新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース 質問:先日、夫が胃がんで亡くなりました。夫は以前から体の不調を訴え、近所の開業医に診てもらっていたのですが、ただの胃炎と診断され、がんに気づいた時には既に手遅れでした。この開業医の話では、仮に自分があのとき胃がんを発見したとしても、その進行具合から見て夫が治癒する見込みは薄かったとのことです。しかしながら、もし早期にがん治療を開始できていたなら、少なくとも夫婦最後の時間をもっとちゃんとした形で過ごすことができたのではないかと思うと、悔しくて仕方ありません。この開業医に慰謝料を請求することは、不可能なのでしょうか。 解説: 2.(損害賠償の根拠とその要件) 4.(医療機関側の過失・善管注意義務) (最高裁昭和36年2月16日判決、昭和三一年(オ)第一〇六五号)。 判決要旨 5.(過失と損害との因果関係) 6.(被侵害利益の再構成と損害賠償認容の可能性 平成12年、16年最高裁判決) しかしよく考えてみると、旦那様が延命できた高度の蓋然性がないという理由で、開業医が一切の民事責任を負わなくてもよいという結論は、やはり納得出来るものではありません。たとえ確実性のある話ではなかったとしても、早期の治療によって一定程度の延命可能性があったのであれば、この可能性を奪った開業医に対し、何らかの責任が追及されて然るべきです。 判決要旨 「三 本件のように、疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者 の法益が侵害されたものということができるからである。原審は、以上と同旨の法解釈に基づいて、岡本医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によって守が受けた精神的苦痛に対し同医師の使用者たる上告人に慰謝料支払の義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。」 (最高裁平成16年1月15日判決) 7.(まとめ) ≪参照条文≫ 民法 憲法
No.1053、2010/10/19 10:25
【民事・不法行為・債務不履行・医療過誤・損害賠償の要件(最高裁平成16年1月15日判決 延命可能の利益、期待権。)。治療行為と死亡の間に理論的因果関係がなくても権利、利益侵害を認定できるか。】
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回答:
1.本件につき訴訟を提起した場合、「あのとき胃がんを発見したとしても、その進行具合から見て治癒する見込みは薄かった」という事情があり開業医の過失と旦那様の死亡との間の因果関係が最大の争点になると思われます。もっとも、仮にこうした死亡との因果関係が立証できなかったとしても、損害賠償請求それ自体を諦める必要はありません。すなわち判例が述べるように「適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるならば」責任追及は可能です。金額的には数百万円程度でしょう。
2.こうした請求を叶えるには法律構成の点で高度な知見が必要となるほか、医療過誤訴訟それ自体の困難性からも、多くの時間と労力を要することは間違いないでしょう。そのため、医療過誤が疑われる場合には、速やかに信頼できる弁護士に相談することをお勧めします。裁判所の手続きを利用することにより、カルテ等の重要な証拠を押さえることができれば、交渉及び訴訟をより有利に進めることが可能となります。
3.そもそも不法行為理論(民法709条)は、個人、自由主義を採用する帰結として私的自治の原則の基本要素(他に契約自由の原則)となっており、その最終目的は個人の尊厳(憲法13条)、公正な社会秩序の維持であり、正義にかなう公正、公平の原理(民法1条 私的自治の原則に内在する原理)による当事者間の紛争解決にあります。従って、常に技術革新があり専門的知識、機関を有する医療機関に対して何ら専門知識、技術等を有しない被害者である一般市民の損害賠償請求、要件の立証に関しては、因果関係の程度、権利利益侵害範囲の判断は常に変化して行き緩和される傾向にあると思います。
1.(医療過誤と医療機関側の責任)
医療は、我々の生命と健康を守る重要な使命を負っていますが、その担い手が同じ人間である以上、時として誤りが生じてしまうことも残念ながら否定できません。不幸にも医療事故が起こってしまった場合、医療機関側としては、@被害者に対する損害賠償という形で民事上の責任を問われることがあるほか、その態様が悪質であれば、A業務上過失致死傷罪(刑法211条1項)として刑事責任を追及され、B違法性が強い場合は医師免許の取消し、業務停止等の行政処分(厚生労働省、医道審議会による判断 事務所ホームページにおいて法律相談事例集キーワード検索。)を受けたりすることもあり得ます。以下では、被害者にとって最も直接的な方法である損害賠償請求につき、本件と関連する範囲でご説明します。
本件が医療過誤であるとすれば、当該開業医は自己の過失によって旦那様と奥様に損害を与えたことになります。そこで奥様としては、この開業医に対し、不法行為(民法709条)に基づく損害賠償を請求することが可能です。また、旦那様と当該開業医との間には、「診療契約」という準委任契約(民法656条)が結ばれており、開業医は、善良な管理者の注意をもって旦那様の治癒に向けた医療行為を行わなければなりません(民法644条)。又、安全配慮義務違反を根拠にすることができるでしょう(法律相談事例集キーワード検索936番参照)。従って、奥様としては、上記の注意が尽くされていなかったとして、この開業医に対し、債務不履行(ここでは、「契約違反」という程度の意味で理解して頂ければ結構です)に基づく損害賠償請求を行うことも考えられます(民法415条)。不法行為と債務不履行は、損害賠償責任を基礎付ける理屈としては一応別物なのですが、医療過誤においては両方の請求が同時になされることが殆どで(ただし、最終的に認められるのはどちらか一方であり、損害賠償が二重に認められるわけではありません)、かつ、いずれの請求をするかによって、損害賠償を勝ち取るための要件に差異が生ずることはないと言われています。
少々前置きが長くなりましたが、本件において、奥様が当該開業医の医療過誤を理由に損害賠償を請求するためには、@旦那様ないし奥様の権利が侵害されたこと、A当該開業医の過失(債務不履行責任の場合には、「契約上の義務違反」と言い換えます)、B損害の発生(経済的損失及び精神的被害)、C医療機関側の過失と権利侵害・損害との因果関係を訴訟の場で立証する必要があります。以下では、これらの各要件について詳しく検討していきたいと思います。
3.(患者に対する権利侵害及び損害)
一般に、損害賠償が認められるには、相手方の行為によって被害者の法的な権利利益が侵害されたことが必要です。こうした権利利益の代表例が生命・健康であり、本件についても、まずは旦那様の生命侵害を主張していくことになろうと思います。そして、この生命侵害の前後における被害者の財産的評価の差額が、損害賠償額の基礎である「損害」ということになるでしょう。
もっとも、本件のケースにおいて「生命を侵害された」という構成だけで押し通そうとすると、後で述べるように、因果関係の立証(発見の時期と治癒の可能性)につき困難に直面し、損害賠償それ自体が否定されてしまう危険性があります。また、そもそも医療過誤の被害というものは、被害者の権利利益を実質的に保護する必要があり、必ずしも死亡や後遺症だけにとどまるものではありません(例えば、末期がんの患者にがん告知をせずに延命治療をした場合等を考えると分かりやすいと思います。被害者の承諾なしに治療はできません。)。そこで、近時では、どのような治療を行うかを患者自身が決定することそれ自体を独立した権利と捉える等(いわゆる「自己決定権」)、被侵害利益を工夫することで、損害賠償が認められる範囲が徐々に拡大してきています。
医療機関の注意義務の程度については、準委任契約が結ばれており、委任契約と同様に善管注意義務(民法644条)が科せられることになります。善管注意義務の内容は抽象的ですから、条文の趣旨に基づき解釈により具体化する必要があります。昭和36年の最高裁判決は以下のように説明しています。
「給血者が、信頼するに足る血清反応陰性の検査証明書を持参し、健康診断及び血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証を所持する場合でも、これらによつて直ちに輸血による梅毒感染の危険なしと速断することができず、また陰性又は潜伏期間中の梅毒につき、現在、確定的な診断を下すに足る利用可能な科学的方法がないとされている以上、たとい従属的であるにもせよ、梅毒感染の危険の有無について最もよく了知している給血者自身に対し、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項を問診し、その危険を確かめた上、事情の許すかぎり(本件の場合は、一刻を争うほど緊急の必要に迫られてはいなかつた)そのような危険がないと認められる給血者から輸血すべきである」。「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ないところといわざるを得ない。」
さらに、医療機関側の過失について具体的判断基準としては、「医療水準論」と呼ばれる考え方が採用されています。これは、問題となる治療行為が、その当時の医療現場において要求される水準を下回っていた場合に医療機関の過失を肯定するという見解で、このことを判例は「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」という言葉で表現しています(最高裁昭和57年3月30日判決等)。
もっとも、こうした医療水準は全国で統一された絶対的なものというわけではなく、同じ時代であっても、最新設備を擁する大学病院といわゆる地方の開業医との間では、要求される医療のレベルが異なって然るべきというのが現在の判例・実務の流れです(最高裁平成7年6月9日判決)。難病であっても医師の立場により高度な注意義務を認めて原判決を破棄差し戻ししています。
「被上告人は、昭和四九年一二月一一日午後四時一〇分に上告人貴幸が聖マリア病院から姫路日赤に転医をするに際し、上告人らとの間で、未熟児として出生した上告人貴幸の保育、診断、治療等をすることを内容とする診療契約を締結したのであるが、被上告人は、本件診療契約に基づき、人の生命及び健康を管理する業務に従事する者として、危険防止のために経験上必要とされる最善の注意を尽くして上告人貴幸の診療に当たる義務を負担したものというべきである(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)。そして、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁参照)。
2 そこで、診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準とはどのようなもので
あるかについて検討する。ある疾病について新規の治療法が開発され、それが各種の医療機関に浸透するまでの過程は、おおむね次のような段階をたどるのが一般である。すなわち、まず、当該疾病の専門的研究者の理論的考案ないし試行錯誤の中から新規の治療法の仮説ともいうべきものが生まれ、その裏付けの理論的研究や動物実験等を経た上で臨床実験がされ、他の研究者による追試、比較対照実験等による有効性(治療効果)と安全性(副作用等)の確認などが行われ、この間、その成果が各種の文献に発表され、学会や研究会での議論を経てその有効性と安全性が是認され、教育や研修を通じて、右治療法が各種の医療機関に知見(情報)として又は実施のための技術・設備等を伴うものとして普及していく。疾病の重大性の程度、新規の治療法の効果の程度等の要因により、右各段階の進行速度には相当の差が生ずることもあるし、それがほぼ同時に進行することもある。また、有効性と安全性が是認された治療法は、通常、先進的研究機関を有する大学病院や専門病院、地域の基幹となる総合病院、そのほかの総合病院、小規模病院、一般開業医の診療所といった順序で普及していく。そして、知見の普及は、医学雑誌への論文の登載、学会や研究会での発表、一般のマスコミによる報道等によってされ、まず、当該疾病を専門分野とする医師に伝達され、次第に関連分野を専門とする医師に伝達されるものであって、その伝達に要する時間は比較的短いが、実施のための技術・設備等の普及は、当該治療法の手技としての難易度、必要とされる施設や器具の性質、財政上の制約等によりこれに要する時間に差異が生じ、通常は知見の普及に遅れ、右の条件次第では、限られた医療機関のみで実施され、一般開業医において広く実施されるということにならないこともある。
以上のとおり、当該疾病の専門的研究者の間でその有効性と安全性が是認された新規の治療法が普及するには一定の時間を要し、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性、医師の専門分野等によってその普及に要する時間に差異があり、その知見の普及に要する時間と実施のための技術・設備等の普及に要する時間との間にも差異があるのが通例であり、また、当事者もこのような事情を前提にして診療契約の締結に至るのである。したがって、ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない。そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである。そこで、当該医療機関としてはその履行補助者である医師等に右知見を獲得させておくべきであって、仮に、履行補助者である医師等が右知見を有しなかったために、右医療機関が右治療法を実施せず、又は実施可能な他の医療機関に転医をさせるなど適切な措置を採らなかったために患者に損害を与えた場合には、当該医療機関は、診療契約に基づく債務不履行責任を負うものというべきである。また、新規の治療法実施のための技術・設備等についても同様であって、当該医療機関が予算上の制約等の事情によりその実施のための技術・設備等を有しない場合には、右医療機関は、これを有する他の医療機関に転医をさせるなど適切な措置を採るべき義務がある。」
そこで、本件においても、問題となる開業医の診察及び治療が、その当時における同規模の医院の間での医療水準を下回っていたのかを検討することとなります。もっとも、こうした判断には、高度な医学的・法律的な知識が要求されるほか、そもそも医療過誤訴訟においてはカルテ等の証拠が当該開業医の手元に偏在しているため、医療機関の過失の立証は容易ではありません。こうした専門性や密室性こそが、医療過誤事件を難しくしている原因です。
質問中にある開業医の言い分は、自己の過失と旦那様の死亡との間の因果関係を否定する趣旨と思われ、実際の訴訟においてもこの点が主要な争点となるものと予測されます。では、こうした因果関係があるといえるためには、一体どのようなことが立証できればよいのでしょうか。
一般的な医療ミス(手元が狂った等)の場合、被害者としては、「あのミスがなければ患者は死亡しなかった」ということを立証する必要があります。こうした証明は、普通の人なら当該ミスを死亡原因と考えるだろうという程度の確度(これを「高度の蓋然性」といいます)でなされれば、仮に科学的に見て数パーセントの例外があったとしても問題はありません(最高裁昭和50年10月24日判決)。
他方、本件では、本来すべきであった治療がなされなかったことが問題となっており、上記のような「あれがなければ、…」という関係は当てはまりません。こうした場合、判例によれば、「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性」を証明すればよいとされています(最高裁平成11年2月25日判決)。
すなわち、奥様としては、「この開業医が必要な治療をしていれば、少なくとも本件時点において旦那様が死亡することはなかった」ことを証明できれば、因果関係の立証は成功といえます。遅かれ早かれ旦那様は死亡していたということは、あくまで損害額を算定する際の問題であり、こうした反論は因果関係を否定する上で意味を持ちません。
もっとも、この開業医の言い分が「自分が胃がんを発見したとしても、旦那様の延命は全くもって不可能だった」という趣旨である場合には、話が変わってきます。仮にこの反論が事実であると認められてしまうと、上記判例の立場上、開業医の過失と旦那様の死亡との因果関係が否定されることとなるからです。もちろん、奥様の依頼を受けた弁護士としては、最善を尽くして上記因果関係を主張・立証していきますが、先に述べた医療過誤事件の性質上(専門性及び密室性)、専門家といえどもその証明が困難な場合もあり得ます。
この点について最高裁平成12年9月22日判決は注目すべき判断を行いました。裁判所は、仮に延命についての高度の蓋然性が証明できなかったとしても、医療水準にかなった医療が行われていれば患者が死亡当時まだ生存していた「相当程度の可能性」があったことさえ証明できれば、医療機関側の損害賠償を肯定できると述べたのです。結論として220万円の損害賠償を認めています。すなわち、先に述べた被侵害利益を患者の生命と構成してしまうと因果関係が否定されるため、こうした「可能性」それ自体を法律上保護された利益と再構成することで、損害賠償を認めたものといえます。しかも、ここでいう「相当程度の可能性」は比較的緩やかに解されています。
本判決は、患者が早朝背部痛で目を覚まし、急いで病院に受付を済ませ、治療をしたが2時間後に死亡したという事案です。
「守は、自宅において狭心症発作に見舞われ、病院への往路で自動車運転中に再度の発作に見舞われ、心筋こうそくに移行していったものであって、診察当時、心筋こうそくは相当に増悪した状態にあり、点滴中に致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎えるに至ったもので、その死因は、不安定型狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来したことにある。
7 背部痛、心か部痛の自覚症状のある患者に対する医療行為について、本件診療当時の医療水準に照らすと、医師としては、まず、緊急を要する胸部疾患を鑑別するために、問診によって既往症等を聞き出すとともに、血圧、脈拍、体温等の測定を行い、その結果や聴診、触診等によって狭心症、心筋こうそく等が疑われた場合には、ニトログリセリンの舌下投与を行いつつ、心電図検査を行って疾患の鑑別及び不整脈の監視を行い、心電図等から心筋こうそくの確定診断がついた場合には、静脈留置針による血管確保、酸素吸入その他の治療行為を開始し、また、致死的不整脈又はその前兆が現れた場合には、リドカイン等の抗不整脈剤を投与すべきであった。
しかるに、岡本医師は、守を診察するに当たり、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。」
さらに本件と類似した事案において、20パーセント弱の救命可能性で医療機関の責任を肯定したものも存在します。
この判決は、平成9年の前記最高栽判決を踏襲しています。
判決要旨
「しかしながら,原審の上記判断(3)は是認することができない。その理由は,次のとおりである。(1)医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において,その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)。このことは,診療契約上の債務不履行責任についても同様に解される。すなわち,医師に適時に適切な検査を行うべき診療契約上の義務を怠った過失があり,その結果患者が早期に適切な医療行為を受けることができなかった場合において,上記検査義務を怠った医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である(2)本件についてこれをみると,前記事実関係によれば,平成11年7月の時点において被上告人が適切な再検査を行っていれば,Aのスキルス胃癌を発見することが十分に可能であり,これが発見されていれば,上記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより,Aの延命の可能性があったことが明らかである。そして,本件においては,被上告人が実施すべき上記再検査を行わなかったため,上記時点におけるAの病状は不明であるが,病状が進行した後に治療を開始するよりも,疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり,Aのスキルス胃癌に対する治療が実際に開始される約3か月前である上記時点で,その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法を始めとする適切な治療が開始されていれば,特段の事情がない限り,Aが実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である。これらの諸点にかんがみると,Aの病状等に照らして化学療法等が奏功する可能性がなかったというのであればともかく,そのような事情の存在がうかがわれない本件では,上記時点でAのスキルス胃癌が発見され,適時に適切な治療が開始されていれば,Aが死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったものというべきである。そうすると,本件においては,Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められるから,これを否定した原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。5 以上によれば,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。そして,損害の点について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。」
(上記判決の検討)そもそも不法行為理論は、個人、自由主義を採用する帰結として私的自治の原則の基本要素となっており、その最終目的は個人の尊厳、公正な社会秩序の維持であり、正義にかなう公正、公平の原理(民法1条)による当事者間の紛争解決にあります。従って、常に技術革新があり専門的知識、機関を有する医療機関に対して何ら専門知識、技術等を有しない被害者である一般市民の損害賠償請求、要件の立証に関しては、因果関係の程度、権利利益侵害範囲の判断は常に変化して行き緩和される傾向にあると思います。その究極的根拠は、憲法13条の幸福追求権です。「日本国憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の 権利 については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定されています。この条文の趣旨は、人は個人の尊厳を守るため生まれながらに自由であり基本的人権を有し、個別具体的な、憲法や法律の条文が無くても、幸福に生活する権利 (人間が生まれながらにもっている自然権を意味します)を有している、というものです。この規定は、本来自由な人間が制約を受けるのは自らの意思に基づく他人との契約、社会、国家との契約(民主主義に基づき自ら代表者を選び国家、法規を作った責任)及び、その契約に基づく社会全体の利益(憲法12条、13条が明記する公共の福祉、公共の利益)、過失責任(不法行為責任)によるという、自由主義を大前提に規定されています。従って、その様な制約に反しない限り、人間はいつでもどこでも社会生活をする上で保護されるべき利益がある限り、具体的法規がなくても人間とし有する法的権利 として主張することが可能であり保護されることになります。本件の「延命可能な利益、期待権」もその一つとして位置づけることが可能でしょう。
以上のことから、本件のような事案でも、開業医に損害賠償を請求することは十分に可能と思われます(ただし、旦那様の生命が侵害されたという構成を採らない場合には、損害賠償の額が200から多くても700万円程度になってしまうのが現状のようです)。したがって、医療過誤が疑われる場合には、決して一人で諦めたりせず、できるだけ速やかにお近くの法律事務所に相談して下さい。損害賠償請求の可能性についてのアドバイスはもちろんのこと、将来の交渉や訴訟において奥様が少しでも有利になるよう、迅速かつ機密に証拠収集等のお手伝いをさせていただきます。
(債務不履行による損害賠償)
第四百十五条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
(受任者の注意義務)
第六百四十四条 受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。
(準委任)
第六百五十六条 この節の規定は、法律行為でない事務の委託について準用する。
(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。