新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1265、2012/5/9 16:33 https://www.shinginza.com/qa-souzoku.htm

【相続・実際に手渡された遺言書が無効でもその遺言書の手渡し、受領を死因贈与の申込み、承諾として取扱うことができるか・横浜地裁平成17年10月3日判決】

質問:この度母が亡くなり、遺産分割を行うことになりました。父は既に亡くなっており、法定相続人は私と弟の2人です。母は亡くなる直前に遺言書を作成しており、私が母から直接遺言書を預かっていました。この時は、母が、母と長年同居し、介護もしていた私に対して、その恩義を遺言書の内容に表してくれたものと理解し、了解しましたが、遺言の具体的な内容までは聞かされていませんでした。先日、家庭裁判所で遺言書の検認手続を行い、その場で預かっていた遺言書を開封しましたが、内容は思っていたとおり、遺産全てを私に相続させるというものでした。ところが、遺言書には母の押印がありません。弟は、この遺言は無効だから遺産の半分は自分のものだと主張しています。何とか母の意思を実現させてあげることはできないでしょうか。

回答:
1.自筆証書遺言は高度な要式行為であり、遺言者の押印が欠ける遺言書は無効と言わざるを得ないでしょう。
2.もっとも、裁判例の中には自筆証書遺言が無効であることを前提に死因贈与の成立を認定することで遺言者の意思の実現を図ったものがあります。ただし、死因贈与は単独行為である遺言とは異なり、契約である以上、@お母様のあなたに対する死因贈与の申込みの意思表示及びAあなたのお母様に対する死因贈与の承諾の意思表示があったと評価し得るだけの事情の有無、それらを立証し得るだけの資料の有無が大きなポイントとなるでしょう。
3.本件と、類似判例である横浜地裁平成17年10月3日判決では、単独行為である遺言(1000万円の遺贈)が形式的理由で無効としても死因贈与契約として救済する必要性を感じる特別な事情が背景にあったと思われます。受贈者は、贈与の時点で30年以上も被相続人方において住み込みの家事使用人として働き、その後も10年間住み込み働き被相続人の生活に貢献したという特殊事情です。そのような背景から遺言の目的である被相続人の最終意思の尊重を法解釈により行い受贈者を救済した公正、妥当な判決となっています。以上から形式的理由により遺言が無効でも死因贈与契約として認定されるかどうかは慎重な検討が必要です。
4.関連として事務所事例集論文674番参照。

解説:
1.(遺言の有効性)
 遺言の方式については民法上いくつか種類が規定されていますが(民法967条)、今回問題となっているお母様の遺言書は、遺言の方式としては最も簡単かつ一般的な自筆証書遺言です。自筆証書遺言とは、遺言者がその「全文、日付及び氏名を自署し、これに印を押す」ことによってその方式を備える遺言のことであり(民法968条1項)、これらの要件のいずれか1つでも欠くと、遺言としては無効となります(各要件の詳細については当事務所ホームページ事例集674番をご参照下さい。)。あなたの場合、遺言書にお母様の押印がないとのことですが、押印は遺言者の自署した真正な文書(遺言者自身の意思に基づいて作成された文書)であることを担保するための不可欠な要件であるとされており、押印が欠ける以上、遺言書の有効性を主張することは難しいと言わざるを得ないでしょう。
 したがって、あなたの場合、遺言書が無効であることを前提に、それでもなお遺産全てをあなたが取得できるようにするための法律構成を検討する必要があります。

2.(死因贈与の検討)
(1)無効な遺言の内容を実現させるための法律構成としては死因贈与が考えられます。死因贈与とは、贈与者の死亡によって効力を生じる贈与契約のことです(民法549条)。本人の死亡を効力発生要件として財産を無償で相手に承継させる効果を有する点で遺言による遺贈と類似しますが、単独行為である遺言とは異なり、契約である以上、その成立には複数の相対立する当事者が互いに意思を表示し合い、それらの意思表示が合致すること(贈与者の申込みの意思と受贈者の承諾の意思の合致)が必要です。贈与者の申し込みの意思表示があったと認められためには、生前に意思表示がなされる必要があります。すなわち、あなたの場合死因贈与を主張するためには、お母様があなたに遺言書を手渡しした時点で、@お母様があなたに対して死因贈与を行う意思があり、Aあなたがお母様に対し、その贈与を受ける意思を表示したことがそれぞれ必要となると考えられます。これらをいずれも満たす場合、あなたはお母様の死亡によってお母様の遺産を無償で取得したことになり、遺言書の内容通りの結果を実現することができることになります(もっとも、全財産をあなたに贈与する内容の死因贈与は弟さんの遺留分を侵害するため、遺留分減殺請求(民法1031条、554条)される可能性はあります。)。

(2)上記@お母様があなたに対して死因贈与を行う意思を有していたかどうかについては、お母様があくまで「遺言」書の交付を行っていることから、仮に遺言が無効であったとしても、遺言書の内容のとおり、自己の死亡時にその財産をあなたに無償で取得させようとする死因贈与の意思があった、という意思解釈が可能かどうかということが問題となります。
 この点、類似の事案において、横浜地裁平成17年10月3日判決は、遺贈の内容の遺言が無効であることを前提に「遺贈と死因贈与は,単独行為か契約かの差異はあるが,ともに,遺言者ないし贈与者の死亡を効力発生要件とした死後の財産処分に関するものであることからすれば,遺贈の意思と死因贈与契約締結の意思は排斥しあうものではないと考えられる。」とした上で、表書きに「遺言」と記載した封筒に遺言書を入れた後、これをわざわざ直接手渡ししていることや遺言書の保管を依頼する内容の会話がなされていることなどから、被相続人が原告との間で「死因贈与契約を締結する意思を有しており,本件封筒1を原告に交付した際に,同契約の締結を原告に対し申し込んだものと認めることができる。」として、死因贈与の申込みの意思表示を認定しました。

(3)また、本判決は上記Aあなたのお母様に対する贈与の承諾の意思表示の点に関しても、「本件遺言書を受け取ったときの原告の意思としては,要するに,Aが本件遺言書に記載したところにそのまま従って贈与を受ける意思であり,すなわち,本件遺言書に記載された金額の金員を同遺言書に記載された条件,期限の下に贈与を受けるという意思なのであって,原告はその意思をAに対して表示したものと認められるのである。」として、遺言書の具体的内容を把握していなかった原告の死因贈与の承諾の意思表示を認定し、結果、死因贈与を主張した原告を勝訴させています。

(4)本判決はあくまで1つの事例判断を示したものに過ぎませんが、遺言者の遺言書に関する法的知識が不十分であること等に起因して、方式を欠く自筆証書遺言によって無用のトラブルが生じることが少なくない中、遺言による遺贈の意思と死因贈与の意思が併存しうると判断することで妥当な解決を導いた点で、注目に値するものと思われます。自筆証書遺言が無効である場合に死因贈与を認定することで遺言者の意思の実現を図るという手法は裁判例上もよく行われており(広島地判平成13年11月5日、広島家審昭和62年3月28日、東京地判昭和56年8月3日等)、本件においても死因贈与の主張の可否を検討する余地は十分あるように思います。もっとも、死因贈与は契約である以上、上記@の申込みの意思表示及び上記Aの承諾の意思表示があったと評価しうる事情があるかどうかが最大のポイントとなります。@Aについては、受遺者が遺言書を渡されて、これを保管していたことが少なくとも必要でしょう。
 また、仮に死因贈与の主張が困難であったとしても、遺産分割協議において遺言書に表れたお母様の意思を尊重してほしい、といった交渉の仕方も考えられるでしょう。
 したがって、遺言が無効だからといってすぐ諦めず、一度弁護士に相談して遺言書作成の経緯を中心とした具体的事情を聞いてもらい、死因贈与構成の可否や今後の対応等につきアドバイスを受けることをお勧めいたします。

3.(本件の見通し)
 死因贈与の成立が認められる場合、あなたはお母様の死亡時にその財産を承継することになりますが、かかる結果は弟さんの遺留分を侵害するものであるため、遺留分減殺請求をされる可能性があります(民法1031条、554条)。その場合、弟さんの遺留分である1/4(民法1028条2号、900条1号・4号)が弟さんの固有財産に組み入れられることになる結果、お母様の残した財産につきあなたが3/4、弟さんが1/4の持分割合により共有する関係が生じることとなり、この関係を解消するには共有物分割の手続きを経る必要があることになります(民法256条1項本文、258条 死因贈与により相続財産の全部をあなたが取得するため、遺産分割の手続きは必要ないことになります。裁判所の手続きとしては、他の相続人に対して財産の引き渡し等を請求し、それに対して抗弁として遺留分の主張が行われることになります)。
 もっとも、その場合でも遺産の半分の権利を主張する弟さんとしては死因贈与の不成立を主張してくる可能性がありますし、遺言の無効と死因贈与の不成立を前提として遺産分割協議の申し入れ(民法907条1項)や遺産分割調停の申立(民法907条2項、家事審判法9条1項乙類10号)をしてくることも考えられます(その場合、話し合いができない場合は、遺産の範囲が決まらないことになり調停を続けることはできません。まず死因贈与が有効か否か、地方裁判所で訴訟により結論を出す必要があります)。いずれにしても、弟さんや場合によっては裁判所に対して死因贈与の成立を説得できるだけの資料の収集や具体的事情に即した法的主張の整理等の事前準備が不可欠といえるでしょう。
 一度、お近くの弁護士にご相談下さい。

≪参照条文≫

民法
(共有物の分割請求)
第二百五十六条  各共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができる。ただし、五年を超えない期間内は分割をしない旨の契約をすることを妨げない。
(裁判による共有物の分割)
第二百五十八条  共有物の分割について共有者間に協議が調わないときは、その分割を裁判所に請求することができる。
2  前項の場合において、共有物の現物を分割することができないとき、又は分割によってその価格を著しく減少させるおそれがあるときは、裁判所は、その競売を命ずることができる。
(贈与)
第五百四十九条  贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生ずる。
(死因贈与)
第五百五十四条  贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定を準用する。
(共同相続の効力)
第八百九十八条  相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する。
第八百九十九条  各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する。
(法定相続分)
第九百条  同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。
一  子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各二分の一とする。
二  配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、三分の二とし、直系尊属の相続分は、三分の一とする。
三  配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、四分の三とし、兄弟姉妹の相続分は、四分の一とする。
四  子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする。
(遺産の分割の協議又は審判等)
第九百七条  共同相続人は、次条の規定により被相続人が遺言で禁じた場合を除き、いつでも、その協議で、遺産の分割をすることができる。
2  遺産の分割について、共同相続人間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、各共同相続人は、その分割を家庭裁判所に請求することができる。
(普通の方式による遺言の種類)
第九百六十七条  遺言は、自筆証書、公正証書又は秘密証書によってしなければならない。ただし、特別の方式によることを許す場合は、この限りでない。
(自筆証書遺言)
第九百六十八条  自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。
2  自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条  兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一  直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二  前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺贈又は贈与の減殺請求)
第千三十一条  遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。

家事審判法
第九条  家庭裁判所は、次に掲げる事項について審判を行う。
乙類
十 民法第九百七条第二項及び第三項の規定による遺産の分割に関する処分

≪参照判例≫

横浜地裁平成17年10月3日判決(抜粋)
『2 争点(1)(Aと原告の間に死因贈与契約が成立したか)について
(1)上記1に認定の事実に鑑みると,Aと原告の間において,昭和62年12月ころ,Aの死亡を期限(不確定期限)として,原告に対し1000万円を贈与する旨の契約(死因贈与契約)が成立し,ただ,その契約においては,原告とAの間の雇用契約が終了することもまた期限(不確定期限)とされていたものと認められる(以下,かかるAと原告の間の契約を「本件死因贈与契約」という。)。
(2)この点,被告らは,上記死因贈与契約の成立を否定し,本件においては,贈与者と受贈者の意思の合致がないと主張する。
 確かに,本件遺言書は「遺言書」と題されたものであって,その内容に照らしても,Aは原告に対して遺贈をなそうとする意思を有していたと認められるし,また,乙1によれば,原告は,前記検認手続の期日において,本件遺言書につき,「遺言書ということで預かりましたが,内容についての説明は受けていませんでした。」と述べたことが認められ,さらに,原告が,上記検認手続の期日に至るまで本件遺言書の内容を読んだことがなく,また,Aからも本件遺言書の具体的内容を知らされていなかったことは,前記1に認定のとおりである。
(3)しかし,遺贈と死因贈与は,単独行為か契約かの差異はあるが,ともに,遺言者ないし贈与者の死亡を効力発生要件とした死後の財産処分に関するものであることからすれば,遺贈の意思と死因贈与契約締結の意思は排斥しあうものではないと考えられる。そして,本件においては,Aは,表書きに「遺言」と記載した本件封筒1に本件遺言書を入れた後,これを自ら保管しあるいは第三者に保管させるのではなくして,わざわざ原告に対して直接手交していることに加え,その際にAと原告との間で上記1(3)認定の内容の会話がなされていることをも考慮するならば,Aは,原告との間で本件死因贈与契約を締結する意思を有しており,本件封筒1を原告に交付した際に,同契約の締結を原告に対し申し込んだものと認めることができる。
(4)また,原告が,検認手続の期日において上記(2)のとおり述べている点については,原告がAから本件遺言書の具体的内容(支給される金員の額が1000万円と記載されていることなど)についての説明を受けたことはなかった旨を述べたものと解されるのであり,原告においてAから死因贈与を受けるという認識自体がなかったことまでを示すものとは解することができない。
(5)そして,原告は,前記検認手続の期日まで本件遺言書の内容を読んでおらず,Aからも本件遺言書の具体的内容は知らされていなかったものではあるが,原告がAから本件封筒1を受領した際は,原告がA方において住み込みの家事使用人として稼働するようになってから約30年間が経過した時点であったこと,当時のAの年齢は74歳であったこと,Aの相続人でない原告が,Aと二人だけの場で,「遺言」と記載された同封筒を直接手交されていること,原告とAとの間で前記1(3)認定の内容の会話があったことを総合考慮すれば,その際,原告が,Aの死亡時において同人の遺産から金員の交付を受けられるものと考えたというのは合理的で自然なことというべきであり,その旨の原告の供述は措信できる。
 ただ,原告は,その際,原告に贈与される金員の額が1000万円であることやAと原告の間の雇用契約の終了が期限とされていることまでは認識していない。しかしながら,かかる金額や期限については,Aによって本件遺言書に記載されていたところであって,甲10及び原告本人尋問の結果によれば,本件遺言書を受け取ったときの原告の意思としては,要するに,Aが本件遺言書に記載したところにそのまま従って贈与を受ける意思であり,すなわち,本件遺言書に記載された金額の金員を同遺言書に記載された条件,期限の下に贈与を受けるという意思なのであって,原告はその意思をAに対して表示したものと認められるのである。
 そうすると,原告において,贈与される金員の額が1000万円であることやAと原告の間の雇用契約の終了が期限とされていることまでは具体的に認識していないとしても,本件死因贈与契約が,Aが本件遺言書に記載したところに従い,前記(1)認定のとおりの内容で成立したものと解することに妨げはないというべきである。
(6)ところで,被告らは,原告が前記のとおり遺言書検認の手続を申し立てたことは,死因贈与契約が存在しないことを示すものであると主張する。
 しかし,前記1認定の経緯からして,原告が本件封筒2の検認手続を申し立てるのは自然なことであり,このことによって上記(1)の認定が左右されるものではない。
(7)なお,被告らは,原告の家事使用人としての稼働能力が低かった旨及び原告の素行が不良であった旨をるる主張するのであるが,しかし,その一方で,被告らは,Aが原告のことを不憫に思っていた旨や,Aが原告に温情をかけていた旨をも主張しているのであり,さらに,被告Y1が,その本人尋問において,Aが原告をかわいがっていた事実を認めていること,また,本件遺言書はA自身が作成したものであることをも考慮するならば,仮に被告の上記主張事実があったとしても,本件死因贈与契約の成立につき疑いを差し挟ませるような事実とはいえないのであって,原告の稼働能力や素行に関する被告らの上記主張は,上記(1)の認定を左右するものではない。
(8)他に上記(1)の認定を左右するに足りる証拠はない。』

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