執行猶予期間経過後に行政処分の事案報告を求められた場合
行政|行政処分|執行猶予期間満了による刑の言渡しの失効
目次
質問:
私は関西方面の病院で勤務する看護師です。この度、県の福祉保健局というところから、私が保健師助産師看護師法に基づく行政処分の対象となり得るとして、事案報告書の提出を求める内容の通知書が届きました。私は4年前に窃盗罪で懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けており、この件が行政処分の対象となり得るとされています。確かに、私が過去に窃盗という過ちを犯したことは間違いないですが、既に猛省して立ち直り、現在は看護師の仕事に精力的に取り組んでいるところであり、事件から4年も経った今になって行政処分を受けるというのも納得できない気持ちがあります。行政処分手続への対応方法について相談させて下さい。
回答:
1. 罰金以上の刑に処せられた看護師は、医師や歯科医師と同様、医道審議会にかかり、厚生労働大臣による行政処分(戒告、3年以下の業務停止、看護師免許の取消しのいずれか)の対象となります(保健師助産師看護師法14条1項、9条1号)。行政処分を最大限軽減するためには、手続の早期の段階から、刑事確定記録の検討や行政処分の先例調査を踏まえた有利な事情の抽出作業、勤務先で上の立場にある看護師や医師等に対する処分軽減嘆願書作成等の協力要請、被害者との示談交渉、弁護士による処分軽減を求める詳細は法的意見書の作成等の準備を十分に行い、万全の体勢で弁明聴取に臨む必要があります。
2. もっとも、あなたの場合、行政処分を受けることなく既に執行猶予期間が経過しているとのことですので、通常の行政処分手続への対応の場面とは大きく状況が異なってきます。刑事処罰を受けた看護師に対する行政処分は、保健師助産師看護師法14条1項、9条1号「罰金以上の刑に処せられた者」を根拠としているところ、あなたは執行猶予期間の経過により刑の言渡しが失効しているため(刑法27条)、そもそも「刑に処せられた者」に該当しなくなっているためです。すなわち、仮に刑の言渡しの失効を看過して行政処分がなされた場合、当該処分は法律上の要件を欠く違法な処分ということになります。
3. 医師や歯科医師、看護師等が有罪判決の言渡しを受けて刑が確定した場合、医道審議会の事案報告要請の通知が速やかに届くのが通常ですが、稀にではありますが、あなたのように執行猶予期間が経過してから通知が来るケースがあります。しかし、刑の言渡しの失効によって行政処分の要件が欠けているからといって、現状を漫然と放置していて良いわけではありません。行政処分は、その法的性質として、当該処分がたとえ違法であったとしても、取消権限のある国家機関(典型的には裁判所)によって取り消されるまでは有効なものとして扱われる効力(公定力)を有するため、万が一、誤って業務停止等の処分が下されてしまうと、裁判所での取消訴訟等の手段を経て当該処分の取消しが認められるまでは処分の効力が継続することになってしまうからです。
4. したがって、無用な不利益を回避するためには、予定されている行政処分が法律上の要件を欠いていることを早期に理解してもらい、手続きの中断等適宜の措置を講じてもらうよう働きかけを行うことが重要となってきます。まずは、あなたが現状置かれている法的状況を正確に把握することが重要ですので、速やかに弁護士に相談の上、具体的状況を踏まえた対応を検討されることをお勧めいたします。
5. 行政処分に関する関連事例集参照。
解説:
1.(看護師に対する行政処分)
保健師助産師看護師法によれば、罰金以上の刑に処せられた看護師は、厚生労働大臣による行政処分の対象となり得るとされています(保健師助産師看護師法14条1項、9条1号)。本規定は、医師に対する行政処分について規定した医師法7条2項、4条3号や歯科医師に対する行政処分について規定した歯科医師法7条2項、4条3号と同様の定めとなっており、厚生労働大臣は、当該刑事罰の対象となった行為の種類、性質、違法性の程度、動機、目的、影響のほか、当該看護師の性格、処分歴、反省の程度等、諸般の事情を考慮した上で、戒告、3年以下の業務停止、看護師免許の取消しの中から相当な処分を決定することとなります(保健師助産師看護師法14条1項各号、最判昭和63年7月1日参照)。
看護師に対する行政処分については、平成14年11月26日付で医道審議会保健師助産師看護師分科会、看護倫理部会が「保健師助産師看護師行政処分の考え方」と題するガイドラインを公表しており、これによれば、行政処分決定の上で考慮されるべき視点について、「処分内容の決定においては、司法処分の量刑を参考にしつつ、その事案の重大性、看護師等に求められる倫理、国民に与える影響等の観点から、個別に判断されるべきものであり、かつ、公正に行われなければならないと考える。このため、当部会における行政処分に関する意見の決定に当たっては、生命の尊重に関する視点、身体及び精神の不可侵性を保証する視点、看護師等が有する知識や技術を適正に用いること及び患者への情報提供に対する責任性の視点、専門職としての道徳と品位の視点を重視して審議していくこととする。」との考え方が明示されています。また、本ガイドラインでは行政処分の対象となる事案別の考え方も示されており、例えば窃盗のケースについては、「信頼関係を基にその業務を行う看護師等が詐欺・窃盗を行うことは、専門職としての品位を貶め、看護師等に対する社会的信用を失墜させるものである。特に、患者の信頼を裏切り、患者の金員を盗むなど看護師等の立場を利用して行った事犯(業務関連の事犯)については、看護師等としての倫理性が欠落していると判断され、重くみるべきである。」とされています。
看護師が行政処分の対象となる場合、医師や歯科医師の場合と同様、個々の事案ごとの行政処分決定に際して考慮されるポイントを的確に捉えた上、行政処分軽減に向けた活動を尽くしていく必要があります。具体的には、①刑事確定記録の閲覧・謄写請求の手続きを行い、行政処分の決定に際して有利に働き得る事情を検討、抽出すること、②勤務先で上の立場にある看護師や医師等に医道審議会宛ての処分の軽減を求める嘆願書作成の協力を仰ぐこと、③窃盗のように被害者のある犯罪の場合、被害者に対する謝罪と被害弁償を行い、示談を成立させること、④行政処分の先例調査を行い、先例に係る事案との関係で有利な事情を検討、抽出すること、⑤以上を踏まえ、法的見地から処分の軽減を求める内容の詳細な意見書を作成すること、⑥専門家の指導のもと、弁明聴取の場で最大限反省の意を示すこと、等が一般的な対応となってきます。これらの活動は、実際には専門家である弁護士の協力なくしては困難であるため、看護師が行政処分の対象となり得る旨の通知を受けた場合、速やかに弁護士に相談の上、対応方法につきアドバイスを受けることが重要となってきます。
2.(執行猶予期間経過の法的効果)
ところで、あなたの場合、執行猶予付きの有罪判決を受けた事実はあるものの、既に3年の執行猶予期間が経過しているとのことであり、かかる状況を前提とすると、通常の行政処分手続への対応の場面とは大きく状況が異なってきます。結論から言うと、あなたは保健師助産師看護師法上、行政処分の対象とならないと考えられます。
前記のとおり、罰金以上の刑に処せられた看護師に対する行政処分は次に掲げる保健師助産師看護師法14条1項、9条1号を根拠としています。
保健師助産師看護師法第十四条 保健師、助産師若しくは看護師が第九条各号のいずれかに該当するに至つたとき、又は保健師、助産師若しくは看護師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生労働大臣は、次に掲げる処分をすることができる。
一 戒告
二 三年以内の業務の停止
三 免許の取消し
第九条 次の各号のいずれかに該当する者には、前二条の規定による免許(以下「免許」という。)を与えないことがある。
一 罰金以上の刑に処せられた者
たとえ執行猶予付きであれ、懲役刑の言渡しを受けた以上、ここで言う「刑に処せられた者」に該当することは間違いありません。もっとも、執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過した場合については、刑法27条が「刑の言渡しは効力を失う」としています。
刑法第27条(猶予期間経過の効果) 刑の執行猶予の言渡しを取り消されることなく猶予の期間を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う。
本条は、刑の言渡し後の善行の保持を基礎として、刑の言渡しの失効を認める規定であり、保健師助産師看護師法上の資格制限との関係では、刑の言渡しが法律的になかったのと同一の状態として扱われることになります。ただし、刑の言渡しが効力を失うとは、言渡しに基づく法的効果が将来に向かって消滅することを意味するため(最決昭和45年9月29日)、執行猶予付き有罪判決を受けた事実を基礎に既になされた行政処分の効力がなかったことになるものではなく、あくまで未だ行政処分を受けていないという状況において初めて意味を持つ規定ということになります。
あなたの場合、行政処分を受けるよりも前に既に執行猶予期間の経過により刑の言渡しが失効しているため(刑法27条)、保健師助産師看護師法14条1項、9条1号「罰金以上の刑に処せられた」を根拠として行政処分を行うことは法律上できないことになります。
なお、保健師助産師看護師法14条1項は「看護師としての品位を損するような行為のあつたとき」にも行政処分を行うことができる旨規定していますが、これは典型的には看護師としての業務上の不正があった場合等を想定した規定であり、あなたのように有罪判決を受けたものの既に刑の言渡しが失効している場合に本条を適用して行政処分の対象とすることは本来予定されていません。かかる場合に「品位を損するような行為」を根拠として行政処分を科すことを認めてしまうと、刑の言渡し後の善行の保持を基礎として種々の資格制限等の法的制約から解放するという刑法27条の趣旨を没却することが明らかですので、既に刑の言渡しが失効した有罪判決にかかる犯罪事実を「品位を損するような行為」として行政処分の対象とするという結論は解釈論としても採り得ないことになります。
3.(行政処分回避のための具体的対応)
医師や歯科医師、看護師等が有罪判決の言渡しを受けて刑が確定した場合、医道審議会の事案報告要請の通知が速やかに届くのが通常ですが、稀にあなたのように執行猶予期間が経過してから通知が来ることがあります。刑の言渡しが失効した状態での行政処分が法律上の要件を欠く違法な処分となることは上記のとおりですが、だからといって現状を放置していて良いわけではありません。実際に事案報告要請の通知が来てしまっている以上、行政処分の要件が欠けていることに気付くことなく手続きが進行してしまい、行政処分が下されてしまう危険があるためです。
行政処分は、その法的性質として、当該処分がたとえ違法であったとしても直ちに無効とはならず、取消権限のある国家機関(典型的には裁判所)によって取り消されるまでは有効なものとして扱われる効力(公定力)を有するため、一度業務停止等の処分が下されてしまうと、裁判所での取消訴訟等の手段を経て当該処分の取消しが認められるまでは処分の効力が継続することになります。したがって、実際に行政処分がなされるよりも前、手続きのなるべく早期の段階で、予定されている行政処分が法律上の要件を欠いていることを理解してもらい、手続きの中断等適宜の措置を講じてもらうよう働きかけを行うことがまず重要となってきます。
その具体的手段としては、専門家である弁護士に判決書等の資料を示して刑の言渡しの失効を確認してもらった上、予定されている行政処分が法律上の要件を欠いていることを指摘するとともに行政処分手続の中止等を求める通知書を作成してもらうこと等が考えられます。これは法的な主張になりますので、代理人弁護士を通じて法的説明を加えた書面を発行した方が良いでしょう。まずは、あなたが現状置かれている法的状況を正確に把握することが重要ですので、いずれにしても速やかに弁護士に相談されることをお勧めいたします。
以上