新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1018、2010/4/16 14:56

【手附契約の法的性質・手付解除・手付金の一部のみを支払っている場合】

質問:手付金の一部だけを支払っています。残金を支払わずに手付放棄解除ができますか。マンションの購入を検討しており,10日前,内覧に行きました。その際,業者の担当者から強く契約を勧められて私も乗り気になり,その場で売買契約書に署名をしました。そして,契約書に記載された手付金500万円の内金ということで,持ち合わせていた5万円だけを支払って領収書を受け取りました。印鑑を持参していなかったので契約書を持ち帰り,自宅で押印後,業者に郵送しました。ところが,諸般の事情によりそのマンションの購入を取り止めたいと考えております。昨日,業者から,手付の残金を支払ってくださいとの電話があり,取り止めのことは言わずに,ちょっと待ってくれとだけ伝えてあります。手付を放棄して解除する際には残額の495万円を支払わなければならないのでしょうか。なお,契約書の手付解除条項には「売主は,買主に受領済みの手付金の倍額を支払い,買主は,売主に支払済みの手付金を放棄して,それぞれこの契約を解除することができる。」と書かれていて,別の金額欄には「手付金500万円」「契約締結時支払い」と書かれています。

回答:
1.残額を支払う必要はなく,支払済みの手付の放棄だけで解除ができます。決断した以上はなるべく早くその意思を通知するのがよいでしょう。
2.法律相談事例集キーワード検索事例集838番739番277番参照。

解説:
【手付とは】
 手付とは,契約締結の際に当事者の一方から他方に対して交付する金銭その他の有価物をいいます。主に不動産の売買等の高額な契約において,後述するように,契約当事者双方が解除権を留保するために用いられるのが一般的です。なお,この手付は,当事者が了解すれば金銭以外のものを充ててもよいのですが,実社会では殆どの場合金銭で支払われています。手付の金額をいくらとするかは,原則として当事者の自由ですが,法律上,宅地建物取引業者が自ら売主になる宅地・建物の売買においては,代金の20パーセントを超えてはならないとされています(宅地建物取引業法39条1項)。

【内金,申込証拠金との違い】
 手付の定義は上記のとおりですが,単なる売買代金の一部(内金)前払いとはどう違うのでしょうか。手付も最終的には代金の支払いに充当される点では内金と同様の性質を有します。しかし,契約当事者双方が契約を解除(キャンセル)できる権利を留保するという点が全く異なります。即ち,単なる内金の支払いである場合,一旦契約した以上,契約の一方当事者は相手方の了解なくして一方的に契約を解除することはできません。他方,手付の場合,手付を交付した買主は手付を放棄することで,手付を受領した売主はその倍額を償還することで,相手方の了解を得なくても契約を解除することができます。
 このような効力を持つ手付を「解約手付」といいます。当事者の合意次第で手付にそれ以外の効力を与えることもできますが,詳しくは,手付契約について記載された事例集739番をご参照ください。また,手付や内金と似たものとして,申込証拠金と呼ばれるものがあります。申込証拠金については,事例集838番をご参照ください。

【手付契約とは】
 交付した金銭が手付の意味を有するかどうかは,当事者が手付契約をしていたかどうか,つまり当事者の意思がどうだったかによって決まります。手付契約は,交付した金銭等に手付としての効力を持たせるという,主たる契約(本件ではマンションの売買契約)に付随する従たる契約です。本件では,契約書に手付の規定が置かれているとのことですので,あなたの交付したお金が手付に手付の性質が認められることは明らかでしょう。なお,細かいことですが,売買契約と手付契約は,同じ契約書に書かれていても別個の契約です。別個の契約だからこそ,単なる内金の支払いと区別されることになります。そして,本件を検討する上で重要な点ですが,手付契約は,手付を交付することが契約成立の要件となっています。このような手付契約の性質を「手付の要物性(ようぶつせい)」といいます。また,このように当事者の合意だけでなく物の交付が契約成立の要件となっているものを「要物契約(ようぶつけいやく)」といいます。
 条文の文言上も,例えば売買(民法555条)の場合は「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって」効力が生じるとされているのに対し,手付(民法557条)の場合は「買主が売主に手付を交付したときは」と規定されていて,「手付を交付することを約したときは」とはされていません。なぜ要物契約とされているのか,要物性を排除した手付契約はできないのかなど,考え出すとなかなか興味深いのですが,実務上,本件も含めて手付の要物性には争いがないといえ,ご回答の本筋から外れますのでここでは触れないこととします。

【手付の一部しか支払っていない場合の手付放棄】
 さて,ここが本件の肝です。繰り返しになりますが,手付契約は要物契約です。これは実際に手付を交付することによって手付契約が成立するという意味です。本件では,手付金を500万円とする約束をしていますが,実際に交付済みなのはそのうち5万円だけです。つまり,交付済みの5万円の部分については手付契約が成立しているとしても,少なくとも未交付の495万円の部分については手付契約成立の要件を欠いていることになります。とすれば,契約時に手付金として500万円を支払うという約定になっていたとしても,約定に基づく手付金残金支払請求は認められず,あなたとしては,契約書の手付解除条項に従って,支払済みの手付金さえ放棄すれば手付解除が認められると解されます。

【判例――大阪高裁昭和58年11月30日判決】
 ご相談の件とは若干異なりますが,類似の事案についての裁判例があります。
 これは,不動産の売買契約(代金5500万円)において,手付金を500万円とし,買主が契約を履行しなかったときは売主において手付金を没収するという約定がされたが,買主が手付金の一部100万円だけを売買契約締結時に支払い,後日支払う約束だった手形金残金400万円を期限までに支払わなかったため,売主がこの不払いを理由として契約を解除し,手付金残金400万円の支払いを求めたものの,第一審でその請求が退けられ,売主が控訴したという事案です。結論として,第一審に引き続き控訴審でも売主の手付金残金の請求は認められず,そのままこの高裁判決が確定しました。
 判旨の要点を拾っていくと,次のようになります。当事者間において,手付金総額500万円を本件不動産の売買契約における解除権留保の対価とすることの合意がされたものと認められる。しかし,手付契約が要物契約であることを考慮すると,100万円が交付されているけれども,総額500万円についての手付契約としては成立していない。むしろ,後日の期限までに全額を交付するという手付の予約がなされたにとどまる。そうすると,400万円の請求については,そもそも総額500万円について手付契約が成立していないから,その前提を欠き,交付のない手付金の没収ないし支払請求をする根拠がない。
 以上のとおりです。なお,売主は,手付の予約ではなくその成立があるとし,手付金の支払いを分割したに過ぎないと主張しましたが,手付の要物性に反するとして採用されませんでした。売主側から手付を没収して解除したという点などで本件とは事案を異にしますが,手付の要物性,約定した手付の未交付部分に関する考え方は本件にもそのまま流用できるといえます。

【手付放棄による契約解除ができる期限】
 手付に原則として契約解除権を留保させる効力があることは先にご説明のとおりです。しかし,手付による解除が認められるのは,「当事者の一方が契約の履行に着手するまで」とされています。手付を交付した買主であるあなたについていうと,上記の時点以降は手付放棄による解除ができなくなるということです。本件の現段階ではまだ手付解除ができると見込まれますので詳述しませんが,「当事者の一方が契約の履行に着手するまで」が具体的にいつまでなのかがしばしば問題となります。この点については,事例集739番をご参照ください。

【参照法令】

≪民法≫
(手付)
第557条
1項
買主が売主に手付を交付したときは,当事者の一方が契約の履行に着手するまでは,買主はその手付を放棄し,売主はその倍額を償還して,契約の解除をすることができる。
2項
第545条第3項の規定は,前項の場合には,適用しない。

≪宅地建物取引業法≫
(手附の額の制限等)
第39条
1項
宅地建物取引業者は,みずから売主となる宅地又は建物の売買契約の締結に際して,代金の額の十分の二をこえる額の手附を受領することができない。
2項
宅地建物取引業者が,みずから売主となる宅地又は建物の売買契約の締結に際して手附を受領したときは,その手附がいかなる性質のものであつても,当事者の一方が契約の履行に着手するまでは,買主はその手附を放棄して,当該宅地建物取引業者はその倍額を償還して,契約の解除をすることができる。
3項
前項の規定に反する特約で,買主に不利なものは,無効とする。

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