新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1502、2014/04/11 00:00
[民事,失火責任法,分譲マンションで失火により近隣住戸にも被害を発生させてしまった事案,全額弁償はできないが円満解決を目指したい場合,弁護士によるサポート,火災調査立会いの場合の注意点]
分譲マンションの火災問題
質問:
亡父が遺してくれた分譲マンション(母名義)に母と息子である私の2人で住んでいましたが,コンセントのホコリが原因でトラッキング火災が発生してしまい、専有部分を全焼させてしまい,近隣住戸にも類焼,煙,消火時の浸水等の被害を発生させてしまいました。母も私も,もうここに住むつもりはありません。火災被害の物件でも買取できるという買取業者があるようですので売却することを検討しています。ただ,近隣住戸の皆さんに多大な迷惑をかけてしまったので,心からお詫びを申し上げたい気持ちです。けれども,もし,高額の賠償を求められたらと思うと不安です。火災保険金や私達の預貯金などはありますが,今後の生活の立て直しのためにもすべてを差し出すことはできないのです。何か方法はないでしょうか。
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回答:
1.高額な賠償責任を負うことはないと考えられます。失火の場合の損害賠償については失火責任法という特別法で失火者の損害賠償責任を重過失がある場合に制限しており,重過失があると裁判所が認定するハードルが高いことから,民事上の損害賠償責任を法的に負担する可能性は低いでしょう。
2.法的な損害賠償責任の存否とは別個に,一定限度の補償を提示するという方法は考えられます。人情・道徳の問題として,迷惑をかけてしまった近隣住戸の居住者等にお詫びをしたいという気持ちはもっともなものです。
3.補償について近隣住戸の居住者やマンション管理組合に対して,ご本人一人で対応することにご不安なら,弁護士に補償の提案等の窓口になることを依頼することもできるでしょう。
4.弁護士費用については,非定形的な業務であるため,具体的な事情についてご相談を受けたうえでお見積りする形になるかと思われます。
解説:
【失火責任法】
1 過失によって他人の財産を毀損し,損害を与えてしまったという本件は,不法行為に基づく損害賠償(民法709条)が問題となりうる事案です。一見,お寄せいただいたご事情については上記不法行為の要件を満たして,あなたが損害賠償義務を負うかのようにも見えますが,失火に関しては失火責任法に特別の定めが置かれています。
2 失火責任法は,正式な法令名を「失火ノ責任ニ関スル法律」といい,明治32年に成立しました。この法律は,失火の場合には不法行為による損害賠償に規定を適用しないこととし,例外的に,失火者に重過失があることが立証される場合に限って不法行為による損害賠償を認めるという形に民法を修正しています。
この法律の趣旨は,木造家屋が密集している我が国では,類焼が発生しやすく,損害賠償責任が莫大になりがちになるが,それは過失者にとって酷な場合も多いという政策判断から,重過失の場合のみに賠償責任を制限しようとするところにあります。
今日と立法当時を比べれば,今日における我が国の建物の耐火性能は向上し,消火設備,技術も相当進歩したものと思われますが,失火責任法は改廃されることなく現在も生きています。耐火性能,消火能力の向上・進歩があった一方で,分譲マンションの増加など,建物の密集性も増していると思われることから,失火責任法制定時の立法政策は今なお妥当性があると考えることができます。日々法律の制定改正を行っている国会でも,法務委員会などで散発的に議論は継続しているようですが,結果として,大きな改正もなく現在に至っています。
3 本件について失火責任法の適用がされるか、すなわち失火者に重過失が認められるか否か、の判断を厳密に行うためには,コンセントから出火するに至る経緯についての情報収集をすることが必要ですが,おそらくは失火責任法の重過失はないと見込まれますので,その前提で論じていくこととします。重過失というのは,軽過失の対概念で,結果発生の予見と予防措置が極めて容易であるにもかかわらず著しい注意義務違反によって結果を発生させてしまったような行為であり,例えば,失火であったら,火を起こした者が目の前で小さな火が他のものに燃え移るのが見えてボヤが起き始めており消火が容易な段階であったのに必要な措置を取らなかったため損害が発生してしまったようなケースが考えられます。
なお,失火責任法所定の重過失が認定されるか,それともされないかは,個別の事実の問題ですので一律の基準があるわけではありませんが,どのような場合に認定され,どのような場合に認定されなかったのかの裁判例を調べることが参考になりますので,本事例集の別稿でご紹介することにします。
【損害賠償と補償の違い】
法律上の賠償責任はないが補償する、ということについて説明します。賠償と補償という用語は,言葉自体がよく似ているだけでなく,損失の穴埋めという作用の共通性からも,違いが明確に理解されにくいかもしれません。しかし,法的には,両者の性質には厳然とした違いがあります。賠償とは,債務不履行や不法行為といった違法行為によって発生した損害を加害者が填補するものであるのに対し,補償とは,上記のような違法行為に由来する賠償の責任に基づかないで,発生した損害の填補をするものをいいます。
賠償の場合には,因果関係が認められる損害の全部についての支払をすることが基本ですが,補償の場合にはそうした必然性はありません。勿論,全額を補償することも可能ですが,補償自体が元々法律上の要請(義務)ではないため,補償をするかどうか,するとしてどの程度とするかについては,補償をしようとする者の自主的な判断に任されているといえます。
本件において実施を検討するものも,この補償にあたります。失火責任法によって損害賠償責任を全く負わないことを前提としつつ,それはそれとして,あくまで自主的な判断で,自主的な限度において,被害の填補を申し出るということになります。
本来,補償をしたいとの申し出をすることは誠実な対応といえるはずですが,失火者本人がこのことを強調し過ぎると,かえって近隣住戸に対しては「言い訳」のように映るおそれがあり,心理的な抵抗を覚えさせてしまうかもしれません。こうした行き違いが生じてしまうとすれば非常に残念なことです。この観点からも,相手方との交渉に,どうしても自信がないようであれば,失火者本人には心からのお詫びに徹してもらい,失火責任法の制度趣旨と補償の提示については弁護士から丁寧に説明するという役割分担が望ましいといえます。
【近隣住戸の心情に配慮した手順を尽くすことの重要性】
たとえ少額でも金銭的な補償をすることは,誠意を示す具体的な態度になるとはいえます。しかし,金銭補償をするには,それに至るまでの心理的な地ならしがどうしても必要です。いきなりお金を示すことがかえって近隣被害者の心情を害するであろうことは容易に予想することができます。
近隣住戸の被災者の心情を察すれば,まずは謝罪の言葉を聞いたうえで,火災事故の実情を詳しく教えてほしいと願うはずです。それを踏まえて,各自の被害の大きさを失火者に知ってもらいたいという気持ちを持つだろうと思われます。
図らずも類焼等の被害を受けた方々のお気持ちは単純なものではありませんから,一つひとつ丁寧に手順を踏んでいくことが大切ではないでしょうか。
【火災調査書等の消防署作成文書の謄写】
補償について話をする場合、まず火災事故の実情,経緯についての説明をする必要があります。その点については,失火者が自らの体験を自らの言葉で語ることのほか,専門性のある第三者による客観的な資料を提示することが有益です。
この点,消防署は,消防法及びこれを受けた市町村の火災調査規程に基づき,火災事故ごとに火災調査書その他一連の調書,報告書を作成・保管しているので,これが利用できれば何よりといえますが,実際は,誰もが容易に読んだり,コピーを取ったりできるようにはなっていません。行政文書として,各地方公共団体の情報公開条例に所定の手続に従って申請することで,一定の利害関係者については閲覧・謄写をする道がありますが,その事務は失火者本人にとっても正直なところ煩瑣といえるものですから,それを近隣被害者に各自勝手に閲覧・謄写してくださいなどというのでは不親切です。
仮に、弁護士であれば,あなたの代理人として情報公開の手続を代理して行うことも可能ですし,あるいは,近隣住戸への補償交渉の前提として,弁護士法23条の2に基づいて弁護士会を通じて照会をする方法で,関係文書の開示を依頼するというルートもあります。
通常,失火の場合,前述のように火災事故ごとに火災調査書その他一連の調書,報告書を作成する際,近隣で一部延焼を受けた住民の立会いも消防署が求めますのでその際消防署側だけでなく,立ち会った住民にもわかりやすく,丁寧に説明し,かつ,重過失を認められないような弁明が必要となります。重過失の可能性があるようであれば,事前に担当弁護士と協議し,判例等を調査して弁明にミスがないように準備しましょう。
【マンション管理組合との打合せ】
火災調査書は,完成に時間がかかる場合もあり,また,謄写を申請してから実際に写しを取得できるまでにもさらに数か月の期間がかかることもあるため,それを待っていると近隣住戸を放置するような形になってしまうおそれがあります。ですから,火災調査書の完成を待たずに何らかの話し合いの機会をもった方が今後の円満な進行を期すことができるとして,とりあえず第1回のミーティングを実施するということも検討されるべきです。
ここでミーティングという言い方をしましたが,最初は,情報の共有が特に大事ですから,戸別訪問して謝罪するよりも,関係者が一堂に会する機会を設けた方が適切な場合が多いでしょう。こうしたミーティングの日程調整等に関しては,マンションの管理組合との協力が不可欠です。迷惑をかけた管理組合にも謝罪申入れをするとともに,こうした趣旨を説明して協力を求めることが望ましいといえます。
こうした手配について不安があるようなら,手順等について弁護士に依頼して助言を受けたり,同席して代わりに説明してもらったりすることも検討してください。
【火災保険金の請求】
近隣住戸や管理組合との折衝と並行して行うべきなのが,あなた自身の火災保険金の請求です。火災保険金の一部を補償の原資にするのであれば,補償の実施までに支払を受けておけば原資の準備の観点からも安心です。また,火災保険金のうちの一部だけを補償の原資として,それ以外をあなた自身のために使う資金に使用とする場合,補償の対象にしようとする人たちにそのことを説明するうえでも,火災保険金がどのように支払われるのかをあらかじめ知っておくことは有意義であるといえます。例えば,火災保険金の内訳として,近隣への見舞金のような保険金費目があるのであれば,その費目の額を補償の原資に回すというような案を考えることができるでしょう。
さらに,交渉の前提として,マンション管理組合,マンションの居住者,近隣被害者が火災保険に入っている場合もよくありますので,その場合は被害者がすでに保険の請求をしており怒り、不満が収まっていることもありますから補償の程度が大きく変更になります。さらに,被害者が自らの保険で損害が填補されても,重過失がない以上保険会社からの代払い請求もないことになります。以上の事実確認,補償提案の時期等も難しい点がありますので手順についてよく考えなければいけません。
どのような形で補償金の原資の限界を定めて,それをどのような形で近隣住戸に対して説明するのが適当か,相談,依頼を受けた弁護士があなたと一緒に考えます。
【補償の実施までの流れの具体例】
火災調査書の写しを見れば,火災の原因がある程度特定できます。そこで失火責任法上の重過失が認められる可能性が低いことを再確認したうえで,従前説明してきた補償の手配に移っていきます。
火災調査書には,近隣住戸の類焼状況なども記載されているのですが,第三者の個人情報であるために写しを作成する段階で墨塗りがされてしまっています。そのため,近隣住戸の被害金額を火災調査書から直接推測することは難しいと言わざるをえません。近隣住戸の各戸の公平を図るためにはどうしたらいいかについて,近隣居住者との間で第2回以降のミーティングを設けて話し合うとか,管理組合に助言を求めるとか,個別の案件に応じた対処が必要になるでしょう。
一例としては,管理組合の協力を得て,被害状況や修理に要した金額,火災保険からの填補の有無などの回答を求めるアンケートを作成して実施し,それを参考に各戸に対する補償の配分割合を決めるという方法が考えられます。管理組合の役員や,管理組合を補佐する管理会社の社員は,特に失火者の味方になるというわけではないのですが,円滑に管理組合が運営されるということを目的として業務を行っているため,管理組合の組合員間の失火トラブルを沈静化させる手続きには一定の理解のもと協力をしてくださるケースが多いと思います。管理組合の役員や,管理会社にも随時連絡しながら手続きを進めると良いでしょう。
このように,何らかの方法で算出した補償合意案を作成して,対象住戸に提案し,同意を得て正式な合意書を取り交わし,その合意に従って補償金の支払を進めていくのも一つの方法ですし,あるいは,マンション管理組合に一括して受領してもらうのが近隣住戸側の総意なのであれば,そのような処理をすることもありえるところでしょう。決まった正解がある問題ではないので,どうすることが関係者の希望に沿うのかを話し合いながら進めていく必要があります。
【弁護士に依頼することによって実現できる謝罪と補償の分業】
あなた自身も今回の火災で自宅を失った被災者の一人です。失意はいかばかりかとお察しします。ところが,一方では,類焼等の被害を受けた側にとっては,あなたは加害者的な立場に置かれているともいえます。
もう今の場所に住み続けることができないとしても,なるべく後を濁さずに再出発することができれば,これからの人生を前向きに生きる助けになるかもしれません。
あなたとお母様のお二人で対処することがどうしても難しいとお感じのときは,弁護士にご相談ください。ともすると弁護士は相手と対決するときに依頼するというイメージを持たれがちかと思いますが,多数の関係者の利害を適切に調整するお手伝いもできます。謝罪と補償手続をある意味分業することで,あなたとしては謝罪の気持ちの表明に専念することができ,不安も大きく和らぐことと思います。
弁護士費用については,非定形的な業務であることから,関係者の数や火災被害の規模等によって個別の見積もりが必要かと思います。タイムチャージ制の採用や,火災保険金からの支払など,依頼を考えている弁護士とよく話し合ってください。
≪参照法令≫
【民法】
(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
【失火責任法】
民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス