いたずら目的で睡眠薬により昏睡させる行為は傷害罪に該当するか
刑事|傷害罪|暴行罪|最高裁平成16年9月9日判決
目次
質問:
先日、取引先の会社と合同で仕事の打ち合わせ兼飲み会を行いました。その会社は重要な取引先で会社の規模も大きく、窓口の係長さんが製品納入にいつもクレームを言うし、業績を誇示して態度が横柄尊大であり、日頃苦々しく思っていました。丁度、別件の仕事がうまくいかなくなり不眠症になっていたので、病院から睡眠薬を10日間分いただき時々服用していたのですが、いたずらの気持ちで、昏睡させて係長の面子を台無しにしようとして、あらかじめ周到に用意しておいた粉状になった睡眠薬約3日分(約3錠)を焼酎のお茶割り、ビール等の中に隙を見て何回かに分けて入れ飲ませたのです。係長は酒が強いと聞いてはいましたが、1時間後、会場でフラフラになり、トイレにも行けなくなり、数時間昏睡して別室で休んだ後、同僚と一緒にタクシーで帰りました。次の日の仕事には差し支えなかったと聞いています。このような行為は犯罪に当たるでしょうか。
回答:
1.係長は、数時間昏睡し、フラフラになっていますので、この程度の昏睡状態でも判例上刑法204条の傷害罪の成立を認めているものもあるようです。判例の定義からいえば、「傷害」にあたるように思われますが、理論的には該当しないものと考えらえます。暴行罪も成立が微妙です。
2.又、打ち合わせ兼飲み会が業務としての性格を持っていますので、被害者が業務中であり、偽計による業務妨害罪(刑法233条又は、軽犯罪法1項三十一号 「他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者」に該当する可能性もあります。
3.今後の対応ですが、今からでも遅くありませんから、係長に本当のことを打ち明け謝罪し、警察に告訴されないようにしてください。慰謝料の支払いも必要でしょう。どうしても受け取っていただけないようであれば、弁護士に依頼し、供託手続きも必要でしょう。供託手続きについては 法律相談事例集キーワード検索で951番、695番、138番を参照してください。
4.傷害罪に関する関連事例集参照。
解説:
1.問題提起、睡眠薬で昏睡させる行為で傷害罪が成立するか
まず、係長は、睡眠薬の影響で数時間昏睡しフラフラになりトイレにもいけなかったのですから、傷害罪に該当するか問題です。傷害とは、判例上傷害の概念については、人の生理的機能に障害を与えること、又は人の健康状態を不良に変更することと解釈されているようです。学説上は生理機能障害説と言われています。抽象的な定義からすると、係長は、数時間昏睡しフラフラになっているのですから、生理的機能に障害を与え、又は健康状態を不良に変更したと考えることが可能です。これを傷害と認めた判例もあります。
2.当事務所の見解
しかし、数時間被害者を昏睡させる行為は、傷害罪に該当しないものと解釈すべきです。理由を説明致します。
3.傷害罪とならない理由
(1)刑法規定の体系
まず睡眠薬により単に被害者を昏睡させる行為は、刑法規定の体系上傷害罪として処罰することが不可能だからです。強盗致傷罪を規定している刑法239条を参照します。「人を昏酔させてその財物を盗取した者は、強盗として論ずる。」と規定していますから、睡眠薬等により被害者を昏睡せしめて財物を窃取する行為は強盗罪であり、強盗致傷罪(刑法240条)ではありません。これは条文上明らかであり、昏睡行為を傷害とすることは昏睡強盗の条文がある限り不可能です。強盗致傷の傷害と傷害罪の意味内容は判例学説上、同一に解釈されていますし、争いはありません。もし、昏睡行為を傷害とするのであれば、昏睡強盗罪はすべて強盗致傷罪(刑法240条)となり、法文と矛盾することになります。
(2)罪刑法定主義
もし、昏睡させる行為を傷害罪と認定すると、昏睡させる行為は傷害に該当しないと239条に明言しているにもかかわらず処罰するのですから、憲法31条罪刑法定主義の趣旨に明らかに反することになります。
(3)解釈の謙抑主義
又、刑法解釈の基本原則である「解釈の謙抑主義」からも許されません。強盗罪の場合、5年以上の有期懲役ですが、強盗致傷罪の場合「無期又は六年以上の懲役」で法定刑が重く、被告人に不利益な拡張解釈はできません。
(4)昏睡強盗規定の反対解釈の帰結
強盗目的での睡眠行為が傷害にならない以上、通常の嫌がらせ、悪戯目的の睡眠薬等による睡眠行為は動機において違法性の程度がさらに低く、傷害罪を認定することはできないはずです。
(5)昏睡強盗の判例
判例も、睡眠薬等による昏睡行為による強取行為はすべて強盗罪をもって処断しています。従って、現行法上昏睡強盗の規定がある以上睡眠薬等による昏睡行為は傷害をもって論ずることは条文上不可能です。以下昏睡強盗の判例を参照します。
(判例①)
札幌地方裁判所昭和42年1月25日判決。ホテルにおいて、麻酔薬クロロホルムをビールのコップに入れて被害者を長時間完全に昏睡させて財物を窃取した事案で、昏睡強盗と認定しており、強盗致傷罪は適用されていません。強盗する目的であるから長時間にわたる完全昏睡であり、麻酔薬による(薬物)昏睡行為は傷害と認定することはできないものと考えられます。
(判例②)
水戸地方裁判所平成11年7月8日判決(昏酔強盗・有印私文書偽造・同行使・詐欺・窃盗・強盗致死各被告事件)。平成10年(わ)146号、147号等事件。判決は、4件の睡眠薬により長時間完全に昏睡させて窃取しても昏睡強盗罪であり強盗致傷を認定していません。窃取目的であり動機が悪質であっても傷害と認定していません。この判例からも昏睡行為を傷害の認定はできません。
以下判決内容です。「多額の預貯金を有していたF子に睡眠薬等を服用させて昏酔させ、その所持する預貯金通帳及び印鑑等を盗取しようと企て、平成九年四月一〇日ころ、同市天王町《番地略》所在のG方において、前記F子(当時七一歳)に対し、睡眠薬ないし精神神経安定剤(以下、「睡眠薬等」という。)を日本酒に混入して服用させ、その薬効により同人を昏酔させ、同人所有の預貯金通帳五通及び印鑑二本等合計八点を盗取した」。
「第六(平成一〇年六月一九日付け起訴状関係)共謀のうえ、平成九年一二月二〇日夜、同市泉町三丁目六番一号付近路上において、酒に酔って通行中の酔客K(当時三九歳)を飲食店に誘い、睡眠薬等を服用させて昏酔させ、その所持金品を盗取しようと企て、そのころ、被告人A子において、右Kを同市泉町三丁目六番三号所在の「つぼ八水戸泉町店」店内に誘い込み、同日午後一一時ころから同日午後一一時二八分ころまでの間、同店内において、同被告人において、右Kに対し、あらかじめ用意した睡眠薬等を胃薬のように装って服用させ、その薬効により同人を昏酔させたうえ、同人を被告人B運転の普通乗用自動車に乗車させて、同所付近から同市栄町一丁目一〇番一〇号所在のレスカールマンション一階駐車場まで搬送し、同月二一日午前零時ころ、同所において、右K所有の現金約一万円、ステレオカセットプレイヤー一個ほか一四点在中のセカンドバッグ一個及びハーフコート一着を盗取し
第七(平成一〇年九月二五日付け起訴状関係)共謀のうえ、被告人A子がホテルに同伴したLに睡眠薬を服用させて昏酔させ、その所持金品を盗取しようと企て、平成一〇年一月一四日午前四時五〇分ころ、同市五軒町《番地略》所在のホテル「乙山」三一三号室において、同被告人において、右L(当時五七歳)に対し、あらかじめ用意した睡眠薬等を精力剤のように装って服用させ、その薬効により同人を昏酔させ、同人所有の現金三二万円を盗取し
第八(平成一〇年三月六日付け及び同月八日付け起訴状関係)共謀のうえ、被告人A子がホテルに同伴したMに睡眠薬を服用させて昏酔させ、その所持金品を盗取しようと企て、平成一〇年二月八日午前四時四八分ころから同日午前六時一六分ころまでの間、同市泉町《番地略》所在のホテル「丙川」二〇一号室において、同被告人において、右M(当時五七歳)に対し、あらかじめ用意した睡眠薬等をサイダーに混入して飲ませ、さらに右睡眠薬等を精力剤のように装って服用させて、その薬効により同人を昏酔させ、同人所有の現金約三〇〇〇円及びキャッシュカード二枚ほか五点を盗取した。」
(判例③)
札幌高等裁判所平成13年9月25日判決(覚せい剤取締法違反,大麻取締法違反,昏酔強盗被告事件平成13年(う)第91号)。判決内容です。「その男性に睡眠薬を飲ませて眠らせその間に金を盗ればいいという話を聞き,それを実行に移そうと考えて,その密売人から入手した睡眠薬を粉末にして用意した上,本件昏酔強盗に及んだのである。」睡眠薬等による長時間にわたる昏睡行為は傷害と認定しておらず、強盗致傷ではなく、強盗罪と判断しています。
(判例④)
千葉地裁平成14年5月24日判決(強盗殺人,死体遺棄,死体損壊,準強姦,強盗強姦,昏酔強盗被告事件)。判決内容ですが、睡眠導入剤レンドルミン若干量を混入したアルコール飲料を飲酒させて昏睡行為により財物を窃取しても昏睡強盗であり、強盗致傷罪を認定していません。「第5 テレフォンクラブを通じて呼び出した《D》(当時19歳)を前同様に昏酔させて同女から金品を盗取しようと企て,同月16日ころ,同区歌舞伎町1丁目21番3号所在の居酒屋「たる平」店内において,睡眠導入剤レンドルミン若干量を混入したアルコール飲料を飲ませて上記薬物の作用により同女を昏酔させ,同女を同区歌舞伎町1丁目19番4号先路上まで同道し,同所において,同女から同女所有又は管理に係る現金約2万円及びメンバーズカード1枚ほか5点在中の財布1個(時価約1万円相当)を盗取した」以上の判決から昏睡行為を傷害と認定することは不可能ですし、単なるいたずら目的の睡眠薬投与は、有形力の行使もない以上暴行罪も適用できないと考えることができます。
(判例⑤)
横浜地方裁判所昭和60年2月8日判決。バーの客2名にジュースと偽り強度な酒を勧めて飲酒させ酩酊、長時間にわたり昏酔させて財物を窃取したのは昏睡強盗であり、強盗致傷を認定していません。
(判例⑥)
奈良地方裁判所昭和46年2月4日判決。本被告事件と同じ同様な麻酔薬を使用した昏睡行為について準(昏睡)強盗と認定し、強盗致傷を認めていません。「麻酔剤ラボナール液を注射して同女をその場に昏睡させ、同女をして心神を喪失せしめたうえ同女を抱きかかえて同室奥居間のベッドに仰臥させ、先ず同居間の宝石箱抽斗内にあった同女所有にかかる現金一〇、〇〇〇円を盗取した」
(6)準強姦の規定からの理由
刑法178条睡眠薬等により被害者を昏睡せしめて姦淫をしても強姦致傷罪になりません。単なる強姦罪です。強姦致傷罪の傷害は判例学説上、傷害罪と同一に解釈されており、この規定からも薬物等による単なる昏睡行為は傷害と認定することはできません。以下参照しているように判例も同趣旨です。以下の判例から傷害の認定はできません。又、有形力の行使もないので暴行罪(刑法208条)にも該当しないでしょう。
(判例①)
東京高等裁判所平成20年12月16日判決(準強姦,準強姦致傷,準強姦致死,わいせつ誘拐,死体損壊・遺棄被告事件)。本件は、「6件の催眠作用を有する薬物を混入した飲み物を飲ませ,さらに,麻酔作用を有する薬物を吸引させるなどして長時間(9時間以上等)にわたり意識障害に陥らせてその心神を喪失させた上,姦淫した。」以上の事案において、すべて準強姦罪を認め、強姦致傷罪を認定していないので麻酔薬等の薬物による意識障害、昏睡行為は傷害と評価できません。
(判例②)
(準強姦被告事件)札幌地方裁判所平成17年10月31日判決。医師による睡眠作用、筋弛緩作用、抗不安作用のある精神安定剤エチゾラム(製品名デパス)による12時間以上の昏睡行為を傷害とは評価していません。昏睡を傷害と評価するのであれば、本判決も強姦致傷となり矛盾した判決となってしまい、睡眠薬等による昏睡行為を傷害と評価することは法的にできません。
判決内容参照。「(事実認定の補足説明)第1 本件の前提事実。 関係証拠によれば,以下の事実は明らかである(以下,特に年度を付さない限り,平成16年である。)。
1 被告人Sは,医師であり,本件当時,札幌市内のH病院に勤務していた。被告人Nは,製薬会社社員であり,本件当時,同社札幌支店に勤務していた。被告人両名は,平成14年,被告人Nが被告人Sの勤務先病院の営業担当をしていた際に知り合った。Xは,本件当時,北海道Z町内の病院で看護師をしており,看護学生だった平成12年ころ被告人Sと知り合い,複数の女性を交えた飲み会を一緒に開いたりして,親しく付き合っていた。被告人Nも,平成15年8月に被告人Sを介してXと知り合い,飲み会などを通じて付き合っていた。
2 Xは,平成16年7月,知り合いのB女と連絡をとり,同月31日に札幌市内のビアガーデンで飲み会をすることを約束した。Bは被害者と一緒に行くことになり,Xは,被告人両名を誘ったが,被告人Nだけが参加することになった。被告人Nは,Bとも被害者とも面識がなく,被告人Sも被害者とは面識がなかった。
3 Xと被告人Nは,同月31日の午後7時ころから,B及び被害者とビアガーデンで飲酒し,午後9時ころ両名と別れて,違う女性と飲食した。その後,Xの発案で,既に帰宅していたB及び被害者を再び呼び出した。同日午後11時半ころ,Xと被告人Nは,Bと被害者をX運転の車に乗せ,Xは被告人Sのマンションに向かって運転し、4人は,翌8月1日午前零時40分ころ酒やつまみを買い込んだ上,まもなく被告人S宅に到着した。
4 被告人両名,X,B及び被害者の5人は,被告人S宅の居間で,テーブル(座卓)を囲んで座り,コップを女性用と男性用とに分けた上,ゲームに負けた者が酒を飲むなどして飲酒した。このとき,Xは,精神安定剤であるエチゾラムである製品名デパス0.5mg錠を所持しており,飲酒の途中,B及び被害者を意識もうろうにさせて姦淫する意図で,台所で上記デパスの錠剤2錠を割って女性用のコップに入れた。事情を知らないBと被害者は飲酒を続け,デパスを摂取した。
そのうちに被告人Nと被害者が数十分間外出し,その間,意識もうろうの状態になっていたBをXが姦淫し,被告人Sも少なくとも下着の上から陰部付近を触った。被告人Nと被害者が帰宅すると,Bを除く4人で再び飲酒し,しばらくすると,Xが被害者を隣の和室に連れて行き,Xと被告人Sが順次同女を姦淫した。
5 その後,被告人らは就寝し,翌朝午前6時ころ,Bと被害者はX運転の車で帰宅したが,同日午後3時ころ自宅で目が覚めた被害者は,被告人S宅での出来事を覚えておらず,パンティを裏返しにはいていたことなどから,被告人らに強姦されたと思った。そこで,被害者は,Xと被告人Nに電話をかけ,自分はエイズにかかっていると嘘を言って追及し,Xは被害者を姦淫したことを認めたが,被告人Nは否定した。」
(判例③)
強盗強姦、準強姦、強盗強姦被告事件 横浜地裁平成10年12月28日判決。判決によれば、強姦する目的でハルシオン(催眠導入剤)を混入した飲み物でもうろうとした状態にして姦淫する行為は全て準強姦罪であり、強姦致傷には該当しないと判断しています。
(判例④)
奈良地方裁判所昭和46年2月4日判決(準強姦、同未遂、準強盗、窃盗被告事件)。診療放射線技師が、麻酔剤ラボナール液を注射して被害女性をその場に昏睡させ、女性をして心神を喪失せしめたうえ強姦しようとした事案において、刑法181条準強姦致傷は認めていません。すべて、準強姦罪との判決です。判決内容「犯行の用に供せられた麻酔剤ラボナール液は被告人も知悉しているとおりその使用方法を誤まれば人の生命身体に危険をおよぼす劇薬であることに鑑みると社会に与えた影響も大きくその刑責を軽視することはできない。」と判決は述べているように、強力な麻酔剤による長時間の昏睡行為も傷害罪とは評価していませんし、単なる準強姦罪として評価しています。本判例のように麻酔薬の注射は有形力の行使と評価できると思われ暴行の事実は認められるが、単なる睡眠薬等の投与は暴行の評価も困難と考えられます。
(判例⑤)
東京地方裁判所平成16年11月2日判決(準強姦事件)。多量かつ強度の酒を勧め飲酒させ泥酔させて,長時間その心神を喪失させた上で強姦した事案について、強姦致傷は認定していません。泥酔による心神喪失行為は傷害には該当しないと判断しています。
(判例⑥)
千葉地裁平成14年5月24日判決(強盗殺人,死体遺棄,死体損壊,準強姦,強盗強姦,昏酔強盗被告事件)。判決内容。「いわゆるナンパした《B》(当時16歳)に睡眠導入剤を飲ませて同女を昏酔させて姦淫しようと企て,同月27日ころ,同県船橋市習志野台4丁目75番13号所在の「スカイラークガーデンズ習志野台店」において,同女に睡眠導入剤レンドルミン若干量を混入したジュースを密かに飲ませて同女を同県習志野市谷津4丁目7番29号所在のホテル「10セゾン谷津」503号室に連れ込み,同所において,上記薬物の作用により同女を昏酔させてその心神を喪失させ,同女を姦淫した」本件において睡眠導入剤レンドルミンによる長時間の昏睡行為は傷害と評価していません。単なる準強姦罪と認定しています。
(判例⑦)
最高裁判所第一小法廷平成16年9月9日判決(窃盗,強盗殺人,死体遺棄,死体損壊,準強盗未遂,強制わいせつ致死被告事件)「第1審判決の判示第三の準強盗未遂も,睡眠薬を混入させた弁当を食べさせて被害者をこん睡状態に陥れたものであり,被害者の対応などによっては,上記各犯行と同様の重大な結果を生じていた可能性も否定できない。」長時間の睡眠薬による昏睡行為を傷害とは認定しておらず、強姦致傷ではなく準強姦未遂と認定しています。
(7)悪戯目的の睡眠薬についての判例
悪戯等の目的で睡眠薬を飲料水等に入れ、単に昏睡させた行為で傷害罪を認定した判例は一部を除いてないようです。以下の判例を参照します。
(判例①)
最高裁判所昭和29年9月24日第三小法廷判決(傷害被告事件)。第一審松山地方裁判所昭和26年2月14日。この判決は、睡眠薬による傷害罪を認定しているが、本件の参考にはできません。①致死量に至らない多量の睡眠薬を服用させていること。②服用行為が連続していること。③昏睡状態が2日から3日程度継続していること。④肺炎を併発させて一時危篤状態に陥っていること。⑤もともと殺人罪による起訴であり、投与、故意ともに被害者の生命を奪うような量の睡眠薬投与であること。この判例に比較し本件いたずら目的であり数時間の睡眠行為を起こさせるべく行った睡眠薬投与でありこの最高裁判例をもって傷害とは認定できません。尚第一審、控訴審とも執行猶予付き判決であり、高松高等裁判所昭和27年7月14日の判決は動機、態様においてかなり悪質であるにもかかわらず、被害者2名に対する傷害で懲役1年6月執行猶予3年です。
判決内容。「被告人は松山市道後南寿町九百六十番地賀古鶴方に下宿して、松山中央放送局に勤務していたものであるが、
第一、昭和二十四年九月十三日前記賀古鶴方に於て、恰も同女の為に日本冷凍株式会社に投資してやるかの如く装い、同女に対し「日本冷凍が長崎に船をたてて、秋刀魚を買い魚油を絞ると云つているから投資したい」旨虚構の事実を申し向け、同女をしてその旨誤信させ、因て同日同所で同女より金三十万円の伊予合同銀行道後支店振出自己宛小切手一枚の交付を受けて之を騙取し
第二、昭和二十五年一月十四日午後八時過頃から前記賀古鶴方六畳の間に於て同女、同女の娘山下順子、糸井壮三及び被告人の四名で鋤焼会を催した際、被告人に於て購入した瓶詰コーヒー二本(各約一合入)に夫々極量以上致死量に到らざる多量の睡眠薬を混入した上、前記鋤焼の場所で同日午後十時頃にその情を知らない右賀古鶴及び山下順子の両名に夫々右コーヒーを一本宛与えて、賀古鶴に一本の半分過位、山下順子に一本全部を飲ませ、因て同女等をして、同日午後十時半頃から昏睡状態に陥らせ、その後更に同月十五日、十六日同家に於て極量以上致死量に至らざる多量の睡眠薬をその情を知らない右賀古鶴及び山下順子の両名に服用させて同女等を昏睡状態に陥らせ、因て同女等に尿閉、視力喪失等の生理的機能の障碍をきたさしめ、山下順子は同月十八日夕刻意識を回復し、賀古鶴は同月二十日頃より順次意識を回復するに至つたが、その間肺炎を併発し一時危篤状態に陥つたものである。」
(判例②)
大審院昭和8年6月5日判決(飮料淨水毒物混入致傷被告事件)。眩暈(めまい)嘔吐、中毒症状も傷害になるものと解釈されているが、このような症状は、毒物などの混入による場合で、単なる睡眠薬等による睡眠行為は傷害と認定された判例はないようです。大審院判決も、毒物硫酸「ニコチン」の混入をもって傷害としており本件睡眠薬投入の事件は全く異なるものです。
判決内容参照。「原審ハ左記ノ如ク事實ノ認定及法律ノ適用ヲ爲シ被告人ヲ懲役六月ニ處シ訴訟費用ハ被告人ノ負擔トスル旨ノ判決ヲ爲シタリ
被告人ハ約八年前ヨリ居宅向側ナル宮城郡利府村加瀬三十六番地鈴木よねト情交關係ヲ繼續シ居リタルトコロ近時よねニハ他ニ情夫アルモノト邪推シ居リタルカ偶々昭和七年九月二十四日被告人ノ嫉妬心ヨリ些細ノ事ニ端ヲ發シ口論トナリ同人ヨリ甚シク罵詈セラレタル結果憤懣ノ情抑ヘ難ク茲ニ同人等ノ飮料等ニ供スル水甕ノ水ニ毒物硫酸「ニコチン」ヲ混入センコトヲ決意シ同月二十六日午前三時頃同人方ニ到リ戸外ヨリ臺所ノ竹簀ヲ「ナイフ」ヲ以テ切破リ同所ヨリ水甕ノ中ニ毒物硫酸「ニコチン」ヲ流シ込ミ因テ同日朝該毒物ヲ混入セル水ヲ以テ炊事セル飯及汁ヲ喫食シタル同人ノ養子胞次郎ヲシテ間モナク中毒現象ノ發現ニ基ク眩暈ヲ覺エ且數回嘔吐ヲ爲スニ至ラシメ以テ傷害シタルモノナリ
法律ニ照スニ被告人ノ判示所爲ハ刑法第百四十五條第百四十四條ニ該當スルヲ以テ同法第十條ニ則リ傷害ノ罪ト比較シ重キ同法第二百四條ノ有期懲役刑ノ範圍内ニ於テ被告人ヲ懲役六月ニ處斷スヘク訴訟費用ニ付テハ刑事訴訟法第二百三十七條第一項ヲ適用シ被告人ヲシテ之ヲ負擔セシムヘキモノトス」
(判例③)
大阪高裁平成22年2月2日判決。この程度の昏睡行為でも傷害罪を認めています。
(8)刑法221条逮捕、監禁致傷罪との関係の判例
判例学説上逮捕、監禁致傷の致傷は、刑法204条の傷害と同一に解釈されています。しかし、以下の判例によると睡眠薬等により昏睡させて監禁しても監禁致傷には該当しません。この条文の解釈からも単なる悪戯目的の昏睡行為は「傷害」にならないと解釈せざるを得ません。
(判例①)
東京高裁平成11年9月1日判決(傷害(変更後の訴因監禁致傷)・監禁・埼玉県青少年健全育成条例違反被告事件)(高等裁判所刑事裁判速報集(平11)号92頁)本判例では、睡眠薬を使い10数時間被害未成年者女性を完全に昏睡させた事件について監禁罪を認定しただけで監禁致傷罪を認めていません。判決内容「そうすると、甘言を用いて被害者らを被告人の居室に連れ込み、同室において、被害者らに睡眠薬をやせる薬と偽り服用させて深い眠りに陥らせた被告人の行為は、まさに、眠らせることにより人の行動の自由を奪い、眠った場所から外に出られないようにするものであることは明らかであって、これが監禁罪に該当することはいうまでもないことである。」 監禁致傷罪との関連からも、単なる昏睡行為は傷害罪に該当しないと考えられる。
(9)社会常識からの理由
睡眠薬等による昏睡行為を傷害罪にするならば、興味本位、いたずら心、悪意で連続して、強度の酒を勧めて飲酒、泥酔させ数時間程度睡眠、意識朦朧にさせた場合はすべて傷害罪になってしまいます。手段として睡眠薬、風邪薬等と強度の酒を区別することは不可能であり、この様な解釈は大学の新入生コンパ、会社の歓送迎会における飲酒強要行為が傷害行為になってしまい社会常識に反することになります。
4.刑法208条暴行罪に該当するか
傷害罪に該当しなくても、睡眠薬投与昏睡行為を暴行と評価できないかという問題があります。結論を言えば、暴行罪にも該当しないものと考えられます。暴行とは、不法な有形力の行使であるが、少なくとも、無理やり睡眠薬を飲食させるか、注射等の有形力の行使が必要となる。単なる睡眠薬等を飲料水等に混入して平穏に飲食させた行為を暴行罪と認めた判例はないようです。学説上反対説もあるが、罪刑法定主義、謙抑主義から厳格に解釈されるべきです。睡眠薬等の投与行為は他の処罰規定によるべきで傷害、暴行罪は適用されないと解釈せざるを得ません。又、嫌がらせ、悪戯目的で睡眠薬の飲料水に混入して昏睡させた事案について暴行罪を認定した具体的判例も見当たらないようです。
さらに昏睡強盗が強盗罪として処罰されるのはなぜか。原則からすれば、昏睡行為は有形力の行使ではないから暴行に該当しないのであるが、違法性の見地から昏睡強盗は暴行、脅迫を手段として財物を強取した場合と同程度に評価する必要があり例外的に強盗罪として処罰するという特別規定です(条解刑法704ページ、弘文堂)。従って、刑法の体系上昏睡行為は暴行とも評価できないのは条文の解釈上やむを得ないからです。嫌がらせ、悪戯目的の睡眠薬の利用、強度のアルコールを飲酒させた単なる昏睡行為を暴行と評価した判例もないようです。後述のように他の刑罰を持って処断されるべきである。
5.本件の評価
貴方の行為は動機において、日頃の不平を解消するために係長に対して睡眠薬を投与したものであり、昏睡行為も数時間であるところから傷害、暴行の認定は難しく、後述のように偽計業務妨害の可能性が大きいと思います。
6.偽計業務妨害罪及び軽犯罪法違反の問題
傷害罪に該当しなくても、被害者が仕事上の打合せを兼ねた飲み会であり業務中と評価できますので、昏睡により業務が妨害されていますので偽計による業務妨害罪(刑法233条)の適用が考えられます。さらに、軽犯罪法第1条、三十一号 「 他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者」にも該当するでしょう。
7.最後に
いずれにしろ、何らかの刑罰規定に抵触する危険がありますので、事前に係長に謝罪し、刑事処分等を回避するため慰謝料の提供等誠実な話し合いが必要でしょう。捜査機関の判断によっては傷害、暴行等の容疑で、身柄拘束をしようとする場合もあるかも知れません。係長の社会的身分から謝罪行為を受け入れてくれない場合は、弁護士等に相談、依頼し被害弁償、謝罪金の供託の手続きも考えてみましょう
以上