医師による名誉棄損被疑事件
行政|医道審議会|医師|歯科医師|行政処分|名誉毀損
目次
質問:
私は都内在住の歯科医師です。半年ほど前、インターネット上の某有名巨大掲示板上に当時同じ医院で働いていたアルバイトの歯科助手の名誉を毀損する書き込みをしてしまい、先日、罰金30万円の略式命令を受けました。書き込みの内容は、その歯科助手が暴力団幹部と交際があるというものです。弁護士に示談交渉をしてもらいましたが、被害者は「書き込みが消えるまで、私の中では事件は終わらないので、示談はできない。」と言って示談に応じてくれず、結局半年ほど経ってもインターネット上から当該書き込みが消えることはなく、略式起訴され、罰金刑が確定するに至ってしまいました。歯科医師が刑事事件で刑が確定した場合、歯科医業停止等の行政処分の対象になると聞きました。行政処分の手続きに向けて今から何かしておいた方が良いことはありますか。
回答:
1、 あなたは名誉毀損罪で罰金刑に処されていますので、歯科医師法7条2項、4条3号の規定により、厚生労働大臣による行政処分の対象となります。行政処分の種類は歯科医師法上、戒告、3年以内の歯科医業の停止、免許の取消しの3種類が定められていますが、過去の名誉毀損の事案における処分例から予想されるあなたの処分は歯科医業停止3月以上です。ただし、これは医道審議会での処分の軽減に向けた活動を何ら行わなかった場合の話です。
2、 行政処分の決定にあたっては、行為後の経過も含めたあらゆる事情が考慮されます。そのため、刑事事件終了後であっても、被害者との示談や名誉毀損の書き込みの削除等必要な活動を十分行うことで、処分の軽減、具体的には歯科医業停止を回避できる可能性も十分あると考えられます。
3、 この他にも、刑事記録からあなたに有利な事情を抜き出す作業や嘆願書、反省文の作成、弁護士による意見書の作成等の事前準備が必要な事項は多岐にわたります。早いタイミングからの準備が必要となりますので、行政手続の経験のある弁護士に早期に相談して、万全の態勢で弁明聴取手続に臨まれることをお勧めいたします。
4、 医道審議会・ネット削除などに関する関連事例集参照。
解説:
1.(医道審議会と行政処分決定にあたっての考慮要素)
あなたが今回罪責を問われた名誉毀損罪(刑法230条)というのは、公然と事実を摘示して人の社会的評価を下げるに足りる行為(毀損行為)を行うことによって成立する犯罪です。ここで言う「公然」とは不特定又は多数人が認識できる状態を意味し(最判昭和36年10月13日)、インターネット上の電子掲示板への投稿記事の掲載などはその典型例です。「暴力団幹部と交際がある」という事実は被害者である歯科助手の社会的評価を低下させるに足りる内容ですので、あなたの場合、名誉毀損罪が成立していることについては争う余地がないところかと思われます。
あなたは名誉毀損罪により罰金刑に処され、刑も確定しているようですので、厚生労働大臣による行政処分(戒告、3年以内の歯科医業の停止、免許の取消しのいずれか)の対象となります(歯科医師法7条2項各号、4条3号)。実際は、単純な名誉毀損の事案で歯科医師免許取消になることは考え難いので、あなたの場合、医道審議会による「弁明の聴取」の機会が与えられた上で、その内容を踏まえて処分が決定されることになります(歯科医師法7条13項、4項、2項)。
厚生労働大臣が行政処分を決定するにあたっての考え方については、医道審議会医道分科会より平成14年12月13日付で「医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について」(平成24年3月4日改正)と題するガイドラインが定められています。これによると、「医師、歯科医師の行政処分は、公正、公平に行われなければならないことから、処分対象となるに至った行為の事実、経緯、過ちの軽重等を正確に判断する必要がある。そのため、処分内容の決定にあたっては、司法における刑事処分の量刑や刑の執行が猶予されたか否かといった判決内容を参考にすることを基本とし、その上で、医師、歯科医師に求められる倫理に反する行為と判断される場合は、これを考慮して厳しく判断することとする。」とされてはいますが、具体的に名誉毀損の事案でいかなる事情を重視するかについては言及がありません。
そこで、行政処分を最小限に止めるためには、名誉毀損行為の具体的内容、名誉毀損行為に至った経緯、行為後の経過等事件に関するあらゆる事情から最大限あなたに有利な事実を抽出して主張する必要があります。判例も「当該刑事罰の対象となった行為の種類,性質,違法性の程度,動機,目的,影響のほか,当該医師の性格,処分歴,反省の程度等,諸般の事情を考慮し」て判断すべきとしており(最判昭和63年7月1日)、行政処分の決定にあたっては、事件に関するあらゆる事情が考慮されるべきであるとの考えを採っています。
2.(名誉毀損事案における処分例)
次に、具体的に予想される処分の程度ですが、名誉毀損罪で医道審議会の審議対象となった事案自体が少ないため、処分相場という意味では不十分かもしれませんが、以下の処分例が参考になります。上記ガイドライン制定後平成25年12月31日現在までの間、医道審議会で名誉毀損罪の事案が審議されたケースを以下に例示します。
(1)平成16年7月29日の医道審議会の処分例罪名:名誉毀損
事案:約7か月の間、前後10回にわたり、インターネットを介して不特定多数が閲覧可能な電子掲示板上に「歯科医師のヤブならA歯科でしょう。看板の大きさだけは日本一。ついでに態度も日本一。」などの文章を掲載し、A歯科医院を経営する歯科医師の名誉を毀損した。
司法処分:罰金30万円
行政処分:歯科医業停止3月
(2)平成17年7月27日の医道審議会の処分例
罪名:ストーカー行為等の規制等に関する法律違反・名誉毀損
事案:かつての交際相手であるAに対する好意の感情が満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、約10日間、前後約68回にわたり、同人から拒まれたにもかかわらず、同人の自宅や職場の病院に連続して電話をかけ、かつ、その際、職場にかけた電話に対応した5名に対し、「患者に向かって早く死んでくれと言うのはどう思うか。Aがそう言った。そのうわさを他の人に広めてほしい。」などと申し向けた。
司法処分:懲役1年6月、執行猶予4年
行政処分:医業停止6月
(3)平成19年2月28日の医道審議会の処分例
罪名:名誉毀損
事案:他2名と共謀の上、
①「Aのわいせつ行為」という表題の下、「看護師及び医師らの証言として、Aは内科的診察が必要でないのに、誰に対しても内科的診療を行う。それも服をたくし上げるだけで足りるのに、わざわざ上半身裸にする。」、「Aは応診の際、患者を横臥させ、上半身を露出するように命じ、両乳房を触り、揉むという行為におよんだ。」などと記載した文書を二十数名に郵送した。
②「Bはかつて酒気帯び運転(酒酔い運転かも知れません)で警察の検問に引っかかった際、「俺を誰だと思っているんだ」と開き直り、厳しく注意した警察官を、その後警察に圧力をかけて、人事異動で飛ばしたといわれます」などと記載した文書を町内の約950世帯あてに郵送するなどした。
③「Cは平成8年9月1日に居宅を増築しており、物置も同様に新築しております。Cの所有土地にも建物にも抵当権が設定されていないところからして、この増築と新築はCの自己資金と考えられ、よほど家計のやりくりが上手なのだと思われます。ただ、気になるのは、D社(株)がE団体に対し、極度額4億8000万円の根抵当権を設定したのが平成8年2月16日であり、Cの増築・新築時期が接近していることです。」などと記載した文書を町内の約700世帯あてに郵送するなどした。
量刑:罰金30万円
処分:医業停止3月
(4)平成21年10月28日の医道審議会の処分例
罪名:不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反・私電磁的記録不正作出・同供用・名誉毀損
事案:①他人の識別符号を使用して不正アクセス行為をすることを企て、法定の除外事由がないのに約20日間、前後123回にわたり、自分のパソコンから、電気通信回路を通じて、インターネット接続を運営するアクセス管理者である株式会社がアメリカ国内に設置・管理するアクセス制限機能を有する認証サーバーコンピューターに、Aを利用権者として付与されたログインID及びログインパスワードを入力してこれを作動させ、不正にアクセス行為をした。
②上記状態を利用し、自分のパソコンから、電気通信回線を通じて同社がアメリカ国内に設置・管理するデータベースサーバーコンピューターに、Aのログインパスワードが変更された旨記憶させた。
③約1月の間、前後5回にわたり、自分のパソコンを使用し、インターネットを介して、某有名巨大掲示板の某スレッドに、「BとAは数年来の愛人関係。周知の事実。ハメまくっています。」などと掲載した。
司法処分:罰金100万円
行政処分:医業停止3月
これらの処分例を「処分内容の決定にあたっては、司法における刑事処分の量刑や刑の執行が猶予されたか否かといった判決内容を参考にすることを基本とし」という上記ガイドラインの記載に照らして見てみると、司法処分が罰金に止まっている場合、医業停止3月となっており、一方、執行猶予付きであれ懲役刑となると、医業停止6月以上の重い処分となってくることが分かります。特に、事案簡明な名誉毀損のみで罰金30万円のケースから、不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反・私電磁的記録不正作出・同供用の罪にも問われた悪質性の高い事案で、刑事処分も罰金100万円という比較的重い内容となっている処分例(4)のようなケースまで、罰金となったケースでは一律医業停止3月となっており、医業停止3月とされる事案の幅はかなり広くなっています。
したがって、過去の同種事案における処分例に照らすと、罰金30万円のあなたのケースでは歯科医業停止3月の処分が予想されるでしょう。ただし、これは何ら医道審議会に向けた活動を行わなかった場合の話です。前述の最判昭和63年7月1日でも述べられているとおり、行政処分の決定にあたっては、行為後の経過も含めたあらゆる事情が考慮されるため、以下に述べるような活動を行うことで処分の軽減、具体的には歯科医業停止の回避を目指すことも十分可能なように思われます。
3.(医道審議会に向けた準備)
(1)示談交渉
被害者との示談の成否は刑事処分の決定(起訴・不起訴の決定)の場合と同様、行政処分のの軽重を大きく左右する重要な考慮要素となります。特に、歯科医業停止の回避をより確実なものとするためには、示談の成立は必須といえます。あなたは刑事手続の段階で示談ができていないわけですから、刑事手続に引き続き示談交渉を継続する必要があります。
筆者の経験上、刑事事件係属中は被害感情が強く、示談できていない場合であっても、刑事手続が終了したことにより被害者側の姿勢が軟化し、示談成立に至ることが可能なケースには多々遭遇します。したがって、示談交渉にあたる弁護士には、刑事手続中に示談ができなかったからといって諦めることなく、粘り強く交渉する姿勢が求められます(示談合意書等の書面は医道審議会に対応した内容で作成することが求められるので、刑事手続に引き続き、弁明聴取手続の代理人に示談交渉をしてもらうと良いでしょう。)。示談交渉の経験が豊富でかつ、医道審議会の手続きに明るい弁護士を選ぶ必要があるでしょう。
ただし、あなたのように、インターネット上の電子掲示板に名誉毀損の書き込みをしたというケースの場合、1つ特殊性があります。すなわち、インターネット上の書き込みが消去されるなど、閲覧できない状態にならない限り、名誉毀損状態が継続してしまうということです。被害者としてみれば、刑事事件が終了したところで、まさに現在名誉が毀損され続けているわけですから、「書き込みが消えるまで、私の中では事件は終わらないので、示談はできない。」という被害者の言い分ももっともといえます。したがって、かかるケースの場合、示談を成立させるにあたっては、当該名誉毀損の書き込みの削除は避けて通れないでしょう。
(2)名誉毀損の投稿記事の削除
電子掲示板への名誉毀損の書き込みは、被害が広範にわたる点と名誉毀損状態が半永久的に存続してしまうという点で、一般的に悪質と評価される行為態様です。したがって、当該書き込みを削除し、名誉毀損状態を終了させることは医道審議会における行政処分の軽減という観点からも必須の活動となってきます。
掲示板のウェブサイト内に設置されている削除要求フォームからの削除要求や掲示板管理者に対する削除要求の内容証明の送付等、比較的簡単な手続きによって削除に応じてくれる場合もありますが、某有名巨大掲示板のように、削除のためには裁判所の仮処分命令が要求される場合もあります。その場合、実際に名誉を毀損されている被害者自身が裁判所に対する申立人(法律的には「債権者」という言い方をします。)になる必要がありますので、実際にはあなたの費用負担で被害者の代理人として仮処分(争いがある権利関係につき、債権者に著しい損害や急迫の危険が生じることを避けるために暫定的な法律上の地位を定める民事保全の手続のことを指し、正確には「仮の地位を定める仮処分」といいます。民事保全法23条2項。)の申立をしてくれる弁護士を付けるなどの形をとる必要があるでしょう。なお、医道審議会や示談交渉のためにあなたが依頼している弁護士が被害者の代理人として仮処分申立を行う場合、弁護士職務基本規定上、当該弁護士が示談交渉の相手方である被害者の代理人として活動することについてのあなたの同意が必要となります(弁護士職務基本規定27条3号)。
仮処分の取得と削除の具体的な手続きについては当事務所事例集NO.1406にて詳解されていますので、そちらをご参照ください。
なお、某有名巨大掲示板を相手(法律的には「債務者」という言い方をします。)とする仮処分申立を東京地方裁判所で行う場合、平成25年ころより、「管轄に関する上申書」(当事務所事例集NO.1406・解説2(4)ア参照)の記載として、「某有名巨大掲示板を実際に運営、管理する個人の居住地が東京都内であることに鑑み、管轄を認められたい。」という内容を求める運用に変更しているようですので、この点を踏まえて書面作成をする必要があります。某有名巨大掲示板の管理者とされている会社がいわゆるペーパーカンパニーであり、実際に掲示板を運営・管理している実体がないことから、実質的代表者の住所地が管轄地として認められるべきということになります(民事保全法12条1項、民事訴訟法4条4項)。これに伴い、併せて実質的管理者個人の住民票を取得・提出する必要が生じます。
(3)あなたに有利な事情の抽出作業(刑事確定記録の検討)
医道審議会は裁判所や検察庁から刑事記録の提供を受けるわけではないので、弁明聴取時、医道審議会では判決書と起訴状以外の刑事記録の内容については把握していない状態です。したがって、あなたに有利な事情はあなたの側で積極的に主張しなければ考慮されることなく処分が下されてしまうため、略式命令に処された際の刑事記録を法的な見地から分析し、名誉毀損損行為に至る経緯や動機、その他の点であなたに有利な事情を抽出する必要があります。そのためには、刑事事件がかかっていた検察庁に対し、刑事確定記録の閲覧・謄写請求の手続きを行う必要があります(刑事確定訴訟記録法4条1項、記録事務規程(法務省訓令)16条1項)。弁護士に刑事記録を検討してもらい、説得的な主張の形で詳細な意見書を作成してもらう必要があるでしょう。
(4)嘆願書や反省文等の作成
最判昭和63年7月1日でも示されているとおり、行政処分の対象となる歯科医師の性格や反省の程度は行政処分の決定の際の考慮要素となりますので、あなたより上の立場にある歯科医師等に医道審議会宛ての処分の軽減を求める嘆願書の作成の協力を仰いだり、あなた自身も反省文を作成するなどの準備を行う必要があります。特に、刑事事件の結果を踏まえた現在の心境や歯科医師としての今後の心構え、行動等を問う質問は弁明聴取の際、必ず聞かれることですので、反省文の内容とともに、専門家の指導を十分受けて臨むことをお勧めいたします。
4.(最後に)
以上のとおり、医道審議会に向けて準備すべき事項は多岐にわたります。特に、あなたの場合、示談交渉や名誉毀損記事の削除の作業に相当な時間を要することが予想されるため、医道審議会に向けての事案報告依頼が来た後で準備を始めたのでは、弁明聴取期日に間に合わず、手遅れになってしまうという事態も考えられます。名誉毀損の事案に限らず、医師や歯科医師が刑事罰を受けた場合、速やかに専門家に相談されることが肝要です。
示談交渉や医道審議会の手続きの経験が豊富な弁護士を探し、ご相談されることをお勧めいたします。
以上