新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1408、2013/02/06 10:33 https://www.shinginza.com/qa-roudou.htm
【労働・退職慰労金の性格・非違行為による給付の制限・退職了承後の懲戒処分はできるか・東京地方裁判所平成24年3月30日判決】
質問:弊社従業員の退職金支給に関しご相談したいことがあります。先日,弊社従業員が,親族を通じて,一身上の都合で退職をしたいと申し出てきました。当該従業員は勤務態度や勤務実績も良好だったため,会社としては驚き,連絡をくれた親族に理由を聞きましたが,口篭って理由を教えてくれませんでした。やむを得ず退職手続の準備をすすめていたところ,報道により,当該従業員が痴漢行為で逮捕,勾留されていたことが明らかになりました。当該従業員の退職辞令は,すでに発令してしまっていますが,社内では懲戒処分や退職金についても不支給にすべきではないかということが検討されています。当該従業員に対し懲戒処分を科したり,退職金を不支給にしても問題はないでしょうか。
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回答:
1. 懲戒処分は,使用者が企業秩序維持のために労働者に対して行う処分ですので,退職辞令が出てしまっている現時点では,当該従業員に懲戒処分を科すことはできません。一方,退職金については,賃金の後払的性格と功労報償的性格を併有しているので,「退職金を不支給や減額するだけの功労を減殺してしまう非違行為」があれば,支給制限は可能と解されます。もっとも,退職金の支給制限については,賃金の後払的性格も考慮され,裁判例上は,全額不支給は認められ難い傾向にあります。
2. 解説では退職金の支給制限について裁判例を紹介しますので,裁判所の示した非違行為の内容と不支給割合についての判断をご参照ください。ちなみに,判例では,「退職金を不支給や減額するだけの功労を減殺してしまう非違行為」に該当するか否かの基準として,@犯罪の罪名,具体的な犯罪行為の違法性の軽重。A被害者に対して真摯な対応をしているかいなか,B違法行為が私生活上の非行であるか否か,C業務上の支障や会社の社会的評価及び信用の低下が間接的なものにとどまっているか否か,という点を挙げています。
3. 退職慰労金に関する関連事例集1129番,497番参照。
解説:
(労働事件解釈の指針)
先ず,労働法における雇用者,労働者の利益の対立について申し上げます。本来,資本主義社会において私的自治の基本である契約自由の原則から言えば,労働契約は使用者,労働者が納得して契約するものであれば,特に不法なものでない限り,どのような内容であっても許されるようにも考えられますが,契約時において使用者は経済力からも雇う立場上有利な地位にあるのが一般的ですし,労働者は労働力を提供して賃金をもらい生活する関係上から,さらに長期間にわたり指揮命令を受けて拘束される契約の性質上,常に対等な契約を結べない危険性を有しています。
しかし,そのような状況は個人の尊厳を守り,人間として値する生活を保障した憲法13条,平等の原則を定めた憲法14条の趣旨に事実上反しますので,法律は民法の雇用契約の特別規定である労働法等(基本労働三法等)により,労働者が対等に使用者と契約でき,契約後も実質的に労働者の権利を保護すべく種々の規定をおいています。法律は性格上おのずと抽象的規定にならざるをえませんから,その解釈にあたっては使用者,労働者の実質的平等を確保するという観点からなされなければならない訳ですし,雇用者の利益は営利を目的にする経営する権利(憲法29条の私有財産制に基づく企業の営業の自由)であるのに対し,他方労働者の利益は毎日生活し働く権利ですし,個人の尊厳確保に直結した権利ですから,おのずと力の弱い労働者の利益を保護する配慮が要求されることになります。
ちなみに,労働基準法1条は「労働条件は,労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきものでなければならない。」第2条は「労働条件は労働者と使用者が,対等の立場において決定すべきものである。」と規定するのは以上の趣旨を表しています。従って,使用者,労働者共に以上の趣旨を踏まえて退職後の懲戒解雇,非違行為に基づく退職慰労金の支給内容を検討し,法規等の解釈が必要となります。
1 退職金の法的性格
退職金は,労働契約が終了すれば当然に発生するものではなく,それを支給する規定や慣行があってはじめて支払義務が発生します。他方で,退職金は,通常,算定基礎賃金に勤続年数別の支給率を乗じて算定されるので,賃金の後払いとしての性格をもつといわれています。
退職金が純粋な賃金の後払いであれば,その不支給については,賃金全額払の原則(労働基準法24条1項)に反することになりそうです。しかし,退職金は,支給対象者が退職したときに具体的な支払請求権として発生するものであり全額払いの原則には反しないとされ,また,自己都合退職と会社都合退職で支給率が異なっていることなどから,退職金は功労報償的な性格も有するといわれています。
2 退職金の支給制限について判断を示した裁判例
以下紹介する2つの判決は,当該事案における退職金の法的性格について判断を示した後,退職金の支給制限に関する一般的ルールについて判示しています。
<東京地方裁判所平成8年4月26日判決>
「まず,被告における退職金の性格について検討する。(証拠略)によれば,退職年金規約一七条二項は,退職一時金の給付額は,勤続期間に応じ,退職時の基準給与に別表2(略,以下同じ)に定める給付率を乗じた額とするとして,支給条件を一義的で明確に定めていることから,退職金の支給は使用者の義務とする趣旨であると解されること及び前記認定のとおり,給与規程三二条及び退職年金規約三三条には,従業員が懲戒解雇された場合における退職金の支給制限規定が置かれていることからすれば,被告における退職金は基本的に賃金の性格を有し,付随的に功労報償的性格をも併せ有しているものと解される。
そして,被告会社における退職金の性格が以上のとおりで,退職年金規程等に右のような退職金不支給規定が置かれている会社において,従業員につき自己都合退職後に在職中懲戒解雇事由が存在していたことが判明した場合においては,右懲戒解雇相当事由が当該従業員の永年の勤続の功を抹殺してしまうほどの重大な背信行為である場合には,当該退職者が退職金請求権を行使することは,権利濫用として許されなくなると解するのが相当である。」
<大阪地方裁判所平成14年1月31日判決>
「従業員としての退職金は,賃金の後払い的な性格をも有するが,功労報酬的な性格をも有し,懲戒処分によって解雇された場合は,退職金を支給しないこととするのが通常であるところ,証拠(甲9,乙11)によれば,被告においては,平成3年10月1日から実施された一部改正による改正前の退職金規程では,懲戒処分により解雇する場合は,原則として退職金を支給しないものとされ,事情により取締役会の承認を得て,自己都合退職の場合による料率(B率)を限度に退職金を支給することができることとされていた(乙11の第4条2項)のに対し,その後の一部改正により,従前のような例外を定めたただし書が削除され,懲戒処分により解雇した場合には退職金を支給しないこととされた(甲9の第6条)ことが認められる。このような退職金の性格を考慮すれば,退職までに非違行為が発覚しなかったために自己都合退職を是認したが,退職金を支払うまでに非違行為が発覚し,当該非違行為が発覚していれば,明らかに懲戒解雇をしたと考えられる場合は,退職金規程の解釈として,退職金の支払を拒むことが許されるものと解するのが相当である(仮にそのような解釈が許されないとしても,退職金請求権を行使することが権利濫用に該当することを理由にその行使が許されず,結果として退職金の支払を拒むことができるものと解するのが相当である。)。」
いずれの裁判例においても,当該事案における退職金について,賃金の後払い的な性格と功労報償的な性格を併有することを認めつつ,「永年の勤続の功を抹殺してしまうほどの重大な背信行為である場合」や「明らかに懲戒解雇をしたと考えられる場合」には,退職金不支給を認めています。
ここで,懲戒解雇相当事案であれば,直ちに退職金不支給とできるかが問題となります。前掲東京地裁判決の判示する「永年の勤続の功を抹殺してしまうほどの重大な背信行為」は,理論上,懲戒解雇事由とは異なる概念と考えられるからです。
功労の減殺については程度問題であり,懲戒解雇のように有効か無効かという2者択一の問題ではなく,割合的な減殺も考えられます。
以下,退職金の一部支給制限を認めた裁判例を紹介します。この裁判例は,強制わいせつ致傷罪を起こした労働者が,勤務先会社を合意退職し,その後,退職金を請求した事案です。裁判所は,種々の事情を勘案の上,懲戒解雇相当事案との含みをもたせつつも,退職金については55パーセントを超える減額はできないとの判断を示しました。すこし長くなりますが,裁判所がいかなる事情を考慮したのかがわかりやすくまとまっているため,該当箇所の全文を引用します。
<東京地方裁判所平成24年3月30日判決>
「(1)前記第2の1(4)〔3〕記載のとおり,被告における退職手当は賃金後払いとしての性格を有している一方で,本件退職金規定122条において退職金が不支給あるいは減額となる,あるいは,支給が制限される旨定めており,功労報償としての性質も併有する。そして,被告における退職手当が両者の性格を併有していることからすると,本件不支給規定によって,退職金を不支給ないし制限することができるのは,労働者のそれまでの勤続の功労を抹消ないし減殺してしまうほどの信義に反する行為があったことを要するものと解される。
(2)〔1〕本件非違行為は,被害者の性的自由及び身体の安全を保護法益とする強制わいせつ致傷罪(刑法181条1項)に該当し,その法定刑は無期又は3年以上の懲役であり,原告は,本件非違行為を罪となるべき事実として,前記第2の1(3)〔3〕記載の判決の宣告を受けたが,宣告刑の量刑に当たっては,本件非違行為の計画性,態様の悪質性・危険性,動機の自己中心性,被害者に与えた精神的苦痛及び軽いとはいえない傷害の程度,社会的影響の他,前記第2の1(3)〔2〕記載の示談が成立し,被害者が原告を許す意向を示し寛大な処分を望んでいること,わいせつな行為の程度が強制わいせつの事案の中では比較的軽微なものにとどまっていることなどが斟酌され,本件に至る経緯,生活状況,身近な監督者がいないことなどを考慮して,保護観察が付された。
〔2〕本件非違行為は,被害者の性的自由及び身体の安全等を侵害する不法行為に該当するところ,民事上の責任は,前記第2の1(3)〔2〕記載の示談によって解決済みであり,被害者が原告の謝罪を受け入れて宥恕していることからして,被害者に対する道義的な責任についても,社会通念上相当な解決をみている。
〔3〕原告は,本件非違行為を敢行した当時,被告の産業医による健康管理区分の指定に従い,病気の回復につとめることを前提として,賃金については減額されることなく,短時間勤務となっていたにもかかわらず,本件非違行為を敢行したものであり,同措置の趣旨を踏みにじったといわざるを得ず,被告に対する関係で背信的な面を有する側面を有することは否定できないものの,本件非違行為の態様及び性質からいって,本件非違行為により被告の使用者責任が生じたり,被告の社会的な責任が追求されたり,その社会的な信用が低下するものとはいえず,私生活上の非行に該当するに過ぎない。
〔4〕原告は,本件非違行為を敢行するに至った経緯として,業務に起因して精神疾患を発症していた旨主張するが,業務に起因して精神疾患を発症したことを認めるに足りる証拠はなく,本件非違行為の内容からいって,精神疾患を発症していたこと自体が,本件非違行為を敢行したことについての酌むべき事情に当たるものともいえない。
(3)〔1〕被告は,本件非違行為に関して,前記第2の1(3)〔4〕の報道対応の他,捜査機関の任意捜査に対する協力を余儀なくされ,その限度で被告の業務に具体的な支障が生じたが,本件非違行為が,私生活上の非行であったために,被害者への対応などの本件非違行為の解決あるいは事後処理のための積極的な対応を余儀なくされることはなかった。
〔2〕本件非違行為の報道において,原告の肩書きは概ね「会社員」ないし「元会社員」として報道されており,被告の社員ないし元社員であることを明示する報道においても,当該事実は原告の社会的地位ないし身上を示す意味で報道されたに過ぎず,前記第2の1(3)〔4〕記載のとおり,被告が報道機関から求められてコメントをするなどの報道対応を余儀なくされたことが認められるものの,あくまでも私生活上の非行としての報道であって,それ以上に被告社員であった原告が本件非違行為を行ったことによって,被告自身が社会的な非難の対象となったものとは認めがたく,前記のような報道がなされたこと自体によって,被告の業務に具体的な支障が生じたり,被告の株価が下落するなど,被告の社会的な評価ないし信用が具体的に低下ないし毀損されたことを認めるに足りる証拠はない。
〔3〕したがって,本件非違行為によって被告に生じた業務上の支障,社会的評価・信用の低下も,間接的なものにとどまり,その程度も前記認定の程度にとどまる。
(4)〔1〕被告は,辞職届の受理を拒否して,労働者による解約によって終了させる,あるいは,懲戒解雇によって終了させることなく,辞職を承認して原告との雇用契約を合意により解消した。
〔2〕本件非違行為は,法定刑が無期又は3年以上の懲役となる強制わいせつ致傷罪(刑法181条1項)に該当し,原告が被告の社員ないし元社員である旨の報道もなされたことを踏まえると,本件非違行為は,社員就業規則76条第1号(法令又は会社の業務上の規定に違反したとき),同条第11号(社員としての品位を傷つけ,又は信用を失うような非行があったとき)に該当し,その重大性等にかんがみれば,懲戒解雇も選択肢として検討されうる事案であることは否定しがたいものの,被告が現に合意退職に応じていることからすると,それが不可避の事案であるとはいえず,諭旨解雇とするなどそれ以外の選択の余地がない事案であったものとはいえない。また,本件非違行為が私生活上の非行であること,本件非違行為によって直接被害を被った被害者との間の法律的あるいは道義的な問題が前記第2の1(3)〔2〕記載の示談によって解決していること,本件非違行為によって生じた業務上の支障,社会的評価・信用の低下も,間接的なものにとどまり,その程度も前記認定の程度にとどまっていることなど諸般の事情にかんがみれば,本件非違行為がそれまでの勤続の功労を抹消するものとは言い難く,著しく減殺するにとどまるものであって,減殺の程度は5割5分を上回るものとは認められない。」
3 ご相談の件に関する検討
先ほど紹介した東京地方裁判所平成24年3月30日判決は,強制わいせつ致傷罪という重い罪の事案ではあるものの,同罪の事案としては軽微な事案であること,被害者に対して真摯な対応をしていること,非違行為が私生活上の非行であること,業務上の支障や会社の社会的評価及び信用の低下も間接的なものにとどまっている点を考慮して,一部の支給制限しか認めませんでした。
ご相談の件は,痴漢行為ということなので,具体的な犯行の内容によりいわゆる迷惑行為防止条例違反か強制わいせつ罪に該当することになります。犯罪の重さとしてはどちらの罪状事件かで罪の重さは大きく異なりますが,前記の判例の事案の強制わいせつ致傷罪と比較した場合は,どちらにしても軽微な事案といえます。対象者の退職金の支給・不支給については,裁判所が考慮した諸般の事情を参考に決定すべきですが,全額不支給とした場合,労働者から訴訟を提起されると労働者の請求が一部認められる可能性が高いと思われます。
また,不支給や一部不支給とする場合には,事前に対象者に対する事情聴取や弁明の機会付与などを行ったほうが望ましいので,手続きの進め方や妥当な支給金額については,関係資料を持参の上,弁護士に相談することをおすすめします。
<参照条文>
労働基準法
24条(賃金の支払)
1項 賃金は,通貨で,直接労働者に,その全額を支払わなければならない。ただし,法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては,通貨以外のもので支払い,また,法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合,労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては,賃金の一部を控除して支払うことができる。