新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1708、2017/01/11 12:00 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm

【民事、業務上横領への対応と合意書の錯誤無効、動機の錯誤の取扱い、詐欺取消、最高裁判所第三小法廷平成26年(受)第1351号平成28年1月12日判決、裁時1643号1頁】

賃料横領事件に対する対応


質問:
 私は,不動産の賃貸業を営んでいる者です。
 私は,Aさんとの間で,私が所有するビルの1室にかかる賃貸借契約の家賃回収代行等を委任する業務委託契約を締結していました。業務委託契約上,Aさんは,回収家賃から6%の手数料を引いた金額を私の口座に送金することになっていました。
 ところが,昨年辺りから,Aさんからの入金が遅れたり不足したりするようになりました。現在までのところ,1200万円程度の不足額が生じております。この点について,私はAさんに何度も説明を求めてきましたが,Aさんからは,テナントが家賃を滞納しているといった説明しかありませんでした。
その後,私は,第三者に本件ビルの1室を売却することになり,それに伴い,本件委託契約も解約することになりました。その際,Aさんから「本件に関し私とAさんの間に何らの債権債務もないことを確認する」旨の文言が入った合意書に署名を求められました。委託契約書上,私の口座に送金されるのは,実際の回収家賃から所定の手数料を引いた額となっておりますので,本当に家賃の滞納があるのであれば仕方ないと思い,署名・捺印しました。
ところが,しばらくしてから,家賃を滞納していたはずのテナントから,実は家賃滞納の事実はなかったとの事実を知らされました。そうなると,Aさんが回収した家賃を勝手に費消していたことになりますので,私としては騙されたような気持ちにならざるを得ません。
今後私は,Aさんに対して回収できたはずの家賃を請求できないでしょうか。上記書面にサインした点が気になっています。

回答:
1 交渉あるいは訴訟により、回収できたはずの約1200万円の家賃の回収は可能です。併せてAさんを業務上横領罪で刑事告訴することを検討する必要があります。

2 民事上の解決としての未収金の支払い請求については合意書の錯誤無効ないし詐欺取消しを前提とした預り金の返還請求ないし不法行為に基づく損害賠償請求等,法律構成が複数考えられるところですが,この点は解説を参照してください。
まずは任意の交渉で支払いを求め,先方が応じない場合には訴訟提起を検討すべきです。

3 刑事告訴については,横領の告訴状を警察に受理してもらうには,ある程度の証拠(家賃の支払い関係についての資料)が必要です。もちろん、未回収の賃料を請求する際にも資料は必要ですから、事前に準備しおく必要があります。

4 今回のように,先方の行為が犯罪行為にも該当しかねないような場合,前述の刑事告訴も示唆しながら(恐喝にならないように十分な注意が必要ではありますが)交渉を進めることで,交渉段階で先方が任意の支払いに応じるケースも十分考えられるところです。
客観的な資料を準備し、恐喝罪等の口実を相手に与えないためにも交渉のプロである弁護士に依頼することで,早期解決の可能性が高まるといえるでしょう。

5 動機の錯誤関連事例集1623番1093番1001番813番682番参照。


解説:

第1 刑事上の責任追及

 1 成立し得る犯罪
  (1) 本件において,Aさんは,あなたとの間の委託契約に基づき,テナントから回収した家賃を管理・保管し,6%の手数料を引いた金額をあなたに送金する義務を負っていました。テナントが支払う家賃は,あくまでも賃貸人であるあなたが取得すべき物であり,Aさんから見て,「他人の物」に該当します(刑法252条1項)。
  また,Aさんはあなたから委託を受けて,テナントからの家賃回収業務全般を行う権限を有していたものであり,横領行為を自由に行える立場にあった(濫用の恐れのある支配力を有していた)といえるので,法律上の「占有」(同条項)を有していたものと評価できます。
(2) その上で,Aさんは,本来あなたに送金しなければならないはずの回収家賃の一部を送金せず,あたかも家賃滞納があったかのような外観を作り出して自己の物としているので,不法領得の意思(委託の任務に背いて,その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意思)の発現行為としての「横領」(同条項)行為も認められます。
(3) 最後に,Aさんは,委託契約上の地位に基づき,反復継続して回収家賃の占有・保管を行っていたわけですから,上記占有は「業務上」のものといえます(刑法253条)。
以上より,Aさんには業務上横領罪が成立する疑いが強いです。なお、単なる業務の不履行であれば、業務上横領とは言えませんから、家賃滞納があるなど虚偽の事実を告げてあなたへの支払いを免れた、という場合にかぎり横領罪が成立しますのでその点、事実関係の確認が必要です。

 2 刑事事件化に向けた活動
  (1) 告訴の意義
本件についてAさんにしかるべき刑事罰を与えたい場合は,警察署あるいは検察庁に告訴状を提出することが必須となります。
告訴とは,被害者や法定代理人等が警察等に対し,犯罪事実を申告して,犯人の処罰を求める意思表示を行うことを意味します(刑事訴訟法230条以下)。
告訴があると,捜査機関は犯罪を捜査し,告訴に関する書類や証拠物を検察官に送付し(同法242条),さらに検察官は告訴人に対し事件の処理結果を通知しなければなりません(同法260条,261条)。逆に言えば,告訴がなければ,特に犯罪の捜査義務を負いませんので,確実に刑事事件として動いてほしいのであれば,告訴状の提出が不可欠なのです(被害届の提出だけで刑事事件として立件して貰えることも勿論あります。)。
  (2) 告訴の受理義務について
    刑事訴訟法230条は,「告訴をすることができる。」と規定するだけで,告訴を受けた捜査機関が告訴の受理義務を負うとは書いていません。
しかし,同法の解釈として,被害者の告訴権を規定しながら,告訴を受理するかどうかは捜査機関の裁量に任されていると考えることは不合理です。原則として,捜査機関は告訴の受理義務を負っていると解すべきでしょう。
ただし,申告している犯罪事実が不明確で犯罪事実の申告といえないものや,申告人の説明内容やその挙動,態度から申立てが極めて不合理で,到底信用し難いと思われるものについては,捜査機関の業務の妨げになることから,受理義務を負わないものと解されています。
捜査実務上,これらの例外は非常に広く捉えられる傾向にあり,一般的に申し上げて,告訴状を受理して貰うのは並大抵のことではありません。
殊に,横領罪の告訴は難易度が高く,対象となる行為の特定とその裏付けとなる証拠が十分であり,有罪とできるだけの証拠係が揃っていると判断されない限り,告訴状を受理して貰えないケースが多いのです。特に本件では、清算条項のある書面が作成されいていることから、Aさんから支払う必要はないなどという弁解が出されることが予想されますから、その点もあらかじめ告訴の際に捜査機関に説明しておく必要があります。
  (3) 本件の対応について
    本件についても,告訴状を受理して貰うためには,非常に綿密な準備を行う必要があるでしょう。たとえば,テナントからAさん,Aさんからあなたへと動くお金の流れを証明する資料はあるか(銀行口座の送金記録等が必須。手渡しの場合は非常に厳しい。),単なる債務不履行ではなく,預かっていた回収家賃を積極的に自己の物としたと評価できるような事情はあるかといったように,検討すべき事項は多数あります。
    証拠を揃えて警察に行ったとしても,民事不介入などと理由を付けられ,追い払われてしまうことも珍しくありません。そういった場合に,諦めずに捜査機関を説得することも必要になってきます。
    難易度が高いですので,告訴状の提出を検討されるのであれば,経験のある弁護士への依頼が不可欠です。

第2 民事上の責任追及

 1 請求の流れ

民事上の解決としては,1200万円程度の未収金の回収を(一部でも)達成することが最終目標となります。
回収に向けた流れですが,まずは任意の交渉で回収を図り,難しいようであれば訴訟提起を検討することになります。
以下,詳述いたします。

 2 交渉

交渉で解決することの一番のメリットは,解決スピードの速さです。本件では,Aさんの行為が横領という犯罪行為にも該当し得るものでありますから,告訴も辞さないことを記載した通知書をAさんに送付するべきでしょう。実際に告訴状が受理されるか否かに関わらず,刑事罰を恐れて,任意の支払いをしてくることが相当程度期待できるでしょう。

 3 訴訟

(1) 法律構成
ア 預り金返還請求
まず,本件委託契約に基づく預り金返還請求として,1200万円程度の請求を行うことが考えられます。預金返還請求をする場合、まず、預り金があることを、主張立証する必要があります。この点については、業務委託契約の成立(契約書)とAが回収した家賃(賃借人がAに支払った資料としてAへの支払いが記帳されている通帳やA作成の家賃領収書)について主張立証することが必要になります。更に、これらの点が証明されたとして、Aは、抗弁としてあなたとの清算条項を主張することが予測されます。そこで清算条項が無効であることを主張する必要が出てきます。この点については次の主張を準備しておく必要があります。
@ 錯誤無効の主張
      預り金返還請求権が現存しているといえるためには,あなたが署名した「本件に関しあなたとAさんの間に何らの債権債務もないことを確認する」旨の内容が記載された(いわゆる清算条項)合意書に関して,その効力を否定することが必要となります。
まず,あなたの合意に向けた意思表示に錯誤があって,当該意思表示は無効であるから(民法95条),預り金返還請求権は消滅していないと主張することが考えられます。
    A 詐欺取消しの主張
      次に,Aさんがあなたに対して,テナントの家賃滞納があるといった虚偽の情報を伝える欺罔行為を行い,その結果あなたがその旨誤信し,結果として合意書記載の意思表示をしてしまったとの主張を行い,当該詐欺に基づく意思表示を取り消すことが考えられます(民法96条1項)。
   イ 不法行為に基づく損害賠償請求
     その他,Aさんによる違法な横領行為によって1200万円程度の損害を被ったとして,不法行為に基づく損害賠償請求を行うことも考えられます。
     しかし,損害があると言えるためには,ここでもやはり,本件合意書の清算条項の効力を否定することが必要となります。なぜなら,清算条項が有効であれば,あなたがAさんに対して有していた未収金債権について,放棄したのと同じ効果が発生してしまうと考えられるからです。
     預り金返還請求と実質的な争点は共通することになります。

(2) 請求の見通しについて
預り金返還請求と不法行為責任の追及とで,実質的な争点(清算条項の効力を否定できるか否か)は共通しますので,ここでは預り金返還請求の可否に絞ってご説明します。

ア 錯誤無効の主張について

(ア)錯誤の意義
錯誤(民法95条本文)とは,内心の意思と表示の不一致を意味します。そして,錯誤が意思表示の形成過程のどこで生じたかによって,「表示行為の錯誤」と「動機の錯誤」とに分類することができます。意思決定から表示行為に至る過程において錯誤が生じることを「表示行為の錯誤」といい,意思表示そのものではなく動機から内心的効果意思に至る過程において錯誤が生じることを「動機の錯誤」といいます。
先程の錯誤の定義から分かるとおり,民法95条本文が本来的に想定しているのは表示行為の錯誤であって,(イ)で述べるとおり,単なる動機の錯誤は、内心の意思を形成する事情にすぎず、意思表示の錯誤とならず、法律行為は無効とはならないはずです。しかし、この動機が意思表示の際に、明らかとなっており、しかもそれが、意思表示をした重要な部分を占めている場合は、法律行為を無効とするのが私的自治の原則からの要請と言えますし、意思表示の相手方も事情を知っている以上は無効とされても不利益を被ることはありません。そこで、相手方への動機の表示がなされている場合は、動機の錯誤も意思表示の錯誤と同視し、それが意思表示の要素というほど重大なものであれば無効として扱うというのが判例の立場です。

(イ)錯誤無効の要件
法律行為が錯誤により無効となるためには,「法律行為の要素」に関する錯誤である必要があります。要素の錯誤とは,当該錯誤がなければ行為者が法律行為をしなかったであろうと考えられ,かつ,一般人も取引通念に照らして当該意思表示をしなかったであろうといえる場合を意味するものと解されています。
またこれに加え,表示行為の錯誤ではなく,意思表示の動機に錯誤があるに過ぎない場合は,相手方保護の観点から,その動機が相手方に表示されていない限り,要素の錯誤になり得ないと解されており,相手方への表示は明示でも黙示でも構いません。
ただし,たとえ動機が表示されていても,当事者の意思解釈上,それが法律行為の内容とされたものと認められない限り,表意者の意思表示に要素の錯誤はないとされてしまうことに注意が必要です(以上につき,最判昭和37年12月25日・民集63号953頁,最判平成28年1月12日・裁時1643号1頁等)。
さらに,表意者に重大な過失が存在する場合は,無効を主張できないこととされています(民法95条但書)。

(ウ)本件について
本件においてあなたは,Aさんの説明どおり,テナントが家賃を滞納しているという事実を前提として(すなわち,Aさんに回収家賃など存在しないということを前提として)清算条項付きの合意書に署名しています。ところが,実際には,テナントの家賃滞納の事実は存在せず,Aさんが回収家賃をあなたに支払っていなかったことが判明しています。以上の事実関係からすれば,あなたは、Aさんがあなたに支払うべき家賃を受領していないと判断して、清算条項が記載されたが合意書に署名するに至った動機の部分に錯誤が存在するものと評価できます。
   ただし,Aさんは、あなたに家賃回収ができないなどと説明したことはないなどと反論することが予想されます。そこで,Aさんがテナントの家賃滞納の事実をあなたに対して積極的に伝えていた事実や,Aさんが回収家賃の一部を勝手に費消していることをあなたが知らなかったという事実が,ある程度証拠によって裏付けられている必要があると思われます(メールや書面のやり取り等)。
では,動機の錯誤の存在を認定できるとして,それを理由として,本件合意書の無効を主張することはできるでしょうか。
本件において,あなたがAさんに対し,Aさんが回収家賃をプールしていないからこそ(テナントの家賃滞納の事実が真実であることを前提として)本件合意書に署名する旨(動機)を積極的に明示していたか否かはともかくとして,委託契約の内容からして,社会通念上,当該動機は当然に合意の内容となっていたと考えられます。そのため,少なくとも黙示による動機の表示があって,それが合意の意思表示の内容となっていたものと評価される可能性は,十分にあるといえるでしょう。
そして,あなたがAさんの話が嘘だと分かっていたなら,当然合意書に署名などしなかったはずですし,社会通念上,一般人もそう考えるはずだといえます。
以上から,要素の錯誤が認められ,清算条項が無効と判断される可能性は十分にあるでしょう。
ただし,Aさんの側から重過失の抗弁が出される可能性も否定できません。あなたがAさんの費消行為に気付かなかった点に重大な過失があるような場合は,無効を主張できない場合があることに留意が必要です。

イ 詐欺取消しの主張について

     詐欺取消し(民法96条1項)の主張が認められるためには,@Aさんがテナントの家賃滞納という虚偽の事実をあなたに対して積極的に伝えていたこと(欺罔行為),A当該欺罔行為によって家賃滞納が存在するかのような誤信をしたこと(Aさんが回収家賃の一部を勝手に費消していることをあなたが知らなかったことが必要),B当該誤信によってあなたが合意書に署名してしまったこと,CAさんに詐欺の故意が認められることが証拠によって裏付けられている必要があります。
単に虚偽の事実を述べただけではなく,詐欺を行う意図があったこと(故意)まで要求される点で,錯誤無効の主張よりもハードルが高いかもしれません。
     ただし,メールや書面等で具体的なやり取りが残されていれば,詐欺の事実が認定される可能性も十分にあるといえるでしょう。

第3 まとめ

   以上述べてきたとおり,本件では,刑事告訴の準備を進めながら,未収金の回収を図る交渉を行うことで,早期解決に至る可能性がある程度存在する事案かと思います。また,交渉で回収できない場合でも,訴訟で回収できる見込みが相当程度あると考えてよいでしょう。

   横領罪の刑事告訴は難易度が高く,また未収金の回収に当たって法律上の論点が多数出てくる事案でもありますので,弁護士に一任してしまうのが得策かと思います。

以上

【参照判例】
保証債務請求事件
最高裁判所第三小法廷平成26年(受)第1351号
平成28年1月12日判決

       主   文

原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。


       理   由

 上告代理人上松正明の上告受理申立て理由について
1 本件は,主債務者から信用保証の委託を受けた上告人と保証契約を締結していた被上告人が,上告人に対し,同契約に基づき,保証債務の履行を求める事案である。被上告人の融資の主債務者は反社会的勢力であり,上告人は,〔1〕このような場合には保証契約を締結しないにもかかわらず,そのことを知らずに同契約を締結したものであるから,同契約は要素の錯誤により無効である,〔2〕被上告人が保証契約に違反したから,上告人と被上告人との間の信用保証に関する基本契約(以下「本件基本契約」という。)の定める免責事由に該当し,上告人は,上記保証契約に基づく債務の履行を免れる,と主張して争っている。
2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)被上告人と上告人は,昭和41年8月,約定書と題する書面により本件基本契約を締結した。本件基本契約には,被上告人が「保証契約に違反したとき」は,上告人は被上告人に対する保証債務の履行につき,その全部又は一部の責めを免れるものとする旨が定められていたが(以下,この定めを「本件免責条項」という。),保証契約締結後に主債務者が反社会的勢力であることが判明した場合の取扱いについての定めは置かれていなかった。
(2)政府は,平成19年6月,企業において暴力団を始めとする反社会的勢力とは取引を含めた一切の関係を遮断することを基本原則とする「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」(以下「本件指針」という。)を策定した。これを受けて、金融庁は,平成20年3月,「主要行等向けの総合的な監督指針」を一部改正し,また,同庁及び中小企業庁は,同年6月,「信用保証協会向けの総合的な監督指針」を策定し,本件指針と同旨の反社会的勢力との関係遮断に関する金融機関及び信用保証協会に対する監督の指針を示した。
(3)被上告人は,C社から,3回にわたり運転資金の融資の申込みを受け,それぞれ審査した結果,これらをいずれも適当と認め,平成20年7月,同年9月及び平成22年8月,上告人に対してそれらの信用保証を依頼した。C社と上告人は,上記各月,それぞれ保証委託契約を締結した。 
(4)被上告人は,平成20年7月,同年9月及び平成22年8月,C社との間でそれぞれ金銭消費貸借契約を締結し,3000万円,2000万円及び3000万円の各貸付け(以下「本件各貸付け」という。)をした。上告人は,上記各月,被上告人との間で,本件各貸付けに基づくC社の債務を連帯して保証する旨の各契約(以下「本件各保証契約」という。)を締結した。本件各保証契約においても,契約締結後に主債務者が反社会的勢力であることが判明した場合の取扱いについての定めは置かれていなかった。
(5)警視庁は,平成22年12月,国土交通省関東地方整備局等に対し,C社について,暴力団員であるDが同社の代表取締役を務めてその経営を実質的に支配している会社であるとして,公共工事の指名業者から排除するよう求めた。これを受けて,国土交通省関東地方整備局は,同月,C社に対し,公共工事について指名を行わないことを通知した。
(6)C社は,平成23年3月,本件各貸付けについて期限の利益を喪失した。被上告人は,上告人に対し,本件訴状により,本件各保証契約に基づき保証債務の履行を請求した。
3 原審は,上記事実関係の下において,上告人の抗弁について次のように判断して,被上告人の請求を認容すべきものとした。
(1)本件各保証契約が締結された当時,主債務者が反社会的勢力である可能性は当事者間で想定されていて,そのことが後に判明した場合も上告人において保証債務を履行することが本件各保証契約の内容となっていたものであり,仮に上告人の内心がこれと異なるものであったとしても,そのことは明示にも黙示にも被上告人に対して表示されていなかった。したがって,主債務者であるC社が上記当時から反社会的勢力であったからといって,上告人の本件各保証契約の意思表示に要素の錯誤があったとはいえない。
(2)本件各貸付けが反社会的勢力に対するものでないことが本件各保証契約における保証条件であったとは認められないから,本件各貸付けは,本件免責条項にいう被上告人が「保証契約に違反したとき」には当たらない。したがって,上告人が本件免責条項により免責されるとはいえない。
4 しかしながら,原審の上記3(1)における上告人の本件各保証契約の意思表示に要素の錯誤があったとはいえないとの判断は是認することができるが,同(2)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1)信用保証協会において主債務者が反社会的勢力でないことを前提として保証契約を締結し,金融機関において融資を実行したが,その後,主債務者が反社会的勢力であることが判明した場合には,信用保証協会の意思表示に動機の錯誤があるということができる。意思表示における動機の錯誤が法律行為の要素に錯誤があるものとしてその無効を来すためには,その動機が相手方に表示されて法律行為の内容となり,もし錯誤がなかったならば表意者がその意思表示をしなかったであろうと認められる場合であることを要する。そして,動機は,たとえそれが表示されても,当事者の意思解釈上,それが法律行為の内容とされたものと認められない限り,表意者の意思表示に要素の錯誤はないと解するのが相当である(最高裁昭和35年(オ)第507号同37年12月25日第三小法廷判決・裁判集民事63号953頁,最高裁昭和63年(オ)第385号平成元年9月14日第一小法廷判決・裁判集民事157号555頁参照)。
(2)本件についてこれをみると,前記事実関係によれば,被上告人及び上告人は,本件各保証契約の締結当時,本件指針等により,反社会的勢力との関係を遮断すべき社会的責任を負っており,本件各保証契約の締結前にC社が反社会的勢力であることが判明していた場合には,これらが締結されることはなかったと考えられる。しかし,保証契約は,主債務者がその債務を履行しない場合に保証人が保証債務を履行することを内容とするものであり,主債務者が誰であるかは同契約の内容である保証債務の一要素となるものであるが,主債務者が反社会的勢力でないことはその主債務者に関する事情の一つであって,これが当然に同契約の内容となっているということはできない。そして,被上告人は融資を,上告人は信用保証を行うことをそれぞれ業とする法人であるから,主債務者が反社会的勢力であることが事後的に判明する場合が生じ得ることを想定でき,その場合に上告人が保証債務を履行しないこととするのであれば,その旨をあらかじめ定めるなどの対応を採ることも可能であった。それにもかかわらず,本件基本契約及び本件各保証契約等にその場合の取扱いについての定めが置かれていないことからすると,主債務者が反社会的勢力でないということについては,この点に誤認があったことが事後的に判明した場合に本件各保証契約の効力を否定することまでを被上告人及び上告人の双方が前提としていたとはいえない。また,保証契約が締結され融資が実行された後に初めて主債務者が反社会的勢力であることが判明した場合には,既に上記主債務者が融資金を取得している以上,上記社会的責任の見地から,債権者と保証人において,できる限り上記融資金相当額の回収に努めて反社会的勢力との関係の解消を図るべきであるとはいえても,両者間の保証契約について,主債務者が反社会的勢力でないということがその契約の前提又は内容になっているとして当然にその効力が否定されるべきものともいえない。
 そうすると,C社が反社会的勢力でないことという上告人の動機は,それが明示又は黙示に表示されていたとしても,当事者の意思解釈上,これが本件各保証契約の内容となっていたとは認められず,上告人の本件各保証契約の意思表示に要素の錯誤はないというべきである。
(3)信用保証協会は,中小企業者等に対する金融の円滑化を図ることを目的として,中小企業者等が銀行その他の金融機関から貸付け等を受けるにつき,その貸付金等の債務を保証することを主たる業務とする公共的機関であり(信用保証協会法1条参照),信用保証制度を維持するために公的資金も投入されている。また,本件指針等により,金融機関及び信用保証協会は共に反社会的勢力との関係を遮断する社会的責任を負っており,その重要性は,金融機関及び信用保証協会の共通認識であったと考えられる。他方で,信用保証制度を利用して融資を受けようとする者が反社会的勢力であるか否かを調査する有効な方法は,実際上限られている。
 以上のような点に鑑みれば,主債務者が反社会的勢力でないことそれ自体が金融機関と信用保証協会との間の保証契約の内容にならないとしても,被上告人及び上告人は,本件基本契約上の付随義務として,個々の保証契約を締結して融資を実行するのに先立ち,相互に主債務者が反社会的勢力であるか否かについてその時点において一般的に行われている調査方法等に鑑みて相当と認められる調査をすべき義務を負うというべきである。そして,被上告人がこの義務に違反して,その結果,反社会的勢力を主債務者とする融資について保証契約が締結された場合には,本件免責条項にいう被上告人が「保証契約に違反したとき」に当たると解するのが相当である。
(4)本件についてこれをみると,本件各貸付けの主債務者は反社会的勢力であるところ,被上告人が上記の調査義務に違反して,その結果,本件各保証契約が締結されたといえる場合には,上告人は,本件免責条項により本件各保証契約に基づく保証債務の履行の責めを免れるというべきである。そして,その免責の範囲は,上記の点についての上告人の調査状況等も勘案して定められるのが相当である。
5 以上によれば,原審の上記3(1)における上告人の本件各保証契約の意思表示に要素の錯誤があったとはいえないとの判断は是認することができ,この点に関する論旨は採用することができない。他方,上記4(4)の点を審理判断することなく,本件各貸付けについて,本件免責条項にいう被上告人が「保証契約に違反したとき」に当たらないとした原審の上記3(2)の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があり,この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,上告人の保証債務の免責の抗弁について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大橋正春 裁判官 木内道祥 裁判官 山崎敏充)


【参照条文】
民法
(錯誤)
第九十五条  意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

刑法
(横領)
第二百五十二条 自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の懲役に処する。
2 自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。

(業務上横領)
第二百五十三条 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。

刑事訴訟法
第二百三十条  犯罪により害を被つた者は、告訴をすることができる。
第二百四十二条 司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない。
第二百六十条 検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について、公訴を提起し、又はこれを提起しない処分をしたときは、速やかにその旨を告訴人、告発人又は請求人に通知しなければならない。公訴を取り消し、又は事件を他の検察庁の検察官に送致したときも、同様である。
第二百六十一条 検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について公訴を提起しない処分をした場合において、告訴人、告発人又は請求人の請求があるときは、速やかに告訴人、告発人又は請求人にその理由を告げなければならない。

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