検察庁から厚生労働省への情報提供体制について
行政|医師免許|行政処分|医道審議会
目次
質問:
私は医師ですが、道路交通法違反で略式命令の罰金刑を受けてしまいました。刑事罰が確定すると厚生労働省に通知され、医道審議会の行政処分を受けて、新聞報道、それに伴うインターネット上の開示などがされてしまうと聞いて驚いています。刑事事件について厚生労働省への通知とは、どのような仕組みで行われているのでしょうか。これを回避することはできないのでしょうか。
回答:
1、医師又は歯科医師が被告人となり刑事事件が確定(判決の言い渡し後14日内に上訴しないことにより確定します)場合、検察庁から厚生労働省(厚労省)に対して通知する扱いが行われています。通知の概要は、罰金以上の刑が含まれる事件で公判請求した事件又は略式命令を請求した事件(ただし、軽微な事件については、公判請求事件に限る)について、起訴状に記載されている公訴事実の要旨・判決に記載されている結果及び事実の要旨(控訴審、上告審を含む)を通知する扱いとなっています。
2、この通知の目的は厚労省において医師に対する行政処分をもれなく適正に行うことにあります。原則として上記の扱いとなりますから、上記の事件については通知を回避することはできないと考えられます。但し、略式命令となった軽微な事件については通知は不要となっていますから、その点を検察官に主張して通知を回避する可能性はあると言えます。本件のような道路交通法違反であれば事案により通常の刑法犯より、違法性、責任性が少ないとして交渉により軽微であるという事情を上申し通知を回避できる場合があると思います。また、道交法違反とともに、人身事故を起こした場合でも過失運転致死傷罪(自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律第5条)となり刑事罰の対象となりますが、刑の免除の規定もあることから被害者との示談、被害者の上申書等があれば検察官と通知回避の交渉は可能と思われます。すなわち、「軽微である」という事情は、案件が違法性、責任性が少ないという意味に解釈できますので、刑事事件担当の弁護人と協議しこれを裏付ける資料を添付して検察官に納得してもらうことになります。医師が刑事事件に関与した場合、刑事弁護段階から医道審議会にも精通する弁護人が必要であると思われます。
3、医道審議会に関する関連事例集参照。
解説:
1、厚生労働省への情報提供体制の制度趣旨
刑事事件が確定した場合に、厚生労働省に通知すべきことは、刑事訴訟法にも医師法にも規定がありませんが、厚生労働省と法務省(検察庁)の合意により、刑事事件確定後に通知する運用が行われています。
法務省から厚生労働省に対する情報提供体制とは、平成16年2月24日に公表された法務省と厚生労働省の合意に基づく事務の取扱い方法です。
現在でも公表されているので、URLを次に示します。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/02/h0224-1.html
内容を次に引用します。
平成16年2月24日
照会先 医政局医事課
泉(内線2564)、谷(内線2565)、宇都(2576)
直通 03-3595-2196
「罰金以上の刑に処せられた医師又は歯科医師」に係る法務省からの情報提供体制について
「罰金以上の刑に処せられた医師又は歯科医師」に係る情報提供について、法務省に協力依頼を行っていたところ、今般、各検察庁に対し通知していただいたところ。概要は下記のとおり。
1 情報提供の対象となる職種
職業が医師又は歯科医師と判明した者
2 情報提供の内容
○ 情報提供の対象となる事件の範囲
「罰金以上の刑が含まれる事件」で公判請求した事件又は略式命令を請求した事件
(ただし、軽微な事件については、公判請求事件に限る)
○ 情報提供の内容
・ 公訴事実の要旨
・ 判決結果及び事実の要旨(控訴審、上告審を含む)
3 情報提供開始時期
○ 通知日(2月23日)以降、起訴又は判決が行われる都度、順次、法務省から情報を提供いただく。
※ 提供された情報を厚生労働省で調査のうえ、行政処分を審議する
この通知の目的は、「提供された情報を厚生労働省で調査のうえ、行政処分を審議する」ことにあります。医師に対する行政処分に関して、免許取消・医業停止などの行政処分を定める医師法4条及び7条に規定がありますので引用(抜粋)します。医師に対する行政処分の制度趣旨は、医師の業務に差し障りのある資格者について、厚生労働大臣が個別に審査した上で、戒告や業務の停止や免許取消などの行政処分を行い、それによって、医師資格者の資質向上と医療提供体制の質の維持を図ることにあると考えられます。
医師法
第4条 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
一号 心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
二号 麻薬、大麻又はあへんの中毒者
三号 罰金以上の刑に処せられた者
四号 前号に該当する者を除くほか、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者
第7条 第1項 医師が、第三条に該当するときは、厚生労働大臣は、その免許を取り消す。
第2項 医師が第四条各号のいずれかに該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生労働大臣は、次に掲げる処分をすることができる。
一号 戒告
二号 三年以内の医業の停止
三号 免許の取消し
第3項 前2項の規定による取消処分を受けた者(第四条第三号若しくは第四号に該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつた者として前項の規定による取消処分を受けた者にあつては、その処分の日から起算して五年を経過しない者を除く。)であつても、その者がその取消しの理由となつた事項に該当しなくなつたとき、その他その後の事情により再び免許を与えるのが適当であると認められるに至つたときは、再免許を与えることができる。この場合においては、第六条第一項及び第二項の規定を準用する。
第4項 厚生労働大臣は、前三項に規定する処分をなすに当つては、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。
第5項 厚生労働大臣は、第一項又は第二項の規定による免許の取消処分をしようとするときは、都道府県知事に対し、当該処分に係る者に対する意見の聴取を行うことを求め、当該意見の聴取をもつて、厚生労働大臣による聴聞に代えることができる。
このように、医師法には、罰金刑以上の刑(医師法4条3号)に処せられた医師について、厚生労働大臣の裁量により、戒告・3年以内の医業停止・免許取消(医師法7条2項各号)の行政処分をなし得ることが規定されています。他方、医師法では、医師が4条各号の事由に該当することになってから行政処分を受けるまでの情報収集手続きについて、具体的な手続規定は存在しません。当然ながら、刑事訴訟法においても、各省庁が所管する資格者について、起訴や有罪判決確定があった際に、所管省庁に情報提供すべきことまで規定されているものではありません。このことは、看護師、薬剤師、鍼灸師など、他の医療関係資格者についても同様です。
これらのことから、平成16年以前まで、厚生労働省では、各自治体の保健所などから情報提供を受けて、医師の非行が判明した個別事案ごとに、行政処分の手続きを開始し、医道審議会の審議結果を経て、行政処分を行っていました。当事務所から厚生労働省医政局医事課試験免許室に対して聞き取り調査を行ったところ、保健所では、新聞報道などの資料を基に事案把握を行い、厚生労働省への情報提供を行っているということでした。事実上、マスコミ報道されたかどうかを一つの基準として、社会問題化したような重大事案に限って行政処分が行われていたことになります。しかし、過去に行政処分が相当であると考えられるような重大な刑事事件を起こした医師の行政処分漏れがあったことが判明したことから、厚生労働省と法務省において協議を開始し、上記の情報提供体制の運用が開始されたということでした。この取扱いは、医師と歯科医師について行われている事実上のものです。看護師、薬剤師、鍼灸師など、他の医療関係資格者についても、各自治体の保健所からの情報提供によって、行政処分手続きが運用されていますが、近い将来同様の取扱いになるものと予想されます。
このように厚生労働省では、医師法の制度趣旨に基づく国民医療の向上という行政目的を達成するために医師の刑事事件について情報を収集し、行政処分の権限を行使しているのであり、適正な情報をもれなく収集する為に法務省に協力を求めているということになります。他方法務省(検察庁)としては、医師に対する行政処分は本来の目的である刑罰法規の適正な執行とは無関係なことで、便宜上協力しているにすぎないことになります。しかし、法律の定めがないのに確定した刑事事件の内容を厚労省に報告するというのは、被告人の利益を侵害しないのかという疑問もあります。刑事事件に関しては裁判が公開されるのが原則であり誰でも裁判の内容、結果を知ることができます。しかし、その裁判記録の閲覧や謄写については法律で規制されていますから、法務省から厚労省への通知についても記録の閲覧謄写と同様に制限されるべきではないのか疑問が残ります。
2、刑事確定訴訟記録法
刑事記録の閲覧については、刑事訴訟法53条及び刑事確定訴訟記録法が規定しており、原則として、誰でも刑事訴訟が終結後に記録の閲覧ができると規定されていますが、「犯人の改善更生」「関係人の名誉または生活の平穏」を妨げる恐れのある場合には閲覧させないものとされています。但し、正当な理由のある者からの請求があったときには閲覧させることとされています。条文は次のとおりです。
刑事訴訟法53条1項 何人も、被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる。但し、訴訟記録の保存又は裁判所若しくは検察庁の事務に支障のあるときは、この限りでない。
刑事確定訴訟記録法4条(保管記録の閲覧)
第1項 保管検察官は、請求があつたときは、保管記録(刑事訴訟法第五十三条第一項 の訴訟記録に限る。次項において同じ。)を閲覧させなければならない。ただし、同条第一項 ただし書に規定する事由がある場合は、この限りでない。
第2項 保管検察官は、保管記録が刑事訴訟法第五十三条第三項 に規定する事件のものである場合を除き、次に掲げる場合には、保管記録(第二号の場合にあつては、終局裁判の裁判書を除く。)を閲覧させないものとする。ただし、訴訟関係人又は閲覧につき正当な理由があると認められる者から閲覧の請求があつた場合については、この限りでない。
一号 保管記録が弁論の公開を禁止した事件のものであるとき。
二号 保管記録に係る被告事件が終結した後三年を経過したとき。
三号 保管記録を閲覧させることが公の秩序又は善良の風俗を害することとなるおそれがあると認められるとき。
四号 保管記録を閲覧させることが犯人の改善及び更生を著しく妨げることとなるおそれがあると認められるとき。
五号 保管記録を閲覧させることが関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれがあると認められるとき。
六号 保管記録を閲覧させることが裁判員、補充裁判員、選任予定裁判員又は裁判員候補者の個人を特定させることとなるおそれがあると認められるとき。
刑事記録の閲覧が原則自由となっているのは、日本国憲法37条1項と82条1項の公開裁判の原則から導き出される法原則です。公開裁判が必要なのは、世界の歴史において過去に欠席裁判や密室裁判で多数の不当な人権侵害が繰り返されてきたことの反省に立って、法令に基づいた適正公平な裁判が行われるために、国民が裁判を傍聴し、法令違反が無いかどうか、公平性に欠ける裁判が行われていないかどうか、批評し、これを正すための端緒とするために必要な条件だからです。三権分立や、司法権の独立は、形式的に法令を整備して、裁判所の体制を確立するだけでは維持確立することはできず、常に国民のチェックを受けることが必要なのです。
日本国憲法37条第1項 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。 82条第1項 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
このことから、裁判確定後の刑事記録の閲覧についても、後日の検証に供する必要から原則として公開されるべきことが刑事訴訟法や刑事確定訴訟記録法でも規定されていますが、同時に、裁判の被告人、被害者や証人など関係者の人権保障の必要もありますので、閲覧の制限が規定されています。刑事記録の閲覧の原則と例外は次の通りの論理構造になっています。
刑事確定記録の閲覧についての原則と例外
(1) 原則公開(裁判の公開の制度趣旨を受けた刑訴法53条1項)
(2)例外として殆どの事件を非公開とする(刑事確定訴訟記録法4条2項)
(3)そのまた例外として訴訟関係人及び正当な理由のあると認められる者からの閲覧は認められる(刑事確定訴訟記録法4条2項但し書き)
上記(3)の「正当な理由のあると認められる者」というのは、法律学者が学術研究のために記録閲覧を申請する場合や、官公庁が法令に基づく権限を行使するために閲覧申請する場合などが考えられます。
3、検察庁における情報提供体制の運用基準
現在行われている検察庁と厚生労働省の合意に基づく通知は、刑事確定訴訟記録法の閲覧手続きによらないもので、厚生労働省の情報収集に検察庁が協力しているということで特に法的な根拠はないと考えられます。厚生労働省の医師らに対する行政処分が公平かつ適正に行われるためには現在の制度は必要と考えられます。また、通知される内容についても記訴状記載の公訴事実、判決内容に限定されていますから、関係者のプライバシーについても侵害されていることはないといえます。疑問として残るのは、通知が不要としている略式命令で罰金となった軽微な事件とはなにか、という点です。本来通知が不要な事件について検察庁が厚生労働省に通知したからと言って違法と言うことではありませんが、通知により行政処分の対象となると、対象となった医師等にとっては医道審議会等の調査に対応する必要が生じることになり、本来必要でなかった対応を迫られるという不利益が生じます。
問題は軽微な事件とは何かという点ですが、通知制度の趣旨から考え行政処分が不要と判断される事件であり、具体的には過去の行政処分の事例等から検討することになります。また、検察官には刑事事件について起訴裁量が認められ、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としない」場合は起訴しないことができますから、これらの点も検察官としては考慮し、これらの事情から行政処分が不要であると考えられる事件については通知の必要はないと判断すべきです。
略式命令の事案は、簡易裁判所に対応する検察庁である区検察庁で処理されることが多いため、この区検察庁の副検事が、「略式命令が確定した場合は全て厚生労働省に報告する」と誤解している場合がありますので注意が必要です。前記の法務省と厚生労働省の合意内容において、そもそも略式命令事案のうち「軽微な事案」は対象外とされていること、及び、この「軽微な事案」とは、機械的に画一的に判断すべきでなく、起訴裁量と同様に被告人の個別事情を総合的に勘案して慎重に決定すべきであることを、丁寧に粘り強く主張交渉していくことが必要です。
4、略式命令を受けてしまった場合の対応策
医師、歯科医師の方が略式命令を受けてしまった場合でも、事案によっては、厚生労働省への事案報告が回避される可能性が残っていると言えますので、専門的弁護士に依頼して、検察官と協議して、この報告を回避できないか検討して貰うと良いでしょう。起訴時の判断とは別に、改めて、厚生労働省への通知をなすべきかどうか判断してもらうことが必要です。あなたにとって有利な事情を再度検察官に説明し、厚生労働省への通知をするかどうかの判断に際して、起訴裁量と同様の事案審査を求めるよう、担当検事と交渉することが必要です。弁護人弁護士を依頼して、協議してもらうと良いでしょう。
以上