新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1090、2011/3/31 17:34 https://www.shinginza.com/rousai.htm

【民事・労災と会社,相手方に対する損害賠償請求・すでに労災の支給を受けている場合,又その逆の場合・民事上の請求の後に労災の支給を受ける手続き,方法】

質問:私の父は運送会社に勤務しているのですが,トラックに荷物を積み込む作業をしている際に,後退運転途中の同僚の車両に轢かれ,その結果,四肢麻痺の後遺症が残る怪我を負いました。この事故については,労災認定を受けており(障害等級1級),すでに障害補償年金などの労災保険上の給付を受けています。しかし,今後,父の介護や生活にかかってくる費用を考えると,労災保険上の給付では安心できないので,不注意な運転をした同僚や,事故が起きうる状況を漫然と放置していた会社に対して損害賠償請求訴訟をしたいと考えています。同僚と会社に損害賠償請求をした場合,労災保険上の給付についてどのような影響が及ぶのでしょうか。また,会社から示談合意の申し入れを受けているので,これに対してもどのように対応したらよいのかお聞きしたいです。

回答:
1.民事上の損害賠償請求をした場合に労災保険上の給付に及ぼす影響ですが,同一事由について重複して損害がてん補されることになると,実際の損害よりも多くの賠償を受けることになりかねないため,労災保険法においても給付の調整について定めた規定がございます。会社からの示談合意の申し入れに対する対応については,金額や和解条項の定め方が重要となりますので,会社からの提案をご持参のうえご相談ください(なお,一般論ではありますが,下記の解説末尾記載のとおり,ご相談の事案は和解による解決のメリットが大きい事案といえます。)。損害賠償と労災保険給付の調整の詳細については,解説をご覧ください。
2.法律相談事例集キーワード検索:567番80番79番78番参照。

解説:
1.損害の重複てん補は認められない
 本件のような,使用者及び第三者に責任が生じる労災事故については,被災労働者は,労災保険に対し保険給付請求権を取得すると同時に,使用者及び第三者に対する損害賠償請求権を取得します。このような場合に,同一の事由について労災保険給付と民事損害賠償により重複して損害がてん補されると,被災労働者は実際の損害よりも多くの支払いを受けることになってしまいます。また,労災保険については,その保険料は全額使用者負担であるので民事損害賠償と保険給付との重複は,事業主負担の重複をもたらし,保険料負担者である事業主の保険利益を損なうなど不合理な結果を招くことになります。
 それゆえ,以下のとおり損害の重複てん補がなされないような制度設計がなされています。

2.民事損害賠償を受けるより前に労災保険給付がなされている場合について
 損害のてん補の重複を避けるために,すでに支払われた労災保険の給付額については,使用者または第三者がなす損害賠償から控除されることになります。
 労働基準法(以下,「労基法」といいます。)上の災害補償と使用者の損害賠償責任の関係については,同法84条2項がこの点について「使用者は,この法律による補償を行つた場合においては,同一の事由については,その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。」と規定しています。労災保険給付については,労基法上の災害補償とは異なりますが,両者は労働災害による労働者の損失をてん補するという点で共通するので,労災保険給付が先行してなされた場合,使用者は,労基法84条2項の類推適用により,給付の限度で損害賠償責任を免れることになります。

3.労災保険給付より先に民事損害賠償を受けた場合について
(1)労災保険給付の支給調整
 2とは逆に,被災労働者が労災保険給付より先に使用者や加害行為者から損害賠償を受けた場合には,政府はその価額の限度で保険給付をしないことができます(労働者災害補償保険法(以下,労災保険法という)12条の4第2項)。

(2)支給調整がなされる保険給付の種類と民事損害賠償の損害項目
 使用者から受けるすべての損害賠償について支給調整がなされるわけではありません。いかなる場合に支給調整がなされるのかについては,労災保険法附則64条2項本文に下記のとおり規定されています。
 「労働者又はその遺族が,当該労働者を使用している事業主又は使用していた事業主から損害賠償を受けることができる場合であつて,保険給付を受けるべきときに,同一の事由について,損害賠償(当該保険給付によつててん補される損害をてん補する部分に限る。)を受けたときは,政府は,労働政策審議会の議を経て厚生労働大臣が定める基準により,その価額の限度で,保険給付をしないことができる。」
 上記の規定のとおり,保険給付の支給調整が行われることとなるのは,保険給付の事由と同一の事由に基づく民事損害賠償が行われた場合に限られます。そして,行政通達(昭和56年6月12日発基60号)によれば,支給調整を行う労災保険給付の種類と支給調整の事由となる民事損害賠償の項目については,下記のとおりとなります。

支給調整を行う労災保険給付、民事損害賠償の損害項目
    障害(補償)給付、      逸失利益
    遺族(補償)給付、      逸失利益
    傷病(補償)年金、      逸失利益
    休業(補償)給付、      逸失利益
    療養(補償)給付、      療養費
    葬祭料(葬祭給付)、     葬祭費用

(注)「障害(補償)給付」は,業務災害についての「障害補償給付」と通勤災害についての「障害給付」の双方を表す用語です。以下も同様です。
 上記のとおり,支給調整が行われる民事損害賠償の項目は限定されているので,物的損害や精神的損害(慰謝料)については,民事損害賠償として受領しても年金の支給調整はなされません。

(3)企業内労災補償,示談金・和解金,見舞金等の取扱い
 (@)企業内労災補償
  企業内労災補償制度とは,企業内において,労働協約,労使協定,就業規則その他これらに準ずる規程によって定められている業務災害又は通勤災害に対する給付制度のことを意味します。その制度趣旨・性格は区々ですが,通常は,保険給付の不足を補う趣旨すなわち保険給付に上積みして給付される趣旨のものと解されます。したがって,原則として保険給付の支給調整は行われません。
しかし,企業内労災補償制度は,個別企業における諸々の状況を勘案して設けられるものであるので,その制度を定めた労働協約,就業規則その他の規程の文面上労災保険給付相当分を含むことが明らかである場合には,損害のてん補が重複して行われることとなるので,例外的に保険給付に相当する額の範囲で保険給付の支給調整が行われます。

 (A)示談金及び和解金
  労使間では,業務災害又は通勤災害については,保険給付が将来にわたっても支給されることは周知の事項であり,労使間でわざわざこれら保険給付と重複する内容の示談・和解を締結することは一般的ではありません。よって,保険給付が将来にわたり支給されることを前提としてこれに上積みして支払われる示談金及び和解金については,保険給付の支給調整を行わないこととされています。
しかし,将来支給予定の保険給付も含めて一時金で賠償することもないとは断定できないので,そのような将来支給予定の保険給付相当分も含めて示談金又は和解金が支払われることが示談書の文面等により明らかであるケースについては,その重なり合う保険給付相当分について保険給付の支給調整が行われます。

 (B)見舞金等
  見舞金が,災害にあったことがお気の毒であるという気持を表わす趣旨のものである場合には,賠償責任があることを前提として行われるものではないため損害賠償としての性格を有しません。したがって,このような趣旨の見舞金を事業主から受領したとしても保険給付の支給調整は行われません。
しかし,名目上は見舞金であっても実質民事損害賠償として支払われることはありえます。このような金銭については,保険給付の支給調整を行うべきか否か問題となります。この点については,民事損害賠償として支払われたことが明らかであつても,前記(A)の示談金及び和解金の取扱いと同様に,保険給付が将来にわたり支給されることを前提としてこれに上積みして支払われることが一般的であり(精神的損害をてん補する目的で支払われる場合のほか,逸失利益分の上積みとして支払われる場合が考えられます。),やはり支給調整の対象とならないことが多いといえます。

4.将来における労災保険給付と民事損害賠の調整について
 労災保険給付が年金により行われる場合,認定された障害等級に応じて将来にわたり継続的に給付を受けることができます。そこで,被災労働者からの民事損害賠償請求において,将来の年金給付をいかに取り扱うのか,すなわち,損害賠償額から将来の年金額を控除すべきかが問題となります。
 この点について,最高裁判所昭和52年10月25日判決は,下記のとおり,損害賠償額から将来の年金給付額を控除することはできないと判示しています。
 「政府が保険給付をしたことによつて,受給権者の使用者に対する損害賠償請求権が失われるのは,右保険給付が損害の填補の性質をも有する以上,政府が現実に保険金を給付して損害を補填したときに限られ,いまだ現実の給付がない以上,たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても,受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり,このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと解するのが,相当である。」
 以上のとおり,労災年金がたとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していたとしても,損害賠償請求に際して,将来の給付額を控除する必要はありません。

5.損害のてん補を最大化するためにはどうすべきか
 以上述べてきたとおり,損害賠償と労災保険給付は,いずれも被災労働者の損害をてん補するという意味では共通していますが,てん補される損害の範囲については差異があります。そして,損害賠償については,その名目によっては労災保険給付の支給調整を受けずに支払いを受けることも可能です。
 そこで,使用者や加害行為者から訴訟外で一定額の損害賠償を受けることができるような場合には,受領するお金の名目を慰謝料など支給調整の及ばない名目にすべきです。また,和解により使用者や加害者から損害賠償金の支払いを受ける場合には,和解条項において,受領する金員が将来の労働者災害補償保険からの給付金に何ら影響を及ぼさないことを明示すべきです。
 受領金の名目や和解条項の書き方によって労災保険給付の支給に大きな影響を及ぼすので,金銭を受領する前にはあらかじめ弁護士に相談したほうがよいでしょう。
 なお,損害賠償請求訴訟を提起し判決を取得する場合には,判決文の中で損害項目ごとに金額が明示されることになるので,上記のように受領金の名目や労災保険給付に影響が及ぼさないようにするといった調整をすることはできないので,ご相談の事案は和解による解決のメリットが大きい事案といえます。

<参照条文>

労働基準法
84条2項
「使用者は,この法律による補償を行つた場合においては,同一の事由については,その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。」

労働者災害補償保険法
12条の4第2項
「前項の場合において,保険給付を受けるべき者が当該第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは,政府は,その価額の限度で保険給付をしないことができる。」
附則64条2項本文
「労働者又はその遺族が,当該労働者を使用している事業主又は使用していた事業主から損害賠償を受けることができる場合であつて,保険給付を受けるべきときに,同一の事由について,損害賠償(当該保険給付によつててん補される損害をてん補する部分に限る。)を受けたときは,政府は,労働政策審議会の議を経て厚生労働大臣が定める基準により,その価額の限度で,保険給付をしないことができる。」

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