新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1388、2012/12/13 15:35 https://www.shinginza.com/qa-souzoku.htm
【相続・遺留分請求を知りながら受遺者が行った不動産名義変更は不法行為になるか・東京地裁平成18年5月31日判決】
質問:先日,父が亡くなり,相続人は私と弟の2人です。私が父の老後を見てきたからか,父は生前に遺言書を作成してくれていて,遺産のほとんどすべてを私にくれることになっていて,私が遺言執行者に指定されていました。父の死後,私は遺言執行者として,不動産の名義変更等の手続をしようとしていたところ,弟がこの遺言を不満に思い,遺留分減殺請求をしてきました。私は,どう対応していいのか分からず,いずれにしても遺言に従って手続を進めておいた方がよいかと思い,不動産の名義変更手続等を済ませました。そうしたところ,弟から,遺留分減殺請求をしているのにそのまま遺言執行を進めたことに対して,不法行為だとして損害賠償を求められてしまいました。私としては,父の遺言に従って手続したまでであって,遺留分減殺については,別途対応すればよいと思っていたのですが,私は不法行為での損害賠償もしなくてはならないのでしょうか。弟との話し合いもままならず困っています。
↓
回答:
1.遺留分減殺請求がなされたからといって,ただちに遺言執行を停止しなくてはならないとはいえず,遺言執行者が遺言に従った執行を続けたとしても,遺留分権利者に対して直ちに過失があったとして不法行為責任を負うものとはいえないと考えられます。裁判例でも同様の判断をしたものがあります(東京地裁平成18年5月31日判決)。本件でも,特別な事情がない限り(例えば遺言が何らかの理由により無効となるような事情がある場合で遺言を執行してしまうと受遺者に金銭による賠償能力がなく相続人の遺留分が実現されないおそれがある場合),あなたが行った遺言執行行為が,弟さんに対して不法行為責任を負うものではないと考えられます。
2.これらの点を踏まえて,弟さんに対して,ご自身の言い分をしっかり伝えるべきです。ご自身で直接兄弟姉妹と言い争いをするのがはばかられるようでしたら,法律と交渉の専門家である弁護士に一度ご相談されることをお勧めします。
3.関連事例集論文1358番、1246番、1096番、986番、900番、821番、814番、812番、807番、565番を参照。その他,減殺請求と寄与分に関して1132番、981番、790番、676番参照。
解説:
1 遺留分減殺請求について
兄弟姉妹以外の相続人には,遺留分(法定相続分の2分の1)が認められています(民法1028条)。遺留分というのは,遺産について法律上留保されなければならない一定の割合のことです。そして,遺言で遺産を遺贈している場合に,遺留分権利者の遺留分を侵害する割合での分配を定めているときは,遺留分権利者は,遺留分を保全するために遺贈の減殺を請求することができます(民法1031条)。遺留分減殺請求権の法的性質は,形成権と解釈されており,権利行使(意思表示の通知)により,相続財産の権利移転の法的効力が当然に生じることとされています(最高裁判所昭和41年7月14日判決など)。遺留分減殺請求があった場合,遺留分を侵害する遺贈や贈与の効力は遺留分を侵害する限度で当然に失効するものと解釈されています(最高裁判所平成8年1月25日判決など)。
この遺留分制度の趣旨は,被相続人の個人の財産処分の自由と家族財産の公平な分配とを調整する点にあります。私有財産制度(憲法29条)のもとにおいて,相続財産は被相続人の財産ですから,生前であれば自由に処分でき,相続人予定者であってもその処分を制限することはできません。従って,死亡した後であっても,自分の財産を自由に処分できるはずです。
他方で,被相続人の財産であっても,その形成過程や家族の状況などから相続財産に厳密な意味で被相続人の財産といえるものが存在していることが多いでしょうし,相続財産に対する期待権というものも全く否定することは公平とは言えない場合が多いでしょう。 このような見地から兄弟以外の相続人という被相続人に近い相続人についてだけ遺留分という権利を認め遺言によってもそれを侵害することはできない,としたのが遺留分の制度です。すなわち私有財産制度の例外的位置にあります。なお,遺留分減殺請求権は,必ずしも裁判上行使しなければならないものではなく,相手方に対する意思表示を通知等でなすことでも可能です。
一方,遺贈によって財産を得た受贈者についても一定の保護がされており,価額弁償による対応が認められています(民法1041条)。これは,遺贈の目的財産自体を取り返されてしまうとした場合に,受贈者が不測の損害を受けることを防ぐために,受贈者の方から,目的物の価額を遺留分権利者に弁償して目的物自体の返還を免れることもできるというものです。
これら,遺言の自由,遺留分,価格賠償という制度により基本的に被相続人の意思を尊重し,相続財産関係者の公平を図るのが民法の趣旨です。
2 遺留分減殺請求権の行使がされた場合の遺言執行と不法行為責任
このように価額による弁償という方法によって,遺留分減殺請求に対処できることからすると,遺留分減殺請求がなされたからといっても,ただちに遺言執行を停止しなくてはならないとはいえないと考えられます。遺贈の目的財産を取得した上で,その分の価額を遺留分権利者に払うことによって,遺留分減殺請求は目的を達することになります。
そうすると,遺留分減殺請求がなされた後に遺言執行者が遺言に従った執行を続けたとしても,遺留分権利者に対して直ちに過失があったとして不法行為責任を負うものとはいえないと考えられます。裁判例でも同様の判断をしたものがあります(東京地裁平成18年5月31日判決)。
反対に遺留分権利者とすれば,自分の遺留分を確保するために,法定相続分と異なる遺言があることを知っていたとしても,法定相続分に従って権利行使できるものについては権利を行使したとしても,受遺者の権利を侵害したとは言えないでしょうから,この点からも遺言の執行を不法行為とすることは無理があるでしょう。
3 本件の場合の対応
本件でも,あなたが行った遺言執行行為が,弟さんに対して不法行為責任を負うものではないといえます。
これらの点を踏まえて,弟さんに対して,ご自身の言い分をしっかり伝えるべきです。ご自身で直接兄弟姉妹と言い争いをするのがはばかられるようでしたら,法律と交渉の専門家である弁護士に一度ご相談されることをお勧めします。
《参考判例》
○東京地裁平成18年5月31日判決(抜粋)
2 争点及び当事者の主張
(6) 被告らの不法行為
(原告の主張)
遺言執行者は,前記(1)記載のとおり,遺言者の遺言能力を疑わせるような事情がある場合あるいは遺言者が遺言により利益を受ける者の詐欺により遺言をし,もしくは錯誤により遺言をしたことを疑わせるような事情がある場合,遺留分減殺請求が相続人からなされた場合には,遺言をめぐる疑義が解消するまで,遺留分減殺請求についての問題が解決されるまで遺言の執行を差し控え,相続人である遺留分権利者が相続財産に対して有する権利を喪失することのないようにするべき義務があるところ,被告Y3は被告Y1にこのような事情のあることを知りながら,しかも原告と被告Y1及び同Y2との間において,本件不動産につき,基本的に原告が2分の1の割合による共有持分権を被告Y1及び被告Y2が各4分の1の割合による共有持分権をそれぞれ有するとの前提で本件不動産を売却し,売却代金をもって遺産分割をするとの協議をしていたにもかかわらず,被告Y3は,同Y1及び同Y2と共謀の上,本件不動産を売却処分し,さらにその他の遺産のすべてを同被告らに引き渡し,原告に損害を与えた。
(被告Y1及び同Y2の主張)
本件遺言は,有効であり,被告らは,本件遺言に従って処理をしただけであり,不法行為となる余地はない。
(被告Y3の主張)
遺留分減殺請求に対しては,価格賠償が認められており,遺留分減殺請求権が行使された後に遺産を処分した遺言執行者の行為が直ちに不法行為を構成するわけではない。本件における被告Y3の遺産処分行為は遺言執行者の適法な任務遂行行為であり不法行為にあたらない。
第3 争点に対する判断
6 被告らの不法行為について
本件遺言が有効であり,亡Aが本件遺言をするに当たり錯誤や欺罔行為があったと認めるに足りないことは上記のとおりであり,遺言執行者である被告Y3に本件遺言の執行を差し控えるべき事情はなかったものというべきである。また,遺留分減殺請求が相続人からなされ,また遺留分減殺請求をした相続人との間に交渉があったとしても,遺留分減殺請求に対しては価格賠償も可能であることからすると,そのような事情がありながら遺言の執行をしたとしても直ちに過失があるということはできない。したがって本件遺言の遺言執行者である被告Y3が本件遺言を執行したこと,そして被告Y1及び同Y2が遺産を取得したことをもって不法行為と評価することはできない。
《参照条文》
○民法
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条 兄弟姉妹以外の相続人は,遺留分として,次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一 直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二 前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺留分の算定)
第千二十九条 遺留分は,被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して,これを算定する。
2 条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利は,家庭裁判所が選任した鑑定人の評価に従って,その価格を定める。
第千三十条 贈与は,相続開始前の一年間にしたものに限り,前条の規定によりその価額を算入する。当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたときは,一年前の日より前にしたものについても,同様とする。
(遺贈又は贈与の減殺請求)
第千三十一条 遺留分権利者及びその承継人は,遺留分を保全するのに必要な限度で,遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。
(遺留分権利者に対する価額による弁償)
第千四十一条 受贈者及び受遺者は,減殺を受けるべき限度において,贈与又は遺贈の目的の価額を遺留分権利者に弁償して返還の義務を免れることができる。
2 前項の規定は,前条第一項ただし書の場合について準用する。