国道の拡幅事業があり、国道事務所から道路用地の買収提案が来ています
行政|土地収用法|営業補償|損失補償基準|最高裁判所昭和48年10月18日判決|最高裁昭和28年12月23日農地買収に対する不服申立上告事件判決
目次
質問:
国道沿いに土地を所有し飲食店を経営していますが、国道の拡幅事業があり、国道事務所から道路用地の買収提案が来ています。買収条件は、「路線価で拡幅部分の土地を買い取るだけであり、残された土地で営業できるのだから営業損害は無いので、営業補償はしない」、というものです。国道の拡幅は地域住民の利益になることであり、協力したい気持ちもありますが、自分の敷地の場合は、残された土地だけでは従来同様の飲食店を経営することはできませんので、拡幅部分だけを買い取ってもらっても困ってしまいます。営業が廃止になってしまうかもしれません。建設事務所には、営業補償も求めて交渉していますが、「拡幅部分だけを路線価で買い取ることに応じなければ強制収用することになる」という回答です。買収提案に応じるしかないのでしょうか。
回答:
1、公共用地の買収について考える場合は、憲法29条3項の相当補償説を理解する必要があります。私有財産を公共目的のために用いる場合は、憲法29条3項で「正当な補償」が必要であると規定されていますが、この「正当な補償」とは、「合理的に算出された相当額の補償」を求めることができることを指していると解釈されています。
2、この「合理的に算出された相当額の補償」というのは、必ずしも市場価格と一致することを要しないものと解釈されていますが、土地収用法で道路用地などを個別に収用する場合は、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであると解釈されています。
3、道路用地買収事案について、土地収用法88条では、「土地補償、残地補償、工事費用補償、移転料補償、物件の補償、原状回復困難な使用の補償のほか、離作料、営業上の損失、建物の移転による賃貸料の損失その他土地を収用し、又は使用することに因つて土地所有者又は関係人が通常受ける損失は、補償しなければならない。」と規定されています。
4、そして、政令では、「土地収用法第88条の2の細目等を定める政令」と「国土交通省の公共用地の取得に伴う損失補償基準」で営業損害の補償基準が定められています。最初の交渉段階で「営業補償はしない」という回答だった場合でも、弁護士とともに、これらの法令を根拠に粘り強く交渉することにより、営業補償も受けられる可能性があります。
5、用地買収に関する関連事例集参照。
解説:
1、(私有財産制と財産の公共利用の意義 相当補償説の判例について)
憲法29条1項は、「財産権は、これを侵してはならない。」とする一方、3項で、「私有財産は、正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる。」としています。これは、憲法が私有財産制度、個人の財産権を保障しつつも一定の場合には公共の福祉のためこれを制限できることを表しています。この場合、財産権保障を全うし、また特定の者にだけ不利益を与えることを避ける(平等主義:憲法14条)ため、財産権上特別の犠牲を課される者には補償が与えられることになっています。
そして、ここでいう「特別の犠牲」にあたるかは、侵害行為が広く一般人を対象とするものか、特定の個人ないし集団にとどまるものか(形式的要件)、侵害行為が財産権に内在する制約として受任限度内といえるか、それを超えて財産権の本質的内容を侵すほど強度なものであるか(実質的要件)という2点を検討して判断するものと考えられています。
日本における私法制度の基本は、私有財産制(所有権絶対の原則)と私的自治の原則により構成されていますから、補償をしたからといって、私的所有権を侵害することは許されないようにも考えられます。しかし、本来、私有財産制は、歴史的にも(1789年フランス人権宣言においては神聖不可侵の権利、1776年バージニア権利章典では生来の権利)自由主義、個人主義を理論的背景とするものであり、その理想は、公正、公平な社会秩序建設を目的として、採用された制度ですから、その制度に内在する制約として、信義則、権利濫用禁止の原則が存在し、公共の利益のためには権利行使につき制限を受ける運命をもつものです。憲法12条、民法1条はこれを明言しています。唯、この制約は所有権絶対の原則の例外的なものですから、所有権の制限には、厳格な要件が求められ、法令の解釈も行われることになります。 従って、制限が認められたとしても、その財産的補償は制限によるすべての損失が認められるべきでしょう。
公共用地の買収について考える場合は、憲法29条3項の相当補償説を理解する必要があります。現行憲法では、基本的人権の保障と私有財産制の保障が認められていますが、道路や港湾などインフラ整備のために、どうしても私有地を供用してもらう必要がある場合があり、憲法29条3項で「正当な補償の下に」私有財産の公共利用を認めています。
憲法29条1項は、「財産権は、これを侵してはならない。」と規定している一方、3項では「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と規定しており、一見すると相互に矛盾しているように読めるかもしれませんが、私有財産制が認められている社会においても、全く道路や交通施設が存在しない社会というものは考えることができません。人が集まり、生活していく以上、公共施設は必要不可欠のものだからです。
裁判所は、この「正当な補償」について、相当補償説を採用しています。
昭和28年12月23日農地買収に対する不服申立上告事件判決 「憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とする。けだし財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定められるのを本質とするから(憲法二九条二項)、公共の福祉を増進し又は維持するため必要ある場合は、財産権の使用収益又は処分の権利にある制限を受けることがあり、また財産権の価格についても特定の制限を受けることがあつて、その自由な取引による価格の成立を認められないこともあるからである。」
この判例は、自作農創設特別措置法で農地買収計画による対価が、田についてはその賃貸価格(1年分の地代)の40倍、畑についてはその賃貸価格の48倍を越えてはならないという趣旨が定められていることに対して、買収される地主が提訴したものですが、農業生産力の維持増進を図るため耕作者の地位安定を図り全国的に自作農を創出させるという国の政策のもとに農地所有権が変容しているという特殊性が重視され、必ずしも自由取引により形成された価格と完全に一致することを要せず「合理的に算出された相当な額」の補償があれば、憲法29条3項の「正当な補償」に違反しないと判断したものです。この事件では、第二次大戦後の国土荒廃からの復興の為に全国的に農業生産力の維持発展が必要だったという特殊事情がありますが、社会全体の要請が大きい政策を実行する時は、公共用地の補償額が一部制限されうることを示しています。
2、(補償の程度 完全補償の原則 収用法71条)
他方、土地収用法に関して裁判所は、完全な補償が必要であるとの考え方を示しています。所有権の絶対、私有財産制の沿革からしても完全補償説が原則と考えられます。
最高裁判所昭和48年10月18日判決 「おもうに、土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によつて当該土地の所有者等が被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものであるから、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもつて補償する場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するものというべく、土地収用法七二条(昭和四二年法律第七四号による改正前のもの。以下同じ。)は右のような趣旨を明らかにした規定と解すべきである。」
この判例で言及している昭和42年改正前の土地収用法72条は次のような規定でした。
土地収用法(昭和42年改正前規定) 第72条(土地の収用の損失補償)収用する土地に対しては、近傍類地の取引価格等を考慮して、相当な価格をもつて補償しなければならない。
対応する現行規定は、次の通りです。
土地収用法(現行規定) 第71条(土地等に対する補償金の額)収用する土地又はその土地に関する所有権以外の権利に対する補償金の額は、近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業の認定の告示の時における相当な価格に、権利取得裁決の時までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額とする。
この判例では、土地収用法における公共用地の収用が、道路工事や河川工事や砂防工事や運河工事など、特定の場所における個別の不動産を収用するものであって、農地改革の様に全国的に土地の利用関係を変更するものではなく、個別不動産に対して「特別の犠牲」を求める手続だから、原則として、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償が必要であるという考え方に立っています。この理屈は現行の土地収用法71条についても当てはまるものと考えることができます。
3、(補償の具体的内容、土地収用法88条の内容)
道路用地買収事案について、土地収用法88条では、「土地補償、残地補償、工事費用補償、移転料補償、物件の補償、原状回復困難な使用の補償のほか、離作料、営業上の損失、建物の移転による賃貸料の損失その他土地を収用し、又は使用することに因つて土地所有者又は関係人が通常受ける損失は、補償しなければならない。」と規定されています。
土地補償とは、近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業の認定の告示の時における相当な価格に、権利取得裁決の時までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額の補償をするものです(土地収用法71条)。
残地補償とは、同一の土地所有者に属する一団の土地の一部を収用し、又は使用することによって、残地の価格が減じ、その他残地に関して損失が生ずる時に、その損失を補償するものです(土地収用法74条)。
工事費用補償とは、同一の土地所有者に属する一団の土地の一部を収用し、又は使用することによって、残地に通路、みぞ、かき、さくその他の工作物の新築、改築、増築若しくは修繕又は盛土若しくは切土をする必要が生ずるときは、これに要する費用を補償するものです(土地収用法75条)。
移転料補償とは、収用し、又は使用する土地に物件があるときは、その物件の移転料を補償して、これを移転させなければならないとするものです(土地収用法77条)。この場合、物件が分割されることとなり、その全部を移転しなければ従来利用していた目的に供することが著しく困難となるときは、その所有者は、その物件の全部の移転料を請求することができます(同条)。
物件の補償とは、収用し、又は使用する土地の物件であって、物件を移転することが著しく困難であるとき、又は物件を移転することに因つて従来利用していた目的に供することが著しく困難となるときに、近傍同種の物件の取引価格等を考慮して、相当な価格をもつて補償されるものです(土地収用法78条、79条、80条)。
原状回復困難な使用の補償とは、土地を使用する場合において、使用の方法が土地の形質を変更し、当該土地を原状に復することを困難にするものであるときに、これによつて生ずる損失をも補償されるものです(土地収用法80条の2)。
また、営業上の損害が発生する場合にも、これを補償すべきことが土地収用法88条で規定されていますから、国道事務所の担当者の「路線価で拡幅部分の土地を買い取るだけであり、営業補償はしない」という補償の説明は、やや正確性を欠いていると言わざるを得ません。
4、(営業損害の補償についての基準 営業廃止に伴う補償)
営業損害の補償について、政令では、「土地収用法第88条の2の細目等を定める政令」と「国土交通省の公共用地の取得に伴う損失補償基準」で営業損害の補償基準が定められています。
土地収用法第88条の2の細目等を定める政令第20条(営業の廃止に伴う損失の補償) 土地等の収用又は使用に伴い、営業(農業及び漁業を含む。以下同じ。)の継続が通常不能となるものと認められるときは、次に掲げる額を補償するものとする。
一 独立した資産として取引される慣習のある営業の権利その他の営業に関する無形の資産については、その正常な取引価格
二 機械器具、農具、漁具、商品、仕掛品等の売却損その他資産に関して通常生ずる損失額
三 従業員を解雇するため必要となる解雇予告手当(労働基準法(昭和22年法律第49号)第20条の規定により使用者が支払うべき平均賃金をいう。)相当額、転業が相当であり、かつ、従業員を継続して雇用する必要があるものと認められる場合における転業に通常必要とする期間中の休業手当(同法第26条の規定により使用者が支払うべき手当をいう。次条第1項第1号において同じ。)相当額その他労働に関して通常生ずる損失額
四 転業に通常必要とする期間中の従前の収益(個人営業の場合においては、従前の所得。次条において同じ。)相当額
国土交通省の公共用地の取得に伴う損失補償基準
第47条(営業廃止の補償)
土地等の取得又は土地等の使用に伴い通常営業の継続が不能となると認められるときは、次の各号に掲げる額を補償するものとする。
一 免許を受けた営業等の営業の権利等が資産とは独立に取引される慣習があるものについては、その正常な取引価格
二 機械器具等の資産、商品、仕掛品等の売却損その他資本に関して通常生ずる損失額
三 従業員を解雇するため必要となる解雇予告手当相当額、転業が相当と認められる場合において従業員を継続して雇用する必要があるときにおける転業に通常必要とする期間中の休業手当相当額その他労働に関して通常生ずる損失額
四 転業に通常必要とする期間中の従前の収益相当額(個人営業の場合においては、従前の所得相当額)
国土交通省の公共用地の取得に伴う損失補償基準の運用方針
第32 基準第47条(営業廃止の補償)は、次により処理する。
6 同条第1項第4号に規定する転業に通常必要とする期間中の従前の収益相当額(個人営業の場合においては所得相当額)は、営業地の地理的条件、営業の内容、被補償者の個人的事情等を考慮して、従来の営業収益(又は営業所得)の2年(被補償者が高齢であること等により円滑な転業が特に困難と認められる場合においては3年)分の範囲内で適正に定めた額とする。この場合において法人営業における従前の収益相当額及び個人営業における従前の所得相当額は、売上高から必要経費を控除した額とし、個人営業の場合には必要経費中に自家労働の評価額を含まないものとする。
このように、営業廃止となってしまう場合には、(1)営業の取引価格である権利金、(2)備品の売却損、(3)従業員解雇費用、(4)転業期間の利益相当額=従来の営業収益の2又は3年分、の補償を求めることができると定められています。
最初の交渉段階で「営業補償はしない」という回答だった場合でも、弁護士とともに、これらの法令を根拠に粘り強く交渉することにより、営業補償も受けられる可能性があります。一度お近くの法律事務所にご相談なさってみると良いでしょう。
以上