質問:
駅前でビルの一室を賃借し店舗を経営していますが、このたび家主から「建物を建て替えたいので退去して下さい」と契約解除を通告されました。応じなければなら
ないでしょうか。家主は去年頃からテナントの契約解除を進めており、現在の空室率は9割を超えています。立ち退きとなる場合の、立退料の計算についても教えて
下さい。
↓
回答:
1、建物賃貸借契約の解除(期間の定めのない賃貸借契約の解約)または更新拒絶(期間の満了に伴う更新拒絶)の意思表示が、法的に有効か否かは、様々な事情 を考慮して、貸し主側の主張に「正当事由」があるかどうかによって判断されます。
2、正当事由が認められる貸し主側の事情のひとつに、建て替え計画の合理性や進捗状況も含まれ、その中で「現実の建て替え準備状況=空室率」も考慮の対象と なります。合理的な建て替え計画の存在が認められ、現に、入居者の大半が退去に応じている状態であれば、立退料を支払うという要素を加味し、立退料と引き換え に退去を命ずる「引き換え給付判決」が出る可能性が高まっていると言えます。理論上は立退き料の支払いがなくても正当事由が認められ得ることになっています が、実際には立退き料の支払い無くして正当事由が認められることはないと言えます。
3、立退料の算定は、貸し主側と借り主側の事情を総合して判断されますが、借家権価格の算定がキーポイントになります。借家権価格の算定方法は主に、(1) 賃料差額方式、(2)控除方式、(3)割合方式の3つがあり、不動産鑑定士の鑑定書には、これらの計算方法による算出額を加重平均することにより算出されるの が一般的です。 但し、解約なり更新拒絶が有効という前提に立つと、借家権は消滅していることになり、借家権を立退き料の算定の根拠とすることは矛盾するとい う見地から、解約に伴う移転費用、その他の損害の補償という点から立退き料を算定すべきという見解が有力であり、そのような裁判例も見られます。
なお、店舗の立ち退きの場合、実際の立退料は、居住用の賃貸の場合の立退料に加えて、従来の建物における内装造作の費用、転居先の内装造作費用や営業損失
の見積額を加算したものとされるのが一般的です。
4 尚、本件に都市再開発が関連すると事情が大きく変わりますので、都市再開発法関連の論文もご参照ください。
5 関連事例集1676番、1664
番、1649番、1633
番、1513番、1490
番、1448番、1122
番を参照してください。
解説:
1、建物賃貸借契約解約申し入れの際の正当事由
土地・建物の賃貸借は、自然人・法人(株式会社など)も含めて、人の社会生活の基盤となる重要な資産に関する契約ですので、賃貸借に関する民法の規定が修正
され、特別法である借地借家法により賃借人の保護が強化されています。まず、民法の規定を引用します。
民法第601条(賃貸借) 賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うことを約するこ
とによって、その効力を生ずる。
第617条 (期間の定めのない賃貸借の解約の申入れ)
第1項 当事者が賃貸借の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合においては、次の各号に掲げる賃貸借は、
解約の申入れの日からそれぞれ当該各号に定める期間を経過することによって終了する。
一号 土地の賃貸借 一年
二号 建物の賃貸借 三箇月
三号 動産及び貸席の賃貸借 一日
第2項 収穫の季節がある土地の賃貸借については、その季節の後次の耕作に着手する前に、解約の申入れをしなければならない。
このように、民法では、期間の定めがある賃貸借契約は期間満了により、期間の定めの無い(いわば無期限の)賃貸借契約であっても、家主を含む当事者双方が、
いつでも解約の申し入れをすることができ、建物賃貸借では、解約申し入れから3か月で契約が終了する旨が規定されています。3か月もあれば引っ越しできるだろ
うという規定になっており、これは明治時代の民法を引き継いだ規定で、立場の弱い借家人の保護に欠ける規定でした。
そこで、具体的事例に即して、家主側の勝手な事情では解約できないという判例の集積がなされ、大正10年に借家法が制定され、平成4年に借地借家法が制定さ
れ、家主(賃貸人)からの賃貸借契約の解約申し入れに際して、借家人がどのように保護されるべきか、また期間の満了による法定更新の拒絶に関して規定されるに
至っています。家主側からの、期間満了による更新拒絶、解約申し入れに関する借地借家法の規定を引用します。
借地借家法第28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件) 建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃
借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに
建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、
正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
この条文の「正当の事由」は、講学上「正当事由」と呼ばれ、判例上また学説上も、様々な案件でどのように解釈されるべきか議論されてきました。条文の表記は
抽象的なものに留まっているため、個別案件に即して、個別具体的に解釈していく必要があります。賃貸人側と、賃借人側に分解して、条文の要件を整理します。
賃貸人側の事情
(1)建物の使用を必要とする事情(取り壊して建て替えすることも含む)
(2)建物の賃貸借に関する従前の経過(契約を終了させるべき事情)
(3)建物の利用状況(賃貸人側から見て不十分な状況であるという主張)
(4)建物の現況(建物の修繕・建て替えを必要とする事情)
(5)建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出(損失補填の提案、いわゆる立退料の提示)
賃借人側の事情
(1)建物の使用を必要とする事情(退去した場合の不都合など)
(2)建物の賃貸借に関する従前の経過(契約を存続させるべき事情)
(3)建物の利用状況(賃借人側から見て十分な利用状況であるという主張)
(4)建物の現況(建物の修繕・建て替えは不要であるという主張)
利益衡量論と言いますが、これらの事情を考慮し、賃貸人と賃借人のどちらの主張(利益)が勝るか検討し、賃貸人側の利益が勝れば、賃貸借契約の解除が認めら
れますが、一般的には立退き料の支払いという要素を賃貸人側の有利な事情として考慮し、立退料と引き換えに建物を明け渡す旨の引き換え給付判決が下されること
になります。
2、空室率の評価
賃貸の集合住宅における更新拒絶時(解約申し入れ当時)の空室率が高いという事実は、建て替えの必要性の一理由となるでしょうか。まず建て替えの必要が、賃
貸借を終了させる正当事由に該当するかという点から検討します。
建て替えの必要性という点でしばしば問題となるのは建物の耐震性です。建物の耐震性に問題がある建物を取り壊して解体するに際して、古い建物の賃貸借契約が
解除できるかという問題です。鉄筋コンクリートの建物は、50年以上前から建築されてきていますが、昭和53年の宮城県沖地震や、平成7年の阪神淡路大震災
や、平成23年の東日本大震災を契機として、建築基準法上の耐震基準が引き上げられ、また、免震マンションや制震マンションや、高強度コンクリートなど、建築
技術・解析技術・設計技術の進化に対応した新しい技術も使われるようになっています。
法令で要求されているのは、建物を建設する際の建築確認申請において、その当時の法令に定められた耐震基準を満たしていることだけですが、1981年6月の
耐震基準改訂のように、大きな耐震基準の変更があった場合には、それより以前に建築確認申請を受けた建物を、「旧耐震建物」と、新しい耐震基準の建物と区別し
て呼ばれたり、勿論、現在の法令に適合しない「既存不適格」の物件として、売買や賃貸の契約の際には重要事項説明の中に明記して説明しなければなりません。耐
震基準の改正・更新により「旧耐震基準建物」となってしまった場合は、不動産の価値は相対的に下落してしまうことになります。従って、建物の資産価値を維持
し、または向上させるためには、古い耐震基準に基づいて建てられた建物の所有者(大家)としては、安全な建物に建て替えることを検討することは当然のこと(経
済合理性のあること)と言えます。
また、平成7年には、「建築物の耐震改修の促進に関する法律」が制定され、耐震基準に関して既存不適格となっている建物のうち、都道府県や市区町村の耐震改
修促進計画に記載された建物(指定された道路に接する建物)の所有者は建築士等による耐震診断を受け、これを所管行政庁に報告する義務を負うことになり、災害
時の交通の確保など、公共的な建て替えの必要性も認められています。
このように、旧耐震基準に基づいて建てられた建物の建て替えについては、所有者の私的な利害もありますし、公共的な安全の要請もありますので、種々の法令
で、これを促進する施策が行われています。主な規定をいくつか御紹介致します。
土地区画整理法第1条(この法律の目的)この法律は、土地区画整理事業に関し、その施行者、施行方法、費用の負担等必要な事項を規定することにより、健全な市
街地の造成を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。
都市再開発法第1条(目的)この法律は、市街地の計画的な再開発に関し必要な事項を定めることにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能
の更新とを図り、もつて公共の福祉に寄与することを目的とする。
マンションの建替え等の円滑化に関する法律
第1条(目的)この法律は、マンション建替事業、除却する必要のあるマンションに係る特別の措置及びマンション敷地売却事業について定めることにより、マン
ションにおける良好な居住環境の確保並びに地震によるマンションの倒壊その他の被害からの国民の生命、身体及び財産の保護を図り、もって国民生活の安定向上と
国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
建物を建て替える際には、当然、既存建物を取り壊す必要がありますので、賃借人などの既存の入居者には事前に退去して貰う必要がありますので、大家(貸し
主)としては、建て替え計画が近くなってきた場合は、建物賃貸借契約の更新拒絶の意思表示を通知したり、賃貸借契約の解約申し入れを通知することになります。
この、更新拒絶や、解約申し入れが有効かどうかを判断する基準となるのが、前記の「正当事由」ということになります。
都市再開発法や、マンション建て替え円滑化法では、建物の建て替えに際して借家権の権利変換の仕組みが整備されており、権利変換期日に従前建物に関する借家
権が全て消滅し、退去の手続も法定され、建て替え後の建物に新たに借家権が付与される仕組みになっていますので、建物賃貸借契約を解除しなくても、建物の建て
替えを遂行することができますが、実際の建て替え実務においては、権利変換を待たずに、全入居者が先行退去する事例も散見され、建て替えに際して賃貸借契約の
解除が行われる事例も依然として少なくありません。
家主側の建て替えの必要性と解約を必要とする事情のひとつに、建て替え計画の具体的進捗状況、つまり「空き室率」が考慮されることがあります。借地借家法
28条の条文でいうと「建物の現況」という要件の解釈において、建物の空き室率が考慮され得るということになります。裁判例がありますので御紹介致します。判
決では「これまで,本件ビルのテナントの多くが,原告の要請を受けて退去しており,本件ビルの空室率は約95%であることが認められ(甲24),原告は,本件
各区画の明渡しを受けて早期に本件計画を実行することについて切実な必要性を有しているといえる。」として建替え事業の正当性に加えて、すでに95%に達して
いる空室率を建て替え工事の必要性の要素として考えています。空室率95%は、20軒のうち19軒は退去済みということですから、建物内はほとんど退去済みの
状態と言えます。
東京地方裁判所平成26年7月1日建物明渡請求事件判決
『原告は,本件計画に伴って,歩行者の多い(甲23)本件ビルの西側にあるバス発着所を移設するとともに,交通量の多い駅前都道に対して新築する建物の位置を
後退させることを計画していることが認められ(甲48,弁論の全趣旨),その具体化には今後の行政庁との協議を要すると見られるものの,本件ビル周辺を含む新
宿駅周辺地域が,柔軟な都市計画特例を可能にする都市再生特別措置法上の都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域に指定されていること(甲50ない
し甲52,乙65)に照らし,一定の現実性を有するといえる。こうした事情は,少なくとも本件計画が周囲の環境との関係で不合理なものではないことを示すもの
といえる。なお,新宿駅南口地区でバスターミナルの整備を含む基盤整備事業が計画されていることが認められるが(乙6ないし乙8),同事業によって本件ビルの
西側にあるバス発着所の問題がいつどのように解決されるかは明らかでなく,本件計画を不合理なものと見るべき事情とはいえない。
そして,これまで,本件ビルのテナントの多くが,原告の要請を受けて退去しており,本件ビルの空室率は約95%であることが認められ(甲24),原告は,本
件各区画の明渡しを受けて早期に本件計画を実行することについて切実な必要性を有しているといえる。このような状況は,原告が自ら生じさせたものではあるが,
原告が本件計画の合理性を説明しテナントがこれを受け入れたことを示すものでもあるから,上記必要性は正当事由の判断に当たって相当程度考慮に入れるべきもの
といえる。』
従って、正当事由の有無を審査する場合に、建て替え計画の合理性に加えて、他の入居者も含む、建物全体の現在の状況についても判断の対象となりうることが分
かります。この点、入居者にとっては、賃借している当該居室の状況だけについて利害関係を有しているので、他の入居者の利用状況まで考慮されるのは不合理に感
じられるかも知れませんが、逆に大家側(建物全体の所有者側)から見れば、たとえ1件でも入居者が残っていれば、建て替え計画は頓挫したままになってしまうの
であり、建物全体の空室率も考慮されなければ、貸し主側に過度に不利な法解釈となってしまうことになりますので、やむを得ない判断と言えるでしょう。
御相談の建物についても、家主側が、退去を求め始めてからどれくらいの期間が経過したのか、また、現在の建物全体の空き室率の状況はどうなっているか、裁判
所でも考慮の対象となり得ますので、慎重に調査して検討することが必要です。
3、立退料の算定方法
立退料は、前記の借地借家法28条の事情を考慮した上で、当事者の公平を図るために定められる立ち退きの金銭的な条件です。具体的に言えば、賃借人は、転居
に際して、次のような不利益を被ることになります。
(1)借家権を失うこと
(2)転居するのに費用が掛かること(移転実費)
(3)営業者である場合は、転居に伴う営業損失を生じること(従業員解雇予告手当、移転先内装費用、什器備品整備費、営業再開後の顧客喪失、営業停止期間の休
業損失など)
立退料の算定は、貸し主側と借り主側の事情を総合して判断されますが、借家権価格の算定がキーポイントになります。
借家権価格の算定方法は主に、(1)賃料差額方式、(2)控除方式、(3)割合方式の3つがあり、不動産鑑定士の鑑定書には、これらの計算方法による算出額
を加重平均することにより算出されるのが一般的です。
また、都心商業物件など借家権の取引慣行がある区域においては、過去の近隣取引事例に比準して価格を求める比準方式が用いられる場合もあります。更に、入居
時に数千万円・数億円など特別の「権利金」が支払われていた場合は、この権利金の額も考慮されることがあります。
参考URL、国土交通省の不動産鑑定評価基準
http://www.mlit.go.jp/common/001043585.pdf
国土交通省の不動産鑑定評価基準の該当部分を引用します。
『借家権とは、借地借家法(廃止前の借家法を含む。)が適用される建物の賃借権をいう。
借家権の取引慣行がある場合における借家権の鑑定評価額は、当事者間の個別的事情を考慮して求めた比準価格を標準とし、自用の建物及びその敷地の価格から貸家
及びその敷地の価格を控除し、所要の調整を行って得た価格を比較考量して決定するものとする。借家権割合が求められる場合は、借家権割合により求めた価格をも
比較考量するものとする。この場合において、前記貸家及びその敷地の1.から6.までに掲げる事項を総合的に勘案するものとする。
さらに、借家権の価格といわれているものには、賃貸人から建物の明渡しの要求を受け、借家人が不随意の立退きに伴い事実上喪失することとなる経済的利益等、賃
貸人との関係において個別的な形をとって具体に現れるものがある。この場合における借家権の鑑定評価額は、当該建物及びその敷地と同程度の代替建物等の賃借の
際に必要とされる新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に賃料の前払的性格を有する一時金の額等を加えた額並びに自用の建物
及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し、所要の調整を行って得た価格を関連づけて決定するものとする。この場合において当事者間の個別的事情
を考慮するものとするほか、前記貸家及びその敷地の1.から6.までに掲げる事項を総合的に勘案するものとする。』
以下、主な借家権の算定方式を簡単に説明します。
(1)賃料差額方式:これは、同程度の代替建物等の賃借の際に必要とされる新規の実際支払賃料から、現在の実際支払賃料を控除した、いわゆる「借り得」部分
の、契約存続相当期間(建物老朽化などによる契約終了までの残存期間など)における合計額を借家権の価値として算出するものです。景気後退期など賃料下落期間
においては、逆に「借り損」を生じている場合もあり、算出が困難な場合もあります。
(2)控除方式:これは、入居者が退去した自用建物としての価格(即入居可能物件としての価格)から、入居者が存在している建物の価格(いわばオーナーチェン
ジ物件としての価格)を控除したものが、借家権価格に他ならないとする計算方法です。
(3)割合方式:これは国税庁の財産評価基本通達26で用いられている貸家建付地の評価に準じて計算するもので、借家権者が、敷地と建物の価値を借家権割合に
よって保持していると考えられることから、敷地について、更地価格×借地権割合×借家権割合で評価し、建物について、建物価格×借家権割合で算出した価格を合
計したものです。借地権割合は路線価図に記載された60〜90%が用いられる事が多く、借家権割合は30%前後が用いられる事が多くなっています。
店舗の立ち退きの場合、実際の立退料は、借家権価格の一部と、移転実費に、営業損失の見積額を加算したものとされるのが一般的です。
借家権価格算定について裁判例の紹介(上記、東京地裁平成26年7月1日判決)
『ア 本件各区画の借家権価格については,鑑定人Cによる鑑定の結果(以下「C鑑定」という。)と,原告提出に係るT不動産鑑定株式会社作成の不動産鑑定評価
書(本件店舗(イ)につき甲43,本件店舗(二)につき甲44。以下,併せて「T鑑定書」という。)がある。なお,本件ビルの別の区画の借家権価格に関して,
被告提出に係る株式会社S不動産鑑定事務所作成の不動産鑑定評価書(乙66。以下「S鑑定書」という。)がある。
C鑑定は,本件各区画の借家権価格について,賃料差額方式によれば4034万円,控除方式によれば9160万円,割合方式によれば1億1380万円と算定し
た上で,立ち退きを求められそれに伴い発生する損失を補償するという観点から判断すると,賃借人は一棟の建物竣工時より本件各区画を賃借しており,その賃借期
間が長期に及んでいることから控除方式及び割合方式にウェイトが置かれるとして,控除方式及び割合方式を平均した1億0270万円を借家権価格の総額とし,賃
料差額方式は参考にとどめるものとする。そして,これを各区画に割り付け,本件店舗(イ)については4650万円,本件倉庫(口〉については80万円,本件倉
庫(ハ)については0円,本件店舗(二)については4900万円,本件店舗(ホ)については640万円とする。
一方,
T鑑定書は,本件店舗(イ)の借家権価格について,賃料差額方式によれば138万円,控除方式によれば300万円,割合方式によれば4000万円と算定した上で,借家権価
格を求める主旨が,借家人が立ち退く場合における借家権者の逸失利益を補填することにあることを最大限考慮し,賃料差額方式及び控除方式の価格を関連づけて得
た価格を標準とし,割合方式を参考に,
1000万円とする。また,本件店舗(二)の借家権価格については,賃料差額方式によれば162万円,控除方式によれば300万円,割合方式によれば4440万円と算定し
た上で,同様の理由付けにより, 1100万円とする。
イ
国土交通省が定める不動産鑑定評価基準は,賃貸人から建物の明渡しの要求を受け,借家人が不随意の立ち退きをする際の借家権価格について,賃料差額方式(当該建物及びその
敷地と同程度の代替建物等の賃借の際に必要とされる新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に賃料の前払的性格を有する一時金
の額等を加えた額)及び控除方式(自用の建物及びその敷地としての価格から,貸家及びその敷地としての価格を控除し,所要の調整を行って得た価格)を関連づけ
て決定するものとしている(甲40〔46頁〕)。しかし,賃料差額方式による算定結果は,借家権自体の価値を示すものとは解し難く,むしろ移転実費算定の上で
参照するのが相当である。また,控除方式による算定結果は,貸家及びその敷地を購入しようとする者にとつての適正な売買価格を判断する資料ではあるが,必ずし
も借家権自体の有する財産的価値を表すものとはいえない。そこで,C鑑定及びT鑑定書が採用する各方式のうち,割合方式(借家権割合にり求めた価格)による算
定結果を基本とし,控除方式は参考にとどめるのが相当である。
ウ
割合方式による算定の基礎となる本件敷地の価格について,C鑑定は取引事例比較法による比準価格(1520万円/m2)と土地残余法による収益価格(1130万円/m2)
に6対4の重み付けを加えて1360万円/m2とし,
T鑑定書は比準価格1150万円/m2を採用し,S鑑定書は比準価格1950万円/m2を採用する。このうちC鑑定が新宿ないし西新宿の近傍物件5件の比較的新しい取引事
例を参照して比準価格を求めているのに対し,
T鑑定書が参照する取引事例は港区及び中央区の3物件であり本件敷地と場所的に離れていること,S鑑定書は参照する取引事例4件がC鑑定よりも古く,また近隣の地価公示地
ないし基準地を規準とした価格(1100万円/m2前後)との乖離が大きいことに照らし,本件敷地の価格についてはC鑑定によるのが相当である。原告は,C鑑
定が土地残余法で用いた違元利回り年5.6%について,年6.1%とすべきであるから,収益価格1040万円/m2に建付減価を施した額を本件敷地の価格とす
べきである旨主張するが,同鑑定人の補充意見書における説明及び上記比準価格との均衡に照らすと,C鑑定の採用する収益価格や,これと比準価格との重み付けに
ついて,直ちに不合理とすべき点はないといえる。
また,本件ビルの価格については,C鑑定は5億8200万円,
T鑑定書は4億円,S鑑定書は8億円とする。これらの金額は,再調達原価,耐用年数,観察減価率等の設定の仕方により変動し得るものであり,いずれの算定も一定の合理性を
有すると考えられるが,概ね中庸の結果であるC鑑定を採用するのが相当である。
以上を前提に,本件敷地及び本件ビルの価格を,本件各区画の階層及び位置に応じた効用比率によって割り付け,借地権割合を90%とし,借家権割合を本件店舗
(イ),(二)及び(ホ)については30%,本件店舗(イ)に付随する従業員控室・更衣室として利用され共益費も支払われている本件倉庫〈口)については
10%とし,本件倉庫(ハ)については用途及び建物の独立性から借家権の対象とはならないものとして本件各区画の借家権価格を求めたC鑑定は,合理的なものと
評価することができる。これによって求められた借家権価格は,本件店舗(イ)につき5150万円,本件倉庫(口)につき90万円,本件店舗(ニ)につき
5430万円,本件店舗(ホ)につき710万円,合計1億1380万円となる。
工 なお,参考のために控除方式による算定結果について見ると,C鑑定は本件各区画を合わせて9160万円とし割合方式より2割低い程度であるのに対し,
T鑑定書は本件店舗(イ)及び(二)につき各300万円としており,著しく少額となっている。このように両鑑定に大きな開きが生じるのは,自用の建物及びその敷地としての
価格,並びに貸家及びその敷地としての価格の算定に当たって,それぞれ将来収益や還元利回り等の設定によって幅が生じる上,両者の差額を算出するという方式の
性質上,指標の設定如何による価格幅が増幅することによるものと考えられるところ,上記控除方式による各算定結果をもって前記割合方式による算定結果を不相当
といい得るほど,前者が安定性・確実性を有しているとは評価できない。』
この裁判例では、原告側が提出した不動産鑑定書と、被告側が提出した不動産鑑定書と、裁判所が選任した鑑定人(不動産鑑定士)による3つの鑑定書が存在し、
裁判所がこれを比較しながら判断していることが興味深いところです。この裁判例では、裁判所が選任した鑑定士の評価が、原告鑑定と被告鑑定の中庸の数値であっ
たため、裁判所が選任した鑑定人の評価した額を採用しています。
また、「賃料差額方式による算定結果は,借家権自体の価値を示すものとは解し難く,むしろ移転実費算定の上で参照するのが相当である」とし、「控除方式によ
る算定結果は,貸家及びその敷地を購入しようとする者にとつての適正な売買価格を判断する資料ではあるが,必ずしも借家権自体の有する財産的価値を表すものと
はいえない」として、主に割合方式によって算出するのが相当であるとしています。
立退料の算定について裁判例の紹介(上記、東京地裁平成26年7月1日判決)
『前記1,
2の賃貸人及び賃借人が本件各区画を必要とする事情を考慮すると,本件店舗(イ)並びに本件倉庫(口)及び(ハ)については,前記(2)ウの借家権価格の2分の1である
2620万円に,前記(3)の移転実費及び前記(4)の営業損失のうち2500万円を加算した5120万円,本件店舗(二)については,前記(2)ウの借家権
価格の2分の1である2715万円に,同様に移転実費及び営業損失のうち2500万円を加算した5215万円を立退料の額とするのが相当である。一方,本件店
舗(ホ)については,被告Y2が平成25年8月以降営業を行つていない状況も考慮すると,前記(2)ウの借家権価格の約4分の1,また賃料約2年分に相当する
本件申出額である180万円をもつて正当事由を補完するに足りる立退料の額であると認めることができる。』
この判例では、建て替え計画の合理性や空き室率95%などを理由として家主側の主張にも相当の理由があると判断され、借家権価格全額の提示は不要と解釈さ
れ、借家権価格の2分の1〜4分の1が立退料として提供されるべきとされました。貸し主側と借り主側の事情によって、借家権価格全額の提示が必要とされる場合
もあります。
参考のために、この判例における賃料と立退料の比較を行います。
店舗(イ)(ロ)(ハ)の賃料と共益費合計額は、月額92万5637円でしたが、立退料の引換給付判決(立退料の支払いと引き換えに退去せよと命ずる判決)
は、5120万円でした。月額賃料等の約56.3ヶ月分でした。
店舗(ニ)の賃料と共益費合計額は、月額96万6293円でしたが、立退料の引換給付判決は、5215万円でした。月額賃料等の約54ヶ月分でした。
店舗(ホ)の賃料と共益費合計額は、月額7万5558円でしたが、立退料の引換給付判決は、180万円でした。月額賃料等の約23.8ヶ月分でした。
4、まとめ
御相談の事例では、空室率が9割に達していることから、適切な立退料の提示があれば、解約申し入れは有効とされる可能性も高いと言えます。家主側の立退料の
提示に不満がある場合は、代理人弁護士を依頼し、不動産鑑定士の鑑定書も取得して、法令や判例や鑑定書に基づいて立ち退きの交渉をしていくと良いでしょう。一
度お近くの法律事務所に御相談なさって下さい。
<参照条文>
建築物の耐震改修の促進に関する法律
第七条(要安全確認計画記載建築物の所有者の耐震診断の義務)
次に掲げる建築物(以下「要安全確認計画記載建築物」という。)の所有者は、当該要安全確認計画記載建築物について、国土交通省令で定めるところ
により、耐震診断を行い、その結果を、次の各号に掲げる建築物の区分に応じ、それぞれ当該各号に定める期限までに所管行政庁に報告しなければならない。
一 第五条第三項第一号の規定により都道府県耐震改修促進計画に記載された建築物 同号の規定により都道府県耐震改修促進計画に記載された期限
二
その敷地が第五条第三項第二号の規定により都道府県耐震改修促進計画に記載された道路に接する通行障害既存耐震不適格建築物(耐震不明建築物であるものに限る。) 同号
の規定により都道府県耐震改修促進計画に記載された期限
三
その敷地が前条第三項第一号の規定により市町村耐震改修促進計画に記載された道路に接する通行障害既存耐震不適格建築物(耐震不明建築物であるものに限り、前号に掲げる
建築物であるものを除く。) 同項第一号の規定により市町村耐震改修促進計画に記載された期限