において十分想定することができたと考えられる。
このように、亡太郎の年齢、身体状況に加え、送迎の際に存在する転倒の危険に鑑みるならば、被告は、上記二で述べた亡太郎の生命及び身体の安全を確保すべき義務を果たすため、被告医院へ通院するために亡太郎を送迎するにあたっては、同人の移動の際に常時介護士が目を離さずにいることが可能となるような態勢をとるべき契約上の義務を負っていたものと解される。
ところが、上記一(3)で認定したとおり、被告は、本件事故当時、亡太郎を送迎する送迎バスに乗車する介護士として、運転手を兼ねた訴外戊田一名しか配置しなかった。そして、亡太郎が送迎バスを降車した後、訴外戊田は踏み台用のコーラケースを片づけたり、スライドドアを閉めて施錠するなどの作業をする必要があって、同人が亡太郎から目を離さざるを得ない状況が生じ、訴外戊田は亡太郎が転倒することを防ぐことができなかったものである。被告としては、訴外戊田に対して、送迎バスが停車して亡太郎が移動する際に同人から目を離さないように指導するか、それが困難であるならば、送迎バスに配置する職員を一名増員するなど,本件事故のような転倒事故を防ぐための措置をとることは容易に行うことができるものであり、そうした措置をとることによって、本件事故は防ぐことができたということができる。そうであるとすれば、被告は、上記二で述べた亡太郎の生命及び身体の安全を確保すべき義務を怠ったことにより、本件事故を防ぐことができず、亡太郎の右大腿部けい部骨折の傷害を生じさせたものというべきである。したがって、被告には、債務不履行が成立し、上記の注意義務違反と相当因果関係にある亡太郎の損害につき、これを賠償すべき責任を負うというべきである。他方、被告の義務違反は当該契約に基づく義務違反に過ぎず、不法行為が成立するとまでは言い難い。
亡太郎は、本件事故後、ベッドに寝たきりの状態にあって、食欲も低下していたところ、肺炎が発症し、その後、治療によって肺炎が改善しても、経口摂取を開始すると誤嚥性肺炎を繰り返すという経過により、徐々に全身機能が低下し、本件事故後、治療の必要に併せて転院はあったものの、退院して自宅に帰ることもなく、死亡に至ったものである。一般に、老年者の場合、骨折による長期の臥床により、肺機能を低下させ、あるいは誤嚥を起こすことにより、肺炎を発症することが多い。そして、肺炎を発症した場合に、加齢に伴う免疫能の低下、骨折(特に大腿けい部骨折)、老年性痴呆等の要因があると、予後不良であるとされていることからすると、本件のような事故が原因となって、大腿部けい部骨折を負った後、肺炎を発症し、最終的に死亡に至るという経過は、通常人が予見可能な経過であると解される。そうであるとすれば、上記三で述べた被告の義務違反と、それによる亡太郎の肺炎の発症、死亡との間には、相当因果関係があるということができる。