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No.1511、2014/05/06 00:00 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm
【民事、最高裁平成23年3月24日判決、最高裁平成23年7月12日判決、最高裁平成17年12月16日判決】
建物賃貸借契約における敷引特約の有効性
質問:私は,先日建物の賃貸借契約を解約したのですが,契約締結時に交付していた敷金10万円が半分くらいしか戻ってきませんでした。借りていた物件はかなり綺麗に使っており,原状回復にかかる費用などほとんどないはずです。賃貸人の説明によると,敷引特約というものを契約で付けていた以上,敷金から一定額を差し引くことには理由があるとのことでした。このような特約の存在を契約時には意識していなかったのですが,敷金全額の返還を求めることは出来ないのでしょうか。
回答:
1 契約書に敷引特約の文言が記載され、控除される金額や名目が明らかである場合、敷金の額の半額に相当する金額で、金額にして5万円を差し引かれたということですと、契約書にある敷引特約が無効であるとは言えず、敷金全額の返還を求めることはできないと考えられます。
2 敷引特約がない場合は、敷金から差し引かれる金額は、賃借人の債務不履行により生じた損害金に限定されますからきれいに使っていたということで、損害がないということであれば敷金全額の返還を請求できます。
また、敷引特約の文言が契約書に記載されていたとしても,例えば「賃借人は,故意過失を問わず,本件建物の毀損,滅失,汚損その他の損害につき損害賠償をしなければならず,その損害について敷金から控除する。」という旨の文言が記載されているなど,その契約書の記載から敷引金額が明らかではない場合には,敷引特約が無効とされ敷金全額の返還を求めることが出来る可能性が高いといえます。
3 契約書上の記載が,例えば「敷金の半額は返還しないものとする。」等,敷引金額が契約書の記載から明白である場合には,基本的には,敷引金額の多寡によって,当該特約の有効性が決せられます。
そして,敷引額が,月額賃料の3.5倍程度に収まっているのであれば,これまでの判例によれば,当該特約は有効となる可能性が高いといえます。
4 以上のように,契約書上の文言がどのような記載となっているのかが重要となってきます。
解説:
1 敷金とは
(1)敷金についての説明
敷金とは,建物賃貸借契約の締結時に賃借人から賃貸人へ交付される金員で,契約終了に際して,賃借人の賃貸借契約上の未履行債務を控除したうえで賃借人に返還される金員をいいます。賃貸借契約上の未履行債務とは,未払い賃料が主ですが,保管義務違反に基づく修理費用なども含みますし,賃貸借契約終了後建物が明渡されるまでに発生した債務も含みます。つまり,敷金は,賃貸人にとっては,一種の担保の働きがあるのです。
(2) 建物賃貸借契約の締結時に賃借人から賃貸人へ交付される金員には敷金の他に権利金、礼金、保証金というものがあります。敷金との違いを理解しておく必要がありますからそれらについて説明します。
・権利金について
その法的性質は,個々の賃貸借契約によって異なります。主要な法的性質としては,@営業上の利益の対価(例えば,賃借する店舗に得意先がついているなど賃借権に経済的価値があるため,その対価として授受される場合。),A賃料の一部一括前払い,B賃借権取得自体の対価(現行法下における賃借権は,単なる継続的な契約関係以上に強化されている面があり賃料だけでは評価しきれないとして権利金が授受される場合),C場所的利益に対する対価(例えば,交通の便がよい場所にあることには経済的価値があるので,その対価として授受される場合。),D賃借権の譲渡性付与に対する対価(借家人に対し第三者への賃借権譲渡を認めるときに授受される場合)などがあげられます。
権利金が授受された場合に,このうちのどの性質を持っているのかは,個々の契約によりますが,いずれにせよ,権利金を請求することは公序良俗(民法90条)に反して無効になるとは解されていません。
なお,借家契約終了時に権利金の返還請求が出来るか否かは,確定した判例があるわけではないですし,権利金の性質によっても異なります。一般的には敷金と異なり権利金は、何らかの対価としての法的性質を有しており、返還されないと考えられています。権利金の返還については,その有無や額について,しっかりと契約時に合意しておくべきと言えます。
・礼金について
礼金は,権利金と同じ意味で使われる場合が多く,上記した権利金と同様に個々の契約によって様々な意味がありますので、契約書で確認しておく必要があります。
また,仲介業者に対する手数料や,単なるお礼として授受される場合もあります。
・保証金について
保証金の性質も,個々の契約で様々で,@賃貸人への建物建設協力金(したがって実質的には貸金),A敷金や権利金,B即時解約金(賃借人の約定期間以前の解約によって賃貸人が被る損害の填補)などの意味で授受されます。
以上のように,敷金以外は,決まった意味があるわけではなく,個々の契約によってその法的性質は様々であるため,契約時に確認しておくべきでしょう。
2 敷引特約とは
建物賃貸借契約の締結時に賃借人から賃貸人へ交付される金員で,建物の賃貸借契約において,敷金ないし保証金名下に賃借人に差し入れられた金員のうち、一定額ないし一定割合を控除してこれを賃貸人が取得し,建物明渡し後に残額を賃借人に返還する旨の特約です。敷金の本来の趣旨は賃借人の債務不履行による損害賠償を担保するものですから、損額が発生していない以上敷金から控除される金額はないはずです。しかし、損害があったことを明らかにしないで一定額は差し引いて返還するという特約です。
特約の類型としては,@単純に敷金のうち一定割合ないし一定額を返還しないとするもの,A契約の存続期間に応じて敷引金の額が変動するものなどがあります。
敷引特約金の性質については,契約書上特段これを明らかにする条項が置かれていないことが多いですが,一般には,@損耗の修繕費(通常損耗料ないし自然損耗料),A空室損料(中途解約により次の入居者が現れるまでの空室期間が生ずることに対する賃料収入の補償),B賃料の補充ないし前払(賃料を低額にすることの代償),C賃貸借契約成立のお礼としての礼金等の名目で,敷金から一定額を差し引くといわれています。
なお,通常損耗ないし自然損耗とは,賃借人の通常の使用によって汚損・破損した状態(例えば,畳の汚れや壁紙の汚れ)を言いますが,契約終了時の通常損耗ないし自然損耗の修繕は,原則として賃貸人が負担するものです。これを特約で賃借人に負担させようというのが@の性質を持った敷引金ということになります。
3 敷引特約の有効性
(1)原則論
敷金は,上述したように,未払い賃料等の未履行債務がなければ,原則として全額返金されるべきものです。したがって,敷引特約がなければ,損害がない場合には建物明渡時に全額が返金されるのです。
(2)問題の所在
敷引特約は,未履行債務の額にかかわらず,一定額ないし一定割合を控除して返金するというものなので,敷金の原則的な性質に比べて,賃借人に不利な特約といえます。そこで,このように,賃借人に一方的に不利な特約が有効か否かが消費者契約法10条の適用の可否と関連して問題となります。
同法10条は,@「民法,商法その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し,消費者の権利を制限し,又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって」(前段要件),A「民法第1条2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」(後段要件)は,無効とすると定めています。なお,民法1条2項は,「権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。」旨(信義誠実の原則)規定しています。
そこで,敷引特約も同法10条により無効となるか否かが問題となるのです。
この点について判例では、敷引特約は@の要件は満たすが、Aの要件については、敷引金の額が高額に過ぎると評価できる場合に限って要件を満たすと判断しています。以下詳細に判例を検討します。
(3)判例の検討@(最高裁平成23年3月24日判決)
ア 消費者契約法10条前段の要件について
最高裁平成23年3月24日判決は,まず,同法10条前段の要件について,以下のように判示しました。
「本件特約は,敷金の性質を有する本件保証金のうち一定額を控除し,これを賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約であるところ,居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,契約当事者間にその趣旨について別異に解すべき合意等のない限り,通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる趣旨を含むものというべきである。本件特約についても,本件契約書19条1項に照らせば,このような趣旨を含むことが明らかである。ところで,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであるから,賃借人は,特約のない限り,通常損耗等についての原状回復義務を負わず,その補修費用を負担する義務も負わない。そうすると,賃借人に通常損耗等の補修費用を負担させる趣旨を含む本件特約は,任意規定の適用による場合に比し,消費者である賃借人の義務を加重するものというべきである。」
すなわち,当該判決は,敷引特約一般について,原則として前段要件を満たすとしたものと解されます。
イ 消費者契約法10条後段の要件について
次に,同判決は,同法10条後段の要件について,以下のように判示しました。
「消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額,賃料の額,礼金等他の一時金の授受の有無及びその額等に照らし,敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には,当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなど特段の事情のない限り,信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものであって、消費者契約法10条により無効となると解するのが相当である」としたうえで,当該事案においては,敷引特約が,「契約締結から明渡しまでの経過年数に応じて18万円ないし34万円を本件保証金から控除するというものであって,本件敷引金の額が,契約の経過年数や本件建物の場所,専有面積等に照らし,本件建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額を大きく超えるものとまではいえない。また,本件契約における賃料は月額9万6000円であって,本件敷引金の額は,上記経過年数に応じて上記金額の2倍弱ないし3.5倍強にとどまっていることに加えて,上告人は,本件契約が更新される場合に1か月分の賃料相当額の更新料の支払義務を負うほかには,礼金等他の一時金を支払う義務を負っていない。そうすると,本件敷引金の額が高額に過ぎると評価することはできず,本件特約が消費者契約法10条により無効であるということはできない」としました。
このように,敷引特約が常に有効であるとは言えないが,敷引特約が無効と言えるためには,敷引額がかなり高額でなければならないという旨の判示をしたのです。
(4)判例の検討A(最高裁平成23年7月12日判決)
上記判例と同様に敷引特約の有効性が問題となった判例として,最高裁平成23年7月12日判決があります。
同判決は,上記最高裁平成23年3月24日判決の判示を前提として,当該事案について,以下のように判示しました。
「前記事実関係によれば,本件契約書には,1か月の賃料の額のほかに,被上告人が本件保証金100万円を契約締結時に支払う義務を負うこと,そのうち本件敷引金60万円は本件建物の明渡し後も被上告人に返還されないことが明確に読み取れる条項が置かれていたのであるから,被上告人は,本件契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上で本件契約の締結に及んだものというべきである。そして,本件契約における賃料は,契約当初は月額17万5000円,更新後は17万円であって,本件敷引金の額はその3.5倍程度にとどまっており,高額に過ぎるとはいい難く,本件敷引金の額が,近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して,大幅に高額であることもうかがわれない。以上の事情を総合考慮すると,本件特約は,信義則に反して被上告人の利益を一方的に害するものということはできず,消費者契約法10条により無効であるということはできない。」
この判例は,上記最高裁平成23年3月24日判決の判断枠組みと同様の判断枠組みで判断しており,事例判断としての意味を持ちます。そして,結論としては,敷引金の額が大幅に高額であるとは言えず,敷引特約は有効であるとしました。
(5)検討(私見)
まず,敷引特約は,上述したように,賃借人に不利益な特約であり,原則として消費者法10条前段の要件を満たすとしている点は妥当であります。
もっとも,同法10条は,消費者(賃借人)に不利益な特約ということのみをもって契約を無効とするとは規定しておらず,民法1条2項の信義則に反するような場合に初めて無効とする旨定めている以上,無効とするためには,ある程度のハードルを設定する必要があります。このハードルについて,具体的に判示したのが,最高裁平成23年3月24日判決です。そして,上記した二つの判例を総合すると,賃料の額等に比して敷引金の額が高額に過ぎると評価することができない限り,敷引特約が消費者契約法10条により無効であるということは出来ないことになります。
しかし,上記した二つの判決は,月額賃料の3.5倍程度の敷引金を許容しており,「高額に過ぎる」と評価出来る場合はかなり限定されてしまいます。これは妥当でしょうか。
この点については,二つ目の判例(最高裁平成23年7月12日判決)もその理由部分で述べていますが,賃借人は,賃料のほかに賃借人が支払うべき一時金の額や,その全部ないし一部が建物の明渡し後も返還されない旨の契約条件(敷引特約)が契約書に明記されていれば,賃貸借契約の締結に当たって,当該契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上,複数の賃貸物件の契約条件を比較検討して,自らにとってより有利な物件を選択することができるものと考えられることから,賃貸人が契約条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め,賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば,それは賃貸人,賃借人双方の経済的合理性を有する行為と考えることができます。すなわち,敷引特約が契約書に明示されている限りは,それを承知のうえで契約を締結しているのであるから,賃借人がある程度不利益を被るとしても,それは,賃借人が承知していることであるので,原則として信義則に反するとまでは言えないのです。
以上より,上記判決は妥当な判断を示したものと言えるでしょう。
4 最高裁平成17年12月16日判決との関係
(1)判決内容
最高裁平成17年12月16日判決は,通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる特約について,「建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから,賃借人に同義務が認められるためには,少なくとも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められるなど,その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である」として,通常損耗の補修義務を賃借人に負わせる特約の成立を厳格に判断する立場を採りました。
(2)問題意識
上述したように,敷引特約は,通常損耗等の補修費用を敷金等から差し引く特約であることが多いのですが,最高裁平成23年3月24日判決は,敷引特約が消費者契約法10条により無効となる場合をかなり限定的に解しています。このことは,通常損耗の補修義務を賃借人に負わせる特約の成立を厳格に判断する最高裁平成17年12月16日判決(すなわちそのような特約を原則として認めない立場)と矛盾するのではないでしょうか。
(3)検討(私見)
平成17年判決が,上記のような立場を採ったのは,賃借人が通常損耗の補修義務を負い,退去時にその費用(実費)を支払うべきものとすれば,賃借人にとっては退去時に自らが負担することとなる補修費用の額について,契約時に明確な認識を持つことができず,結果的に退去時に予想外に高額な補修費用を負担させられるおそれがあり,これが賃借人にとって特別の負担になりうることを考慮したためと考えられます。このような考えに従い,当該事案では,契約書において,通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているということはできず,また,住宅の入居説明会においても,通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかった状況であったために,当該特約の成立を否定したのです。
これに対し,平成23年判決で問題となった敷引特約は,それが契約書に明示されている限り,賃借人は,自らが負担することとなる敷引金の額について,契約締結時に明確な認識を持つことが可能となり,賃借人が予想外の負担を負うことにはならないため,敷引特約を原則として有効としたのです。
平成17年判決で問題となった通常損耗補修特約と敷引特約とでは,賃借人の負担額の明確性という点で,賃借人の置かれた状況が異なっているため,結論に差異があってもそれは事案の違いであり,矛盾しているとは言えないのです。
また,そもそも,平成17年判決では,通常損耗補修特約の成立が認められるか否かが問題となったのに対して,平成23年判決では,契約の成立を前提としてその有効性が問題となったものです。すなわち,平成23年判決では,契約書上に敷引金の額が明示されている以上,平成17年判決を前提としたとしても,契約の成立は認められると考えることが出来ます。その上で,消費者契約法10条により無効となるか否かは,信義則に反するか否かという大きなハードルがあるため,厳格な判断がなされたと考えることが出来るのです。すなわち,平成17年判決と平成23年判決では,判断事項が契約の成否なのか,契約の有効性なのかという点で異なると考えることもでき,この点からも両者が矛盾するとは言えません。
以上を前提に平成17年判決と平成23年判決を整理すると,敷引金額が契約書に明示されていない場合には,平成17年判決の問題となりますし,敷引金額が契約書に明示されている場合(金額あるいは向上される割合が明確に規定されいる場合)には,平成23年判決の問題となると言えるでしょう。
5 本件の検討
(1)ご相談の件ですが,まず,賃貸人の方が言っている敷引特約が契約書に明示されているか否か,明示されているとして,敷引金額が契約書上明白か否かが重要になります。
(2)もし,敷引特約の内容として,例えば「賃借人は,故意過失を問わず,本件建物の毀損,滅失,汚損その他の損害につき損害賠償をしなければならず,その損害について敷金から控除する。」という旨の文言が記載されていた場合には,実際に差し引かれる敷引金の額を契約時に予期することはできず,「賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されている」とは言えません。また,敷引特約の話を契約終了時に初めて意識したというご事情からは,賃貸人から賃借人に特約についての説明があったとは考えられません。
したがって,この場合には,最高裁平成17年12月16日判決より,特約の成立が認められない可能性が高く,未払い費用や部屋に特別な損傷がない限り,敷金全額の返還を求めることが出来る可能性が高いといえます。
(3)他方,契約書上の記載が,例えば「敷金の半額は返還しないものとする。」等の文言であれば,敷引金額は敷金の半額と明白であるため,原則として特約の成立は認められ,平成23年判決に従い,消費者契約法10条により無効となるか否かが問題となります。
そして,敷金の半額というのが,月額賃料の3.5倍程度に収まっているのであれば,これまでの判例によれば,当該特約は有効となる可能性が高いでしょう。特約が有効となれば,敷引特約に従い,敷金から一定額を控除された額についてのみの返還を求めることが出来るにすぎません。
(4)以上のように,契約書上の文言がどのような記載となっているのかが重要となってくるので,契約書を持参してお近くの法律事務所に相談に行かれることをお勧めします。
<参考判例>
1 最高裁平成23年3月24日判決(抜粋)
「4 所論は,建物の賃貸借においては,通常損耗等に係る投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われるものであるのに,賃料に加えて,賃借人に通常損耗等の補修費用を負担させる本件特約は,賃借人に二重の負担を負わせる不合理な特約であって,信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものであるから,消費者契約法10条により無効であるというのである。
5 そこで,本件特約が消費者契約法10条により無効であるか否かについて検討する。
(1)まず,消費者契約法10条は,消費者契約の条項が,民法等の法律の公の秩序に関しない規定,すなわち任意規定の適用による場合に比し,消費者の権利を制限し,又は消費者の義務を加重するものであることを要件としている。
本件特約は,敷金の性質を有する本件保証金のうち一定額を控除し,これを賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約であるところ,居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,契約当事者間にその趣旨について別異に解すべき合意等のない限り,通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる趣旨を含むものというべきである。本件特約についても,本件契約書19条1項に照らせば,このような趣旨を含むことが明らかである。
ところで,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであるから,賃借人は,特約のない限り,通常損耗等についての原状回復義務を負わず,その補修費用を負担する義務も負わない。そうすると,賃借人に通常損耗等の補修費用を負担させる趣旨を含む本件特約は,任意規定の適用による場合に比し,消費者である賃借人の義務を加重するものというべきである。
(2)次に,消費者契約法10条は,消費者契約の条項が民法1条2項に規定する基本原則,すなわち信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものであることを要件としている。
賃貸借契約に敷引特約が付され,賃貸人が取得することになる金員(いわゆる敷引金)の額について契約書に明示されている場合には,賃借人は,賃料の額に加え,敷引金の額についても明確に認識した上で契約を締結するのであって,賃借人の負担については明確に合意されている。そして,通常損耗等の補修費用は,賃料にこれを含ませてその回収が図られているのが通常だとしても,これに充てるべき金員を敷引金として授受する旨の合意が成立している場合には,その反面において,上記補修費用が含まれないものとして賃料の額が合意されているとみるのが相当であって,敷引特約によって賃借人が上記補修費用を二重に負担するということはできない。また,上記補修費用に充てるために賃貸人が取得する金員を具体的な一定の額とすることは,通常損耗等の補修の要否やその費用の額をめぐる紛争を防止するといった観点から,あながち不合理なものとはいえず,敷引特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであると直ちにいうことはできない。
もっとも,消費者契約である賃貸借契約においては,賃借人は,通常,自らが賃借する物件に生ずる通常損耗等の補修費用の額については十分な情報を有していない上,賃貸人との交渉によって敷引特約を排除することも困難であることからすると,敷引金の額が敷引特約の趣旨からみて高額に過ぎる場合には,賃貸人と賃借人との間に存する情報の質及び量並びに交渉力の格差を背景に,賃借人が一方的に不利益な負担を余儀なくされたものとみるべき場合が多いといえる。
そうすると,消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額,賃料の額,礼金等他の一時金の授受の有無及びその額等に照らし,敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には,当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなど特段の事情のない限り,信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものであって、消費者契約法10条により無効となると解するのが相当である。
(3)これを本件についてみると,本件特約は,契約締結から明渡しまでの経過年数に応じて18万円ないし34万円を本件保証金から控除するというものであって,本件敷引金の額が,契約の経過年数や本件建物の場所,専有面積等に照らし,本件建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額を大きく超えるものとまではいえない。また,本件契約における賃料は月額9万6000円であって,本件敷引金の額は,上記経過年数に応じて上記金額の2倍弱ないし3.5倍強にとどまっていることに加えて,上告人は,本件契約が更新される場合に1か月分の賃料相当額の更新料の支払義務を負うほかには,礼金等他の一時金を支払う義務を負っていない。
そうすると,本件敷引金の額が高額に過ぎると評価することはできず,本件特約が消費者契約法10条により無効であるということはできない。」
2 最高裁平成23年7月12日判決(抜粋)
「本件特約は,本件保証金のうち一定額(いわゆる敷引金)を控除し,これを賃貸借契約終了時に賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約である。賃貸借契約においては,本件特約のように,賃料のほかに,賃借人が賃貸人に権利金,礼金等様々な一時金を支払う旨の特約がされることが多いが,賃貸人は,通常,賃料のほか種々の名目で授受される金員を含め,これらを総合的に考慮して契約条件を定め,また,賃借人も,賃料のほかに賃借人が支払うべき一時金の額や,その全部ないし一部が建物の明渡し後も返還されない旨の契約条件が契約書に明記されていれば,賃貸借契約の締結に当たって,当該契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上,複数の賃貸物件の契約条件を比較検討して,自らにとってより有利な物件を選択することができるものと考えられる。そうすると,賃貸人が契約条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め,賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば,それは賃貸人,賃借人双方の経済的合理性を有する行為と評価すべきものであるから,消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,敷引金の額が賃料の額等に照らし高額に過ぎるなどの事情があれば格別,そうでない限り,これが信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものということはできない(最高裁平成21年(受)第1679号同23年3月24日第一小法廷判決・民集65巻2号登載予定参照)。
これを本件についてみると,前記事実関係によれば,本件契約書には,1か月の賃料の額のほかに,被上告人が本件保証金100万円を契約締結時に支払う義務を負うこと,そのうち本件敷引金60万円は本件建物の明渡し後も被上告人に返還されないことが明確に読み取れる条項が置かれていたのであるから,被上告人は,本件契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上で本件契約の締結に及んだものというべきである。そして,本件契約における賃料は,契約当初は月額17万5000円,更新後は17万円であって,本件敷引金の額はその3.5倍程度にとどまっており,高額に過ぎるとはいい難く,本件敷引金の額が,近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して,大幅に高額であることもうかがわれない。
以上の事情を総合考慮すると,本件特約は,信義則に反して被上告人の利益を一方的に害するものということはできず,消費者契約法10条により無効であるということはできない。」
3 最高裁平成17年12月16日判決
「(1)賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ,賃貸借契約は,賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ,建物の賃貸借においては,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると,建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから,賃借人に同義務が認められるためには,少なくとも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められるなど,その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。
(2)これを本件についてみると,本件契約における原状回復に関する約定を定めているのは本件契約書22条2項であるが,その内容は上記1(5)に記載のとおりであるというのであり,同項自体において通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているということはできない。また,同項において引用されている本件負担区分表についても,その内容は上記1(6)に記載のとおりであるというのであり,要補修状況を記載した「基準になる状況」欄の文言自体からは,通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない。したがって,本件契約書には,通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は,本件契約を締結する前に,本件共同住宅の入居説明会を行っているが,その際の原状回復に関する説明内容は上記1(3)に記載のとおりであったというのであるから,上記説明会においても,通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。そうすると,上告人は,本件契約を締結するに当たり,通常損耗補修特約を認識し,これを合意の内容としたものということはできないから,本件契約において通常損耗補修特約の合意が成立しているということはできないというべきである。」
<参考条文>
民法
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
(公序良俗)
第九十条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
消費者契約法
(消費者の利益を一方的に害する条項の無効)
第十条 民法 、商法 (明治三十二年法律第四十八号)その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項
に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。