新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース 質問:私は、敷金(300万円)を差し入れて、ある物件を賃借していたところ、平成21年3月30日に賃貸人に対し同年9月30日をもって賃貸借契約を解除する旨の通知をし、同日にこの建物から退去しました。私は、同年4月分から賃料(月50万円)の支払をやめていたところ、未払賃料(6か月分、300万円)は敷金によって当然に充当されると考えておりました。ところが、本件建物に抵当権を有するという銀行が、物上代位権の行使として、賃貸人の私に対する賃料債権を差し押さえてきました(差押命令は、同年6月29日に私に送達されました。)。私は、銀行に対し賃料を支払わなければならないのでしょうか。 解説: 2.(抵当権に基づく物上代位、銀行等の抵当権者が賃料の差し押さえができる根拠)抵当権とは、債務者又は第三者が占有を移転しないで(抵当権設定者に目的物の使用収益を自由に認め)債務の担保に供した不動産について、他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利をいいます(民法369条1項)。いわば「目的物の担保価値(交換価値)のみを把握する価値権」などと表現されることがあります。目的物の使用収益を自由に許し且、価値を把握して融資を行うことにより目的物の経済的価値を最大限利用し経済活動を活発円滑化しています。そして、抵当権は、その目的物の売却、賃貸、滅失又は損傷によって債務者が受けるべき金銭その他の物に対しても、行使することができ(ただし、抵当権者は、その払渡し又は引渡しの前に差押えをしなければなりません。)、これを物上代位権といいます(民法372条、304条1項)。 3.(物上代位による差押えと敷金充当の優劣の問題点)抵当権に基づく物上代位による賃料債権の差し押さえが認められることに争いはありませんが、抵当権に基づく物上代位が行われる場合は、賃貸人が銀行に対する返済を怠って経済的に困窮している場合ですから、賃借人とすれば明渡後に敷金を返してもらえない事態が予測されます。物上代位権の差し押さえにより銀行に対しては家賃を支払わされ、元々賃料の担保として利用できる肝心の敷金は返ってこないのでは賃借人が不測の損害を蒙ることになります。そこで、賃借人としては、敷金に相当する家賃分を支払わないで明け渡すという対抗手段が考えられます。この点は物上代位による賃料債権の差押えと敷金充当の優劣の問題です。 4.(物上代位による差押えと相殺の優劣についての関連性)その前提として、物上代位による差押えと相殺の優劣の関係を理解することが敷金充当の問題を解決する上で必要ですので、それについて説明します。敷金充当は、実質的にみると相殺と同様の法的効果がありますので、法令の体系的、統一的解釈上両者に矛盾の無い解釈が必要となるからです。なお、敷金充当と相殺は、対立する債権の相互消滅という点は同じですが、敷金充当は「目的物の返還時に残存する賃料債権等は敷金が存在する限度において敷金の充当により当然に消滅する」(後記平成14年最高裁判決)のに対し、相殺は「当然に消滅する」のではなく意思表示を要する、という点で異なります。 5.(相殺との優劣に関する判例の見解)物上代位による差押えと相殺の優劣については、以下のとおり平成13年3月13日最高裁判決(後記記載参照)が判断を示しております。 6.(物上代位による差押えとその後の敷金充当の優劣について) 7.(最高裁判例参照) 8.(本件の結論)貴方は、物上代権を行使されていますが、その後の敷金充当権は代位権の行使により侵害されませんので抵当権者に賃料を支払う必要はありません。 ≪参照条文≫ 民法
No.1028、2010/5/14 15:20
【民事・抵当権者の賃料に対する物上代位権と賃借人の敷金返還請求権の優劣 賃借人の相殺権行使の場合との対比、統一的理解の必要性】
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回答:
1.銀行が抵当権に基づく物上代位権の行使として賃料債権を差し押さえたとしても、賃料債権(4月〜9月分までの未払い賃料300万円)は敷金の充当により当然に消滅します(最高裁判決平成14年3月28日民集56−3−689)ので、あなたは、銀行に対して、賃料を支払う必要はありません。すなわち、敷金の延滞賃料債権に対する充当は、いかなる場合でも抵当権者の物上代位権行使に優先します。
その理由ですが、抵当権の性質は、目的物の価値のみを担保として把握し、設定者に目的物の使用収益を自由に認めることに特色があり、もし敷金充当権よりも物上代位権が優先することになると自由な使用収益が事実上阻害され抵当権の本質に反することになるからです。又、物上代位権は抵当目的物の価値のみを把握するものであり賃貸借契約から直接発生する賃料債権にその効果は当然に及びますが、付随的に締結される敷金契約の充当権は目的物とは直接関係ない賃借人の権利でもあり第三者の利益を間接的に侵害することはできませんし抵当物件を賃借することは一般的であり敷金充当権の行使できるという賃借人の信頼を保護する必要があるからです。抵当権者としても設定者に使用収益を許している限り敷金充当権が予想され優先権を認めなくても不測の損害とは言えないでしょう。
2.ちなみに、敷金充当に類似する問題として賃借人の相殺の意思表示の場合が考えられますが敷金充当とは同一に考えることはできません。物上代位権を行使された延滞賃料債権について賃借人が抵当権設定前に取得した反対債権をもって相殺の意思表示をした場合には、賃借人の相殺権の意思表示の方が優先しますので抵当権者に賃料を支払う必要はありません。抵当権設定前に相殺可能な状態にある限り賃借人の相殺の担保的機能の期待、利益をその後の抵当権設定、物上代位権行使、差し押さえにより侵害することはできないし公平上妥当性を欠くからです。
但し、賃借人の反対債権の取得が、抵当権設定登記後であれば物上代位権行使差し押さえが優先しますから賃料を支払ことになります。抵当権設定による物上代位権による価値把握の対象は無条件の賃料債権であり、代位権行使により抵当権者の利益を保護する必要があるからです。又賃借人としても相殺の対象となる賃料債権は、抵当権の物上代位権により既に価値が把握された条件付き権利であり相殺により第三者である抵当権者の期待利益を侵害できないし、不測の損害と言えないからです。民法511条の強制執行された債権を受動債権として相殺の対象にできないという理屈と同様です。
1.(問題点)この問題は、敷金や抵当権に基づく物上代位、相殺等についての民法の基本的理解が必要ですが、それ以上に賃借人を保護するのか銀行等の抵当権者を保護すべきか、という利益考量という問題点があり、判例は賃借人の保護という立場に立っていることになります。
上記のように抵当権はいわば価値権と表現されるところ、「目的物の売却、賃貸、滅失又は損傷によって債務者が受けるべき金銭その他の物」は、目的物の担保価値が一部具体的に実現されたものといえることから、これにも抵当権の効力が及ぶことになるのです。上記のとおり、抵当権は「目的物の・・・賃貸・・・によって債務者が受けるべき金銭」に対しても行使し得るとされるところ、判例上も、賃料に対する物上代位は肯定されています(最判平元.10.27民集43−9−1070)。
@ 物上代位による差押えの前に相殺の意思表示がなされた場合。→ 相殺が優先する。債権は相殺により消滅しており物上代位する対象の債権がなく理論上当然の結論です。この点問題はありません。後記判示中「物上代位権の行使としての差押えのされる前においては、賃借人のする相殺は何ら制限されるものではない」参照。たとえば、家賃の未払いがあるが、家主に対して賃借人が売掛債権を有しているような場合です。賃料債権が差し押さえられていなければ、相殺は可能ですので、家賃を支払う必要はありません。
A次に、物上代位による差押えの後に相殺の意思表示がなされた場合。→「抵当権設定登記の時」と「賃借人が賃貸人に対する債権を取得した時」の先後によって決する(抵当権設定登記の時の方が先であれば物上代位が優先する。)と判断されています(後記掲載、最高裁判決平14年3月28日)。妥当な結論です。その理由を説明します。理論的に考えれば、物上代位権の行使、差し押さえを基準にして、賃借人の反対債権取得がその前であれば、相殺の担保機能を保護し相殺の期待権を保護するため相殺を優先させ、その後であれば、物上代位権の行使、差押えにより差し押さえの効力を保全するため物上代位権行使を優先させるのが妥当なはずです。強制執行により賃料債権を差し押さえた場合に差し押さえ時期を基準にして反対債権の取得時期により相殺の可否を規定した民法511条の趣旨にも合致します。しかし、物上代位権の行使差し押さえ場合は、強制執行の差し押さえと同一には論ずることはできません。物上代位権は抵当権の派生権利であり抵当権設定の時にすでに目的物の価値として賃料債権は把握されており、賃借人が設定後に反対債権(自働債権 例えば貸金債権)を取得しても抵当権という担保権つき債権と相殺の状態にあり、第三者である抵当権者の利益を侵害して相殺権を主張することはできないからです。反対債権(相殺の自働債権例えば賃借人の貸金債権)の取得が、抵当権の設定前であれば、抵当権の設定による物上代位権の対象は、元々相殺の担保機能付き賃料債権であり相殺を主張しても抵当権者の利益、信頼を不当に害することにはなりません。抵当権者の立場から考えても、設定前に反対債権が存在すれば相殺の担保機能付き債権の価値を把握しているので、公平上賃借人の相殺期待権を害することはできませんし、相殺により代位権行使の実効性を認めなくても不測の損害とは言えないことになります。
すなわち、物上代位権行使、差押さえ後に賃借人が抵当権設定後に取得した反対債権をもってする相殺は、差し押さえの効果を無にするので許されませんし、賃借人は、抵当権設定登記後に反対債権を取得していますから、抵当権という担保権の効果が及ぶ賃料債権と相殺の関係にありこれを認識している関係上賃借人の利益期待を害することにはならないからです。賃借人の相殺期待権は害されるように見えますが、そもそも抵当権が設定されており、抵当権の価値把握の効果が及ぶ賃料債権となっておりこれを行使されても不測の損害とは言えません。
これに対し、反対債権取得が抵当権設定登記前から存在するのであれば、抵当権設定は、相殺されるかもしれないという担保機能つき賃料債権について価値を把握したことになり、第三者の利益を侵害してまで代位権を行使することはできませんし、賃借人の担保権の期待を侵害することは、賃借人に不測の損害を与えることになり妥当性を欠きます。後記判例も「抵当権者が物上代位権を行使して賃料債権の差押えをした後は、抵当不動産の賃借人は、抵当権設定登記の後に賃貸人に対して取得した債権を自働債権とする賃料債権との相殺をもって、抵当権者に対抗することはできない」と判断しています。後記参照。
B(民法511条との違いの理由)なお、本件と類似する、強制執行等による差押えと相殺の優劣については、「差押えの時」と「賃借人が賃貸人に対する債権を取得した時」の先後によって決します(民法511条)。物上代位による差押えの場合は、基準を「差押えの時」ではなく「抵当権設定登記の時」とする点で、強制執行等による差押えの場合と異なるわけです。その理由は、前述のように抵当権が設定時から目的物の価値を把握しているのに対し、判決等による強制執行については、差し押さえにより始めて目的である賃料債権の価値を支配下に置くことになるからです。
@仮に、法規の統一的解釈上、敷金充当を相殺と同視したうえで前記平成13年最高裁判決の基準に従うならば、「抵当権設定登記の時」と「賃借人が賃貸人に対する債権を取得した時=敷金返還請求権が発生した時」の先後によって決することになるところ、敷金返還請求権が発生する時は「賃貸借契約終了後、家屋明渡がなされた時」です(最判昭48.2.2民集27-1-80)から、常に「抵当権設定登記の時」が先であり、物上代位が優先することになります。
Aもっとも、このような結論は賃借人に酷であるとの意見が強かったところ、平成14年最高裁判決(後記参照)は、「敷金が授受された賃貸借契約に係る賃料債権につき抵当権者が物上代位権を行使してこれを差し押さえた場合においても、当該賃貸借契約が終了し、目的物が明け渡されたときは、賃料債権は、敷金の充当によりその限度で消滅する」との判断を示しました。すなわち、抵当権設定登記の時期にかかわらず敷金充当権は、抵当権者の物上代位権に優先することになります。
Bでは、どうして、判例は、相殺と敷金充当について異なる判断をしたのでしょうか。上記判決は、その理由として、まず、「目的物の返還時に残存する賃料債権等は敷金が存在する限度において敷金の充当により当然に消滅する」、したがって、「敷金の充当による未払賃料等の消滅は、敷金契約から発生する効果であって、相殺のように当事者の意思表示を必要とするものではない」として、権利の内容上敷金充当が相殺と異なることを強調しております。また、「抵当権者は、物上代位権を行使して賃料債権を差し押さえる前は、原則として抵当不動産の用益関係に介入できないのであるから、抵当不動産の所有者等は、賃貸借契約に付随する契約として敷金契約を締結するか否かを自由に決定することができる。」との考えも示されています。これは、「敷金契約の締結」が「相殺の意思表示」に同視し得るものとの考えを前提に、「物上代位権の行使としての差押えのされる前においては、賃借人のする相殺は何ら制限されるものではない」との平成13年最高裁判決の判断(前記(1)@参照)と整合する考え方といえます。
C平成14年の最高裁判決は理論的にも利益考量からも妥当な判決と思われます。繰り返しますが、相殺の場合、物上代位権行使、差押さえ後に賃借人が抵当権設定後に取得した反対債権をもってする相殺は、差し押さえの効果を無にするので許されませんし、賃借人は、抵当権設定後に反対債権を取得していますから、抵当権という担保権の効果が及ぶ賃料債権と相殺の関係にありこれを認識している関係上賃借人の利益期待を害することにはならないからです。賃借人の相殺期待権は害されるように見えますが、そもそも抵当権が設定されており、抵当権の価値把握の効果が及ぶ賃料債権となっておりこれを行使されても不測の損害とは言えません。これに対し、反対債権取得が抵当権設定前から存在するのであれば、抵当権設定は、理論上相殺されるかもしれないという担保機能つき賃料債権について価値を把握したことになり、第三者の利益を侵害してまで代位権を行使することはできませんし、賃借人の担保権の期待を侵害することは、賃貸人に不測の損害を与えることになり妥当性を欠きます。
これに対し、敷金充当権は相殺と同一に考えることはできません。本来、抵当権の性質は、目的物の使用収益を自由に設定者にゆだね目的物の経済的価値を最大限利用とするところに特色がありますが、物上代位権が敷金の充当権に優先されることになると、自由に賃貸契約が締結できず、事実上使用収益ができなくなり抵当権の経済的効用を喪失させ本質に反することになるからです。敷金は、賃借人が賃料を支払えない場合に当該敷金を賃料に充当するための担保的機能を有するものであり、賃借人の有する独自の権利です。従って、設定者に自由な収益を許し抵当目的物の価値のみを把握している抵当権者は、当該目的物の利用者である延滞賃料債権の債務者の独自の権利まで立ち入って侵害することはできません。
@最判平成13年3月13日民集55−2−363判決内容。「抵当権者が物上代位権を行使して賃料債権の差押えをした後は、抵当不動産の賃借人は、抵当権設定登記の後に賃貸人に対して取得した債権を自働債権とする賃料債権との相殺をもって、抵当権者に対抗することはできないと解するのが相当である。けだし、物上代位権の行使としての差押えのされる前においては、賃借人のする相殺は何ら制限されるものではないが、上記の差押えがされた後においては、抵当権の効力が物上代位の目的となった賃料債権にも及ぶところ、物上代位により抵当権の効力が賃料債権に及ぶことは抵当権設定登記により公示されているとみることができるから、抵当権設定登記の後に取得した賃貸人に対する債権と物上代位の目的となった賃料債権とを相殺することに対する賃借人の期待を物上代位権の行使により賃料債権に及んでいる抵当権の効力に優先させる理由はないというべきであるからである。」
A最判平成14年3月28日民集56−3−689判決内容。「賃貸借契約における敷金契約は、授受された敷金をもって、賃料債権、賃貸借終了後の目的物の明渡しまでに生ずる賃料相当の損害金債権、その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得することとなるべき一切の債権を担保することを目的とする賃貸借契約に付随する契約であり、敷金を交付した者の有する敷金返還請求権は、目的物の返還時において、上記の被担保債権を控除し、なお残額があることを条件として、残額につき発生することになる(最高裁・・・昭和48年2月2日第二小法廷判決・・・参照)。これを賃料債権等の面からみれば、目的物の返還時に残存する賃料債権等は敷金が存在する限度において敷金の充当により当然に消滅することになる。このような敷金の充当による未払賃料等の消滅は、敷金契約から発生する効果であって、相殺のように当事者の意思表示を必要とするものではないから、民法511条によって上記当然消滅の効果が妨げられないことは明らかである。また、抵当権者は、物上代位権を行使して賃料債権を差し押さえる前は、原則として抵当不動産の用益関係に介入できないのであるから、抵当不動産の所有者等は、賃貸借契約に付随する契約として敷金契約を締結するか否かを自由に決定することができる。したがって、敷金契約が締結された場合は、賃料債権は敷金の充当を予定した債権になり、このことを抵当権者に主張することができるというべきである。以上によれば、敷金が授受された賃貸借契約に係る賃料債権につき抵当権者が物上代位権を行使してこれを差し押さえた場合においても、当該賃貸借契約が終了し、目的物が明け渡されたときは、賃料債権は、敷金の充当によりその限度で消滅するというべきである。」
第304条 先取特権は、その目的物の売却、賃貸、滅失又は損傷によって債務者が受けるべき金銭その他の物に対しても、行使することができる。ただし、先取特権者は、その払渡し又は引渡しの前に差押えをしなければならない。
2 債務者が先取特権の目的物につき設定した物権の対価についても、前項と同様とする。
第369条 抵当権者は、債務者又は第三者が占有を移転しないで債務の担保に供した不動産について、他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利を有する。
2 地上権及び永小作権も、抵当権の目的とすることができる。この場合においては、この章の規定を準用する。
第372条 第296条、第304条及び第351条の規定は、抵当権について準用する。
第511条 支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。