新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1240、2012/2/29 10:58 https://www.shinginza.com/qa-roudou.htm

【民事・労働者の会社に対する債務不履行責任・過失の内容・責任の範囲・退職の手続き・東京高裁平成14年5月23日判決】                 

質問:私は,あるアパレルメーカーの正社員で,デパートの催事場等での営業を担当していました。しかし,仕事がきつかったため,先週,職場を放棄し,実家に帰ってきてしまいました。職場放棄の翌日から,会社から頻繁に電話がかかってきており,職場放棄により発生した損害を賠償するよう求められています。私は損害賠償をしなければならないでしょうか。また,会社はもう退職したことになっているのでしょうか。私としては,このまま会社との縁を切りたいと思っています。

回答:
1.使用者から労働者に対する損害賠償請求は,常に認められるとは限りません。しかし,今回のケースでは,あなたが故意に職場放棄をしていますから,これによって生じた損害については,全額か否かはともかく,賠償義務を負う可能性が高いものと思われます。
2.退職については,現時点では,あなたからの退職の申し出があったとは認められず,あなたが辞職したことにはならないでしょう。したがって,今も無断欠勤状態が続いていると考えられ,このままでは懲戒解雇される可能性があります。これを避けるためには,正式に退職の手続を踏む必要があります。
3.労働者の注意義務に関し,当事務所事例集1141番971番926番852番865番692番参照。

解説:
1 (損害賠償請求について)
 (1) 民法上の原則
   契約関係にある当事者の一方が,契約上の義務またはそれに付随する義務に違反し,それにより相手方に損害を与えた場合には,相手方に対し,債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことになります(民法415条,416条)。

 (2) 労働者・使用者間における責任制限の法理
  ア 上記の民法上の原則に従うと,労働者も,使用者との間で労働契約(雇用契約)を締結している者ですから,この労働契約上の義務またはそれに付随する義務に違反し,これにより使用者に損害を与えた場合には,債務不履行となり使用者に対し,損害賠償責任を負うということになりそうです。例えば,労働者がうっかりお店の商品を落としてしまった場合には,この商品代金を弁償しなければならない,ということです。

  イ しかし,このような業務の性質上日常的に生じうるミスについてまで,資力に乏しい労働者が常に負担しなければならないとするのはいかにも不合理です。使用者は,労働者を自らの指揮命令下に置き,労働させることによって利益を得ているわけですから,業務の性質上日常的に生じうるミスであれば,使用者がこれを甘受すべきであると考えられます。
    他方で,労働者の重大なミスあるいはことさら使用者に損害を与えることを目的として行った行為による損害や,労働者が使用者の金銭を横領するなど,極めて悪質な行為を行っているような場合には,労働者の責任を制限するいわれはなく,使用者から労働者に対する損害賠償請求は認められてしかるべきであるといえるでしょう。
    このような結論は,雇用契約の性質からも導かれます。

    雇用(労働)契約とは,労働者が使用者の指揮に従って労務を提供し,使用者が労務の対価に対して報酬を支払う契約です(民法623条)。労働者は,使用者の業務上の指揮命令に従って働きますので,同じ労務の提供を行う委任(請負 民法632条,643条,請負も一定の裁量権がある。)と異なり,裁量権がなく契約の性質上,業務に関して,指揮・命令を受け常に従属的で服従する立場に立っています。また,請負と異なり一定の仕事の完成を目的としませんから,契約に拘束される期間も長期になる場合が多いといえます。労働契約は労働者の生活権に直結し,個人の尊厳保障(憲法13条),生存権(憲法25条)の基礎を成すものです。

    労働契約と類似する請負契約の特色は,売買等とは異なり労務の提供に特色がありますが,この労務が仕事の完成を目的としている点が重要です。これに対し労働契約は労務自体そのものを提供する点に特色があり,指揮命令に従う従属性も請負とは異なりますし,仕事の完成は契約内容ではありません。極端に言うと当たり前のことですが,労働者は労務を提供すればたり,結果に責任はありません。又,委任は,同じ労務の提供を内容としますが,労働契約と異なり従属性もありませんし,受任者に裁量権が認められていますので 高度な注意義務である善管注意義務(民法644条) が課せられており,請負と類似点がありますが仕事の完成は目的としていません。労務を提供し事務を誠実にを遂行すれば責任を果たしたことになります(例えば弁護士業務は委任契約ですがあくまで善管義務を持って誠実に訴訟行為を行うものであり訴訟で勝訴することを請け負うわけではありませんから,万が一敗訴しても弁護士に責任はありません。)。

    ちなみに請負も労務供給契約であるが,仕事の完成を目的とし,目的の範囲内で,委任と同じような裁量権が認められる特色を有することになります。 以上から,労働者は,委任,請負と異なり善管注意義務を負いません。善管注意義務とは,契約当事者の具体的な能力に無関係に認められる注意義務であり,契約当事者の職業業務,社会的地位に一般的に要求される高度な注意義務です。その根拠は,最終的に契約関係に入った当事者の公平に求めることができます。従って,無償寄託の注意義務(民法659条)は例外規定です。 注意義務の程度が低い自己の財産を保管すると同一の注意義務であり(民法659条),自分の能力はこの程度であるという事で責任を回避できることになります 。

   しかし,労働契約の労働者は,その従属性から自己の財産を保管すると同一の注意義務も負いません。故意又は,重過失についてのみ業務上の責任を負担することになります。重過失とは,過失の程度が甚だしい場合を言います。過失とは,結果発生の予見可能性があるのに行為者が結果を回避しなかった客観的行為義務違反をいいます。重過失には,善管注意義務違反(軽過失,抽象的過失)の程度が甚だしい場合と,自己の財産を保管すると同一の注意義務違反(具体的過失という)が甚だしい場合に理論上は分けられます。労働者の責任は,抽象的過失における重過失を意味します。この程度は,具体的過失よりも低いものです。なぜなら,過失の原則は抽象的過失が原則であり,労働契約の特殊性(指揮命令に従い労務を提供すれば良い。生存権の前提)から使用者と労働者を公平にする必要があるからです。

  ウ 裁判例も,使用者から労働者に対する損害賠償請求について,概ねこのような考え方に基づいて判断しています。具体的には,労働者の過失が軽過失にとどまる場合には,使用者の損害賠償請求を認めず,労働者に重過失が認められる場合にも,労使間における様々な事情を考慮して,その賠償額を制限するなどしています。
    ここで,使用者の損害賠償請求を棄却した裁判例と,労働者の賠償責任自体は認めたものの,その賠償額を制限した裁判例を紹介しておきます。

   ア) つばさ証券事件 東京高判平成14年5月23日
    証券会社の従業員が顧客に対して商品の説明を怠ったために,証券会社が顧客にたいして損害賠償をした事案で,証券会社が担当の従業員に対して会社が損害賠償したのは従業員の義務違反が原因であるとして損害賠償の負担を請求したという事実関係ですが,判決では従業員が顧客に商品の説明を行わなかったことは,顧客との関係では義務違反があり過失と認められるが,従業員と会社との関係では義務違反過失とは言えないとして,会社の請求を認めませんでした。
「…職員就業規則四九条は,労務者である職員が使用者である一審原告に対して負う雇傭契約上の労務提供義務等に故意又は重大な過失をもって違反した場合の損害賠償責任を規定するものと解される。

    ところで,一審原告は,顧客に対して,証券取引を勧誘し,開始するに当たって,取引対象となる証券取引の内容,商品特性等について説明すべき信義則上の義務を負い,さらに,勧誘・取引開始時の説明義務の延長として,取引開始後においても取引を継続するに当たって,従前の説明で十分でない場合には,状況に応じて一審原告主張のとおり補足説明義務を負うと解され,一審原告がこれに違反して顧客に損害を被らせた場合には,損害賠償責任を負うところ,一審原告の職員である一審被告においても,一審原告の履行補助者として,顧客に対して,同様の義務を負うものであり,一審被告がこれに違反して顧客に損害を負わせた場合には,一審原告が顧客に対して損害賠償責任を負うのであるから,職員である一審被告は,一審原告に損害賠償責任を負担させることのないように,顧客に対する上記義務を履行すべきことを,一審原告に対する雇用契約上の労務提供義務として負っていると解される。そして,一審原告が顧客に損害賠償した場合において,一審被告に上記義務違反があり,この点に重大な過失がある場合には,職員就業規則四九条に基づいて,一審被告は,一審原告に対して,損害賠償責任を負うものである。
    そこで,以上の事実認定に基づき,以下に,一審被告の上記義務違反及び重過失の有無について判断する。
     (略)

    以上のとおりで,一審被告に,説明義務違反及び補足説明義務違反はあるものの,これらの義務違反に係る一審原告との雇用契約上の義務違反について重大な過失があったものとまでいうことはできないから,一審原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。」

   イ) 大熊鉄工所事件 名古屋地判昭和62年7月27日
    機械製造工場で働く従業員が,7分程度居眠りをしてしまったため損害が生じたという事案について,軽過失とは言えないとして従業員の損害賠償責任が認められましたが,責任の範囲については損害の4分の1に軽減しています。
    「…一般に,高度に技術化され,急速度で技術革新の進展する現代社会において,原告のように新鋭かつ巨大な設備を擁し,高価な製品の製造販売をする企業で働く労働者は,些細な不注意によって,重大な結果を発生させる危険に絶えずさらされており,また,本件事故当時の原告会社を含む機械製造等を目的とする大企業における雇用形態は,概ね終身雇用を基本としていて,使用者と労働者は右のような終身雇用制を前提として労働契約を締結するのが普通であるといわれ,かような長期にわたる継続関係においては,労働者が,労働提供の意思を欠き,作業を放棄してしまったというような場合は格別,労働提供の意思を持って,作業に従事中の些細な過失によって,使用者に損害を与えた場合について,使用者は,懲戒処分のほかに,その都度損害賠償による責任を追及するまでの意思はなく,むしろ,こうした労働者の労働過程上の落度については長期的視点から成績の評価の対象とすることによって労働者の自覚を促し,それによって同種事案の再発を防止していこうと考えているのが通常のこととされている。

   そして,《証拠略》によれば,原告と被告の雇用関係も,右に述べたような終身雇用を前提とする養成工としての入社に始まり,次第に専門的技術者として累進して来たものであることに加えて,原告において,これまで従業員が事故を発生させた場合,懲戒処分については,原告の就業規則にも所定の規定があり,これに従って処分された事例がある(但し物損事故のみの場合はない)のに対し,損害賠償請求については,何ら触れられるところがないばかりか,過失に基づく事故について損害賠償請求をし,あるいは求償権を行使した事例もないこと,更には原告の従業員の労働過程上の過失に基づく事故に対するこれまでの対処の仕方と実態,被告の原告会社内における地位,収入,損害賠償に対する労働者としての被告の負担能力等後記認定の諸事情をも総合考慮すると,原告は被告の労働過程上の(軽)過失に基づく事故については労働関係における公平の原則に照らして,損害賠償請求権を行使できないものと解するのが相当である。もっとも,労働過程上の過失に基づく損害賠償について右のように解しても,被告の本件作業中における居眠りを軽微な過失と言うことはできないところである。即ち,プレナー作業においては,作業者の不注意やミスが重大な結果をもたらす危険のあることは被告も争わないところであるから,そのような作業中に居眠りをすること自体基本的な注意義務を欠くものであるうえ,これ迄に認定してきたように,原告の深夜勤務制度は居眠りが不可避という過酷な勤務条件ではなく,現に居眠り事故が頻発しているわけではないこと,被告はわざわざプレナーの右へまわって椅子を持出してこれに掛け,自ら居眠りに陥り易い状況をつくり出し,その居眠り時間も少なく見積っても七分を下まわらないことに照らせば,むしろ重大な過失というほかないものである。
     (略)

   最後に,被告の賠償すべき具体的金額について判断する。
  (一)ところで,一般に,裁判所は損害賠償請求事件において,その賠償額を定めるに当たっては当該事件に現れた一切の事情を斟酌すべきものと解されていることからして,特に本件事故のような労働過程上の過失もしくは不注意によって生じた事故については,雇用関係における信義則及び公平の見地から,前記五記載の諸事情について更に検討斟酌してその額を具体的に定めるのが相当である。
  (二)以上の見地から,原告と被告の経済力,賠償の負担能力についてみてみると,その較差の状況は被告の主張六2記載のとおりであること,被告が機械保険に加入するなどの損害軽減措置を講じていないことは原告も争っていないところ,《証拠略》によれば機械製造を目的とする企業においてその使用に係るプレナーに保険を付している企業は皆無に近いことが認められるものの,一方,《証拠略》によれば,我が国でも遅くとも昭和三一年以降機械保険がもうけられ,これに加入していれば従業員の過失により機械の受けた損害についてもこれを填補できたことが認められること,これに本件事故が重大とはいえ深夜勤務中の事故であって前記五1(一)記載のとおり被告に同情すべき点のあることや同6記載の原告会社における物損事故に対する取扱の状況及び同8(二)(三)記載のとおりの処分をうけていることなど本件に現れた一切の事情を斟酌すれば,被告が賠償すべき金額としては前記三三三万六〇〇〇円の四分の一に相当する八三万四〇〇〇円(千円未満切り捨て)及び弁護士費用として一〇万円と各定めるのが相当である。」

 (3) 今回のケース
   それでは,今回のケースで,あなたの責任は制限されるでしょうか。
  ア 今回,あなたは故意に職場を放棄したものであり,不注意で会社に損害を与えたケースとは異なります。もちろん,横領・背任等の行為と比べると,その悪質性は低いでしょうが,あなたの無断欠勤により会社に損害が生じたのであれば,損害賠償責任自体を免れることは難しいでしょう。
  イ もっとも,あなたの無断欠勤によって会社に損害が生じたか,生じたとしてその額はいくらか,という点については,あなたの欠勤と損害との間の因果関係を含めて大いに争う余地があるように思います。また,あなたが職場放棄に至る経緯の中に,会社があなたに違法な時間外労働を強要していた等の事情がある場合には,労使間の公平の見地から,賠償額が制限されることもあり得るでしょう。

2.(退職について)
  あなたは正社員ということですから,あなたと会社の間で締結されている労働契約には,期間の定めがないものと考えられます。期間の定めのない労働契約の場合,労働者は,いつでも契約の解約申入れをすることができ,申入れから2週間の経過をもって,契約は当然に終了します(民法627条)。
  そこで,今回のケースで,あなたと会社との間の契約が民法627条によって終了すると言えるためには,あなたから解約の申し入れという意思表示があったか否かが問題となります。

(1) 解約の意思表示については,通常は退職届出や辞表の提出として書面で行われますが理屈としては,必ずしも書面でする必要はなく口頭でもかまいませんし,黙示的にであれ表示されていれば有効です。しかし,単に職場を放棄したことをもって,黙示的に解約の意思表示がなされているといえるかどうかは微妙なところです。職場放棄の前後におけるあなたの言動やその他の状況に照らして,黙示の意思表示があったといえる可能性もあるでしょうが,黙示的にも表示されていないとされる可能性も十分にあります。このように,解約の申し入れがあったかいなか不明となると争いの原因となるので書面で行うべきでしょう。

(2) 黙示的にも解約の意思表示がなされていないとすると,あなたと会社の間における労働契約は存続し続けます。その場合問題となるのは,あなたは会社を無断欠勤し続けていることになりますから,就業規則の定めによっては,懲戒解雇処分を受ける可能性があります。多くの会社では,無断欠勤状態が続いた場合には,懲戒事由となることを就業規則に定めているものと思われます。あなたが懲戒解雇されれば,会社との間の労働契約はとりあえず終了することになりますが,退職金が支払われないという不利益がありますし,懲戒解雇されたという事実は,あなたの今後にも大きく影響しますし,例えば,今後,再就職先の面接等で,今回あなたが懲戒解雇されたことが明らかになれば,その会社があなたを雇うことを躊躇する要因になるでしょう。

3.まとめ
  このように,このまま放っておいても事態は解決しませんし,損害賠償請求をされ,さらには懲戒解雇される危険もあります。お近くの弁護士にご相談の上,正式な退職手続をとり,自主退職の扱いとしてもらうとともに,損害賠償についてもなるべく少額で済むよう会社と交渉してもらうと良いでしょう。

<参考条文>

(債務不履行による損害賠償)
第四百十五条  債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも,同様とする。
(損害賠償の範囲)
第四百十六条  債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。
2  特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見し,又は予見することができたときは,債権者は,その賠償を請求することができる。
(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)
第六百二十七条  当事者が雇用の期間を定めなかったときは,各当事者は,いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において,雇用は,解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。
2  期間によって報酬を定めた場合には,解約の申入れは,次期以後についてすることができる。ただし,その解約の申入れは,当期の前半にしなければならない。
3  六箇月以上の期間によって報酬を定めた場合には,前項の解約の申入れは,三箇月前にしなければならない。

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