男女交際と中絶による損害賠償
民事|性行為|妊娠|損害賠償|東京地裁平成21年5月27日判決
目次
質問:
私は23歳の会社員です。3ヶ月ほど前から,飲み会で知り合った男性とお付き合いを始めたのですが,彼がきちんと避妊をしなかったため,妊娠してしまいました。お互いにまだ結婚を考えてはいなかったものの,私としては産みたいと思っていましたので,彼にそう話してみたところ「堕ろして欲しい」の一言で,まったく取り合ってくれませんでした。結局,この件が原因で彼との関係はギクシャクしてしまい,中絶手術を受けた後,彼とは別れています。彼がきちんと避妊をしていないことを咎めなかった私も悪いとは思うのですが,中絶によって私が負った心の傷については,彼には慰謝料を支払ってもらいたいと思っています。このような請求は法律上認められるのでしょうか。
回答:
1 中絶を理由とする損害賠償については,従来は,中絶する女性自身の意思によって中絶を選択する以上,原則として認められないとする考え方が一般的でした。
しかし,東京地判平成21年5月27日は,女性から男性に対する妊娠後中絶するか否か悩んでいた女性がやむを得ず中絶に至ったという事案について損害賠償請求を肯定し,控訴審判決(東京高判平成21年10月15日)もこの判断を維持しています。
2 当該裁判例において,損害として認められたのは①中絶に伴う治療費の実費,②中絶による精神的な損害についての慰謝料(200万円前後),③裁判における弁護士費用の2分の1でした。中絶治療により会社等を休業した場合,休業に因果関係があると証拠上認められれば請求できます。
3 中絶に関する関連事例集参照。
解説:
1 性行為や妊娠を理由とする損害賠償請求
(1) 損害賠償請求についての原則
私たちの日常生活の中で,他人の権利や利益を侵害したり侵害されたりすることは少なからず生じますが,そのすべてについて損害賠償が必要となると,我々の日常生活の自由は著しく制約されることになります。
民法という法律は,私たちの生活における関係を規律する法律ですが,民法は,権利や利益が侵害された場合すべてについて損害賠償を認めるのではなく,当事者間で交わされた約束が破られた場合(これを「債務不履行」といいます。民法415条以下)や,故意または過失によって他人の権利を違法に侵害した場合(これを「不法行為」といいます。民法709条以下)に限って損害賠償請求を認めています。私的自治の大原則は,①契約自由の原則及び,契約履行責任の原則,②不法行為責任,③信義誠実,権利濫用禁止の法理(民法1条)から成り立っています。契約責任,不法行為責任は,自由主義の当然の帰結として存在しますが,信義則,権利濫用禁止により内在的に制約されています。すなわち,私的自治の大原則の理想は,公平,公正な社会秩序の建設であり信義則,権利濫用禁止がその制度そのものに内在しながら,公正に運用されることを目指しています。従って,保護されるべき利益,権利は,旧来の考え方に拘束されることなく以上の趣旨から解釈されることになります。この解釈理論は,すべての法解釈領域に当てはまるものです。
(2) 検討
今回のケースでは,あなたと相手方の間で,性行為をしない約束や,あなたを妊娠させない約束があったとは考えにくく,債務不履行責任が生じる余地はないでしょう。
また,不法行為責任についても,あなたは相手方と性行為に及ぶこと自体については同意しており,相手方がきちんと避妊をしていないことも特に咎めていなかったということですから,妊娠についても(黙示的に)承諾していたと判断される可能性が高いものと思われます。このように,性行為自体に同意していたり,妊娠について承諾していると認められるような場合には,相手方の行為が違法であるとはいえず,不法行為責任も生じないことになります。これが基本的考え方です。
2 婚姻予約の不当破棄を理由とする損害賠償請求
男女の交際関係解消に際しては,婚姻予約の不当破棄にあたるのではないかがしばしば問題となります。
しかし,今回のケースでは,あなたも相手方もまだ結婚は考えていなかったとのことですので,婚姻予約の破棄があったとして債務不履行責任や不法行為責任を主張するのは無理でしょう。また,婚姻予約に至っていない男女関係は,法律上保護すべき利益とまではいえず,男女関係が解消するに至ったことを理由に不法行為責任を主張することも無理があります(もし,婚姻予約に至らない男女関係を法律上保護すべき利益と認めるとすれば,およそすべての男女関係の解消について損害賠償責任の有無が問題となり,私たちの日常生活上の自由が著しく制約される結果を招くでしょう)。
3 中絶を理由とする損害賠償請求
それでは,中絶をするに至ったことを理由として,相手方に不法行為責任を追及することはできるでしょうか。
従来は,性行為や妊娠について承諾がある以上,中絶を選択するのはあなた自身の意思であることを理由に,相手方に対する損害賠償請求は認められないとする考え方が一般的でした。しかし,東京地裁平成21年5月27日判決と,その控訴審判決である東京高判平成21年10月15日判決は,いずれも,このようなケースにおける女性から男性に対する損害賠償請求を認めています。以下,その判旨をご紹介したうえで検討します。
(1) 東京地判平成21年5月27日の判旨
「四 損害の分担又は賠償責任について
(1)条理に基づく責任分担等について
原告は,条理あるいは条理上の義務違反に基づき,被告が責任を分担しあるいは損害賠償責任を負う旨主張する。
しかし,私人間の紛争において,損害を分担あるいは賠償する責任を負うのは,民法等の実定法が定める債務不履行及び不法行為等の要件を充足する場合に限られ,条理によって義務が観念され,その義務に違反することによって債務不履行又は不法行為を構成することがあるとしても,条理あるいは条理上の義務違反に基づき,直ちに責任を分担しあるいは損害賠償責任を負うとすることはできない。
したがって,原告の主張は,この点で失当というほかない。
もっとも,条理に基づく義務があるときにそれに違反することは債務不履行又は不法行為を構成し得ることは上記のとおりである。そして,本件において,原告は被告の不法行為に基づく損害賠償の請求をしているところ,原告の上記主張は不法行為における義務とその違反についての主張であるとも解することができる(被告はこれに具体的反論をしている。)から,その点については次の不法行為に基づく損害賠償責任に対する判断において更に検討することとする。
(2)不法行為に基づく損害賠償責任について
ア 暴力を理由とする不法行為について
原告は,男性が妊娠・出産に対する周到な配慮と準備をしないまま,避妊をせずにする性交渉は,男性の女性に対する暴力であり,不法行為を構成するなどと主張する。
妊娠や出産が女性に対し身体的・精神的負担等の様々な影響を与える重要な事柄であり,婚姻していない女性が子を出産して養育することに大きな困難があり,出産するか中絶するか等を決断するには深刻な精神的葛藤が生じ得ることは,容易に理解することができる。
しかし,本件性行為のように,原告と被告が合意の上,しかも,原告が避妊具を装着しない性行為により妊娠する可能性を認識しながらそれを容認し,拒むことなく行った性行為の結果,原告が妊娠したからといって,その性行為が被告の原告に対する暴力であるなどと法的に評価し得ないことは明らかである。
上記原告の主張及びこれに沿う甲六二の意見書等は,事実の一部のみを過大視し,実定法の規定あるいは解釈に基づかない独自の意見を述べるものであり,これを採用することはできない。
イ 経緯における不法行為について
(ア)原告の妊娠は,本件性行為の結果であるが,避妊方法の不完全さ等を理由に被告の責任を問うことができないことは上記のとおりである。
しかし,共同して行った先行行為の結果,一方に心身の負担等の不利益が生ずる場合,他方は,その行為に基づく一方の不利益を軽減しあるいは解消するための行為を行うべき義務があり,その義務の不履行は不法行為法上の違法に該当するというべきである。
本件性行為は原告と被告が共同して行った行為であり,その結果である妊娠は,その後の出産又は中絶及びそれらの決断の点を含め,主として原告に精神的・身体的な苦痛や負担を与えるものであるから,被告は,これを軽減しあるいは解消するための行為を行うべき義務があったといえる。しかるに,被告は,どうしたらよいか分からず,具体的な話合いをしようとせず,原告に決定を委ねるのみであったのであって,その義務の履行には欠けるものがあったというべきである。したがって,被告は,義務の不履行によって原告に生じたということができる後記損害を賠償すべきである(ただし,その不履行も原告と被告との共同の行為であるといえるから,賠償すべきは後記損害の二分の一とするのが相当である。)。
(イ)以上に関し,被告は,原告が中絶を決めており,被告は原告が中絶を望んでいないなどとは想像もできず,原告に対して最大限真摯に対応していたなどと主張する。
しかし,上記のとおり,原告は中絶を既定路線としておらず,中絶に至ったのは被告の対応との相関によるものである。原告は,被告に対し,出産したいとの意向を示したことはないが,妊娠を告げた五月二四日のメールにおいて,「いちど,できたら私たちもお話したほうがいいかもしれません。お話できそうですか?」として協議することを求めており,中絶直前の同月二八日午前二時三分ころのメールにおいても,「いろんな状況を考えぬいて決めたことだけど,あと一日しか一緒にいられない,と思うと,だめなの。赤ちゃんが可愛くて仕方ないの。私やっぱりできないかもしれない。どうしよう?どうしたらいい?私がしんでしまいたい。…」と書き送っているのであって,これらを見れば,被告は原告が協議を求めていることや中絶を望んでいないことを認識し得たというべきである。被告は,同意書に署名捺印するなど受動的な対応に終始しており,これをもって上記義務を完全に履行したとはいえない。
したがって,上記主張は採用することができない。
五 原告の損害について
(1)以上の認定判断並びに《証拠略》によれば,原告は,妊娠して中絶手術を受けたが,その後に心身症の胃炎,不眠症,重篤なうつ状態といった精神的疾患等を発症し,現在においてもその症状が残存し,これらによって精神的・身体的苦痛を受け,また,治療費等の費用の支出による経済的損害を受けていることが認められる。
上記精神的苦痛等に対する慰謝料は併せて二〇〇万円とするのが相当であり,また,前掲証拠によれば治療費等は合計六八万四六〇四円(別紙一及び別紙二記載の金額の合計)であると認められるから,上記損害について被告が賠償すべき損害(上記合計の二分の一)は一三四万二三〇二円となる。また,原告が本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任したことは顕著であり,被告にはその費用中の一〇万円を負担させるのが相当である。
したがって,被告は原告に対し,以上の合計一四四万二三〇二円の賠償義務があるところ,既に三〇万円を賠償しているから,その残額は一一四万二三〇二円となる。
(2)原告は,上記のほか,妊娠によるつわりが始まるまで得ていた月平均約一五万七五〇〇円の××料や××××料を逸失した旨主張するが,その収入がなくなったことが本件による妊娠及び中絶等の結果であると認めるに足りる的確な証拠はない。
(3)被告は,本件性行為と中絶との間に相当因果関係はない旨主張するが,本件の経緯は上記認定のとおりであり,婚姻していない男性の子を妊娠した女性が中絶をするに至ることは母体保護法においても想定されていることであり,上記主張は理由がない。」
(2) 東京高判平成21年10月15日
『…(5)原判決一五頁三行目から一七行目までを次のとおり改める。
「しかし,控訴人と被控訴人が行った性行為は,生殖行為にほかならないのであって,それによって芽生えた生命を育んで新たな生命の誕生を迎えることができるのであれば慶ばしいことではあるが,そうではなく,胎児が母体外において生命を保持することができない時期に,人工的に胎児等を母体外に排出する道を選択せざるを得ない場合においては,母体は,選択決定をしなければならない事態に立ち至った時点から,直接的に身体的及び精神的苦痛にさらされるとともに,その結果から生ずる経済的負担をせざるを得ないのであるが,それらの苦痛や負担は,控訴人と被控訴人が共同で行った性行為に由来するものであって,その行為に源を発しその結果として生ずるものであるから,控訴人と被控訴人とが等しくそれらによる不利益を分担すべき筋合いのものである。しかして,直接的に身体的及び精神的苦痛を受け,経済的負担を負う被控訴人としては,性行為という共同行為の結果として,母体外に排出させられる胎児の父となった控訴人から,それらの不利益を軽減し,解消するための行為の提供を受け,あるいは,被控訴人と等しく不利益を分担する行為の提供を受ける法的利益を有し,この利益は生殖の場において母性たる被控訴人の父性たる控訴人に対して有する法律上保護される利益といって妨げなく,控訴人は母性に対して上記の行為を行う父性としての義務を負うものというべきであり,それらの不利益を軽減し,解消するための行為をせず,あるいは,被控訴人と等しく不利益を分担することをしないという行為は,上記法律上保護される利益を違法に害するものとして,被控訴人に対する不法行為としての評価を受けるものというべきであり,これによる損害賠償責任を免れないものと解するのが相当である(被控訴人が,条理上の義務違反に基づく損害賠償責任というところの趣旨は上記趣旨をいうものと解される。)。
しかるに,控訴人は,前記認定のとおり,どうすればよいのか分からず,父性としての上記責任に思いを致すことなく,被控訴人と具体的な話し合いをしようともせず,ただ被控訴人に子を産むかそれとも中絶手術を受けるかどうかの選択をゆだねるのみであったのであり,被控訴人との共同による先行行為により負担した父性としての上記行為義務を履行しなかったものであって,これは,とりもなおさず,上記認定に係る法律上保護される被控訴人の法的利益を違法に侵害したものといわざるを得ず,これによって,被控訴人に生じた損害を賠償する義務があるというべきである(なお,その損害賠償義務の発生原因及び性質からすると,損害賠償義務の範囲は,生じた損害の二分の一とすべきである。)…。」』
(3) 検討
以上のとおり,上記の裁判例は,女性から男性に対する損害賠償請求を肯定しました。
ア 高裁判決は,中絶により直接的に身体的及び精神的苦痛を受け,経済的負担を負う女性は,性行為という共同行為の結果として,母体外に排出させられる胎児の父となった男性から,それらの不利益を軽減し,解消するための行為の提供を受け,あるいは,女性と等しく不利益を分担する行為の提供を受ける法的利益を有しており,この利益は生殖の場において女性が男性に対して有する法律上保護される利益といって妨げないとしています。そのうえで,男性は,母性に対して上記の行為を行う父性としての義務を負うものというべきであるから,それらの不利益を軽減し,解消するための行為をせず,あるいは,女性と等しく不利益を分担しなければ,上記の法律上保護される利益を違法に侵害するものとして,女性に対する不法行為としての評価を受けるものというべきであるとしました。
イ 民法上の不法行為の目的は,①金銭による原状回復と,②損害の公平な分担にあるといわれています。この②損害の公平な分担という見地からすると,たとえ性行為や妊娠について女性の承諾があったとしても,その後の中絶により女性のみが不利益を被る場合には,性行為を共同して行い,妊娠に加功した男性もその不利益を負担すべきとすることは,まさに不法行為制度の目的にかなうものであるといえるでしょう。
また,女性が性行為や妊娠について同意や承諾をしているとしても,そのことをもって,中絶の際に男性に不利益を軽減・解消してもらい,あるいは分担してもらう権利までをも放棄したとはいえませんから,男性が不利益の軽減や解消,あるいは分担を怠った行為を違法と評価することも十分に可能であり,上記の判示には十分な理由があります(むしろ,従来の,女性自身の意思に基づく中絶であるから不法行為は成立しないという議論が,不法行為の目的である損害の公平な分担からやや乖離した議論であったといえるかも知れません)。
(4) 最後に
民法の不法行為の条文は,極めて抽象的な条文であり,行為の違法・適法が一概に決せられるわけではありません。特定の行為が違法なのか適法なのかについては,裁判所による法律の解釈と,個別具体的な事案への当てはめにより,賠償請求に対する認容判決が出ることによって,結果論として,我々は不法行為法の適用範囲を垣間見ることができます。不法行為の要件である,「保護法益の存在」と「侵害行為」,「侵害結果発生」の解釈についても,時代の変化により,人々の権利意識の変化により,これからも変遷していく可能性を秘めていると言えます。今回の判決についても,裁判所が,従来は道義的な責任として捉えられていたものを,当事者の主張立証を通じて法的な責任が認められると判断することにより,新たな法的ルール(行為規範)として提示した,と捉えることもできそうです。
このように,従来は道義的な責任としか認められなかったものが,社会状況の変化等により,裁判所において法的責任として認められることもあります。
一般的な考え方に従えば請求が否定されそうな場合でも諦めることなく,法律家に相談のうえ,最後まで争うことの重要さを示した一事例であるといえるでしょう。
以上