クレプトマニア(窃盗症)と再度の執行猶予
刑事|一部の執行猶予制度|行橋簡易裁判所平成27年7月7日判決
目次
質問:
私の妻が,執行猶予期間中に再度窃盗事件を起こしてしまいました。スーパーで合計5000円程度の食料品を万引きして、現行犯で逮捕されたということです。 また,前の窃盗事件は,2年前に起こしたもので同様の万引き事件であり,懲役刑1年6月と執行猶予期間は3年でした。
妻は,万引きを繰り返してしまうところが あり,いわゆる窃盗症(クレプトマニア)かもしれません。担当の検察官は,執行猶予中の犯行であり,公判請求(正式起訴)せざるを得ないということでした。妻 は刑務所に入ってしまうのでしょうか。家族として,出来る限りのことはしたいと思っています。
回答:
1 執行猶予中に再度万引きを繰り返したということですから、担当検察官の説明の通り公判請求は免れないと考えられます。公判請求された場合、刑務所に行か ないようにするためには今回の窃盗について,再度の執行猶予となる必要があります。しかし,再度の執行猶予は,「情状に特に酌量すべき」ことが必要とされてお り,実務上は極めて例外的な場合にしか認められません。
2 あなたの妻は「窃盗症」(クレプトマニア)の可能性があるとのことですから、それに対する通院治療等が再度の執行猶予の要件である「情状に特に酌量すべ き」ことに該当する旨主張して再度の執行猶予判決を得るべく弁護活動をすることが考えられます。クレプトマニアは,物を盗みたいという欲求・衝動を制御できな い,コントロールできない疾病のことをいいます。クレプトマニアが原因ということであれば,その治療のために専門的病院への入通院を具体的に実行することによ り,再度の執行猶予における特に酌量すべき情状に該当する場合もあります。
ただ,その前提として,専門的病院における診断及び通院が必須となりますので,起訴後に裁判所に保釈を認めてもらう必要があります。保釈請求の際にも裁 判官に対して,具体的な通院計画に加え,被害店舗との示談交渉,家族などの身元引受人をそろえる,常習性は今後の治療によって改善できるなど,保釈の必要性・ 相当性に関する事情を詳細に主張し,何とか裁量保釈を認めてもらう必要があります。
3 保釈を認めてもらった後は,上記専門的病院での診断結果を踏まえ,その診断内容及び保釈中の治療経過を裁判所に詳細に主張することになります。治療に対 する真摯な取り組みなどの事情を十分に理解してもらえれば,社会内による更生が可能であるとして,再度の執行猶予が付く可能性も出てくるでしょう。
ただ,上記のとおり,再度の執行猶予は極めて例外的な場合しか認められませんので,専門的知見を有する弁護士への相談を強くお勧めします。
4 その他,クレプトマニア(窃盗症)に関する事例集としては、1541番などを参照してください。再度の執行猶予に関して1619番、1446番、1040番参照。
5 窃盗に関する関連事例集参照。
解説:
1 再度の執行猶予について
(1)あなたの妻は,スーパーで食料品を万引きしたということですので,窃盗罪(刑法235条)により10年以下の懲役刑か50万円以下の罰金刑に処せられ ることとなります。
そして,執行猶予中の犯罪であり,検察官からも公判請求すると説明されているということですので,今後,公訴を提起され、被告人として刑事裁判が係属す ることとなるでしょう。公判請求された場合,通常は罰金ではなく,懲役刑を求められることとなります。
ここで問題なのが,あなたの妻が,現在執行猶予期間中というところです。執行猶予とは,懲役刑を下すものの,一定の執行猶予期間の間その刑を執行しない という制度です。執行猶予期間中,特に問題なく過ごせていれば,刑の効果は消滅することとなります(刑法25条,27条等)。執本人が反省していることなどを 考慮し実刑を下す必要がない場合であって,社会内で更生が可能でありかつ相当といえる場合に,恩恵として刑の執行を猶予するというところに趣旨があります。
ただ,今回のように,執行猶予期間中に,さらに犯罪を犯し,かつ,禁固以上の刑に処せられたときには執行猶予は取り消さなければならないとされています (刑法26条1号)。罰金刑の場合には執行猶予の取消は任意的ですが,懲役刑の場合には必ず取り消さなければならないとされており,選択の余地はありません。
そして,執行猶予が取り消された場合,前の刑の懲役刑と,今回公判請求された窃盗罪分の懲役刑とを合わせて実刑に処せられることになります。今回でいえ ば,前の窃盗罪の1年6月分と今回の懲役刑分の合算した期間を服役することになり,非常に長期の服役をせざるを得ないこととなります。
(2)では,今回は実刑以外の選択肢はないのでしょうか。法律は,今回のような場合を想定し,「再度の執行猶予」制度を設けています。
具体的には,今回の窃盗罪について「1年以下の懲役」刑を下す場合で,かつ,「情状に特に酌量すべき」事情があるような場合には,再度の執行猶予を付け ることができます(刑法25条2項 保護観察付の執行猶予期間中の場合は、再度の施行猶予は認められません)。なお,再度の執行猶予を付ける場合,必ず保護観 察を付けなければならないものとされています。
では,「情状に特に酌量すべき事情」とはいかなる場合をいうのでしょうか。この点,再度の執行猶予については,実務上ほとんど認められることがなく,極 めて厳しい要件判断がなされているのが通常です。
裁判所が恩恵として執行を猶予したのに,それに背き,再度犯罪を犯したのですから,最初の執行猶予をつけたときよりもさらに厳しく,特に酌量すべき情状 のあることが必要とされています。具体的には犯罪の情状が特に軽微で,実刑を課す必要が乏しく,かつ,更生の見込みが大きいことが必要とされています。
認められるかは具体的な事案によりけりですが,考慮すべき事情としては,犯行態様の悪質性,結果の重大性といった犯罪事実に関する情状(犯情)を基本に しつつ,被告人の属性・環境・再犯のおそれ,犯罪後の事情(示談など)を加味して決せられることとされています。
例えば,被害店舗に対する示談結果が考慮されることとなります。さらに,あなたの奥さんは本件のようなことを繰り返してしまう窃盗症(いわゆるクレプト マニア)である可能性があるとのことですが,この点についての治療行為が再度の執行猶予を付ける有利な事情にならないかが検討課題となります。具体的には,2 以下で検討していきます。
(3)なお,再度の執行猶予がつけられない場合であっても,近時施行された一部執行猶予制度の活用も考えられます(刑法27条の2)。
「前に禁錮以上の刑に処せられたことがあっても、その刑の全部の執行を猶予された者」については,「犯情の軽重及び犯人の境遇その他の情状を考慮して、 再び犯罪をすることを防ぐために必要であり、かつ、相当であると認められるとき」には,一年以上五年以下の期間,その刑の一部の執行を猶予することができると されています。
本制度によれば,実刑判決となった場合であっても,一部について服役し,残部については執行猶予とすることができ,早期の社会復帰が可能です。再度の執行 猶予の要件よりは緩和されており,より柔軟な主張が可能と考えられますが,弁護人を通じて裁判所に対して積極的に適用を求めていくことが必要でしょう。
2 クレプトマニア(窃盗症)と責任能力,再度の執行猶予の関係
(1)クレプトマニアの判断基準
次に,再度の執行猶予を求めるにあたって,あなたの妻がいわゆる窃盗症(クレプトマニア)であることが「情状に特に酌量すべき」事情に該当しないかを検 討していきます。
クレプトマニア(窃盗症)とは,物を盗みたいという衝動・欲求を制御できず,コントロールできなくなる病気のことをいいます。
その判断としては,アメリカの精神疾患の診断基準「DSM-Ⅳ-TR(2000年)」をもとに判断されることが通常です。
A 個人的に用いるのでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される。
B 窃盗におよぶ直前の緊張の高まり。
C 窃盗を犯すときの快感、満足、または解放感。
D 盗みは怒りまたは報復を表現するためのものでもなく、妄想または幻覚に反応したものでもない
E 盗みは、行為障害、躁病エピソード、または反社会性人格障害ではうまく説明されない。
といった5つの考慮要素により判断されます。ただ,上記基準はあくまで考慮要素ですので,具体的なクレプトマニアの認定については,その専門的判断が可能 な医師の診断が必要不可決になります。この診断は,身体拘束がされている中では中々に困難といえるため,何とか保釈を認めてもらう必要があります。
(2)クレプトマニアと責任能力
このクレプトマニアに罹患していることにより,およそ行動の制御ができないような場合には,そもそも責任能力がないとされる場合もあります。ただし,一 般的日常生活が可能な状態であれば,責任能力まで否定されるケースは非常に稀でしょう。いずれにせよ,医師による判断が重要な指標となります。
この点,クレプトマニアと責任能力に関して,行橋簡易裁判所平成27年7月7日判決は,窃盗の被告人がクレプトマニアであることは医師の複数の診断から 認定できるとしているものの,被告人が日常生活を送れていること,また,万引きという犯行態様からして「商品獲得という万引きの目的実現に向けた合理的な行 動」をとれているとして,「被告人が摂食障害及び窃盗癖の精神障害に罹患していたとしても,それが被告人の本件犯行時の衝動制御能力に及ぼす障害,そして行動 制御能力 に及ぼす影響は軽微なものであったと認められるのであって,被告人の刑事責任を大幅に軽減しなければならないような行動制御能力の低下があったとまでは認められない」とし て,責任能力自体は肯定しています。
ただ,クレプトマニアにより行動の制御がおよそ困難である,と医師が診断したような場合には,責任能力自体を弁護人としては争うべきでしょう。
(3)クレプトマニア診断のための保釈の必要性
上記のとおり,クレプトマニアに関する専門的診断・治療を行える医師の協力が必要不可欠となりますが,それは勾留による身体拘束がされている中では限界 があります。すなわち,診断のため,保釈を認めてもらう必要があるでしょう。裁判所に対しては,クレプトマニアに関する診断および治療の必要性を,弁護人を通 じて説得的に主張・立証し,裁判所に保釈を認めてもらうことが必要不可欠といえます。
ただし,本件では,執行猶予期間中に同種の窃盗罪を行っている関係で,「三 被告人が常習として長期三年以上の懲役又は禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。」(刑事訴訟法89条3号)の権利保釈の除外事由に該当すると判断される可能性が非常 に大きいといえますので,常習性がないこと,治療により常習性は緩和されるなどの主張も行っておくべきです。
ただ,権利保釈が認められない場合であっても,裁判所の職権による保釈(裁量保釈)を認めてもらうことは可能であり(刑事訴訟法90条),実務上はむし ろ裁量保釈のケースがほとんどであるといえます。
裁量保釈が認められるためには,保釈の必要性及び相当性が必要であり,上記クレプトマニアに関する治療内容(具体的な病院の選定などをしており,治療計 画を明確に示す)を裁判所に詳細にアピールする必要があります。
また,保釈の必要性・相当性を支える事情として,被害店舗との示談交渉が成立しておりこれ以上の証拠隠滅の可能性は一切ないこと,同居している家族が被 告人の身元を引き受け治療に最大限協力をしていくこと,などの事情を裁判所に詳細に主張する必要があります。
(4)クレプトマニアと再度の執行猶予
次に,クレプトマニアと再度の執行猶予の要件への影響について検討していきます。この点については,上述の行橋簡易裁判所平成27年7月7日判決は,ク レプトマニア(窃盗癖)であると被告人を認定した上で,その治療経過を踏まえ,再度の執行猶予を付ける判断をしています。具体的な理由としては,以下の通りで す。
「被告人は,前記のとおり,本件犯行時,被告人は摂食障害及び窃盗癖に罹患しており,その精神症状によって衝動制御の障害による影響が窺われるところ,前回の 裁判の際は,被告人が前記精神障害の可能性があるとは考えていなかったため,再犯防止の為の有効な手 立てが講じられなかったが,本件発覚後は被告人の妹が被告人に専門家の診察を受けさせたり,入院手続を予約したりするなど,協力して再犯防止に取り組んで いること,被告人は,本件犯行を素直に認め,本件を契機として精神疾患治療の必要性を自覚し,専門的治療に専念する旨誓っており,今後も前記のとおり,6か月間の入院治療 が予定されているとともに,保釈後は自助グループでのミーティングに参加するなど,再発防止に向けて真摯に取り組んでおり,更生への強い意欲が認められるこ と,被告人の妹が被告人の前記受診等に協力してきたものであるが,今後も被告人の治療に協力していく旨述べて一層の監督を誓っているほか,被告人の夫も被告人 の治療に協力していく旨誓っており、家族の更生への支援が期待できる状況にあることなど,前回の裁判時と比較すると,再犯防止のための環境や監護体制が整った ということができる」
すなわち,この事案では被告人は保釈がなされた後,クレプトマニアの診療を行ってくれる医師のもとで,クレプトマニアと診断され6カ月の治療が必要である と診断がなされた上,家族の協力の下で入院治療を行うこと,さらには自助グループへの参加を通じて更生への強い意欲を持っていることなどが考慮されました。
そのうえで,同裁判例は「被告人のために酌むことのできる事情を特に考慮するならば,被告人に対しては,直ちに服役させるよりは,刑の執行を猶予し,保 護観察のもと,社会内で更生する最後の機会を与えるのが相当」と結論付け,再度の執行猶予を認めています。
(5)具体的な弁護活動
ア このように,クレプトマニアと診断された場合には,専門的な医師の協力のもとで入通院治療を行うこととなり,その点は裁判所においても再度の執行猶予に おける「情状に特に酌量すべきもの」の認定に大きな影響を与えることになります。
ただ,上記裁判例も認定しているとおり,クレプトマニアの認定・入通院治療においては専門的治療機関の協力,その大前提として家族の協力が必要不可欠 となります。そして,再度の執行猶予は極めて例外的な手続であることから,弁護人を通じて裁判所を説得できるだけの十分な主張を行う必要があります。
逮捕勾留中に起訴された場合は、裁判が終わるまで勾留が継続しますから,通院の前提としては,保釈が必要不可欠になります。上記の通り,裁判所も常習 性については非常に気になるところでしょうから,保釈の必要性・相当性に関しては,裁判官面談の上,できうる限りの主張を行うことが必要となります。クレプト マニアである疑いがあると考えられる理由、保釈後に診察治療を受ける専門的病院への予約など通院計画を立てるととともに,家族の身元引受人として十分な資格、 環境を持っていること,等の有利な事実を主張していくことになるでしょう。
イ 保釈を認めてもらった後は,上記専門的病院での診断結果を踏まえ,その診断内容及び保釈中の治療経過を,公判期日において,裁判所に詳細に主張すること になります。治療に対する真摯な取り組みなどの事情を十分に理解してもらえれば,「情状に特に酌量すべきもの」があるとして,再度の執行猶予が付く可能性が出 てくるでしょう。
再度の執行猶予についてご検討の場合には,上記クレプトマニア等に関して専門的経験・知見を有する弁護士に相談されることを強くお勧めします。
以上