道路交通法上の報告義務について
刑事|道路交通法|簡単な物損事故発生と道路交通法上の報告義務違反の成否
目次
質問:
質問:先日,自動車を運転していて交通事故(物損)を起こしました。相手の自動車の運転者に怪我の様子はなく,相手の車が若干凹み,ヘッドライトが割れた程度で済みました。相手方は,車の弁償をしてくれればいいと言っていたので,特に警察は呼ぶ必要がないと判断し,10万円を支払いました。しかし,家に帰ったあと,警察に連絡しなければならなかったのではないかと恐くなってきました。このような場合,法律的にはどのようにすべきなのでしょうか。
回答:
1、交通事故を起こした場合,事故を起こした人(運転者その他乗務員)は,警察に事故の報告(日時,場所,事故の程度等について)をしなければならないと道路交通法上規定されています(道路交通法72条1項後段)。この場合の交通事故とは,「車両等の交通による人の死傷または物の損壊」と規定されています。従って,それが道路上で起きた事故であれば,軽微な物損であっても警察に報告すべきだったと言わざるを得ません。また,この報告義務に違反した場合には罰則が適用されます(道路交通法119条1項10号 3カ月以下の懲役5万円以下の罰金)。仮に,後になって,相手方に首が痛いなどの症状が出れば,道路交通法違反の他に自動車運転過失傷害罪(刑法211条2項)が成立する可能性もあります。
2、以上が原則ですが,全く軽微な事故で被害者の人も警察に連絡する必要はないと言っている場合まで,警察に報告しなくてはならず,後で処罰の対象になるかというと具体的に検討すれば,この程度等によっては起訴便宜主義(刑訴248条)の趣旨から処罰されないこともあるでしょう。法定刑が三月以下の懲役又は五万円以下の罰金であり,初犯で怪我もなく,道路交通の安全が確保されていれば起訴猶予が予想されます。ただ,起訴便宜主義による起訴猶予は,理論的に犯罪自体は成立しているので,他に自動車運転過失傷害罪(後で鞭打ち症等傷害が明らかになった。),道交法の救護義務違反等(傷害が発生し救護義務を尽くさなかった。道交法117条2項,10年以下の懲役又は100万円以下の罰金。)の犯罪が成立していれば,あわせて起訴(略式も含み)される可能性があります。このような場合は,正式裁判が予想されますので,やはり,事故が起きた場合は,慎重な対応が必要です。本件のような場合,事故内容を報告すれば一切問題は生じませんし,後日,仮に自動車運転過失傷害罪が明らかになったとしても,十分起訴猶予の可能性があます。というのは,自動車運転過失傷害罪は,過失犯であり,条文上(刑法211条2項但し書き)刑の免除も規定し軽微な傷害(2週間程度まで)については,被害弁償により起訴猶予になるのが実務のようだからです。文明の利器である自動車に内在する危険性を考慮した取り扱いです。
3、以下,詳細につきましては,解説の項をご参照ください。社会的地位等がありどうしても心配な場合は,弁護士に相談することをお勧めいたします。
4、報告義務違反に関する関連事例集参照。
解説:
1 (制度概要)
交通事故についての警察官あるいは警察署(派出所,駐在所)への報告義務については,道路交通法72条1項後段に規定されています。
その制度趣旨は,警察官をして速やかに交通事故の発生を知り,被害者の救護や道路における危険の防止等交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめ,もって被害の増大の防止と交通の安全を図ることにあると考えられています(最高裁昭和37年5月2日判決参照)。
また,報告義務に違反した場合には罰則が適用されます(道路交通法119条1項10号)。
2 成立要件(道路交通法72条1項後段)
(1)「この場合において」=「交通事故があつたとき」
同条の前段で,「車両等の交通による人の死傷または物の損壊(以下(交通事故)という)」と規定されていますから「交通事故があったとき」とは,人が怪我を負う人身事故に限定されず,物が壊れたに過ぎない物損事故も含まれることになります。
そして,物損事故の場合,その程度が軽微であったとしても,これを報告しなければ,報告義務違反を免れることはできないと考えられます(最高裁昭和48年3月15日判決参照)。
ただし,交通事故といえるためには,「車両等の交通による」事故であると条文に規定されていますから,駐車場などで起きた事故の場合には,「交通による」とはいえず,交通事故には該当しない可能性もあります(松山地判平成21年7月23日参照)。しかし,道路上の事故であれば交通事故に当たると考えて良いでしょう。
(2)「警察官が現場にいるときは当該警察官に,警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(派出所又は駐在所を含む。以下次項において同じ。)の警察官に」
「警察官が現場にいるとき」とは,交通事故が起こったときにたまたまその現場に警察官が居合わせた場合のときをいいますが,時間的には必ずしも事故発生時に限定する必要はなく,事故の起こった直後に警察官がその現場に合わせた場合も含まれると制度趣旨から考えられています。
「最寄りの警察署」とは,手近にある警察署又は当事者にとって最も便宜な警察署を意味すると考えられています。
(3)「報告しなければならない」
報告内容としては,以下の項目が挙げられます。
①その交通事故が発生した日時及び場所
②その交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度
③損壊した物及びその損壊の程度
④その交通事故に係る車両等の積載物
⑤その交通事故について講じた措置
なお,報告の方法としては,電話で報告することも差し支えありません。
3 (私見)
報告義務が規定されている趣旨は,判例でも指摘されているとおり,「警察官をして速やかに交通事故の発生を知り,被害者の救護や道路における危険の防止等交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめ,もって被害の増大の防止と交通の安全を図ることにある」とされています。もっとも,前者の被害者の救助という趣旨を全うする救助義務違反については,道路交通法72条1項前段に真正面から規定されています。そうだとすれば,あえて同条項後段に報告義務が規定されている主たる趣旨は,後者の交通事故によって生じる交通の危険を回避する点にあると考えられ,前者の被害者の救助という趣旨は副次的なもと考えることもできます。
そのような観点からすれば,全く軽微な物損で事故の直後に車両を移動するなどして交通の安全を害することがないような状況であった場合には,報告義務違反で処罰をする必要はないとも考えられます。しかし,報告の必要が無いか否かについて的確な判断を下すことは困難ですので,いくら簡単な事故であっても,一応警察に連絡するのが本来のあり方と言えるでしょう。
もちろん,報告義務違反があったからといって,起訴便宜主義(刑事訴訟法248条)のもと,検察官には一定の裁量が与えられているのですから,少なくとも起訴するか否かの点においては,上記事情を十分に考慮して判断しているものと考えられますが,それは検察官の判断であって交通事故を起こした本人としては,軽微な事故であっても警察に連絡すべきですし,その方があとあと心配が無いでしょう。
■参考裁判例
(最高裁大法廷昭和37年5月2日判決)
しかしながら,道路交通取締法(以下法と略称する)は,道路における危険防止及びその他交通の安全を図ることを目的とするものであり,法二四条一項は,その目的を達成するため,車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷等,事故の発生した場合において右交通機関の操縦者又は乗務員その他の従業者の講ずベき必要な措置に関する事項を命令の定めるところに委任し,その委任に基づき,同法施行令(以下令と略称する)六七条は,これ等操縦者,乗務員その他の従業者に対し,その一項において,右の場合直ちに被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため,必要な措置を講じ,警察官が現場にいるときは,その指示を受くべきことを命じ,その二項において,前項の措置を終つた際警察官が現場にいないときは,直ちに事故の内容及び前項の規定により講じた措置を当該事故の発生地を管轄する警察署の警察官に報告し,かつその後の行動につき警察官の指示を受くべきことを命じているものであり,要するに,交通事故発生の場合において,右操縦者,乗務員その他の従業者の講ずべき応急措置を定めているに過ぎない。法の目的に鑑みるときは,令同条は,警察署をして,速に,交通事故の発生を知り,被害者の救護,交通秩序の回復につき適切な措置を執らしめ,以つて道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し,交通の安全を図る等のため必要かつ合理的な規定として是認せられねばならない。しかも,同条二項掲記の「事故の内容」とは,その発生した日時,場所,死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等,交通事故の態様に関する事項を指すものと解すべきである。したがつて,右操縦者,乗務員その他の従業者は,警察官が交通事故に対する前叙の処理をなすにつき必要な限度においてのみ,右報告義務を負担するのであつて,それ以上,所論の如くに,刑事責任を問われる虞のある事故の原因その他の事項までも右報告義務ある事項中に含まれるものとは,解せられない。また,いわゆる黙秘権を規定した憲法三八条一項の法意は,何人も自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきことは,既に当裁判所の判例(昭和二七年(あ)第八三八号,同三二年二月二〇日,大法廷判決,集一一巻二号八〇二頁)とするところである。したがつて,令六七条二項により前叙の報告を命ずることは,憲法三八条一項にいう自己に不利益な供述の強要に当らない。
(最高裁昭和48年3月15日判決)
ところで,原判決は,「右報告義務は,個人の生命,身体および財産の保護,公安の維持等の職責を有する警察官をして,一応すみやかに」右条項後段「所定の各事項を知らしめ,負傷者の救護および交通秩序の回復等について当該車両等の運転者の講じた措置が適切妥当であるかどうか,さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ,もつて,前記職責上とるべき万全の措置を検討,実施させようとするにあると解されるので,たとえ当該車両等の運転者において負傷者を救護し,交通秩序もすでに回復され,道路上の危険も存在しないため,警察官においてそれ以上の措置をとる必要がないように思われる場合であつても,なおかつ,交通事故を起した当該車両等の運転者は,右各事項の報告義務を免れるものではない」と判示しているが,右判断その他所論の原判決の判断はいずれも正当であり,かつ,その判断が前示大法廷判例の趣旨にそわないものとは解されないから,論旨は理由がない。
(松山地裁平成21年7月23日判決)
ところで,本件公訴事実は,道交法72条1項後段のいわゆる報告義務違反の罪であり,同条項の「交通事故」は,同法2条1項1号所定の「道路」における車両等の交通に起因するものに限られることから,本件駐車場が「道路」,具体的には「一般交通の用に供するその他の場所」に該当する必要がある。
そこで検討するに,本件駐車場の形状は別紙現場見取図(略)のとおり,株式会社lの敷地内南西側に位置し,北側には市道に通じる通路があり,西側の市道に面する形で,白線で区画された東西2列,合計12台分の駐車区画があり,同駐車区画は,主として同社経営者家族や従業員,同社を訪れる顧客や知人等の車両の駐車場所として利用されている。そして,北側通路の入口には「宅地内につき通り抜不可」という看板が設置されていて,西側市道との間には門扉等の障害物はないものの,駐車車両が西側市道に面する部分に6列分全て駐車すると,西側市道からの出入りや北側通路からの通り抜けは事実上不可能となる。現に,本件当時においても,平成21年6月30日ころの捜査時点においても,車両が6列分の枠に駐車しており,通り抜けできない状態であった。
そして,上記会社経営者であり,本件駐車場の南側に居宅を構えるVの供述によると,必ずしも近隣住民が通路として同敷地を通過することを拒否しているわけではなく,以前には近くにある寺の参拝客も利用しており,現在も人や車両が通行することもあるとのことであるが,平成18年に西側市道の拡張工事が行われ,寺の駐車場も整備されたことで,以前に比べて本件駐車場を通り抜けに利用する人は相当に減少していることが同供述からもうかがわれ,少なくとも,本件当時,同所が不特定多数の人や車両の利用に供されていたことを認めるに足りる証拠はない。
以上のとおり,本件駐車場は,不特定多数の人ないし車両等が常時自由に通り抜けができるような客観的状況にはなく,かつ,その利用実態も,主として上記会社関係者など,特定の狭い範囲の者が車両の駐車場として利用していたと認められ,道路交通法における規制の対象とし,交通の安全と円滑を図り,通行する自動車の運転者や歩行者の生命,身体に対する危険を防止する必要性が高い場所とはいえない。
したがって,本件駐車場は,「一般交通の用に供するその他の場所」には該当せず,被告人による車両の接触事故は同法72条1項の「交通事故」に該当しない。よって,被告人の行為は罪とならないから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
以上いずれも妥当な判決です。