新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1427、2013/03/26 00:00 https://www.shinginza.com/qa-roudou.htm

【民事・パワーハラスメント(パワハラ)問題と損害賠償請求・理論的根拠・対策・東京地方裁判所平成21年1月16日判決】

質問:会社の元上司からのパワハラに関するご相談です。私は,とある商社で営業の仕事についていたのですが,上司から「おまえは全然仕事ができない,使えないやつだな。この会社にいる意味があるのか。」,「そんなこともできないなら死んじまえ。」等,事あるごとに罵倒され続けていました。私はそのことが原因でうつ病になってしまい,会社も欠勤するようになってしまいました。精神的にかなり追いつめられてしまい,自殺未遂も起こしてしまいました。結局,上司との関係も修復することも期待できないため,会社を退職しました。今更会社に戻るつもりもありませんが,会社と元上司に対して治療費,慰謝料等の損害賠償請求をしたいと思っています。今後,どのように動いていけばいいでしょうか。



回答
1.今回,元上司の行った行為は,いわゆるパワーハラスメント(パワハラ)行為となりますので,金銭的な損害賠償の対象になりえます。具体的には,@元上司に対する不法行為に基づく損害賠償請求,A会社に対する使用者責任に基づく損害賠償請求,職場環境配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償を請求し,治療費や慰謝料等を請求することとなります。ただ,パワハラ行為の存在についてはこちらで立証しなければならず,ある程度の証拠を集めなくてはなりません。また,集めた証拠を前提に,当該パワハラが不法行為(債務不履行)上違法であることを,法的に構成し,主張する必要があります。本件でも,元上司から言われた内容について録音し,日記等を付け,また証言してくれる第三者等の証拠の確保に努めるべきです。さらに,法的構成として,元上司の行為の悪質性,こちらの心理的な負荷が過度に蓄積させるような行為であったことを主張し,不法行為が成立するほどの違法性を帯びるものであると主張する必要があります。ご本人で手続きを進めることが難しい場合には,お近くの弁護士までご相談ください。
2.その他,安全配慮義務に関連する事例集としては,1204番,1053番,1014番,936番,871番,730番,588番,567番,563番,548番参照。

解説:
第1 パワーハラスメント(以下,「パワハラ」)問題について
 1 パワハラとは
 パワハラとは,力関係において優位にある上位者が,下位者に対して,精神的,身体的に苦痛を与えること等をいいます。
 「職場において,職権などの力関係を利用して,相手の人格や尊厳を侵害する言動を繰り返し行い,精神的な苦痛を与えることにより,その人の働く環境を悪化させたり,あるいは雇用不安を与えること」と表現されることもあります(中央労働災害防止協会による表現)。ただ,法令上明確な定義付けはなされていません。
 そして本件については,力関係において有利な立場にある上司が,部下に「死んじまえ」等と言って罵倒し,結果,うつ病等の苦痛を被ってしまったのですから,まさにパワハラ事例に該当するものと考えられます。

 2 損害賠償請求について
 パワハラ行為が会社の被用者(従業員)に行われた場合,被用者の生命と身体の安全,名誉やプライバシー等の人格権,働きやすい就業環境で就業する権利(労働契約法第5条)等が侵害されることとなります(被侵害利益)。
 そして,これらの利益が侵害された場合,以下のような損害賠償請求が可能とされています。

(1)元上司に対する不法行為に基づく損害賠償請求
 パワハラ行為によって,上記の被侵害利益を侵害された場合,当然当該行為を行った加害者には不法行為が成立することとなります(民法第709条,第710条)。本件では,罵倒をした元上司が加害者に該当することとなり,精神的苦痛を被った慰謝料などの損害を請求することとなります。

(2)会社に対する使用者責任に基づく損害賠償請求,職場環境配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償請求
 パワハラ行為を行った被用者(従業員)の行為が,会社の「事業の執行について」なされたものであると評価できるような場合には,会社に対して使用者責任を追及することとなります(民法第715条第1項)。
 また,労働契約法第5条において,使用者は良好な就業環境を整備する義務を負うものとされています。したがって,使用者である会社がそのような義務に怠った場合には,職場環境配慮義務違反の債務不履行に基づいて損害賠償請求ができることとなります(民法第415条)。
 本件でも,会社に対して元上司と同じ内容の損害を賠償するように求めることができます。具体的な損害項目としては,治療費等の支出分や精神的苦痛を被ったことによる慰謝料,休業損害といったものが考えられます。

第2 損害賠償請求の具体的な方法
 1 立証責任について
 上記のように,本件では,@元上司に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を求め(民法第709条。第710条),A会社に対して使用者責任に基づく損害賠償請求(職場環境配慮義務違反に基づく損害賠償請求)を,裁判外の交渉か訴訟(労働審判)を提起することによって求めることとなります(民法第415条,715条第1項)。
 しかし,いずれの請求についても,被害者側であるこちらが立証責任を負うこととなります。具体的には,@法律上保護される利益,A加害行為の存在,B相手方の故意・過失,C損害の発生及び額,DAとCの因果関係,E加害行為が違法であること,となっています。
 使用者責任については,さらに,会社が事業のために加害者である被用者を使用していたこと,加害行為が会社の事業の執行についてなされたこと,が必要です。職場環境配慮義務違反(債務不履行)については,@雇用契約の存在,A職場環境配慮義務の不履行,B損害の発生及び額,CAとBの間の因果関係,ということになります。すなわち,会社に責任追及する為には当該パワハラ行為が,時間的・場所的にみて,会社の業務との関連性を持つことを立証しなければなりません。

 2 主張方法
(1)損害賠償請求訴訟
 本件で,相談者様がご希望しているのは会社への復職等ではなく,会社や元上司への損害賠償請求ということですから,会社や元上司との間で金銭を支払うように請求する交渉を裁判外で行うか,裁判所に訴えを提起し強制的な解決を求めることとなります。

(2)仮処分の活用
 既に退職してしまい復職を希望しないということで,本件とは直接関係ありませんが,仮に会社に在職しつつパワハラ行為を止めさせたい場合には,人格権を被保全権利としてパワハラ行為を止めさせるように仮処分を利用することも考えられます(民事保全法第23条参照)。さらに,パワハラ行為の態様がひどい場合には,傷害罪や脅迫罪,強要罪等で刑事告訴をするといった手段も考えられるでしょう。

3 パワハラ行為の立証について
(1)パワハラ行為とされる事実の存在の立証
 以上のように,パワハラ行為を受けた場合には,何らかの形で損害賠償請求をすることが可能です。しかし,パワハラ行為の有無や態様については事実認定の問題であるところ,その立証のためには客観的な証拠が必要となってきます。具体的には,録音・録画媒体への記録,記載が継続的になされている日記,相手方や会社とのメールのやり取り,関係者の供述,といったものを証拠として収集しておく必要があるでしょう。
 ただ,関係者の供述については,その内容がそのまま証拠になるわけではなく,信用性のある供述であることが前提です(パワハラ行為の存在が争われた場合)。具体的には,供述内容が他の客観的証拠と整合していること,供述内容が一貫していること,供述内容の合理性等の観点から,当該供述が本当に信用できるものなのかが吟味されることとなります。

(2)パワハラ行為が違法であることの立証
 ア さらに,パワハラ行為についてはその法的評価についても争われることが多く,仮にパワハラとして争われている行為が,「正当な職務行為」などとして社会通念上相当な言動と評価される場合には,不法行為(債務不履行)を構成するほどの違法性が無いものとして,損害賠償の対象にならないとされています。
 そして,正当な職務行為といえるかについては,行為の目的,態様,頻度,継続性の有無,被害者と加害者(本件では元上司)との関係,といった考慮要素を元に判断されることとなります。
 上記考慮要素を元に,当該行為が脅迫等に準じるような害悪の告知がなされるなど,社会通念を逸脱したような言動がなされた場合には,不法行為としての違法性を帯びることになるでしょう。一方,外形的にでも職務上の必要性を有する行為であったと認められれば,業務指導の一環として違法性は否定される可能性が高くなります。
 パワハラ行為の違法性が争われた判例で参考になるものとして,東京地裁平成21年1月16日判決を挙げます。本判例は,対象となる従業員に直接の暴力はふるってはいないものの,他の従業員がいる前で「ばかやろう。」等と罵ったり,罵倒したことが,不法行為としてのパワハラ行為に該当しないかが争われた事案です。そして,本判例では,「単なる業務指導の域を超えて,原告の人格を否定し,侮辱する域にまで達しているといえ」,不法行為としての違法性を認めています。そして,慰謝料の額としては,80万円が認められました。

 本件においても,元上司は執拗に「この会社にいる意味があるのか。」「死んでしまえ。」等と罵倒しており,そのことが原因となってうつ病になったり,さらには自殺未遂を起こしてしまったのですから,人格を否定する等害悪の告知に準ずるような言動ですし,業務上も不必要であったといえるでしょう。行為態様としては極めて悪質なものと評価することができます。
 したがって,不法行為(債務不履行)としての違法性を帯びるものとして,本件も慰謝料請求等損害賠償の対象になるでしょう。

 イ なお,うつ病に罹患したこと,自殺未遂を起こしたことに起因する治療費,慰謝料等損害賠償を求めるには,うつ病等に罹患したことと,それがパワハラ行為に起因するものであったことの因果関係が必要です。仮にその点が争われた場合には因果関係も立証する必要があります(診断書,関係者供述等によります)。
 また,本件パワハラ行為以前にもともとこちらにうつ病の素因があったと認定されてしまった場合には,素因減額といって,過失相殺(民法第722条第2項)の規定が類推され,こちらの損害額が減殺されてしまう可能性がありますので,この点についてもそのような素因が無いこと,無関係であることを積極的に争っていく必要があります。

4 終わりに
 以上のパワハラ行為については,こちらで立証すべき事柄も多く,また,違法性の立証など法的に難しい面もあります。ご本人で手続を行うことが難しい場合には,お近くの弁護士までご相談ください。

<参照判例> 東京地裁平成21年1月16日判決

事実及び理由
第1 請求
 被告は,原告に対し,120万円及びこれに対する平成18年6月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,被告の従業員であった原告が,被告に対し,入社時の説明と異なる業務に従事させられ,上司からパワーハラスメントを受けた結果,過去に罹患したことのあるうつ病を再発させられたにもかかわらず,そのうつ病を理由に解雇されたと主張し,解雇及びその後の対応が不法行為を構成すると主張して,慰謝料120万円及びこれに対する解雇の日である平成18年6月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
 1 争いのない事実
  (1)被告は,ワイン及び食料品の輸入並びに販売等を主たる目的とする株式会社であり,原告は,平成18年5月8日に被告に入社し,同年6月9日に解雇されたものとして扱われている。
  (2)原告は,被告に対し,平成18年6月9日,病名をうつ病とし,通院加療しながら通常勤務となったことを認める旨の,同日付け診断書を提出した。
  (3)原告は,同日,被告の地下のワインセラーで服毒自殺を図った。原告は,救急車で病院に運ばれ,一命を取り留めた。
第3 当裁判所の判断
 1 認定事実
 証拠(後掲のほか,甲1,3,4,15,16,乙7,8,証人C,同D,同Bの各証言,原告本人尋問の結果)によれば,被告に入社するに至る経緯,入社後の状況,自殺未遂に至る経緯及びその後の状況について以下のとおりの事実が認められる。
  (1)被告に入社するに至る経緯
 原告は,前職で平成16年10月ころ,産業医からうつ病の一種である気分障害との診断を受け,1か月の休職を2回した。
 その後,原告は,前職では,業務形態の変更に伴い担当したい仕事がなくなったため,退職した。このころには,2,3週間に1度薬を処方してもらうために通院は続けていたが,うつ病は通常業務が可能なまでに軽快していた。
 平成18年3月(以下の日付は,すべて平成18年のものであるため,「年」の表示を省略する。),原告は,インターネットの転職サイトで被告の求人を知り,以前からワインに関心があったため,応募した。
 その後,社長(取締役のD。代表権はないが,社内で「社長」と呼ばれているので,本判決でもそのように表記することとする。)との面接を経て,被告から内定の通知を受け,5月8日に入社することとなった。
 原告は,4月5日,E医師の診断を受け,診断名うつ病,通院加療しながら通常勤務可能となったことを認める旨の診断書(甲7)の発行を受けた。
  (2)入社後の状況
 5月8日に入社後,同月15日(月曜日)体調不良により欠勤して通院した。
 このころから,B部長は,原告がB部長の指示どおり動けなかったりした場合,他の従業員がいる前で「ばかやろう」などと罵るようになった。例えば,航空券の手配を頼まれた原告がインターネットで調べていると,「ばかやろう,旅行会社全部に片っ端から電話してみろ。」などと一方的に責め立てるなどというのがその一例である。また,別室に原告が一人だけ呼ばれることもあったが,その際も,「三浪して日大に入ったにもかかわらず,そんなことしかできないのか。」「私は,お客さまに愛されているし,英語もできるし,自分の方がよっぽど上手なんだ。」「結局,大学出ても何にもならないんだな。」と,原告を罵倒したり,「今日やった仕事を言ってみろ。」と問い,原告がその日の業務内容を答えると,「ばかやろう,それだけしかできてないのか。ほかの事務をやっている女の子でもこれだけの仕事の量をこなせるのに,お前はこれだけしか仕事ができないのか。」などと原告を叱責したりした。これらは時間にして30分近くに及ぶことが多かった。また,原告の電話の対応を問題として,「お前は電話を取らなくていい。」などと言って原告の仕事を減らしたりもした。
 その後も,原告は,同月23日から26日まで体調不良により欠勤した。
 6月初めころ,原告は,これまで住んでいた実家(千葉市)から,会社の近くの渋谷区恵比寿に転居した。
  (3)自殺未遂に至る経緯
 6月8日,原告が執務中に居眠りをしていたため,B部長から注意され,その理由を聞かれたため,病気で通院中であり,薬を飲んでいるせいかもしれないと答えると,B部長は,「お前はちょっと異常だから,医者にでも行って見てもらってこい。」と言われた。原告は,翌日午前中に通院するため,実家に帰った。
 6月9日,原告は,大塚クリニックで受診し,4月5日付け診断書と同文の診断書(乙1)の発行を受けた。その後,原告は,出社し,この診断書をB部長に提出したところ,B部長は,「うつ病みたいな辛気くさいやつは,うちの会社にはいらん。うちの会社は明るいことをモットーにしている会社なので,そんな辛気くさいやつはいらないし,お前が採用されたことによって,採用されなかった人間というのも発生しているんだ。会社にどれだけ迷惑をかけているのかわかっているのか。お前みたいなやつはもうクビだ。」などと30分くらいにわたり罵声を浴びせた。
 原告は,B部長からクビだと言われて途方に暮れ,また,うつ病からくる自殺願望が出てきたため,遺書を書き,地下のワインセラーに降りて,処方された薬を2週間分飲んで自殺を図った。
 その後,原告は,原告がいつまでも地下から上がってこないことを心配した従業員に,倒れているところを発見され,救急車で病院に運ばれたため,一命を取り留めた。
 原告の両親は,被告から,原告が自殺未遂のため病院に運ばれた旨の連絡を電話で受け,病院に駆けつけ,原告が無事であることを確認したが,被告から,両親のいずれかに会社まで来てほしいと言われたため,原告の母親が会社まで行った。すると,社長は,原告の母親に対し,今回の出来事について被告に一切の責任がない旨の書面を出すよう求め,原告の母親はこれに応じて,「Xこと,私共の長男は株式会社Yに入社する以前より,うつ病になっておりまして,今後どの様な事が有りましても,株式会社Yには,何の責任もございませんので,ここではっきり申し上げます。」という書面(乙3)を書いて被告に提出した。
  (4)その後の状況
 6月12日ころ,原告は,解雇についての説明を聞こうとして被告に電話をしたところ,B部長が出て,「この件は君の母親との間で話がついているのでもう電話してくるな。」「ばかやろう」と怒鳴り,一方的に電話を切ってしまった。
 その後,原告は,被告の登記簿上の代表取締役であるAに対し,自分が今どのような状態になっているのかを電話で尋ねたところ,自己都合以外の事由で退職した形になっているが詳細は自分もわからないと言われた。
 そこで,原告は,7月7日付け書面(乙4)にて,雇用保険の申請に必要なので,解雇予告通知及び解雇理由証明書を交付してほしいと頼み,被告は,これに応じて解雇予告通知(甲9)及び解雇理由証明書(甲10)を郵送して原告に交付した。
 7月7日,社長は原告の母親に電話して,「被告には勤務していなかったことにしてはどうか」と言ったが,原告の母親は,それでは事実と異なるという理由で断り,弁護士に相談している旨を話したところ,「こちらも弁護士を付けるから,どうなっても知らないよ。」「契約書にサインしたのだから,息子の行動を止めろ。さもないと,息子の人生をめちゃめちゃにしてやる。」などと興奮して電話を切った。また,このころ,社長は,原告にも電話で,母親に一筆書いてもらっているのだから訴えるようなことはするなという話をし,原告がこれを拒むと,「あなたの人生をむちゃくちゃにしてやるから覚悟しておけ。」と言って電話を切ったことがあった。
 以上のとおり認められる。被告はB部長の原告に対するこれらの発言を否認し,証人Bも被告主張に沿う証言をするが,同証人は尋問中の態度から,同人がすぐに冷静さを欠く傾向のある人物であることがうかがわれ,このことに照らすと,同人が原告に対して冷静さを欠いた言動に及んでいたとしても何ら不自然ではないのであり,このような見地からすると,同証人の証言をそのまま採用することはできない。他方,原告本人尋問の結果については,相当の信用性を認めることができるから,上記のとおりB部長の発言があったものと認められる。
 2 不法行為の成否
  (1)原告のうつ病は被告の業務により発症したものか
 原告に課せられた業務がそれほど過重なものであったとは認められず,業務とうつ病との因果関係は不明であるというほかない。また,後記のようにB部長によりパワーハラスメントを受けていたことも認められるところであるが,これとうつ病との因果関係も不明というほかない。
  (2)B部長のパワーハラスメントの有無
 上記1で認定した原告に対するB部長の発言は,単なる業務指導の域を超えて,原告の人格を否定し,侮辱する域にまで達しているといえ,不法行為と評価されてもやむを得ないものということができる(なお,被告は,原告が,B部長の発言について,うつ病を理由とする違法な解雇の前提と位置づけるのみで,これ自体を不法行為とは構成していないと理解しているようであるが(被告の平成20年12月5日付け準備書面5頁),原告は,B部長の発言を,主位的にはうつ病を理由とする違法な解雇の前提と位置づけてはいるものの,予備的にはそれ自体をも不法行為と構成していると解されるから(訴状7頁参照),裁判所としては,B部長の発言自体が不法行為の対象となるか否かについて判断できるものと解する。)。
 そして,前後の経緯からして,一連のB部長の発言のうち,特に6月8日,6月9日の2日間のものは,自殺未遂の直接の原因となったものと認めることができる(この点に関し,原告を診察したE医師は,書面による尋問において,原告の自殺未遂は,当時の病状や服薬とは無関係であり,むしろ「思い知らせてやろう」という被告への当てつけであると述べており,上記のような認定は医学的知見とも矛盾するものではないと解される。)。
  (3)解雇の有無
 B部長が「クビ」と発言したことが認められるのは,前記のとおりであるが,同人に従業員を解雇する権限があるとは解されないばかりか,原告自身が,後日,原告の身分関係がどうなっているかについて被告に問い合わせていることからも,B部長の発言を解雇通告とは受け止めていたかったことが推認されるのであって,この発言をもって解雇の意思表示と認めることはできないといわざるを得ない。
 もっとも,このような発言は,従業員を困惑させるものであり,現に原告はこの発言を引き金として自殺行為に及んでいるのであり,パワーハラスメントとしてはかなり悪質であるといわざるを得ない。特に,6月9日にうつ病であることを知った後にもこのような言動を続けたことは,うつ病に罹患した場合に自殺願望が生ずることは広く知られたところであることに照らすと,うつ病に罹患した従業員に対する配慮を著しく欠くものと評価せざるを得ない。
  (4)自殺未遂後の被告の対応
 原告からの電話に対するB部長の発言及び原告の母親に対する社長の電話での発言は,およそ使用者として適切さを欠くものであるといわざるを得ないが,これ自体が独立した不法行為を構成するまでには至らないといわざるを得ない。
  (5)まとめ
 以上によれば,原告の主張する被告及びB部長の行為のうち,B部長の6月9日までのパワーハラスメント行為は不法行為を構成する。そして,B部長の同行為は被告の職務に関連して行なわれたものであるから,被告は,民法715条による責任を免れない。なお,原告の母親は,原告の自殺未遂当日に被告には一切の責任がない旨の書面を被告に提出しているが(上記1(3)),これをもって被告に対する原告の損害賠償請求権を放棄する旨の意思表示と認めることはできないから,同書面の存在は被告の責任の有無を左右しない。
 3 原告の損害
 B部長のパワーハラスメント行為により原告は,精神的に傷つき,自殺まで企てるようになったのであるから,被告にはその精神的苦痛を慰謝する責任がある。ただ,B部長のパワーハラスメント行為により自殺を企てるようになったのは,うつ病による自殺願望による面がないとはいえないと解され,6月9日までB部長は原告がうつ病であることを知らなかったのであるから,損害額を算定するに当たっては,このような原告の素因及び事情を考慮する必要がある。
 以上を勘案すると,原告に対する慰謝料の額としては,80万円をもって相当と認める。
第4 結論
 以上によれば,原告の請求は,80万円の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
 (裁判官 蓮井俊治)

<参照条文>

民法
(不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(使用者等の責任)
第七百十五条  ある事業のために他人を使用する者は,被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし,使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき,又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは,この限りでない。
2  使用者に代わって事業を監督する者も,前項の責任を負う。
3  前二項の規定は,使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

労働契約法
(労働者の安全への配慮)
第五条  使用者は,労働契約に伴い,労働者がその生命,身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう,必要な配慮をするものとする。

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