不当に高額な和解契約の有効性
民事|示談書|和解書|心裡留保|東京地裁平成20年6月17日判決|東京地裁平成25年12月4日判決
目次
質問:
私は,都内の会社に勤める会社員です。恥ずかしながら,同僚の既婚女性A子と不倫関係になってしまい,そのことがA子の御主人にばれてしまいました。
先日,A子の御主人が会社に押し掛けてきたため,私と御主人で近くの喫茶店で話し合いました。相手の御主人は激昂されており,私もその剣幕に押されてしまい,相手に言うがままに,相手の準備した紙に,「必ず慰謝料1000万円支払います。もし今後A子と2人で話した場合には,罰金1500万円を払います。」と書いて署名押印をしてしまいました。
私としてはそんな大金払えるはずもなく,私としてもその場を逃れたい一心で書面にサインしたに過ぎません。書面で支払を約束した以上,私は,必ず払わなければならないのでしょうか。
回答:
1 ご相談の場合、諸般の事情から、約束は無効と判断される可能性があります。類似の事実関係で、支払いの約束を無効として裁判例もありますので、具体的な検討が必要です。
不貞行為をしてしまったことが事実であれば,基本的に相手方の配偶者であるご主人に対して,慰謝料を支払う義務が存在します。
支払うべき慰謝料の金額について当事者で合意をした場合,当該合意に基づいて,合意で定めた金額を支払う義務が発生します。
本件でも,あなたと相手の御主人との間で,慰謝料の金額について合意し,書面を作成しておりますので,当該合意に基づく義務を負うのが原則といえそうです。
2 しかし本件の合意は,心裡留保(民法93条)により無効である可能性があります。心裡留保とは,「表意者がその真意ではないことを知ってした意思表示」であり,その意思表示は,その相手方が「表意者の真意を知り,又は知ることができたとき」は,無効となるとされています。
本件では,あなた自身,真意としては「そもそも支払う気は無かった」とのことですので,相手方がその真意を「知り,又は知ることができたとき」には,合意が無効となります。本件示談合意の金額は,一般的な慰謝料の金額からして非常に高額であることは明らかですので,相手方としても,あなたが現実には支払うことができないことは当然知り得たと考えられます。
そのため本件でも,当該合意が心裡留保として無効となる可能性はございます。
3 さらに本件では,当該合意の内容が一般的な慰謝料金額の水準からして非常に高額であるため,当該合意自体が,相手方の暴利行為として,公序良俗に反し無効とである可能性も考えられます。
判例上も「他人の窮迫,軽率若しくは無経験を利用著しく過当な利益を獲得すること」は,公序良俗に違反するものとして無効としています。
本件でも,相手の御主人が会社まで乗り込んできたという事情や,実際の慰謝料の金額の相場を考えれば,合意自体が公序良俗に反し無効であるとの判断も十分見込めるでしょう。
4 また,違約金の条項についても,無効である可能性があります。不貞関係清算の和解の際の不接近条項に違約金を定めること自体は,今後の不法行為の際の損害賠償の金額の予定として有効と解されますが,その予定金額の範囲は,あくまで違約の条項の担保として相当な範囲に限られ,それを越える範囲の金額は公序良俗に反し無効となります。
本件でも,違約金の金額が非常に高額であり,その設定に合理性は無いと考えられますので,当該条項は無効である可能性は高いといえます。
5 一般的には,合意の文書を作成してしまった場合,それに従った義務を負うのが原則です。しかし,その内容によっては,法律上,上記の他に錯誤無効等を主張することも考えられます。
法律の専門家では無い方が,狼狽する余りに自己判断で不当な文書を作成してしまうことは,非常に多い事例であるといえます。
文書を作成してしまった後でも,法律上の責任を回避できる可能性がありますので,弁護士等の専門家に相談し,迅速に適切なご対応をお取下さい。
尚、又、訴訟で決着をつけようとすると、実名が裁判所で明らかになり(公開裁判の原則)、職場で、又はインターネットで公表されるような場合もあります。裁判員裁判の関係で見学者が最近多くなり、事件の内容をインターネットに掲載し何らかの目的に利用する場合も考えられ、このような性質の事件は訴訟前の協議、和解が重要で大切と思われます。
6 示談書に関する関連事例集参照。
解説:
1 不貞行為をしてしまった場合の法律関係
(1)慰謝料の支払い義務
婚姻している女性と不貞行為を行ってしまった場合,その配偶者である夫から,慰謝料を請求されてしまう場合があります。ここでいう不貞行為とは,一般的に性行為及びそれに類似する行為に及んでいる場合に限られます。
これは,当該不貞行為が,相手方男性の「平穏で円満な夫婦共同生活を送るという権利」を侵害する不法行為(民法709条)と認められているためです。厳密には貞操維持の義務違反の共犯者という構成が正しいと思われます。夫婦間に貞操保持義務があり貴方は、夫の義務の履行請求権をが妻と共同、若しくは幇助して侵害しているという点にあります(共同不法行為、民法719条)。
不法行為が成立する為には,行為者の「故意過失」及び「損害の発生」が必要です。そのため,あなたが「相手の女性が結婚していることを知らなかった場合」等は,故意過失が認められませんので,不法行為となりません。また,「相手の夫婦関係が完全に破たんしていると認められる場合」には,そもそも侵害される夫婦共同生活が存在していないことになりますので,やはり不法行為責任は生じません。しかし夫婦関係の破たんは,別居期間が相当長期に及んでいる等の場合でない限り認められ難い傾向にあります。
支払うべき慰謝料の金額は,法律上は,相手方の受けた精神的苦痛を金銭に換算することになります。仮に裁判上で判断される場合,不貞行為の回数,態様や婚姻期間の長短などの事情をもとに総合的に判断されることになるため,一般的な基準というものは存在しません。
しかし,一般的には100万円~300万円の範囲内で判断されることが多いと言えます。
(2)和解合意の効力
上述のとおり,支払うべき慰謝料の金額について基準というものは存在しません。従って,当事者間で話合いを行い,慰謝料の金額等について合意をした場合,当該合意に基づいて,合意で定めた金額を支払う義務が発生します。
これは,当事者の精神的苦痛を金銭に換算するというよりは,あくまで双方の合意による契約責任を発生させるものですので,当然,慰謝料を請求する側は,当該合意で定めた金額を裁判上もそのまま相手方に請求することができます。
裁判においては,請求する側が合意の事実及び金額を証明する必要がありますが,示談合意書や覚書のような書面に金額が記載されている場合,それによって証明することが可能です。
本件でも,あなたと相手の御主人との間で,慰謝料の金額について合意し,書面を作成しておりますので,仮に裁判で相手方から書面に記載した金額を請求された場合,当該合意に基づく支払いを命じる判決が出されてしまうのが原則といえそうです。
しかし,本件のような事情のもとでは,以下で述べるとおり,当該合意が無効である可能性も考えられます。
2 心裡留保による無効(民法93条)
本件の合意が無効と考えられる理由の一つとしては,まず心裡留保(民法93条)により無効があります。
心裡留保とは,「表意者がその真意ではないことを知ってした意思表示」であり,民法上,その意思表示は,その
相手方が「表意者の真意を知り,又は知ることができたとき」は,無効となるとされています(民法93条)。
つまり,そもそも当事者同士が,その合意の内容が真意では無いことを知っていた(又は知ることができた)場合には,その合意は無効となるということです。
本件では,あなた自身,真意としては「そもそも支払う気は無かった」とのことですので,相手方がその真意を「知り,又は知ることができたとき(悪意又は有過失)」には,合意が無効となります。なお,相手方の悪意や有過失については,あなたが主張し証明する必要があります。
この点について,裁判例(東京地裁平成20年6月17日判決)では,本件類似の状況において,相手方の悪意又は有過失を認めています。同判例では,「不貞行為者が自己の交際相手の配偶者と面会する際に覚えるであろう心理的な抵抗感については,原告においても十分に認識可能であったというべきであり,また,それだからこそ原告は,口頭の合意のみならず本件念書の作成を被告に求めたと考えられるから,原告は,被告が1000万円の支払を承諾して本件念書を作成するに当たっても,真実被告が1000万円の支払をするつもりがあるのかどうかについてはなお疑いを抱いていたと認めることが合理的であるし,仮に原告においてそのような疑いを持っていなかったとしても,少なくとも慰謝料として1000万円を支払うという意思が被告の真意ではないことについて,知り得べきであったということができる」として,慰謝料の支払意思が真意ではないことについて,相手方の有過失を認めています。
本件でも,突然勤務先に来られたという状況を考えれば,あなたが心理的に書面の作成に応じざるを得ない状況であったことは,相手方の男性も知り得るところですし,その書面自体,わざわざ相手の男性が準備していることからすれば,裁判例の場合と同様,相手方の有過失が認められる可能性は十分考えられるでしょう。
裁判において相手方の有過失を証明する為には,書面を作成した際の対話の様子や状況,経緯を明確に裁判所に伝える必要があります。また,対応が遅れた場合,そもそも支払の意思があったのではないかとの反論を相手方に許してしまうことになりかねません。
詳細な経緯を早めに陳述書等にして証拠化することは勿論,相手方への支払い拒絶の意思も早期に表明しておく必要があり,迅速な対応が必要と言えるでしょう。
3 公序良俗違反による無効(民法90条)
さらに本件では,当該合意の内容が一般的な慰謝料金額の水準からして非常に高額であるため,当該合意自体が,相手方の暴利行為として,公序良俗に反し無効とである可能性も考えられます。
暴利行為とは,公序良俗に違反する行為の一つの類型であり,代表的な判例としては,最判昭和9年5月1日判決(民集13巻875頁)が挙げられます。
同判例では,「他人の窮迫,軽率若しくは無経験を利用著しく過当な利益を獲得すること」は,公序良俗に違反するものとして無効としています。この判例は,暴利行為の要件として①他人の窮迫,軽率若しくは無経験といった弱点を利用しているという主観的要件と,②著しく過当な利益を獲得するという客観的な要件が提示されていると解されています。
しかし,公序良俗違反により法律行為が無効とされる趣旨は,あくまで社会通念条許容できない程に違法と評価される法律行為の効果を否定する点にあるため,上記の定式的な要件に当てはまらずとも,当該事件に関する様々な事情を相関的にとらえ上でそれに匹敵するような悪質性があれば,公序良俗違反と判断されることになるでしょう。
本件では,「勤務先へ不貞相手の夫が乗り込んでくる状況」自体,本人に著しい焦りや狼狽を与えるものですので,そのような条件で合意書を作成したという経緯からすれば,「他人の窮迫,軽率若しくは無経験」を利用した場合と同じような悪質性が認められると考えられます。従って,主観的な側面からすれば,本件の合意も暴利行為に類似する点があると言えます。
加えて,客観的側面からしても,合意の内容である慰謝料の金額は,一般的な相場からして非常に高額であるといえます。上記第1項で述べた通り,慰謝料の金額は,当事者の合意が優先するとはいえ,相場の倍以上の金額の合意は,相手方が過当な利益を獲得しているとの誹りを免れないでしょう。
これらの事情からすれば,本件の合意自体が公序良俗に反し無効であるとの判断も十分見込めるでしょう。
裁判所において公序良俗の主張が認定される為には,主観的・客観的側面の両面から,違法性を主張立証する必要があります。主観的な側面としては,上記心裡留保の項で述べたことが該当しますが,客観的に慰謝料金額が過当な利益であることを証明する為には,不貞行為の態様等も大きな争点となります。
不貞行為の期間,回数,相手方の夫婦関係等の事情から,相当な慰謝料金額が本来低額となる旨を多角的に主張すると良いでしょう。
4 違約金条項の有効性
なお,仮に慰謝料の合意自体が有効であるとしても,少なくとも違約金の条項だけは不当であるとして,当該条項が無効となる可能性もあります。
本件のような不貞関係を清算する和解の際に不接近条項を定め,それに高額な違約金を定めること自体は,当該不接近を遵守させるための履行確保手段として,法律上も許容されるところです。そして,その場合の違約金は,民法420条に規定のある,不接近条項違反の際の損害賠償の金額の予定の意味であると解されます(民法420条)。
しかし,当該賠償の予定金額の範囲は,あくまで違約の条項の担保として相当な範囲に限られ,それを越える範囲の金額は公序良俗に反し無効となります。当事者の経済状況にもよりますが,単に今後の不接近の担保の為であれば,せいぜい200万円程度の違約金を設定すれば十分であり,それ以上の金額は課題というべきです。特に本件のように,不貞行為自体の慰謝料額(そもそもそれ自体過当な金額)の1.5倍の金額を単なる接近の場合の違約金の金額として設定することには,もはや合理性は殆ど認められません。
裁判例においても,同様の趣旨により,違約金条項を無効としたものがあります(東京地裁平成21年1月28日判決,東京地裁平成25年12月4日判決等)。
慰謝料金額の合意自体を争うことが不可能であっても,違約金条項を否定することで,相手方と再度交渉する糸口とすることや,今後の無用な損害の拡大を防止することは十分可能です。
諦めずに弁護士等に相談してみてください。
5 具体的な解決処理等について
一般的には,合意の文書を作成してしまった場合,それに従った義務を負うのが原則です。しかし,その内容によっては,法律上,上記の主張に加えて,錯誤無効等を主張することも考えられます。
ただし,仮に作成した書面通りの合意が無効であったとしても,あなたが慰謝料支払い義務を負う可能性が高いことは,上記第1項で述べたとおりです。そのため実際には,社会通念上相当な金額の慰謝料を相手方に支払って解決することが必要となるでしょう。
しかも一度成立した合意の無効を自ら主張すると,通常相手方の被害感情を逆なでしてしまう結果にもなりかねません。合意を無効にしつつ,相手方に裁判を起されることを回避して,穏便な解決を目指すためには,冷静かつ客観的な立場の第三者から相手方の和解交渉を行うことを検討されることをお薦めいたします。又、訴訟で決着をつけようとすると、実名が裁判所で明らかになり職場で、又はインターネットで公表されるような場合もあります。裁判員裁判の関係で見学者が最近多くなり、事件の内容をインターネットに掲載し何らかの目的に利用する場合も考えられ、このような性質の事件は訴訟前の協議、和解が重要で大切でしょう。
法律の専門家では無い方が,狼狽する余りに自己判断で不当な文書を作成してしまうことは,非常に多い事例です。文書を作成してしまった後でも,法律上の責任を最小限に抑えられるよう,弁護士等の専門家に相談し,迅速に適切なご対応をお取り下さい。
以上