新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース 質問:2か月ほど前,父が亡くなりました。先月,クレジットカード会社から父が利用した分の料金を相続人である私が支払うようにという通知が届きました。私は,後で父名義の預金の名義書換を済ませて引き出せばよいと思って,とりあえずのつもりで自腹を切って支払いました。ところが,実はほかにも借金が沢山あったことが次々と明らかになり,預金では足りない可能性が出てきました。相続人である私が被相続人である父の債務を支払ってしまった場合,相続したとみなされて,もう相続放棄はできなくなってしまうのでしょうか。 解説: 【相続の放棄】 相続が開始すると,被相続人の財産が相続人に包括的に承継されるという効果が生じます(民法896条本文)。被相続人の一身に専属したものを除き,一切の権利義務が引き継がれるので,その財産の中に大きな消極財産(多額の負債)が含まれているときには,相続が相続人にとって不利益となることがあります。 【法定単純承認】 このように,相続人には相続放棄を選択する自由がありますが,その一方で,民法は,一定の場合には単純承認(原則どおり一切の権利義務を承継すること)をしたものとみなすという規定を置いています(民法921条)。 【民法921条1号の趣旨】 法定単純承認事由は,民法921条1号から3号までに列記されていますが,本件において問題となるのは,そのうちの1号です。 【相続人の固有財産による相続債務の弁済が「相続財産の処分」にあたるか】 では,相続人の固有財産による相続債務の弁済が「相続財産の処分」にあたるでしょうか。 【裁判例――福岡高裁宮崎支部平成10年12月22日決定】 参考になる下級審判例を簡単にご紹介します。 【本件へのあてはめ,弁護士への相談】 よって,冒頭のご回答のとおり,あなたは単純承認したとみなされることにはならず,相続放棄の申述をすることができると考えます。 ≪参照法令≫ 【民法】
No.1128、2011/7/7 16:13 https://www.shinginza.com/qa-souzoku.htm
【相続,相続人の固有財産による相続債務の弁済が法定単純承認事由にあたるか】
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回答:
被相続人の負債を相続人固有の財産から弁済したとしても,そのために相続放棄ができなくなるということはありません。
ご相談のご趣旨は,あなた自身の財産から被相続人の債務を弁済してしまったことが法定単純承認事由としての「相続財産の処分」にあたらないか,というものだと考えられます。
この点について,以下の解説をご覧ください。
法律相談事例集キーワード検索:1110番参照。
また,仮に消極財産が積極財産を上回らない場合であっても,財産の承継を潔しとしない人もいるかもしれません。
そこで,民法上,相続人には自らの意思で相続しないことを選択する自由が認められていて,これを相続放棄といいます。
民法は,単純承認が相続人自身の意思表示によってされることを前提としながらも(民法920条),意思表示がないにもかかわらず単純承認をしたものと扱うと定めていることから,こうした法の定めの結果としての単純承認については「法定単純承認」と呼ばれています。そして,それがあると単純承認したものとみなされる法定の事由のことを「法定単純承認事由」といいます。
1号は「相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。」と定められています。
「相続財産の全部または一部を処分したとき」がなぜ法定単純承認事由とされているのでしょうか。その趣旨としては,被相続人の財産が自己の財産となってはじめて,相続人がそれを処分できるという権利を得るのだから,処分をした以上,単純承認する意思があったと推定できるので,財産を処分できる権利だけでなく一切の義務も負わせるべきというものが挙げられます。また,仮に相続人が相続財産を処分した後に相続放棄などをしてしまうと,被相続人に対する債権者等の利益や取引の安全を害することになるから,これを防ぐために単純承認したものとみなすべきであるとするものも挙げられます。
結論としては,あたらないということになります。
この点については、弁済による財産の減少と弁済による債務の消滅という2点を検討する必要があります。まず,財産の減少については今回の弁済の原資は,あなたが自腹を切って用意したお金です。それはあなた自身の財産であって,被相続人の残した相続財産ではないといえます。したがって,相続人固有の財産を処分しただけで,相続財産を処分したものではありません。
さらに,相続債務が弁済によって消滅したことについても,あなたが固有の財産を処分したことの効果にすぎず,それ自体を相続財産の処分とすることもできません。
この結論は,前述した民法921条1号の趣旨にも適合します。
即ち,相続人であるあなたは,自身の固有財産から他人(被相続人)の債務を弁済しただけですが,第三者による債務の弁済が一般に認められている(民法474条)以上,相続人が被相続人の債務を弁済したからといって,そこから単純承認する意思があったと推定することはできないでしょう。
また,相続人が固有の財産を相続債務の弁済に充てても,相続財産の価値が減少することにはなりませんし,第三者による債務の弁済が一般に認められている以上,相続債権者等が他の債務もその相続人が全部承継して支払ってくれるだろうと期待したとしても,その期待が法的保護に値するとはいえないと解することができ,取引の安全を害することにもなりません。
このように,相続人の固有財産による相続債務の弁済が「相続財産の処分」にあたらないということは,文言上も,立法趣旨からも導くことができる固い結論であり,かつ,関係者の利益状況に照らしても妥当な結論になるといえるでしょう。
本件判例の事案は,相続人が,死亡者の法定相続人に支払う旨の約款による死亡保険金を請求・受領して,被相続人の相続債務の一部の支払に充てた後,相続放棄の申述をしたというものです。
これに対して,福岡高裁宮崎支部は,「抗告人らのした熟慮期間中の本件保険契約に基づく死亡保険金の請求及びその保険金の受領は,抗告人らの固有財産に属する権利行使をして,その保険金を受領したものに過ぎず,被相続人の相続財産の一部を処分した場合ではないから,これら抗告人らの行為が民法921条1号本文に該当しないことは明らかである。」,「そのうえ,抗告人らのした熟慮期間中の被相続人の相続債務の一部弁済行為は,自らの固有財産である前記の死亡保険金をもってしたものであるから,これが相続財産の一部を処分したことにあたらないことは明らかである。」と判示しています。
この論点に関する最高裁判例は見当たりませんが,仮に最高裁で審理されたとしても,本件判例の解釈が覆ることにはならないだろうと考えます。
ただ,ご相談をお聞きする限りでは何とも言えませんが,相続開始から1〜2か月経ってから相続財産の状況に対する認識が次々と変遷していったというご状況からすると,もしかしたらまだ相続財産の調査が十分に行われていない可能性もあるのではないかと思われます。
相続放棄の申述には期間制限がありますが,伸長してもらうこともできますので,それをせずに相続放棄をしてしまってよい事案なのかどうかも含めて,一度は弁護士にご相談されることをお勧めいたします。
(相続の一般的効力)
第896条
相続人は,相続開始の時から,被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし,被相続人の一身に専属したものは,この限りでない。
(単純承認の効力)
第920条
相続人は,単純承認をしたときは,無限に被相続人の権利義務を承継する。
(法定単純承認)
第921条
次に掲げる場合には,相続人は,単純承認をしたものとみなす。
一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。
二 略
三 略
第938条
相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。
(相続の放棄の効力)
第939条
相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。