新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1421、2013/02/28 00:00 https://www.shinginza.com/qa-souzoku.htm

【相続・遺産分割の債権者に対する効力・遺産分割協議の無効と相続放棄の熟慮期間の関係・法定単純承認への影響・最高裁判所昭和59年4月27日判決・大阪高等裁判所平成10年2月9日判決・最高裁判所昭和34年6月19日判決】

質問:相続人の債務を引き継がないという前提で、遺産を相続しない旨の遺産分割協議書を作成しました。しかし、債権者から相続分相当の相続人の負債を請求されています。債権者の主張は正しいのでしょうか。今から相続の放棄をして負債を引き継がないようにすることはできますか。詳しい事情は次のとおりです。私の実家は個人事業を営んでいるのですが,半年程前に実家の父が亡くなりました。実家の事業は,生前から父を補佐していた兄が引き継ぐことになりましたので,相続人である母と兄と私の3人で話し合って,すべての遺産を兄が取得するように遺産分割協議書を作成しました。しかし,最近になって生前父が総額1億円近くの債務を負っていたことがわかり,債権者の銀行から私と母宛てにも請求がきています。父の事業に関する全ての資産は負債も含めて兄が引き継ぐつもりで遺産分割協議を行いました。兄もそのつもりで私と母に迷惑はかけないと言ってくれていますが,銀行の担当者からは法定相続分に応じた負債額は請求すると言われています。負債も兄に引き継いでもらうという遺産分割に効力はないのでしょうか。また,このような遺産分割が無効であれば,私と母は相続放棄をしたいのですが,できないでしょうか。



回答:
1.被相続人の金銭債務については,遺産分割の対象から除外され,判例上,各相続人が相続分に応じて承継するとされています。したがって,負債も兄に引き継いでもらうという遺産分割については,債権者との間では効力を有しません(相続人の間での約束としては有効ですから、あなたが債権者に支払った場合はお兄様に請求できます)。
2.次に,あなたとお母様が相続放棄をできるかについては,原則として遺産分割協議が完了している場合、相続を承認したことになり放棄はできません。しかし、個別の事情に左右されますが、相続債務がないと誤信して遺産分割協議をした場合は、遺産分割協議が錯誤により無効となり、遺産分割協議がなかったことになり、相続放棄が認められる可能性はあります。相続放棄の可否については,判例,条文を引用しつつ解説しますので,以下の解説をご覧ください。
3.関連事例集論文 遺産分割と相続債権者への影響について822番、808番、795番、782番参照。相続放棄の期間算定における「相続開始を知った時」の解釈について917番、820番、754番参照。

解説:
1 金銭債務の相続について
  (1)金銭債務の相続については,最高裁判所昭和34年6月19日判決が以下のとおり判示しています。
 「債務者が死亡し、相続人が数人ある場合に、被相続人の金銭債務その他の可分債務は、法律上当然分割され、各共同相続人がその相続分に応じてこれを承継するものと解すべきである。」
  ご相談の件では,負債も含める趣旨で遺産分割を行ったとのことですが,このように一人の相続人に債務を集中する遺産分割を認めると,資力のない相続人に負債を集中させることで被相続人の債権者を不当に害することになります。それゆえ,判例は,可分債務については,法律上当然分割となると判断したものと解されます。
  もっとも,債権者が同意してくれれば,一人の相続人がすべての債務を引き受け,他の相続人は債務を免れることも可能です。また,債権者には対抗できないものの,相続人間で相続債務について内部分担を決めておくことは可能です。

  (2)理論的にも説明をしておきます。本件のように被相続人の債務を母、兄弟で共同相続した場合、債務は共同相続人にどのように帰属するかという問題があります。民法896条は、相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の「権利義務」を承継する。と定め、民法898条は「共有」と規定し、民法899条は、「その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する。」と抽象的に規定していますが、解釈上、相続発生と同時に債務の共有関係は解消されて法定相続分に従って当然分割された債務を相続することになります。逆の債権の共同相続と同様に考えるわけです(事例集bW08号参照)。
  前記判例(最高裁判決昭和34年6月19日)も認めています。898条の共有という文言を財産法上の共有(民法249条以下)と解釈するのですが(本条の共有を、特殊な共同所有である合有と考えると各相続人が全債務を負うとの解釈が可能となります)、相続債権(相続財産を構成する債権ではなくて相続人に対する債権です)が計算上可分であれば相続人の債務も当然分割されてその範囲でのみ各相続人は債務を負うことになります。898条は、相続財産(消極財産である負債も勿論含まれます)は共有であると書いてあるのですが、共有関係と規定したそもそもの理由は不動産、動産等遺産を数量的に当然分割できない権利がありますし、遺産の公平な分配のため特に共有と規定し遺産分割協議、家事審判により分割を行おうとするものです。しかし,分割可能な債務は性質上共有になじみませんし、計算上の分割が可能で権利関係が明快であり当然分割と考えても相続人に不利益はありません。むしろ当然分割されないと各相続人に全額請求の可能性があり積極財産より多く負担することになり不利益、不公平です。相続債権者(取引の安全)の面からみると債務は分割されますが、その分分割により債務者の人数も増え特に不利益とはいえないでしょう。

  次に、本件のように遺産分割によりすべての財産、債務を共同相続人の1人に相続させた場合、相続人間では問題ないにしても相続債権者に対する関係で債務の帰属関係はどうなるか問題となります。もし相続債権者に対しても有効であれば、そもそも債権者は、遺言・遺産分割により具体的相続分がない者に対して父の負債の請求ができないことになるからです。この点、条文899条は「その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する。」と規定していますが、この「相続分」とは法定相続分を指すか、具体的な相続分(さらに遺言による指定相続分を指すか、遺産分割による具体的相続分かも問題です)を意味するか解釈する必要があります。結論を言えば、債務の相続の場合相続分とは法定相続分を意味し、これに反する遺言、遺産分割協議は対相続債権者に対して効力を有しないものと考えます。理由をご説明いたします。

  理論的に言うと積極財産は本来の権利者である被相続人が自由に遺言により処分できますが、債務者は自らの債務について利害関係を有する債権者の了承なく自由に処分することはできない性格を有するので積極財産と一緒に論ずることができません。被相続人であろうと、各相続人であっても自らの債務の内容を債権者の了解なく処分変更できないのです。債権であれば、誰が債権者かは債務者にとり重要なことではなくそれゆえに債権譲渡は自由なのです(民法466条)。しかし、債務は履行するかどうか債務者の財産、性格により左右されますので債務者自身が勝手に内容を変更できないのです。従って、本件のように被相続人が全財産と債務をある相続人に相続させると遺言をしても(遺産分割で一人に債務をおわせても)相続債権者には主張、対抗できず、債権者は依然として法定相続人である貴方に法定相続分に従い請求権を有するのです。何も受け取っていない貴方が法定相続分に従い負債だけを負うのはおかしいように思いますが、それを前もって回避するために相続放棄手続き(民法915条)が用意されています。

2 相続放棄の可否について
(1)相続放棄に関する民法上の規定
  相続放棄については,民法915条以下で規定しています。民法915条1項本文は,「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。」と定めています。そして,民法921条2号は,「相続人が第九百十五条第一項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。」について,相続人は単純承認したものとみなすと規定しています。したがって,相続放棄をするためには,原則として,相続の開始を知った時から3ヶ月(この期間を「熟慮期間」といいます。)以内に所定の手続きを経て相続放棄する必要があります。
  なお,一度単純承認や限定承認をすると,上記3ヶ月以内であったとしても撤回はできないため(民法919条1項),その後,相続放棄をすることはできません。
  ご相談の件では,@すでに相続開始を知った時から3ヶ月を経過していること,A遺産分割協議は相続財産の処分行為として法定単純承認事由に該当すること,という2つの事情により相続放棄ができないのではないかが問題となります。

(2)熟慮期間について
  熟慮期間については,その起算点である「自己のために相続の開始を知った時」をいかに解するかが問題となります。
  この点について,古い判例ですが大審院大正15年8月3日決定は,「相續人カ自己ノ爲ニ相續ノ開始アリタルコトヲ知リタル時トハ相續人カ相續開始ノ原因タル事實ノ發生ヲ知リタル時ノ謂ニ非スシテ其ノ原因事實ノ發生ヲ知リ且之カ爲ニ自己カ相續人ト爲リタルコトヲ覺知シタル時ヲ指稱スル」と判示しています。すなわち,「自己のために相続の開始を知った時」といえるためには,相続開始の原因事実を知り,かつ具体的に自己が相続人となったことを知る必要があります。
  ご相談の件では,あなたが,お父様が亡くなったこと及び自身が相続人となったことを知った日から熟慮期間が進行するのが原則となりますので,この原則に従えば熟慮期間はすでに経過しているものと思われます。

  しかし,最高裁判所昭和59年4月27日判決は,この原則に対する例外を認めました。同判例はこの原則の趣旨に遡りつつ,例外を認める要件を示していますので該当箇所を原則部分と例外部分に分けて引用します。
 「民法九一五条一項本文が相続人に対し単純承認若しくは限定承認又は放棄をするについて三か月の期間(以下「熟慮期間」という。)を許与しているのは、相続人が、相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となつた事実を知つた場合には、通常、右各事実を知つた時から三か月以内に、調査すること等によつて、相続すべき積極及び消極の財産(以下「相続財産」という。)の有無、その状況等を認識し又は認識することができ、したがつて単純承認若しくは限定承認又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいているのであるから、熟慮期間は、原則として、相続人が前記の各事実を知つた時から起算すべきものである」

「相続人が、右各事実を知つた場合であつても、右各事実を知つた時から三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかつたのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、相続人が前記の各事実を知つた時から熟慮期間を起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。」
 同判例を端的に要約すると,相続財産に債務が全くないと誤信していたために相続放棄の手続をとる必要がないと考えて熟慮期間を徒過した場合には,その誤信につき過失がないことを条件に,熟慮期間の起算日を相続財産の認識時に繰り下げる,となります。

 ご相談の件では,あなたは,相続財産に債務がないと誤信していたとの要件は満たすものと思われます。次に,誤信について,あなたのお父様の生活歴、お父様とあなたとの間の交際状態その他諸般の状況からみてお父様の相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続債務は存在しないと信じるについて相当な理由があると認められる場合には,熟慮期間は相続財産の認識時,すなわち,銀行から請求が届いた時点から熟慮期間を算定することになります。誤信についての過失の有無については,家族間の交際状況等の具体的な事情が重要になってきますので,法律相談の際には,平素のお父様やお兄様と付き合いや,実家の事業に対するあなたのかかわりの有無について簡単なメモなどを作っておくとよいでしょう。

(3)既に遺産分割協議がなされている点について
  ご相談の件で,熟慮期間の起算日が銀行から請求を受けた日と認められるような例外的な事情がある場合でも,あなたは,遺産分割協議を行っているためこれが単純承認に該当し,撤回して相続放棄をできないのではないかが問題となります。
  この点については,大阪高等裁判所平成10年2月9日判決が参考になります。同裁判例は,相続債務が存在しないと誤信して遺産分割協議がなされた場合,この遺産分割協議については,要素の錯誤として無効となる余地を認めました。
 「抗告人らは,他の共同相続人との間で本件遺産分割協議をしており,右協議は,抗告人らが相続財産につき相続分を有していることを認識し,これを前提に,相続財産に対して有する相続分を処分したもので,相続財産の処分行為と評価することができ,法定単純承認事由に該当するというべきである。しかし,抗告人らが前記多額の相続債務の存在を認識しておれば,当初から相続放棄の手続を採っていたものと考えられ,抗告人らが相続放棄の手続を採らなかったのは,相続債務の不存在を誤信していたためであり,前記のとおり被相続人と抗告人らの生活状況,満康ら他の共同相続人との協議内容の如何によっては,本件遺産分割協議が要素の錯誤により無効となり,ひいては法定単純承認の効果も発生しないと見る余地がある。」

3 最後に
  本解説で紹介した2つの判例(最高裁判所昭和59年4月27日判決,大阪高等裁判所平成10年2月9日判決)は,いずれも相続債務が存在しないと誤信して相続放棄の手続きをとらなかった相続人を例外的に救済する結論を導いています。
  ご相談の件においても,お兄様が意図的に相続債務をあなたに知らせずにいたなど,保護されるべき事情があれば,相続放棄が認められる可能性はあるといえます。原則に従えば,前述のとおり相続放棄はできないことになるため,ご自身で相続放棄の手続を行っても簡単には認められないことが予想されますのでお近くの法律事務所にご相談することをおすすめいたします。

<参照条文>

民法
(相続の承認又は放棄をすべき期間)
915条1項
相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
(相続の承認及び放棄の撤回及び取消し)
919条1項
相続の承認及び放棄は、第九百十五条第一項の期間内でも、撤回することができない。
(法定単純承認)
921条
次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。
1号  相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び第六百二条に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない。
2号  相続人が第九百十五条第一項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。
3号  相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。

法律相談事例集データベースのページに戻る

法律相談ページに戻る(電話03−3248−5791で簡単な無料法律相談を受付しております)

トップページに戻る