覚醒剤の尿検査のみで起訴することができるか
刑事|覚せい剤取締法違反|最高裁第一小法廷昭和56年4月25日決定|高松高裁平成8年10月8日判決
目次
質問:
息子が覚せい剤を使用したとの疑いで逮捕されてしまいました。しかし,息子は身に覚えがないと言っています。尿検査の結果から,覚せい剤が検出されたようですが,何かの間違いということはないのでしょうか。また覚せい剤は所持していなかったのですが,本人が否認している場合,何時,どこで覚せい剤を使用したのか証明できないと思うのですが,そのような場合も尿検査の結果だけで起訴されるのでしょうか。
回答:
1.尿鑑定はかなり正確性の高い手法で行われており,鑑定結果自体が間違っている可能性は低いと思います。そして,鑑定で覚せい剤反応がある場合,特段の事情のない限り,自ら覚せい剤を使用したと推認されます。「身に覚えがない」という反論だけでは,起訴され有罪を免れません。
2.裁判例では,覚せい剤を使用した日時や場所について厳密に特定できなくても有罪とすることができるとされています。息子さんに事情をよく確認し,本当に身に覚えがないということであれば,他に体内に入ってしまったような状況がなかったか事実関係の確認と,そのような事情が明らかになる具体的状況,証拠を探し,反論,立証する必要があります。弁護人との綿密な協議が不可欠です。
3.事務所事例集論文687番参照。
4.覚せい剤に関する関連事例集参照。
解説:
1.(尿検査の方式)
覚せい剤使用の罪が立件される場合,必ず警察段階で尿検査が行われています。尿はまず任意提出が求められ,応じない場合には裁判官の令状を得て強制採尿が行われることもあります(刑事訴訟法218条の捜索,差し押さえ令状で行われます。但し,本令状の性質上一定の要件が必要であり限定的に解釈されています。)。警察署によっては,簡易検査キットを用いて,採尿した尿をその場で検査します。簡易検査で陽性が出れば,都道府県の科学捜査研究所に尿資料を送付し,本鑑定が実施されます。
鑑定手法は定型化されており,薄層クロマトグラフィーとガスクロマトグラフィー質量分析法という手法を組み合わせて行われています。この結果が陽性であれば,尿に覚せい剤成分が明らかに含まれているといえます。
2.(尿検査の結果のみで起訴状の訴因は特定できるか。)
もっとも,尿に覚せい剤が含まれていることは,覚せい剤使用の結果にすぎず,覚せい剤使用の事実(何時,何処で覚せい剤であることを承知の上で使用したこと。)そのものが立証されているわけではありません。覚せい剤使用の罪の裁判では,あくまでも覚せい剤使用の事実が具体的に認められなければなりません。たとえば,「被告人は,何月何日何時頃,自宅において,覚せい剤水溶液何ミリリットルを左腕に注射し,もって覚せい剤を使用した」などと認定できることが原則として必要なのです。
しかし,被告人が否認していて,尿鑑定結果の他に証拠がない場合,上記のような特定は不可能です。せいぜい,「被告人は何月何日頃から何日頃の間に,東京都内またはその周辺において,覚せい剤若干量を自己の身体に摂取し,もって覚せい剤を使用した」という程度の幅のある特定になります。この程度でも刑事裁判が成り立つのか,法律的にいえば「訴因」が十分に明示されているか,「罪となるべき事実」の特定が足りるかという問題が,従来議論されていました。すなわち,刑訴256条3項は,「公訴事実は,訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには,できる限り日時,場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と規定しており,幅のある記載で訴因が特定されているか問題となります。
当事者主義の原則(裁判所でなく当事者である検察官,被告人に訴訟の開始,審判対象の特定,証拠調べ,終了の主導権を与える。反対概念は職権主義。訴訟の進行は職権主義です。当事者主義の内容は,起訴状一本主義,刑訴298条1項当事者の証拠調べ請求,刑訴304条証人尋問の当事者優先)から,裁判の対象(訴因 ,構成要件に該当する罪となるべき事実),は当事者である検察官が公益の代表として提示し判断を求めなければいけせん(刑訴256条,312条)。この根拠は,法の支配の理念に求めることが出来ます。法の支配は,個人の尊厳保障にありその源泉は,人間はそもそも生まれながらに自由で有るという個人主義,自由主義(憲法13条)にあり,例外的に刑事手続きにおいて生命,身体の自由が奪われるのは国民が自らの意思により,国家に刑事裁判の権力を委託し,公益の代表である検察権力を認め,司法権の独立を擁立して公平,公正な法の適用により社会秩序を維持しようとするものです。
すなわち,元々主権者である被疑者,被告人は,刑事事件において単なる取り調べの対象ではなく,国家権力と対等な地位にあり裁判所は公正,公平な判断を行うべく中立性が要求され,検察権力に対し被告人は対等な立場で審判の対象に異議を述べ,自ら証拠を確保,収集,主張しその権利を擁護してくれる弁護人と協力して刑事訴訟手続きを行うことになります。訴因が裁判の対象ですから,被告人,弁護人がこれに対して,攻撃,防御を行い主張,立証を行うために検察官として訴因特定が必要不可欠になります。訴因特定は,当事者主義に内在する公正,公平,信義則に則った裁判の前提であり,これが欠ければ,有効な起訴状とならず,検察官がこれに応じなければ,訴訟手続き違背,公訴棄却の問題となります(刑訴338条1項4号)。
しかし,最高裁は,起訴状に上記のような幅のある公訴事実が記載されていた事件について,「なお,職権により判断すると,「被告人は,法定の除外事由がないのに,昭和五四年九月二六日ころから同年一〇月三日までの間,広島県高田郡吉田町内及びその周辺において,覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し,もつて覚せい剤を使用したものである。」との本件公訴事実の記載は,日時,場所の表示にある程度の幅があり,かつ,使用量,使用方法の表示にも明確を欠くところがあるとしても,検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものである以上,覚せい剤使用罪の訴因の特定に欠けるところはないというべきである。」と判示し,問題ないと判断しています(最高裁第一小法廷昭和56年4月25日決定)。訴因の特定の理由は,公平公正,信義則に則った裁判のためであり,覚せい剤の使用事実が確定されている以上,起訴状として訴因特定の幅を認め,当事者の立証,反証を行わせ,最終的に使用事実がないとの立証を弁護側の責任として立証上の公平を図ったものと解釈することができます。やむを得ない解釈でしょう。
3.(尿検査の結果のみで罪となるべき事実を裁判所は認定できるか 被疑者,被告人の反論の具体例)
では,尿から覚せい剤成分が出ているということの他に証拠がなくても,使用の事実は認定できるのでしょうか。判例は次のように述べて,これを肯定しています。
「被告人の尿から覚せい剤成分が検出されている以上,特段の事情のない限り,被告人が自らの意思により何らかの方法で覚せい剤を摂取したものと認めるのが相当である。」(高松高裁平成8年10月8日判決)。
覚せい剤はその取り扱いが法律で厳重に制限され,使用・所持・譲渡が厳罰をもって禁止されている禁制品であるため,普通の生活の中で誤って身体に入るはずはないというのがその理由です。したがって,尿から覚せい剤成分が検出されている者は,いくら「身に覚えがない」と言っても自己使用の事実を推認されてしまうことになるわけです。立証責任は,刑事,民事裁判とも,もともと公正公平な裁判から導かれるものであり弁護側に特段の事情の立証責任を負わせても,覚せい剤使用の性質から妥当性を有するものと考えられます。
もっとも,「特段の事情」を立証できれば別ですが,そのような事情とは,たとえば「強制的に覚せい剤を注射された場合」や,「知らないうちに飲み物等に入れられていた場合」などが考えられます。ただ,居酒屋で偶然知り合いになった知らない人に隙を見て混入されたという言い訳は,常習者等が行う一般的弁解であり覚せい剤を混入される動機,具体的状況を詳細に説明しない限り犯罪事実認定を回避することは困難と思われます。そのようなケースが想定される事情は極めて限定的でしょうが,息子さんが何らかの思い当たる事情,例えば覚せい剤を使用している知人がいるが,その知人と対立関係にあり,濡れ衣を着せられた可能性があるなどを立証できるケースは少ないと思われます。特段の事情の反証は弁護人との詳細な協議が必要となるでしょう。
4.(未必の故意について)
なお,息子さんは,覚醒剤の使用について「身に覚えが無い」と主張しておられるということですが,刑事裁判では,確定的故意に至らない段階の未必の故意と言われるレベルの認識でも,故意と認定される判例が確立しています。この点,息子さんの認識に誤解が無いかどうか,確認する必要があるでしょう。未必の故意とは,「犯罪結果発生を直接認識・意図しなくても,結果発生の可能性があると知りながら,その結果を容認し,敢えて犯罪行為を行う認識」を意味します。最高裁判所昭和23年3月16日判決では,次のように判断しています。「賍物故買罪は賍物であることを知りながらこれを買受けることによつて成立するものであるがその故意が成立する為めには必ずしも買受くべき物が賍物であることを確定的に知つて居ることを必要としない或は賍物であるかも知れないと思いながらしかも敢てこれを買受ける意思(いわゆる未必の故意)があれば足りるものと解すべきである」
これは,故意犯の刑事責任を問う為の認識として,確定的な故意でなくても,犯罪結果の発生を予期しながら,敢えて行動する認識があれば非難可能であるという価値判断に基く考え方です。個々の刑事事件を分析すれば分かることですが,犯罪行為においては,職業的常習窃盗犯などを除き,過度の興奮状態など,行為者の精神状態に何らかの異常を来たしていることの方が多いと言えます。そのような精神状態においては,犯罪結果の発生について確定的に(正確に)認識していることのほうがむしろ少ないとも言えます。典型的な故意に少しでも認識を欠けば刑事責任を問えないかといえばそんなことは無いでしょう。裁判所では,結果発生の可能性を知っているだけでも「敢えて」行為する認識があれば足りるという判断を集積してきたのです。
これによると,息子さんの覚醒剤取締法違反の罪については,「覚醒剤であるかもしれないが,(薬効を味わいたいので)これを使用する」という認識があれば足りることになります。例えば,悪い友人から手製タバコを勧められてこれを吸ったというような場合でも,その友人の普段の言動や,友人との関係次第では,故意が認定される可能性があるということです。
息子さんの事件では,「覚醒剤は一切使用していません」という単なる否認を繰り返すだけでは,裁判官に対する情状が悪化してしまう可能性があります。もしも,息子さんの認識が上記の未必の故意であったのならば,素直にこれを認めて,認識に甘い点があったと反省する態度を示すことも,有効な弁護活動になり得ます。息子さんの認識に誤解が無いかどうか,再度良く確認してみる必要があると思います。故意の認識については難しい点も多いので,弁護士との接見が欠かせないでしょう。
以上です。