ATM機に忘れられた現金の持ち去り行為の被害者は誰か
刑事|窃盗罪|示談相手|東京高裁平成3年4月1日判決
目次
質問:
先日,銀行のATMに行ったところ,前に利用した人の現金5万円がATMの取り出し口に残っていました。私は,その5万円を持っていってしまいました。後日,警察官から現金がなかったかという電話がきましたが,ありませんでしたと答えてしまいました。以上の私の行為は,犯罪になるのでしょうか。犯罪になるとしたらどうしたらよいでしょうか。
回答:
1、現金5万円を持っていった行為については,銀行を被害者とする窃盗罪が成立します。また、前に利用した人が、銀行内あるいはATMの近くにいる場合は、前に利用した人を被害者とする窃盗罪が成立します。
2、この種の行為は、道端で現金を拾ったのと同じ感覚、いわゆる「ねこばば」で行われたと考えられるかもしれませんが、道端の「ねこばば」の場合は占有離脱物横領罪となり、ATM持ち去り行為は窃盗罪に該当します。ATMの現金は道端の現金とは異なり、管理者の占有下にあると考えられるからです。また、ATMを次に利用することで、すぐに人物が特定できること、防犯カメラにうつっていることから容易に発覚する犯罪です。
直ちに弁護士に相談して、被害を弁償、示談をする必要があります。
示談の相手方は基本的に銀行ということになります。しかし、一般的に銀行は、刑事事件について示談に応じません。しかし、本件のように実質的被害者が顧客の場合には、顧客の意思に従うのが通常です。そこで、まず顧客との示談を成功させ、その後銀行側との協議する方が得策です。被害者が被害届を取り下げれば銀行もその趣旨に沿って示談に応じる可能性が大きいでしょう。
3 窃盗に関する関連事例集参照。
解説:
1.現金の持ち出し行為(窃盗罪の成否)について
(1)窃盗罪の構成要件(成立要件)
窃盗罪(刑法235条)における構成要件は,①他人の所有,占有する財物を,②窃取(財物の占有を移転させること)し,③ ①②の事実を認識していること,④財物を自己のために利用する意思があること,です。
(2)事案における窃盗罪の成否
置き忘れられた現金,所有権が放棄された訳ではありませんから,前に利用した人の所有する現金であると扱われます(すでに口座から引き出されていますから銀行のお金ではありません)。
また、窃盗罪が成立するためには,置き忘れられた現金を自己のために利用する意思(「不法領得の意思」といいます。)が必要です。したがって,持ち出す際に,警察に届け出るつもりであった場合には,当該意思が欠け,窃盗罪は成立しません。もっとも,この不法領得の意思は客観的な行動から推測されるので,後で警察に届け出るつもりだったというような弁解は、通用しません。なぜなら、通常は銀行の窓口に届け出ればたりますし、それもせずに銀行外に出て後から警察に届け出るつもりというような弁解は通用しないからです。
(3)占有の有無について
ア 問題点
本件では,窃盗罪の成否に関し、銀行のATMの取り出し口に残っていた現金の占有が誰にあるのか(又は誰にもないのか。被害者は誰か)問題となります。
イ 規範
窃盗罪の占有は,人が物を実力的に支配する関係,物を事実上支配管理する状態であると理解されています。具体的に,事実上の支配が認められるには,主観的要素としての「支配意思」と客観的要素としての「支配の事実」から判断されます。
ウ 置き忘れた者の占有
物を置き忘れた者の占有の有無については,置き忘れてから短時間であれば,占有が認められる傾向にあります。具体的には,バスを待っている行列の中でカメラを置き忘れた者が,約20メートル離れた地点から引き返す5分間については,占有が認められています(最判昭32・11・8)。他方,スーパーの6階に置き忘れた財布を地下1階で思い出し,取りに戻った10分間については,占有を否定した裁判例があります(東京高判平成3・4・1)。この5分とか10分というのは参考になる数値ではありますが絶対的な基準ではなく、各事例の各行為者の行為態様によって占有の有無が個別に判断された結果に過ぎないと考えるべきです。
本件では,置き忘れてから短時間で持ち去り行為があった場合は,置き忘れた者の現金の占有が認められるといえるでしょう。もっとも,相談者が持ち出したのが置き忘れてから時間があるようであれば,もはや置き忘れた者(前利用者)の占有は認められなくなり,ATM管理者である銀行に占有が認められるでしょう。
エ 銀行の占有
置き忘れた者の占有とは別に,ATMを設置している銀行に占有が認められないか問題になります。
この点,実務では家屋や構内を排他的に支配する者に占有を認める傾向にあります。判例,裁判例としては,銀行事務室内で支払主任が机から落として遺留した札束について銀行に占有が認められ(大判大8・4・4),ゴルフ場のロストボールには,ゴルフ場の占有が認められ(最決昭62・4・10),電話ボックス内に置き忘れられた物(硬貨)について,電話局長の支配が認められています(東京高判昭33・3・10)。他方,置き忘れられた場所が公共的な場所の場合,占有が認められない傾向にあります。大審院の判決として電車の網棚に物を置き忘れたとしても,旅客会社に占有がないとするものがあり(大判大15・11・2),また前述の東京高判平成3・4・1の事案においては,スーパーの6階に置き忘れた物について占有がない遺失物として扱っています。
ATMは通常は銀行の店舗内にあり,一定の区画が区切られており,その空間は排他的支配を観念できることから,占有は銀行にあるといえるでしょう。ATMは必ずしも電車ほど公共な場所とはいえません。ATMには銀行の警備員が巡回したり定期的に異状がないかどうか確認するのが通常であり、銀行の占有が認められるというべきでしょう。
オ 占有が重複する場合の罪数
仮に置き忘れた者の占有が認められた場合,相談者の行為は,置き忘れた者に対する窃盗罪と銀行に対する窃盗罪の二つの罪が成立するのでしょうか。この点については占有が重複しているとしても,持ち去った金銭自体は一つであるから,一罪が成立するのが妥当です。そして,置き忘れた者の占有が認められる場合,直前までその者が占有していたのであるから,その占有態様は強く,置き忘れた者に対する窃盗罪のみが成立すると解するのが妥当でしょう。
2.警察官への回答行為(占有離脱物横領罪の成否)
以上のとおり、ATMに残された現金を取得する行為は銀行あるいはお金を引き出した人を被害者とする窃盗罪となります。
ところで、その後、警察官からの問い合わせの電話に対する回答は別途犯罪を構成するでしょうか。しかし、持ち出された現金の占有という法的利益は,持ち出し行為で評価されつくしているので,別個犯罪が成立することはありません。
しかし,仮に,不法領得の意思が認められず(例えば駅に設置されたATMで駅員等も近くにいなかったため警察に届け出ようと思って持ち帰ったが警察に届け出る前に電話があったような場合),持ち出し行為について窃盗罪が成立しない場合には,警察官に対して「ありません」と回答した時点で,占有離脱物横領罪(刑法254条)が成立します。
警察官への回答の時点では,金銭自体既に持ち出されているので金銭の占有は,相談者にあるため,窃盗罪は成立しません。また、民法上、金銭の所有権は占有権と共に移動すると解釈されていますので、占有者以外の金銭の所有者というのは存在しないことになりますので、占有離脱物横領罪の条文にある「占有を離れた他人の物」という要件は金銭については満たさないことになります。しかし,刑法上の解釈では,金銭の所有権は移転しておらず,占有を離れた他人の物となりうるとされています。このように金銭の所有権の所在について,民法と刑法で解釈が異なることは,それぞれの法律の制度趣旨が異なりますので,何ら矛盾することではありません。民法では金銭の流通促進のため金銭について即時取得を幅広く認め,金銭の取り戻しについては不当利得返還請求という債権の問題として解決するように解釈され、刑法では遺失物の返却を促進するという保護法益を守る見地から金銭の占有が移転しても所有権が移転せず占有離脱物横領罪の客体になると解釈されているのです。
警察官への「ありませんでした」という回答によって,警察へ届け出る意思がなく,持ち出した金銭を自己の用に消費する意思が表現された(横領した)といえるので,占有を離れた他人の物を横領したとして,占有離脱物横領罪が成立します。
3.示談の相手方
通常,窃盗罪の場合,所有者と占有者が一致するため,所有者(占有者)に対して,被害弁償をする等の示談交渉をすることとなります。
もっとも,本件では,置き忘れた人に占有が認められない場合には,誰(銀行、置き忘れた人の両者に対して示談が必要なのか)に対して示談交渉をすることが適切なのか問題となります。
被害弁償を行うのは,当然被害者に対して行うことが原則となります。そして,刑法上窃盗罪の保護法益は占有であるとするのが通説ですので,占有者が刑法上の被害者となります。置き忘れた人の占有がない場合、銀行の占有を侵害したとして銀行が被害者となり、銀行相手に被害弁償する必要があるかという問題です。もっとも,被害者に被害弁償を行ったとしても,窃盗罪が事後的に不成立となることはありません。被害が回復することは,厳密には情状の一つの事情として情状が軽くなることを意味するに過ぎません。したがって,より情状がよくなるように被害弁償の相手方を定めるのが妥当です。
本件では、銀行に対する窃盗罪が成立する場合でも、実際の被害者は,置き忘れた者となります。というのは、一度引き出した以上銀行としては適法に払い戻し応じたこととなり、経済的な被害はないからです。とすると,形式的な被害者である銀行に対して,被害弁償の申出をするよりも,実質的な被害を被った置き忘れた人に対し,弁償をした方が,実質的な被害は回復されたと言えるからです。
また、このような事案において銀行は示談には応じないのが通常です。置き忘れて人に対して被害弁償し示談が成立したことを銀行に報告して謝罪するという方向で検討すべきです。銀行は顧客が被害届を撤回している以上、取引先である顧客の意思を尊重しあえて事を荒立てようとはしません。具体的には被害届の取消となるでしょう。このように示談の順番が大切です。
例外的に,銀行が「当行の信用が傷つけられた」などと主張しているような,銀行に強い被害感情がある場合には,銀行に対しても,弁償の交渉を進めることがよいでしょう。
4.今後の対策
警察から電話がかかってきているので,ATMを直後に利用した、あなたが容疑者として特定されていると考えられます。今後の対応としては,金銭を置き忘れた人に弁償し早急に示談することが必要です。窃盗罪や占有離脱物横領罪は,いずれも被害者の財産を保護法益とする罪ですので,被害者と示談が成立すれば,捜査は強制的なものでなくなり、最終的な処分についても不起訴となる可能性が非常に高くなります。仮に被害届が出ていないのであれば捜査も行われないことになります。その場合でも被害届が出される可能性が残っているので、置き忘れた人と被害届を出さないという示談を行い、後の身の安全を確実にすべきです。もっとも,警察に対する被害者情報開示なども含めて警察に対する交渉は,ご本人では,難しいものがありますので,早急に法律の専門家である弁護士にご相談なさったほうがよいでしょう。
以上