新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1520、2014/06/05 19:14 https://www.shinginza.com/qa-souzoku.htm
【民事、相続人間の祭祀承継・墓地・永代使用権・埋葬依頼、神戸地裁平成5年7月19日判決、津地裁昭和38年6月21日判決】
納骨の拒絶問題
質問:
私達兄弟は,お金を出し合い,お墓を共同で購入しました。その際,お寺との契約は,長男名義でしました。しかしその後,長男と他の兄弟との折り合いが悪くなってきていて,他の兄弟が死亡しても,長男がお墓に入れてくれないのではないかと,とても心配になってきました。
何か良い方法はないでしょうか。
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回答:
1 お墓を兄弟で共同で購入されたということですが、寺院のお墓にしろ、霊園のお墓にしろ、お墓のある土地の所有権を購入したことにはなりません。その土地は、寺院あるいは霊園の所有であり、土地所有者に対してその土地をお墓として永久的に使用することを請求する権利を取得したに過ぎません。そして、永久に利用する権利(永代使用権)を誰が取得したかというと、契約者である長男であり、長男がそのお墓に誰を埋葬するかの決定権を持つことになります。すなわち、長男がお墓の管理者に、誰を埋葬すると申し出て初めて埋葬が可能になります。
2 そこで、永代使用権者を複数にし,あなた自身も永代使用権者になれないかという疑問が生じます。この点は、当該寺院の慣習や規則によっては複数の永代使用権者が認められるケースは考えられます。しかし、一般的に永代使用権者は一人に限定されており、複数とすることは困難と思われます。
3 次に、現時点で永代使用権者である長男と他の兄弟との間で書面で兄弟が亡くなった場合は当該墓地に埋葬する、という契約を交わしておくことが考えられます。但し、その場合もどこまでの関係者を埋葬させることができるか、あるいは後日事情が変更した場合もその約束に効力があるのか、という問題はのこりますから、約束が絶対とは言えません。
4 以上のとおり,将来の墓地埋葬の確保については,必ずしも確実有効な手段があるとはいえません。従って、墓地に入るためにその費用を共同で負担するということは避けた方が良いでしょう。
しかし、それでも共同で購入したいということであれば様々な可能性を検討しつつ,最善の方法を模索することは有益でしょう。その意味で,専門家と相談しながら,個別具体的な事案においてとりうる方法を検討することが望ましい事案であろうと思います。
なお、特定の宗教寺院の場合は、寺院の取り行う宗教的な典礼との関係もあり、埋葬される方の宗教が異なる場合は、たとえ永代使用権者が埋葬を申し出ても、寺院から埋葬を拒否される可能性もありますのでその点も注意が必要です。
解説:
1 寺院、霊園管理者との契約
墓地を利用し,埋葬をしてもらうためには,寺院や霊園管理者と墓地使用契約(永代使用契約)を締結する必要があります。そして,この墓地使用契約が締結された場合,契約者(永代使用権者)からの埋葬依頼があれば,「正当な理由」がない限り,寺院等はこの埋葬の依頼を拒絶できません(墓地,埋葬等に関する法律13条)。また,埋葬の依頼をするかどうかも契約者の意思に基づきますので,墓地への埋葬については,基本的には契約者の意思次第ということになります。
このように考えると、現時点で永代使用権者である長男と一緒に,寺院への働きかけによって将来の埋葬を確保する、すなわち寺院等と永代使用権者で他の兄弟が亡くなった場合は当該墓地に埋葬する、という約束を書面でかわしておくという方法が考えられます。しかし,そのような約束が将来的に解約されないか、その間の事情の変更により同じ墓地に埋葬することが相当でないと判断されるような事情が発生し、その為約束の効力が失われるのではないかという疑問が残ります。
2 墓地使用権(永代使用権)
次に,あなた自身についても墓地についての使用権を取得し,墓地利用や埋葬依頼をできるようにしておくという方法は考えられるでしょうか。
永代使用権者の数については,慣習や管理規則によって,1人に限っていることが多いようです。なお,永代使用権者を1人に限っているのは,墓地所有者の管理運営の便宜のためというのがその理由のようです(なお,墓地使用についてではなく,死者の祭祀全般の承継の場面となりますが,類似のものとして,祭祀承継者(民法897条1項)についても,1人とされるのが原則のようです。これについては,本来祭祀自体が子孫に分散して承継されていく性質のものではないというのが理由です。ただし,「特別な事情」があるとして,祭祀について共同承継が認められた審判例もあるようです。)。そのため,あなた自身も永代使用権者となって,将来の墓地埋葬を確保するという方法も,一般的にはとりづらいことが多いです。
なお,永代使用契約を締結するためには,寺院墓地の場合,寺院との檀信徒加入契約が必要とされますので,仮に永代使用権者となる場合,こちらの契約も締結する必要があります。
3 長男による停止条件付意思表示の可能性
それでは,永代使用権者である長男に,兄弟の死亡を停止条件とする埋葬依頼の意思表示をさせておくという方法は考えられるでしょうか。
これについては,埋葬依頼についての意思表示の前倒しは可能なのか,仮に可能として,長男が後に異なる意思表示をした場合に,どちらが優先されるのかなど,いくつか問題は考えられます。
以上の問題については,裁判例や文献等で明確な判断が確認されたわけではありませんが,私見としては,兄弟の死亡を停止条件とする埋葬の意思表示の依頼自体については,埋葬依頼権者自身の意思表示ですし,人はいずれ死亡し,その際に埋葬は必ず問題となる事項ですから,性質上その意思表示が無効であるとする理由まではないと思われます。もっとも,埋葬については基本的に契約者の意思に大きく委ねられている関係上,埋葬時点により近接した,後の意思表示が優先されるのではないかと思います。ただ,現実的には,(少なくとも第一次的な訴訟前の段階においては)以上の契約者の意思表示を寺院がどうとらえるかによって帰趨が異なってきますので,寺院との協議がまず重要かもしれません。
なお,埋葬についての意思表示の戦後の問題については,最初の意思表示が優先されるようにするため,受益者(埋葬される他の兄弟)の意思表示をもあわせた合意をするという方法も,検討の余地があるように思います。
4 本事例についての検討
本事例についての解決の方法を考えてみます。
まず,寺院を含めた三者で埋葬を確約させるような方法については,三者が了解すれば可能ですが、将来的な効力や解約されないかという疑問があります。
次に,永代使用権者を複数にし,あなた自身も永代使用権者になるという方法は,基本的には困難であることが多いものの,当該寺院の慣習や規則によっては複数の永代使用権者が認められるケースは考えられますし(現に,永代使用権者を複数にすることを認めてもらえた事例もあります。),解決可能性のある手段の1つとはいえるでしょう。
また,永代使用権者である長男に,兄弟の死亡を停止条件とする埋葬依頼の意思表示をさせておくことができるようであれば,それもとりうる手段の1つであろうと思われます。受益者(埋葬される他の兄弟)の意思表示をもあわせた合意をするという方法も,検討の余地があると思われます。
5 終わりに
以上のとおり,将来の墓地埋葬の確保については,必ずしも確実有効な手段があるとはいえません。逆に,そうであるがゆえに,様々な可能性を検討しつつ,最善の方法を模索することは有益でしょう。その意味で,専門家と相談しながら,個別具体的な事案においてとりうる方法を検討することが望ましい事案であろうと思います。
ご相談の内容についての裁判例はありませんが、寺院等の墓地の管理者が永代使用権者からの埋葬請求について拒否できるか否か,埋葬依頼を拒絶できる上記「正当な理由」の有無の判断については,以下のような裁判例があります。永代使用権の理解に有益と思われますので参考にして下さい。
すなわち,まず,檀信徒以外の墓地使用者からの埋葬要求については,津地判昭和38・6・21下民14・6・1183において,寺院は埋葬要求に対する拒否はできないが,寺には自派の典礼を執行する権利があるとされました。さらに,東京高判平成8・10・30判時1586・76においては,寺院は埋葬要求を拒否できず,無典礼で埋葬が可能であるとされています。
次に,その他のケースですが,神戸地判平成5・7・19判タ848・296において,墓地使用の申込者が多数であり,また墓地使用者が撤去時期につき当初の言と異なる対応をしたため正当な管理に支障をきたすおそれがあるとされて,使用拒絶に正当な理由があるとされました。
以上,裁判例をみても,一般的に言って,埋葬を拒絶する「正当な理由」があると判断されるためには,かなりの事情が必要とされるものといえます。
≪参考文献≫
『くらしの相談室 お墓の法律Q&A(新版)』平田厚ほか(有斐閣選書)
『Q&A 墓地・納骨堂をめぐる法律実務』藤井正雄・長谷川正浩(新日本法規出版)
≪参照条文≫
墓地,埋葬等に関する法律
第十三条 墓地、納骨堂又は火葬場の管理者は、埋葬、埋蔵、収蔵又は火葬の求めを受けたときは、正当の理由がなければこれを拒んではならない。
民法
(祭祀に関する権利の承継)
第八百九十七条 系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する。ただし、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。
2 前項本文の場合において慣習が明らかでないときは、同項の権利を承継すべき者は、家庭裁判所が定める。
≪参考判例≫
津地判昭和38・6・21下民14・6・1183より抜粋
「 一、被告が真宗高田派に属する寺院でその経営にかかる寺院墓地が久居町二ノ町一七四二番地に存すること、原告は昭和三年ごろ被告の承認を得て右墓地内の本件墓地に原告家代々の墳墓を設置し、爾来これを右墓地内に所有して来たこと、その当時から昭和三三年六月ごろまで原告は被告の檀家であつたが、そのころ原告は被告に対し創価学会(日蓮正宗の信者の団体)に入会し改宗したことを理由に、離檀の通知をなしたこと以上の事実は当事者間に争がなく、成立に争のない甲第四号証、乙第三号証の一、二、第四号証、証人I、同M、同O、同Pの各証言原告本人G、被告代表者K各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
すなわち昭和三三年八月一四日に原告の長男Sの妻訴外GAが胎児を死産したので、原告は同日埋葬許可書の交付を受け、娘婿訴外I某をして被告方に赴かせ右死産児の本件墓地内への埋葬方を依頼したが、被告代表者Kは原告が日蓮正宗に改宗、離檀し、異教徒となつたことを理由に右依頼を拒絶し、翌日再度の原告自らの依頼に対しても右と同じ理由で拒絶した。そこで止むなく原告は胎児のこととて腐散し易いところから、埋葬許可書を火葬許可書と訂正交付を受け、火葬に付し焼骨となし同月一七日再度埋蔵依頼をしたがこれも拒絶されたので、止むなく原告の自宅に右焼骨を安置した。(なお右被告の埋蔵方の拒否については昭和三三年八月下旬に創価学会の信者有志と被告との間に再三交渉があつたが話し合いがつかず、ついに原告において津地方法務局に人権侵犯事件として告訴がなされ、法務局係官が斡旋にあたつたが、主として埋蔵に伴う典礼方式について双方の意見が一致せずために遂に不調に終つた。)
他に右認定に反する証拠はない。
二、しかして原告の本訴請求は、原告の被告に対する本件焼骨の本件墓地内への埋蔵依頼に対し、被告はこれを許諾すべき法律上の義務があることを前提として、従つて右の埋蔵依頼により当然に原告は右埋蔵をなす権能を取得したとなし、被告に対し右権利の実行として右埋蔵行為をするについての妨害行為(物理的妨害のみでなく、被告の典礼の施行をも妨害行為とする。)の禁止を求めるものであることはその主張自体に徴し明らかであるから、先ず原告の前記埋葬依頼に対し被告がこれを許諾すべき法律上の義務があるかどうかについて判断する。
三、ところで墓地法は、同法附則第二四条に規定するように日本国憲法の施行の際現に効力を有する命令の効力に関する法律(昭和二二年法第七二号)第一条の四により法律としての効力を保有していた次の命令、すなわち墓地及埋葬取締規則(明治一七年大政官布達二五号)、墓地及埋葬取締規則に違背する者処分方(同年大政官布達八二号)及び埋火葬の認許等に関する件(昭和二二年厚生省令第九号)を廃止し、これに代るものとして制定された法律である。
そして成立に争のない甲第三号証によれば、国又は地方公共団体の経営するいわゆる共同墓地については、右大政官布達以来所轄の府県知事から墓地管理権及び墓地使用について種々の規制がなされて来たが、寺院の経営する寺院墓地の管理権ないし墓地使用については特にこれを規制するものはなく、前記明治一七年の大政官布達二五号によりこれを永久墓地として当該寺院の管理に委ねていたことが認められる。
従つて墓地法が前記のとおり右大政官布達等を廃止し、これに代るものとして制定されたものである以上墓地法は寺院墓地にも適用されることは明らかであり、同法第二六条により従前から寺院墓地についてその経営管理権を有していた寺院は同法により許可を得たものとみなされ、ここに寺院墓地は共同墓地と同じく同法によつて規律せられるに至つたのである。
四、しかして墓地法第一三条に「墓地、納骨堂又は火葬場の管理者は、埋葬、埋蔵、火葬等の依頼を受けたときは正当の理由がなければこれを拒んではならない。」旨規定しているから、被告の前記のような改宗離檀した異教徒からの埋蔵依頼であることを理由とする拒絶が同条にいう正当の理由にあたるかどうかについて考察する。
ところで同条にいう拒絶できる正当な理由とは具体的にはいかなる場合かについては法文上明らかにされていないが、要は同法第一条にいうように同法が墓地の埋葬蔵等が国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障なく行われることを目的として制定された法律であることにかんがみ、このような立法の精神に照らし社会通念の上から正当の理由の内容を解釈して行くより外はなかろう。
そして若し社会通念の上から永年慣行として認められていたものがあれば、右慣行も正当理由の解釈については当然斟酌されてしかるべきであろう。
以下この見地に立つて考えるに、墓地法が制定されるまでは共同墓地については種々の規制がなされていたが(前顕甲第三号証によれば、東京府令第四四号墓地設置及管理規則第五条は墓地の新設変更又は廃止は知事の許可を受くべきこと、墓地管理者は宗旨の別を問わずその市町村在籍者又は市町村で死亡した者に対し総て埋葬の求めに応ずべきことと定め、また古くは明治一七年内務省達墓地及埋葬取締規則施行方法細則標準第三条にも同趣旨の規定が存することが認められる。)寺院墓地については単に明治一七年の大政官布達第二五号により永久墓地としてこれを当該寺院の経営管理に委ねていたことは前記のとおりであるから、墓地法制定に至るまで寺院墓地はいかなる経営管理がなされて来たかを先ず知る必要がある。
五、そして後記の寺院墓地の歴史的沿革からすれば、少くとも墓地法制定当時までは異教徒からの埋蔵依頼ということはかつて殆んどなされたことはなく、またこのような依頼はこれを拒み得るという慣行が存していたものと考えられる。
すなわち、寺院墓地は古い歴史を有する。徳川時代に幕府がキリスト教徒の根絶を期するため国民はすべて一定の寺院の檀家として宗門改帳に登載されることを要するとなし、寺院は幕府の命により国民が自己の檀家たることを証明する宗旨手形を発行するなど、徳川時代においては幕府は、仏教を国家において認める唯一の宗教となし、檀家制度を確立することによりこれを一種の統治のための組織として利用して来たのである。そのため改宗離檀の如きは原則として認められず、ために仏教は根強く国民の生活を支配するに至つた。しかし明治になつてから仏教に対する政治的庇護がなくなり、加うるに檀家制度の基礎となつた宗旨手形等の制度が戸籍法の施行により明治初年に廃止されたことにより、檀家制度は次第に崩壊の過程をたどることになつたが、現在においても長年月に亘つて培かわれた慣行は消えるわけもなく仏教寺院のあるところ必ず檀家制度の存することは顕著な事実である。
そして檀家(正確には檀信徒のうちの檀徒)とはその仏教寺院の教義を信奉し、寺院墓地に墓墳を設置し、自己の主宰する葬祭等をその寺院に一時的でなしに委託し、且つその寺院の経費を分担する者を言うこと(信徒とは一時的な葬祭等の委託者を言う。)は被告の主張するとおりであり、従つてその寺院の檀徒となることにより始めてその寺院の墓地に墳墓を所有するに至るわけである。
このような歴史的沿革に徴すると、寺院墓地は従来からその寺院の檀家からの埋葬蔵の依頼のみを取り扱つて来たのであり、異宗のものからの埋葬蔵の依頼は起り得なかつたと考えられ、若し異宗のものから埋葬蔵の依頼があつたとしてもこれを拒み得るものと考えられ、このような慣行が永年に亘つて続いて来たであろうことは容易に推測することができる。証人R、同小妻Bの各証言及び被告代表者K尋問の結果によつても右のことは認められる。
従つて墓地法第一三条の正当理由の解釈についても右の慣行の存在を無視することは許されないであろう。(成立に争のない乙第二号証により認められる昭和二四年八月二二日付厚生省公衆衛生局環境衛生課長の墓地法一三条についてと題する東京都衛生局長宛の文書は、この見地に立つて異教徒からの埋葬蔵依頼を拒むことは正当の理由による拒絶であるとしている。)
六、よつて進んで右のような慣行を社会通念の上から全面的に正当理由の一つとして是認できるかどうかについて考える。
墓地法第一三条は、共同墓地、寺院墓地によつて区別して取り扱つてはいないけれども、両者はそれぞれ特質を有しているのであつて共同墓地については何よりも先づ公衆衛生上の見地が優先し、この見地から正当な理由の内容を定めるべきであろうが、寺院墓地は宗教法人である仏教各宗派の寺院の経営する墓地であることからして、当該仏教寺院の宗教的感情を著しく損うごときことは許されないことは当然であり、その点において前記慣行は尊重さるべきであるが、さりとてその宗教的感情の尊重に急な余り、我が国民全体の宗教的感情ないし公共の福祉からの要請に適合しないような解釈適用もすべきではあるまい。
明治以降改宗離檀が自由になつたこと、改正民法の施行により家族制度が廃止されたこと、終戦後信教の自由が保障されるに至つたこと等の諸事情からして既成の寺院宗派に属しないいわゆる新興宗教が台頭し、或は既成の寺院宗派の一部の活発な布教活動により、従来寺院の檀家であつたもの、ないしそのものの家族の個々人がこれらの宗教に改宗し、離檀するという現象が生じて来た。(成立に争のない乙第二号証によれば日蓮正宗の信者の団体である創価学会の会員は昭和初年にはごく僅少であつたのが、昭和三〇年ごろには全国で約七〇万世帯約一三〇万人を算するに至つたことが認められ、証人Jの証言によれば現在でも月間相当多数の入信者があることが認められる。
このような国民の宗教生活の変遷を背景として本件のような改宗、離檀した異教徒からの従前檀家であつた寺院墓地に対する埋葬蔵の依頼という現象が発生するに至つたのである。(証人秋谷城永の証言によれば、昭和三二年ごろから全国で約二百件余り本件のような埋葬蔵依頼に伴う紛争が生じたことが認められる。)
このような現象は、国民の墳墓が前述したように檀家制度によつて元来寺院墓地にのみ存し、そのため大多数の国民の先祖の墳墓が寺院墓地に存すること、右のように寺院墓地に先祖の墳墓を所有する国民の一部において次第に前記のように改宗する者が現われるに至つたのに、国民の伝統的祖先崇拝という宗教的感情からその親族の遺体ないし焼骨を既成の仏教寺院の経営する寺院墓地内の右先祖の墳墓地に埋葬蔵したいという根強い希望が存すること、これに加えて他面寺院墓地に代るべき共同墓地がその絶体数において少いこと(証人山内一夫の証言によれば、全国的に共同墓地は寺院墓地に比し少いことが認められる。)またいわゆる新興宗教ないし活発な布教活動をしている一部の仏教宗派等が増加した信者の墳墓を各地域別にもれなく自己の経営する墓地に移し迎えるだけの施設を講じ得ないことなどがその理由に考えられよう。
そうすると、若し改宗離檀したものからの右のような埋葬蔵の依頼に対し寺院墓地管理者がすべて一律に異教徒からの依頼は拒むことができるという前記慣行によつて律し、これを拒むことを正当な理由にあたるとして右依頼を拒むことを墓地法が容認するとすれば、右のような先祖の墳墓地に埋葬蔵したいという国民の宗教的感情に背反することになり、これは公共の福祉にも適合しないことになろう。
七、そこで当裁判所は一方において寺院墓地に存していた古来からの前記慣行の本来の趣旨とするところを尊重しつつ、他方において国民の宗教的感情ないし公共の福祉からの要請に背かないようにという建前にたつて正当理由の内容を解釈すべきものとする。そこから導かれる結論は次のとおりである。
すなわち従来から寺院墓地に先租の墳墓を所有するものからの埋葬蔵の依頼に対しては寺院墓地管理者は、その者が改宗離檀したことを理由としては原則としてこれを拒むことができない。但し右埋葬蔵が宗教的典礼を伴うことにかんがみ、右埋葬蔵に際しては寺院墓地管理者は自派の典礼を施行する権利を有し、その権利を差し止める権限を依頼者は有しない。従つて(一)異宗の典礼の施行を条件とする依頼(二)無典礼で埋葬蔵を行うことを条件とする依頼(異宗の典礼は施行しないが、当該寺院の典礼の施行も容認しない趣旨の依頼)このような依頼に対しては、寺院墓地管理者は自派の典礼施行の権利が害されるということを理由にしてこれを拒むことができるし、右のような理由による拒絶は墓地法第一三条にいう拒絶できる正当な理由にあたる。
八、このような結論が導かれる理由を詳述すれば次のとおりである。
先に述べたとおり我が国においては国民の墓地は歴史的に古くから寺院の墓地のみであつたのであり、その寺院の檀家となることによつて寺院墓地内に墳墓を所有することができたのであるから、右墳墓を所有することにより右墳墓の存する墳墓地を使用する権利(以下「墓地使用権」という。)は結局寺院との檀信徒加入契約とでもいうべき契約に由来するであろう。
しかしながらかくして取得した墓地使用権は墳墓が有する容易に他に移動できないという性質(官庁の許可を得た墓地内にのみ設定されねばならない。)すなわち固定性の要求からして、また我が国においては墳墓が先租代々の墳墓と観念されていること(民法第八九七条は墳墓について相続人の承継を一応おさえ、その所有権は慣習に従つて祖先の祭祀を主宰すべきものが承継する旨規定している。)また国民の宗教生活上墳墓は尊厳性を持つべきことを要請されていること(刑法にこれを保障する規定がある。)などの諸点からして墳墓は必然的に固定的且つ永久的性質を有すべきものとして観念されているのである。さればこのような固定性,永久性を有すべき墳墓を所有することにより墳墓地を使用することを内容とする墓地使用権も、たとえその設定契約が前記のように檀家加入契約という契約に由来するとしても、右墳墓と同様に永久性を持つべきものと考える。そして当初の設定契約もかかる性質を有するものとして設定されておるものと言えよう。これを象徴する言葉として永久借地権なる語が存するが、墓地使用権が法上いかなる権利に属するかどうかは別として墓地使用権の本来的に有する性質を現わしていると言えよう。
寺院墓地はかくしていわば永代に亘つて墳墓地の使用を許さなければならないという負担を設定契約の当初から背負つているのである。
従つて当該墳墓の祭祀を司る者が改宗離檀したからと言つて、その者及びその親族の墓地使用権はこれによつて当然に消滅するということはできない。
被告のこれに反する見解に立つ主張は採用できず、被告の右主張に副う証人Rの証言は信用しない。
(もつともこのように解すると改宗離檀というも、いまだ先祖の墳墓地を寺院墓地内に所有している場合は、前記永代墓地使用権を有している関係からして、少くとも当該寺院墓地に墳墓地の維持料等の経費負担の義務が存する等の関係から当事者間に離檀の合意があつても、このような場合に完全な離檀と言えるかどうか疑問であるが、一応改宗し、寺院の教義の信奉者でなくなつたという点において離檀と言えなくもなかろう。本件においては離檀という語は右の後者の意味に用いる。)
そうであるとすれば、一度び先祖の墳墓を寺院墓地内に所有し、その墳墓地を永久的に使用し得る者からの、その親族の遺体ないし焼骨の右墳墓地えの埋葬蔵の依頼に対しては、寺院墓地管理者は原則としてその者が改宗離檀したかどうかにかかわりなくこれを拒み得ないものと解すべきである。
(但し右にいう墓地使用権は墳墓を寺院墓地内に設置所有する権利であるから、その意味での使用権の当然の権利として埋葬蔵できると解すべきではなく、個々の埋葬蔵は墓地管理者の承諾が必要であり、墓地法第一三条もその趣旨で管理者の許諾義務の要件について規定しているのである。
原告は占有権、地上権等に基ずいて当然に埋葬蔵できる旨の主張もしているけれども右主張は右の理由によりいうまでもなく失当である。そして原告が占有権、地上権等と主張する権利の内容は右に説示した墓地使用権を指していることは明らかである。)
従つて寺院墓地における前記慣行(異教徒からの埋葬蔵の依頼は拒み得るとされていた慣行)はその限りにおいて修正を余儀なくされ、寺院墓地側の宗教的感情は制約を受けることにもなるわけであるが、元来このような制約の因子は前記墓地使用権の永久性の故からして墓地設定契約の当初から右契約の中に内在していたといつても過言ではなかろう。
九、しかしながら右のように改宗離檀したことを理由としては埋葬蔵の依頼を拒み得ないとしても、その埋葬蔵に際し行わるべき宗教的典礼については、当該寺院墓地の管理者は自派の典礼を施行し得る権限を有していることは言うまでもない。
古来から葬式という言葉で言われているように、死者ある場合はそれが遺体のまま埋葬されるとないし焼骨として埋葬されるとを問わず、それが寺院墓地において行われる限りにおいてはその寺院の属する宗派の定める典礼が施行されて来たのであつて、このような典礼の施行が必ず伴うことが実は寺院墓地と共同墓地との本質的な差異をなしているのであつて、右典礼の施行が必須的に伴うことこそ寺院墓地のそもそもの開設以来今日まで永年に亘つて行われた慣行である。
このことは宗教法人法第一条第二項に「この法律のいかなる規定も個人、集団、及び団体がその保障された自由に基ずいて教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」旨の規定が存することによつても明らかであろう。
そうであるとすれば、いやしくも或る宗派の寺院墓地管理者に埋葬蔵の依頼をした以上、その者はその管理者が自派の典礼を行うについては依頼者はこれを受忍すべきが当然である。
一〇、原告は墳墓は信仰の対象ではなく、宗派的典礼を行うところではないと主張し、仮りに右主張が原告の信奉する日蓮正宗にあてはまるとしても、少くとも被告の所属する真宗においては、典礼を行うさだめとなつていることは証人R、同妻Bの各証言及び被告代表者K尋問の結果(第一、二回)により明らかであるから、原告の右主張は被告の寺院墓地に関する紛争である本件については採用できない。
また原告は、若し改宗離檀した者の埋葬蔵の施行について当該寺院の典礼を受認しなければならないということになれば、これは「何人も宗教的行事に参加することを強制されることはない。」と明言した憲法第二〇条第二項の規定にていしよくすると主張する。しかしながらこれは改宗離檀したのにあえて従来の寺院墓地に埋葬蔵したいということに原因するのであり、そのこと自体は前記のように国民の宗教的感情等から是認されるのであるが、然し改宗離檀等の、もとの寺院墓地への埋葬蔵の依頼には、それだけの負担(寺院の典礼は受忍しなければならないという負担)を負うべきであり、これは本来自己の任意に出た前記埋葬蔵の依頼行為に帰因しているのであるから、何らの原因なしに強制されるというわけではないから、右のように寺院の典礼の受認義務を認めても、別段憲法第二〇条第二項の規定にていしよくするということはあるまい。
もし寺院墓地管理者が自派の典礼を当該寺院墓地において行われる埋葬蔵に際し施行できないとすれば、寺院墓地はその限りにおいて共同墓地と全く同じになるわけであつて、これは寺院墓地の特殊性、永年に亘つて行われて来た自宗派の典礼施行という慣行を全く否定することになる点において全国の寺院及びその教義の信奉者(その中には原告の信ずる日蓮正宗の寺院も含まれる。)という多数の国民の宗教的感情を著しく害することは明らかである。立場をかえて日蓮正宗の寺院墓地に他宗のものが埋葬蔵の依頼をなし、日蓮正宗の定めるところに従わず、異宗の典礼を施行し、日蓮正宗の寺院墓地管理者がこれを差止めることができないとされた場合に日蓮正宗の寺院及びその信者はいかなる感情を抱くであろうか。容易に想像し得るところである。
またたとえば、宗教団体の経営する学校に子弟を入学させた後において、その父兄が改宗し、これを理由に、その父兄が子弟をその学校に在学させたままその学校に対しその学校の属する宗派の宗教教育をその子弟についてのみ禁止させることができるのであろうか。このようなことの許されないことは見易い道理である。
一一、以上説示したところからの当然の帰結として、改宗離檀者からの寺院墓地内の先祖の墳墓地への、その親族の遺体ないし焼骨の埋葬蔵の依頼については、右に述べた寺院の典礼施行権を害するが如き条件を含んだ前記第七項の(一)(二)のような依頼(異宗の典礼の施行を条件とする依頼、ないし無典礼を条件とし当該寺院の定める典礼の施行を容認しないような依頼)に対し、寺院墓地管理者に許諾義務がありとせば、寺院墓地としての性格を根本から否定抹殺することになり、このようなことは社会通念の上から是認することはできないから右のような依頼に対してはこれを拒み得ると解すべきである。従つてこのような依頼に対する自派の典礼施行が害されることを理由とする拒絶は、墓地法第一三条の拒絶できる正当理由ある場合にあたると言えることになろう。
一二、もつとも、墓地法第一三条には、典礼については何ら規定するところがないから、或は昭和三五年三月八日付厚生省公衆衛生局環境衛生部長の通達(成立に争のない甲第二号証)の如く、典礼と埋葬蔵を切りはなし、典礼の施行についてはこれを当事者の解決に一任するという見解も成立する余地がある。
しかしこのような見解は民事上刑事上の許諾義務の存否を決するための墓地法の法文の解釈としては採用できないことは、先に述べた寺院墓地における埋葬蔵が必ず宗教的典礼を伴うことを不可欠とすることに徴し縷説を要しないであろう。
以上説示したところに反する甲第五号証の記載部分及び証人Yの証言部分は採用できない。
一三、以上説示した見地に従つて本件をみると、原告はもと被告の檀家として寺院墓地内にある本件墓地に先祖代々の墳墓を所有して来たことは先に認定したとおりであるから、本件墓地についていわゆる墓地使用権を有する者であることはいうまでもなく、このような者からの本件墓地へのその親族のものの死産児である本件焼骨の埋蔵方の依頼については、被告は原則としてこれを拒み得ないのではあるが、原告の右依頼は、右埋蔵については無典礼で行うというのであつて、これは同時に被告寺院の定める典礼の施行を容認しない趣旨のものであることは、被告寺院の行うことあるべき典礼を妨害行為としてその禁止を求めていること自体に徴し明らかであるからこのような依頼に対しては、被告は自派の定める典礼の施行権が害されることを理由にして原告の本件埋蔵依頼を拒むことができるのであつて、このような理由による拒絶は墓地法第一三条の正当な理由ある場合にあたると解すべきである。(そして被告が右のような理由によつて拒絶する旨の主張をもなしていることはその主張自体に徴し明らかである。)(被告寺院が死者ある場合に行われる典礼は被告代表者K尋問の結果(第二回)によれば、大体被告主張のとおりであること、本件のような埋蔵に限つて言えば、被告寺院の僧侶が立ち会い埋蔵式を行い、このとき僧侶は重誓偈なる経文を唱えることになつていることが認められる。)
一四、附言すれば右のように解しても原告が主張するような信教の自由、改宗の自由を阻害することにはなるまい。改宗離檀は自由であり、改宗離檀したことだけでは寺院側は埋蔵請求を拒み得ないのであるから、改宗離檀そのものが阻害されるわけではない。
そして前記のような埋蔵に際し行われる被告の典礼の程度なら原告がこれを受忍しても原告の宗教的感情が著しく害されるということはあるまい。(右被告の施行する典礼の受忍が憲法二〇条二項に反しないことは前記のとおりである。)しかしいかなる程度の典礼であつても、それを施行する権限が寺院墓地側に存する以上これを差し止めるがごとき結果を伴うことを要件としているような埋蔵依頼に対し寺院墓地側に許諾義務を課するわけにはいかないのである。もとより寺院墓地も公共の福祉からの制約を免れないが、典礼施行権の否定抹殺は宗教法人である寺院の存立そのものをおびやかし、国民の宗教感情にも反することにもなり、却つて公共の福祉に適合しないような事態に立至るであろう。
もしどうしても原告が被告の典礼を受忍することができないというのならば、原告の信奉する日蓮正宗の墓地なり共同墓地なりに被告の寺院墓地内にある原告の先祖の墳墓を改葬するより外はなかろう。日蓮正宗の墓地等が原告の住居地附近に存しないという理由だけからして、直ちに原告が被告の寺院墓地に無典礼で埋葬蔵できる権利があるとすることは、少くとも墓地法第一三条の解釈からは出て来ないことは縷々説示したとおりである。原告の右のような要求をかなえることは、もはや墓地法の解釈の問題ではなくして、墓地政策という政治の問題であり或は立法論の問題であろう。
一五、以上の次第であるから、原告の被告に対する本件焼骨の本件墓地への埋蔵請求に対し被告はこれを許諾すべき法律上の義務はないから、右義務あることを前提とする原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。 」
東京高判平成8・10・30判時1586・76より抜粋
「 三 本件遺骨の埋葬に際し、まず当事者間における特約に基づいて典礼を受けないことを理由として埋葬を拒否できるかについて検討する。
無量寺霊園は、控訴人の申請により、昭和三九年一二月二四日墓地埋葬等に関する法律一〇条一項による群馬県知事の許可を受け開設したものであって、本件墓地は、控訴人の管理下にある寺院墓地であり、その管理使用関係については、墓地法の定めとは別に墓地設置者である控訴人と墓地使用者の間で特別の定めをすることができる。本件墓地の使用関係については、無量寺霊園使用規則が当事者間を拘束するものと解される。同規則一条には、「無量寺霊園は当宗信徒に限り冥加料にて貸与し、霊園として使用する場合に限り許可する。」と定められている。
控訴人は、埋葬の際に典礼を受けることは、右規則一条により墓地使用上の負担になっているものと主張するが、この点につき,控訴人代表者は、原審において、埋葬の際の典礼は、本堂に遺骨を安置し、控訴人寺院の住職が本堂で法華経をあげて唱題することであり、日蓮正宗の教義にはないが、通例となっている旨供述している。《証拠略》によれば、日蓮正宗においては埋葬に確定された儀式の形式が定められていないことが認められる(《証拠略》によれば、僧侶の読経が慣行化していることは認められるが、これをもって控訴人による典礼の要求を正当化するものと解することはできない。)。むしろ前記使用規則の文言上は信徒であること、冥加料の支払があること、霊園として使用することのみが要件とされており、控訴人主張のように典礼を受けることが同規則により墓地使用上の負担となっているものとは認定できず、典礼が行われることは事実上の慣行にすぎない。したがって、被控訴人において控訴人が行う典礼を受けることを拒否することをもって、直ちに、控訴人において埋葬を拒否しうるものではない。
また、被控訴人が信徒であることは、当事者間に争いがないところ、日蓮正宗宗規二二四条及び二二五条によれば、檀徒は「寺院または教会に所属し、葬祭追福を委託」する者となっているが、信徒には「葬祭追福を委託」との定めの文言はない。しかるに、その後、平成五年三月九日に右宗規の規定が改正され、信徒についても檀徒と同一の定めとなったことが認められるが、右は、前記認定の宗門と創価学会との軋轢から学会員が僧侶による宗教的儀式を拒否したことを契機として改正されたものと認められるところであり(前記平成三年から同四年にかけての控訴人作成のチラシや「告」の記載も含め、それ以前に墓地使用権を取得した者の同意なしに当然に遡及効をもつとは解し難い。)、このことは、日蓮正宗において、もともと信徒に対し、僧侶による儀式の執行を依頼することを要請すべき根拠となるものが存在しないものと推認できるところである。
しかしながら、寺院墓地は宗教法人である仏教各派宗教の寺院の経営する墓地であるから、その使用において、当該寺院の宗教的感情を著しく損なうことは許されない。したがって、例えば離檀改宗した者が、その墓地を使用するに当たっては、少なくともその典礼に従うべきことを要求できるものと解するのが相当であるとしても、被埋蔵者及び埋蔵をしようとする者が信徒であることが当事者間において争いのない本件においては、日蓮正宗を奉じる者が同宗派に属する控訴人寺院の典礼を受けないというにすぎない。このことは控訴人が理葬を拒否するに足りるほどその宗教的感情を害するものということはできない。
次に墓地法一三条の埋葬を拒否すべき正当な理由があるかについては、当事者間の特約としても認められない以上、典礼を拒否することが同法の正当な理由に該当すべき事由があると認定することはできず、他に、右正当の理由に該当する特段の事由も認められない。
したがって、埋葬を行うに際し、典礼を拒んではならないとの控訴人の主張は理由がなく、被控訴人が墓地法施行規則五条一、二項の規定による分骨証明証を提出する限り、その埋葬の求めを控訴人が拒むことは許されない。 」
神戸地判平成5・7・19判タ848・296
「 2 抗弁1に対する再抗弁(「正当の理由」の存否)について
(一) 墓地埋葬法一三条によれば、墓地等の管理者は、正当の理由がなければ、墓地等の使用の申込みを拒むことができないとされているが、これは埋葬等の施行が円滑に行われ、死者に対する遺族等関係者の感情を損なうことを防止するとともに、公衆衛生その他公共の福祉に反する事態を招くことのないよう、埋葬等について墓地等の管理者は「正当の理由」がない限り、これを拒んではならない旨を規定したものと解される。
「正当の理由」があるか否かは、右の趣旨に照し社会通念により判断すべきであるが、具体的には新たな埋葬等を行う余地がないこと、申込者が墓地等の正当な管理に支障を及ぼすおそれがあること等の場合は、右の「正当の理由」に該当するものと解することができる。
(二) 本件につき、右の「正当の理由」の存否について検討する。
(1) 原告代表者尋問の結果によれば、春日野墓地使用の申込者が多く、原告は、その申込みを断っている状態であることが認められる。
(2) さらに、原告代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨並びに〈書証番号略〉によれば、以下の事実が認められる。
ア 被告は、原告から初めて本件墓地の撤去を求められた昭和五九年当時、本件墓地の管理権は歓喜寺にあると信じていたため、原告に対して原告と歓喜寺間の墓地管理権をめぐる訴訟の決着が付くまで本件墓地の使用の継続を求め、原告はこの求めに応じた。
イ そして、被告は、原告と歓喜寺間において原告が墓地管理権を有するとの判決が確定した後において、前述のように歓喜寺から墓地使用料として支払った二五万円の返還を受けた。
ところが、被告は原告から〈書証番号略〉の「通知書」を送付されて、本件墓地の撤去を求められたにもかかわらず、これに応じなかったため、本件訴訟が提起されるに至った。
ウ 被告は、当初の言を翻し、原告の墓地管理権について、原告と歓喜寺間の訴訟の決着が付いた後においてもこれを争っており、原告の墓地の正当な管理に支障を及ぼすおそれがある。
(3) 以上の点からすると、原告には被告の本件墓地使用を拒む「正当の理由」があるものと認められ、原告は、被告の本件墓地使用を拒絶することができるものと解するのが相当である。
したがって、被告は、原告に対抗できる本件墓地の使用権を有しないものというべきである。 」