新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1300、2012/7/6 13:13

【民事・社員退職後の競業避止義務違反・最高裁平成22年3月25日第一小法廷判決・東京地方裁判所平成7年10月16日決定】

質問:昨年、勤めていた工場を退職し、貯めていたお金で自分でも工場を始めました。元の工場とは同じ分野の製造業であり、いくつかの取引先が共通しています。先日、いきなり元の工場の経営者から、競業避止義務違反で訴えると言われました。元の工場での雇用条件には、退職後に同業を営んではいけないという特約はありませんでした。それでも訴えられてしまうことがありますか。

回答:
1.悪質なやり方で顧客を奪った場合、特約がなくても不法行為となり、損害賠償を請求されることがあります。
2.関連事務所事例集論文978番574番参照。

解説:
1(競業避止義務とは、問題点の指摘)
 労働者が、使用者の事業と同種で競争関係に立つような事業を営んではならない義務を競業避止義務といいます。競業避止義務に違反すると、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任を負い、場合によっては差止請求の対象ともなります。
 労働契約継続中は、特に合意していなくても、信義則上、競業避止義務があると考えられています。これに対し、労働契約終了後は、労働者にも職業選択の自由(憲法第22条1項)があるので、どのような場合に競業避止義務を負うのかが問題となります。

2 (競業避止義務特約がある場合 問題点)
 (1)まず、就業規則等で、退職後の競業避止義務を規定している場合があります。退職の際に誓約書のような形で書面とすることもあるでしょう。このように明示的な特約が存在すれば、競業避止義務が当然に認められるようにも思われますが、上記のように職業選択の自由という憲法上保障された人権を制約する面があるので、競業避止義務を定めた就業規則、特約の効力が問題となります。
 すなわち、就業規則、雇用契約書、退職時の誓約書など、に特約が規定されている場合に、競業避止義務を負うことになります。競業避止義務とは、会社と競業関係にある会社に就職したり、自ら競業関係となる事業をおこなったりしない、という義務をいいますが、例えば、退職した社員が同じ業種の会社に転職をする場合には、退職社員による機密やノウハウの漏洩、顧客基盤を使われたりする、といったことが生じ得ます。
 このようなことから、退職社員に競業避止義務を課してこのような行為を制限することは、企業防衛という観点からは当然のことともいえます。憲法が私有財産制(憲法29条)、営業の自由(憲法22条1項)を認めている以上、会社の財産、利益を勤務していた従業員でも不当に侵害することは許されません。
 一方で、退職社員本人にとっては、今まで苦労して身に付けた知識や経験、人脈を退職後にも活用したいと考えるでしょうし、今までとは全く違う業界で働くことを選ばなくてはいけない、というのでは、職業選択の自由、生活権が侵害されてしまいます。社員は、経済力がある経営者と異なり、生活のため自らの労働力を切り売りして生活していかなければならない立場にあり、法の理想である実質的平等を確保し、公正な社会秩序を維持するため労働契約により取得した知識、経験、技術の活用は生活の保障のため広く認める必要があります。
 判例は以下のように原則論を説明しています(金沢地裁昭和43年3月27日判決判旨抜粋)。「競業避止義務についてであるが、一般に労働者が雇傭関係継続中、右義務を負担していることは当然であるが、その間に習得した業務上の知識、経験、技術は労働者の人格的財産の一部をなすもので、これを退職後に各人がどのように生かし利用していくかは各人の自由に属し、特約もなしにこの自由を拘束することはできないと解するのが相当である。」
 
 その他、判例(東京地方裁判所平成7年10月16日決定)は、「一般に、このような競業避止義務を定める特約は、競業行為による使用者の損害の発生防止を目的とするものであるが、それが自由な意思に基づいてされた合意である限り、そのような目的のために競業避止義務を定める特約をすること自体を不合理であるということはできない。しかし、労働契約終了後は、職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であるところ、労働者は、使用者が定める契約内容に従って付従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり、使用者の中にはそのような立場上の差を利用し専ら自己の利のみを図って競業避止義務を定める特約を約定させる者がないとはいえないから、労働契約終了後の競業避止義務を定める特約が公序良俗に反して無効となる可能性を否定することはできない」と述べて、特約の有効性を厳しく審査する立場をとっています。
 つまり、特約があっても無効となり、退職後の競業行為が許される場合がむしろ原則と考えても良いでしょう。

 (2)(一般的判断基準)よって、退職後の競業避止義務は、会社と従業員本人との間で利害関係の調整が必要となりますが、法の理想から見て合理的な範囲での特約があって初めて認められるものと解釈されています。たとえ、就業規則などの特約で競業避止義務を定めていた場合についても、その適用の可否は具体的事情によって異なり、一義的な基準を申し上げることは困難です。抽象的基準を挙げれば、基本的に労働者の退職後の就職は自由であり、これを制限する取り決めは認められません。例外的に会社に対して利益侵害、背信性が認められる特別の事情がある場合には、競業避止義務の取り決めは有効と考えるべきです。利益侵害、背信性の判断は、@従業員、社員の職種、地位、A競業避止の期間、B競業避止を認める地域、C退職後の競業避止を認めた条件として代償処置がとられているかどうか、D競業禁止行為の具体的内容。以上の基準を総合的に考慮して決めることになるでしょう。
 従って、同業他社への就職または独立開業を検討されている場合は、それが会社に対する顕著な背信行為になっていないかを前もって慎重に吟味する必要はあります。背信性は重要な要素になります。例えば、同僚の引き抜き、顧客の引き抜きなどをおこなっていないかどうか、在職中に関わった企業秘密の内容や程度が会社の財産を構成する高度なものではなかったか、その秘密に携わっていた期間の長さ、競業があまりにも隣接していないか、秘密に携わることにより、特別な報酬を得ていなかったかどうかなどを確認、検討する必要があります。

(3)特約が有効となる場合の要件としては、判例上次の点が問題となります。

@まず、競業避止義務の期間が限定されていること。期間の定めがないものや長期間にわたる期間の定め(2年を超える定め)のある特約は全部が無効とされます。(大阪地裁平成3年10月15日判決参照)
A地域的な制限が明確に規定されていること。必要最小限の地域的な定めが必要になります。(東京地裁平成14年8月30日判決)
B競業の範囲が業種、職種により明示され限定されていること。
C競業避止義務を負うことに対しての対価が支払われていたこと。職業選択の自由を奪うことになりますから、その点の保障が必要になります(東京地裁平成14年8月30日判決参照。)。
D競業の禁止の必要性、相当性という点から勤務中の担当していた業務が会社にとって重要、秘密性が高いものであること。(東京地裁平成17年2月23日判決参照)

3(競業避止義務特約がない場合)
 一方、特約がない場合には、通常は退職後は、職業選択の自由が重視され協業避止義務は負わないと考えられます。しかし、退職後の競業行為が元雇用者の権利を不当に侵害すると判断される場合は、民法上の不法行為が成立し、損害賠償責任が発生する余地があります。これは、競業避止義務違反ということではなく、不正な競争行為により他人に損害を与える違法な行為として損害賠償責任が発生するということです。
 判例は、「元従業員等の競業行為が、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で元雇用者の顧客を奪取したとみられるような場合には、その行為は元雇用者に対する不法行為に当たるというべきである。」と述べています(最高裁平成22年3月25日第一小法廷判決)。

 つまり、資本主義社会における自由競争の範囲を逸脱し、元雇用者に損害を与えるような悪質なケースでは、特約がなくても不法行為が成立し、退職後の競業行為が許されなくなるのです。具体的にどのようなケースが不法行為を構成するのかについては、判例の集積が十分とはいえませんが、上記最高裁判例を参考にすれば次のように考えられます。

@元従業員であったことにより初めて知りうる元使用者の営業秘密にかかる情報を用いたり、元使用者の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行った場合、不法行為となる。
A退職直後から元使用者の取引先と取引を始めたこと、元使用者の自由な取引が競業行為によって阻害されたこと、退職によって元使用者の営業が弱体化した状況をことさら利用したことは、不法行為を成立させやすい事情となる。
B元使用者に競業行為を行うことを告げる義務はないので、積極的に告げなかったとしても許される。
C元使用者の営業担当者であったことに基づく人的関係を利用することは、許される。
 具体的な事例について、不法行為となるかどうかの見通しを立てることは、現状では簡単とはいいがたいので、不安があればお知り合いの弁護士に法律相談をご利用になることをお勧めします。

《参考判例》

(上記最高裁判例) 最高裁平成22年3月25日第一小法廷判決
「・・・前記事実関係等によれは、上告人Y1は、退職のあいさつの際などに本件取引先 の一部に対して独立後の受注希望を伝える程度のことはしているものの、本件取引先の営業担当であったことに基づく人的関係等を利用することを超えて、被上告人 の営業秘密に係る情報を用いたり、被上告人の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行ったことは認められない。また、本件取引先のうち3社との取引は退職から5か月ほど経過した後に始まったものであるし、退職直後から取引 が始まったAについては、前記のとおり被上告人が営業に消極的な面もあったもの であり、被上告人と本件取引先との自由な取引が本件競業行為によって阻害された という事情はうかがわれず、上告人らにおいて、上告人Y1らの退職直後に被上告 人の営業が弱体化した状況を殊更利用したともいい難い。さらに、代表取締役就任 等の登記手続の時期が遅くなったことをもって、隠ぺい工作ということは困難であ るばかりでなく、退職者は競業行為を行うことについて元の勤務先に開示する義務を当然に負うものではないから、上告人Y1らが本件競業行為を被上告人側に告げ なかったからといって、本件競業行為を違法と評価すべき事由ということはできな い。上告人らが、他に不正な手段を講じたとまで評価し得るような事情があるとも うかがわれない。
以上の諸事情を総合すれば、本件競業行為は、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできず、被上告人に対する不法行為に当たらないというべきである。なお、前記事実関係等の下では、上告人らに信義則上の競業避止義
務違反があるともいえない。」

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