新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1351、2012/10/5 15:51 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm

【民事・条理・信義則によるビル賃貸人の修繕義務不履行による損害賠償の範囲の限定・最高裁平成21年1月19日判決】

質問:私は所有するビルをXに賃貸し,Xは同ビルを店舗として事業を営んでいたのですが,数か月前に同ビルにおいて浸水事故が起こり,Xは同ビルでの営業ができなくなりました。本件賃貸借契約上修繕義務は私が負い,かつ修繕は可能だったのですが,Xとはこれまでもトラブルが絶えなかったこともあり,特に修繕することなく,1年が過ぎてしまいました。そうしたところ,このたび,Xは,私の修繕義務不履行により浸水事故から現在まで1年間の営業利益を喪失したとして,債務不履行に基づく損害賠償を請求してきました。たしかに,私には修繕義務を履行しなかったという落ち度があるとは思うのですが,この1年間の営業利益相当額すべてを損害として賃借人Xに賠償しなければならないのでしょうか。

回答:
1.最高裁平成21年1月19日判決は,本件と類似の事案において,「被上告人(賃借人)がカラオケ店の営業を別の場所で再開する等の損害を回避又は減少させる措置・・・を執ることができたと解される時期以降における上記営業利益相当の損害のすべてについてその賠償を上告人(賃貸人)らに請求することはできない」とします。
2.本件では,浸水事故後Xが別の場所で営業を再開できたといえる事情が認められるのであれば,あなたは,Xが別の場所で営業を再開できたといえる時期以降については賠償しなくてよい,ということになります。
3.関連事例集1326番38番参照。

解説:
1 事業用店舗の賃貸借契約における賃貸人の修繕義務不履行と,これにより賃借人に生じた営業利益喪失の損害

(1) 特約がない限り,「賃貸人は,賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負」います(民法606条1項)。一般的に賃貸人は賃貸物が使用収益に適している物として賃料を受領しているわけですから,特別に賃借人が修繕義務を負うことから賃料が低廉に定めら得ているような場合を除いて,賃貸人が修繕義務を負うことは当然と言えます。そして,この修繕義務が履行されない場合,賃貸人の債務が履行されないことになり賃借人は,「これによって生じた損害の賠償を請求することができ」ると定められています(同法415条前段)。そして,賠償の範囲については「債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的と」すると定められています(同法416条1項)。
  そうすると「事業用店舗の賃借人が,賃貸人の債務不履行により当該店舗で営業することができなくなった場合には,これにより賃借人に生じた営業利益喪失の損害は,債務不履行により通常生ずべき損害として民法416条1項により賃貸人にその賠償を求めることができると解」されます(最判平21.1.19)。

(2) 事業用店舗が修繕を施しても使用に耐えられないほどに損壊した場合等は,賃貸人の修繕義務は履行不能となり,ひいては使用収益させる義務も履行不能となり消滅し,他方で,使用収益の対価である賃借人の賃料債務も発生せず,結果,賃貸借契約は消滅すると解されます。その上で,損壊について賃貸人に責任があるときは,賃貸人は賃借人に対し損害賠償の責任を負うこととなります。
  これに対し,本件のように,修繕が可能で修繕義務が履行不能とならない場合は,賃貸借契約は依然として存在することになります。そうすると,賃貸人は修繕してた賃貸物を賃貸人に提供する義務を負っていることになり,半永久的に賃貸人の債務不履行が継続することになり,その間,賃借人の営業利益喪失についての損害賠償責任を負うことになります。しかし,このような結論は場合によっては公平とは言えない結論となります。そこで,このような場合賃借人にも損害を減少させる義務があるのではないか,という点が問題となります。

2 賃借人の損害軽減義務と賠償されるべき営業利益喪失の損害

(1) 修繕義務が履行不能とならない場合,賃貸人として修繕義務を履行すればよいとも言えますが,発生し得る損害の大きさに鑑みると,発生した損害すべてを賃貸人に負担させるのは酷に過ぎるのではないでしょうか。
  この点,最高裁平成21年1月19日判決は,本件と類似の事案において,「遅くとも,本件本訴が提起された時点においては,被上告人がカラオケ店の営業を別の場所で再開する等の損害を回避又は減少させる措置を何ら執ることなく,本件店舗部分における営業利益相当の損害が発生するにまかせて,その損害のすべてについての賠償を上告人らに請求することは,条理上認められないというべきであり,民法416条1項にいう通常生ずべき損害の解釈上,本件において,被上告人が上記措置を執ることができたと解される時期以降における上記営業利益相当の損害のすべてについてその賠償を上告人らに請求することはできないというべきである。」としました。

同判決は,この理由として,
@ 賃貸人「が本件修繕義務を履行したとしても,老朽化して大規模な改修を必要としていた本件ビルにおいて,」賃借人「が本件賃貸借契約をそのまま長期にわたって継続し得たとは必ずしも考え難い」こと
A 「本件事故から約1年7か月を経過して本件本訴が提起された時点では,本件店舗部分における営業の再開は,いつ実現できるか分からない実現可能性の乏しいものとなっていたと解される」こと
B 賃借人「が本件店舗部分で行っていたカラオケ店の営業は,本件店舗部分以外の場所では行うことができないものとは考えられないし,前記事実関係によれば,」賃借人「は,平成9年5月27日に,本件事故によるカラオケセット等の損傷に対し,合計3711万6646円の保険金の支払を受けているというのであるから,これによって,」賃借人「は,再びカラオケセット等を整備するのに必要な資金の少なくとも相当部分を取得したものと解される」こと
を挙げます。
  上記@ないしBの理由うち,@は客観的な状況から賠償されるべき損害の範囲が限定されることを示すものであるのに対し,A及びBは賃借人=債権者にいわゆる損害軽減義務を課す観点から損害の範囲が限定されることを示すものといえます。

(2) 債権者の損害軽減義務は,債務不履行の過失相殺を定める民法418条にその理念の一端を見ることができるものの,日本において意識的に論じられるようになったのはここ最近のことであるように思われます。
  いずれにせよ,債務不履行があった場合,債権者は,いわば債務不履行の被害者であるとしても,損害の発生・拡大に手をこまねいて座視していてよいわけではなく,(経済的に最も効率的な行動をとることまでは求められないものの,)当該契約のもとで損害が発生・拡大しないよう信義誠実に行動することが求められるのです。
  前記最高裁平成21年1月19日判決は,この損害軽減義務と民法416条1項の「通常生ずべき損害」の関係に触れた判決として,先例的価値があるとされています。この判決は,全ての法規の解釈は私的自治の大原則に内在する信義則により常に支配されているということを示すものと言えるでしょう。

<参考判例>

最高裁平成21年1月19日判決
1 本件本訴請求は,賃貸借契約に基づき上告人Y1(以下「Y1」という。)から建物の引渡しを受けてカラオケ店を営業していた被上告人が,同建物に発生した浸水事故により同建物で営業することができなかったことによる営業利益喪失の損害を受けたなどと主張して,Y1に対して債務不履行又は瑕疵担保責任に基づく損害賠償を求めるとともに,Y1の代表者として同建物の管理に当たっていた上告人Y2に対して民法709条又は中小企業等協同組合法38条の2第2項(平成17年法律第87号による改正前のもの。以下同じ。)に基づく損害賠償を求めるものであり,本件反訴請求は,Y1が,上記賃貸借契約は解除により終了したなどと主張して,被上告人に対して同建物の明渡し等を求めるものである。

2 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) 被上告人は,カラオケ店などの経営を業とする株式会社である。
Y1は,中小企業等協同組合法に基づいて設立された事業協同組合であり,昭和42年10月1日,原判決別紙物件目録1記載の建物(以下「本件ビル」という。)を建築し,その所有権を取得した。なお,Y1は,平成8年8月31日,総会の決議により解散し,その代表理事であった上告人Y2がY1の清算人に就任した。
(2) Y1は,被上告人に対し,平成4年3月5日,期間を平成5年3月4日まで,賃料を月額20万円,使用目的を店舗として,本件ビルの地下1階にある原判決別紙物件目録2記載の建物部分(以下「本件店舗部分」という。)を貸し渡した(以下,この契約を「本件賃貸借契約」という。)。本件賃貸借契約は,その後,平成5年3月5日に期間を平成6年3月4日まで,平成6年3月5日に期間を平成7年3月4日までとしてそれぞれ更新され,同日に賃貸借期間が満了したが,その継続に関する協議が成立しないまま,被上告人は本件店舗部分でのカラオケ店営業を継続した。
(3) 本件ビルにおいては,平成4年9月ころから,本件店舗部分に浸水が頻繁に発生し,本件ビル3階のトイレの水が止まらなかったことがその原因であったこともあるが,本件店舗部分7号室横からの浸水のように浸水の原因が判明しない場合も多かった。
(4) 平成9年2月12日,本件ビル地下1階に設置された浄化槽室排水ピット内の排水用ポンプの制御系統の不良又は一時的な故障が原因となって,本件店舗部分8号室脇の洗面台の排水管の床面との継ぎ目部分等から汚水が噴き出し,また,7号室からも出水し,本件店舗部分が床上30〜50cmまで浸水した(以下「本件事故」という。)。本件ビルの地下1階では,同月17日にも同様の場所から汚水が出水し,同程度に本件店舗部分が浸水した。被上告人は,本件事故以降,本件店舗部分でのカラオケ店の営業ができなくなった。
(5) Y1は,平成9年2月18日付け書面をもって,被上告人に対し,本件ビルの老朽化等を理由として,本件賃貸借契約を解除し,明渡しを求める旨の意思表示をし,同書面は,そのころ被上告人に到達した。上告人Y2は,本件事故直後より,被上告人からカラオケ店の営業を再開できるように本件ビルを修繕するよう求められていたが,これに応じず,上記解除により本件賃貸借契約は即時解除されたと主張して,被上告人に対して本件店舗部分からの退去を要求し,本件ビル地下1階部分の電源を遮断するなどした。
(6) 本件ビルについては,平成9年1月,調査会社により,大規模改装に向けての設備及び建物状態の調査が実施されたが,そのビル診断報告書には,〈1〉電気設備については,今後思わぬ事故等の発生が懸念され,改装後の電力需要に合わせて全体的に更新する必要がある,〈2〉給水設備は,全体的にさびによる腐食が進行しており,このまま使用すると漏水の懸念があり,周辺機器も含めて継続使用が難しい状態と判断される,〈3〉排水設備については,排水配管は全体的に更新する必要があると判断され,その他汚水配管,排水槽等は改装時に調査の上,その仕様に合わせた改修及び清掃等が必要と思われるなどと記載されていた。
このように,本件ビルは,本件事故前,老朽化により大規模な改装とその際の設備の更新の必要があったが,直ちに大規模な改装及び設備の更新をしなければ当面の利用に支障が生じるものではなく,本件店舗部分を含めて朽廃等の事由による使用不能の状態にはなっていなかった。
(7) 被上告人は,本件店舗部分における営業再開のめども立たないため,平成10年9月14日,Y1は被上告人の営業が再開できるように本件ビルを修繕すべき義務(以下「本件修繕義務」という。)があるのに履行しないなどと主張して,営業利益喪失等による損害賠償を求める本件本訴を提起した。これに対し,Y1は,本件修繕義務の存在を否定し,さらに,被上告人に対し,平成11年9月13日,賃料不払等を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし,本件店舗部分の明渡しを求めた。
(8) 被上告人は,平成9年5月27日,本件事故によるカラオケセット等の損傷に対し,Aとの間で設備什器を目的として締結していた保険契約に基づき,損害保険金として3109万6946円,臨時費用保険金として500万円,取片付費用保険金として101万9700円の支払を受けたが,これらの保険金の中には営業利益損失に対するものは含まれていなかった。

3 原審は,Y1により行われた本件賃貸借契約解除の意思表示はいずれも無効であるとして,Y1の被上告人に対する建物明渡等反訴請求を棄却するとともに,次のとおり判示して,被上告人の上告人らに対する損害賠償請求を一部認容すべきものとした。
(1) Y1は,被上告人に対し,本件事故後も引き続き賃貸人として本件店舗部分を使用収益させるために必要な修繕義務を負担しているにもかかわらず,その義務を尽くさなかった。また,上告人Y2には,本件修繕義務の不履行について,Y1の代表者としての職務を行うにつき中小企業等協同組合法38条の2第2項所定の重大な過失があったというべきである。
(2) 被上告人は,本件事故の日から本件店舗部分でのカラオケ店営業ができなかったから,上告人らに対し,本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日から被上告人の求める損害賠償の終期である平成13年8月11日までの4年5か月間の得べかりし営業利益3104万2607円(1年間702万8515円)を喪失したことによる損害賠償を請求する権利を有する。

4 しかしながら,本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日から平成13年8月11日までの間の営業利益の喪失による損害につきそのすべての賠償を請求する権利があるとする原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 事業用店舗の賃借人が,賃貸人の債務不履行により当該店舗で営業することができなくなった場合には,これにより賃借人に生じた営業利益喪失の損害は,債務不履行により通常生ずべき損害として民法416条1項により賃貸人にその賠償を求めることができると解するのが相当である。
(2) しかしながら,前記事実関係によれば,本件においては,〈1〉平成4年9月ころから本件店舗部分に浸水が頻繁に発生し,浸水の原因が判明しない場合も多かったこと,〈2〉本件ビルは,本件事故時において建築から約30年が経過しており,本件事故前において朽廃等による使用不能の状態にまでなっていたわけではないが,老朽化による大規模な改装とその際の設備の更新が必要とされていたこと,〈3〉Y1は,本件事故の直後である平成9年2月18日付け書面により,被上告人に対し,本件ビルの老朽化等を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をして本件店舗部分からの退去を要求し,被上告人は,本件店舗部分における営業再開のめどが立たないため,本件事故から約1年7か月が経過した平成10年9月14日,営業利益の喪失等について損害の賠償を求める本件本訴を提起したこと,以上の事実が認められるというのである。これらの事実によれば,Y1が本件修繕義務を履行したとしても,老朽化して大規模な改修を必要としていた本件ビルにおいて,被上告人が本件賃貸借契約をそのまま長期にわたって継続し得たとは必ずしも考え難い。また,本件事故から約1年7か月を経過して本件本訴が提起された時点では,本件店舗部分における営業の再開は,いつ実現できるか分からない実現可能性の乏しいものとなっていたと解される。他方,被上告人が本件店舗部分で行っていたカラオケ店の営業は,本件店舗部分以外の場所では行うことができないものとは考えられないし,前記事実関係によれば,被上告人は,平成9年5月27日に,本件事故によるカラオケセット等の損傷に対し,合計3711万6646円の保険金の支払を受けているというのであるから,これによって,被上告人は,再びカラオケセット等を整備するのに必要な資金の少なくとも相当部分を取得したものと解される。
そうすると,遅くとも,本件本訴が提起された時点においては,被上告人がカラオケ店の営業を別の場所で再開する等の損害を回避又は減少させる措置を何ら執ることなく,本件店舗部分における営業利益相当の損害が発生するにまかせて,その損害のすべてについての賠償を上告人らに請求することは,条理上認められないというべきであり,民法416条1項にいう通常生ずべき損害の解釈上,本件において,被上告人が上記措置を執ることができたと解される時期以降における上記営業利益相当の損害のすべてについてその賠償を上告人らに請求することはできないというべきである。
(3) 原審は,上記措置を執ることができたと解される時期やその時期以降に生じた賠償すべき損害の範囲等について検討することなく,被上告人は,本件修繕義務違反による損害として,本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日から本件本訴の提起後3年近く経過した平成13年8月11日までの4年5か月間の営業利益喪失の損害のすべてについて上告人らに賠償請求することができると判断したのであるから,この判断には民法416条1項の解釈を誤った違法があり,その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

5 以上によれば,上記と同旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そこで,上告人らが賠償すべき損害の範囲について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
  なお,Y1の反訴請求に関する上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。

<参考条文>

民法
(債務不履行による損害賠償)
第415条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも,同様とする。
(損害賠償の範囲)
第416条 債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。
2 特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見し,又は予見することができたときは,債権者は,その賠償を請求することができる。
(過失相殺)
第418条 債務の不履行に関して債権者に過失があったときは,裁判所は,これを考慮して,損害賠償の責任及びその額を定める。
(賃貸物の修繕等)
第606条 賃貸人は,賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。
2 賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようとするときは,賃借人は,これを拒むことができない。

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