【民事、交通事故、高次脳機能障害の等級認定、手続と対策】
質問:
先日,歩行中に車と衝突する事故に遭いました。私は意識を失い,病院に搬送されたようなのですが,記憶はありません。
医師の話によると,搬送時の検査で脳挫傷,くも膜下出血等が認められ,非常に重篤な状態であったようです。その後2週間以上の昏睡状態が続きましたが,奇跡的に意識を取り戻し,普通に歩行できるようになりましたので,退院しました。
退院後,保険会社から示談の申入れがありました。主治医の話では,順調に回復してきてはいるが,脳に血種が残存しており,部位的に取り除けないので,今後何らかの後遺症が発生する可能性も否定できない,しばらくの間は定期的に脳波の検査等をすべきである,とのことでした。
私はこのまま,保険会社の提案にしたがって示談をするしかないのでしょうか。仕事に復帰できるかどうかも未確定な状態で決断するのは怖い気持ちがあります。
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回答:
1 現時点で示談にするのは危険ですので,少なくとも半年程度は様子を見た方が良いでしょう。
負傷部位が頭部であり,脳挫傷,くも膜下出血等が見られたような場合,術後の回復が見られたとしても,将来的に高次脳機能障害等の後遺障害が発現するおそれが一定程度あります。
2 高次脳機能障害とは,主に脳に損傷を負ったことで起こる,様々な神経心理学的障害(記憶障害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害等)をいいます。
高次脳機能障害が交通事故に伴う後遺障害として認識され始めたのは,2000年に入ってからであり,比較的新しい領域の疾患といえます。そのせいか,医学的に明らかとなっていない部分も多く,また損保料率機構から後遺障害として認定されるためのハードルも高いものとされています。
とはいえ,損保料率機構が後遺障害として認定するための独自の判断基準が設定されておりますので,当該基準に該当する場合は後遺障害等級の認定を受けられる可能性が出てきます。該当し得る等級は,その症状の程度に応じて,自賠法施工令上の1級1号,2級1号,3級3号,5級2号,7級4号,9級10号が考えられます。詳細は解説をご参照ください。
3 今後日常生活を送る中で,仮に記憶障害や注意障害等の認知障害,人格の変化等の社会的行動障害等が出てきたと感じられることがあれば,その具体的エピソードを日記等に記しておかれると良いでしょう。その上で,主治医の意見として高次脳機能障害の可能性が否定できないという場合は,損保料率機構による後遺障害等級の認定を受けるための活動を行うことになります。
この点,等級の認定を受けるための手続きとして,保険会社主導で行う事前認定と,被害者側で書類を全て収集して直接請求を行う被害者請求という2通りがございますが,可能な限り有利な内容での請求を行うためには,自身で必要書類を収集する被害者請求の手続きによるべきでしょう。
必要書類の収集ですが,主治医に協力を仰ぎ,後遺障害診断書,頭部外傷後の意識障害についての所見,神経系統の障害に関する医学的意見,MRI等の画像データを入手する必要がございます。また,同居のご家族に日常生活状況報告を記載してもらう必要がございます。
後遺障害の認定にあたり,これらの必要書類の記載内容が非常に重要なポイントとなってきますので,慎重を期すべきでしょう。
4 必要書類の収集が終わり次第,被害者請求により,後遺障害の等級認定を受けることになります。無事に等級が出た場合は,等級に応じた損害額を算定し,任意保険会社等との間で交渉を進めることになります。
認定された等級自体に不服がある場合は,異議申し立ての手続きが用意されております。また,任意保険会社との間で賠償額の交渉が難航した場合は,紛争処理センターによるあっせんまたは訴訟手続きを検討することになります。
高次脳機能障害の等級認定は,専門的な知見が必要となりますので,経験のある弁護士に依頼してしまうのが安心でしょう。
5 交通事故関連事例集1658番、1597番、1489番、1483番、1480番、1225番、1179番、902番、701番、373番、130番等を参照してください。
解説:
第1 交通事故の被害者の救済
1 損害賠償請求の方法
あなたは,横断歩道を歩行中に自動車と接触し,頭部に怪我を負っていますので,運転していた加害者に対して不法行為責任を追及できます(民法709条,710条)。
不法行為に基づく損害賠償請求を行う場合,被害者側で加害者の故意・過失を主張立証しなければなりません。しかし,被害者側において加害者の故意・過失を立証することは容易ではありません。
このような被害者の不利益を回避するために,交通事故に関しては自動車損害賠償補償法(以下「自賠法」といいます。)が制定されました。
自賠法3条は,「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは,これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。」としており,加害者の故意・過失を被害者で立証する必要がないことを規定しています(立証責任の転換により,加害者において故意・過失がなかったことを証明する必要があります。)
運転者は自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)への加入が義務付けられていますので,加害者に自賠法上の責任が認められる場合,自賠責の保険会社に支払を直接請求することも可能です(自賠法16条)。ただし,自賠責の支払基準は,あくまで基本的な保障という性格を持つにとどまり,一般的には金額として十分でないことが多いでしょう。
一方,加害者が任意保険に加入しているような場合には,自賠責保険を超える分の損害についても賠償を求めることが可能です。任意保険会社からの提案は,各保険会社が独自に定めた基準にしたがって算定されることが多いですが,交渉次第では,いわゆる裁判基準(「赤い本」基準)での支払いに応じてもらえる可能性もあります。裁判基準(「赤い本」基準)というのは,日弁連交通事故相談センターが発行している「民事交通事故訴訟・損害賠償算定基準」にしたがった損害賠償算定基準で,東京地方裁判所民事交通部やその他の判例を参考に作成されたものです。任意保険会社の基準よりも有利なことが多いです。
ただし,相手方保険会社(加害者)が,裁判基準(赤い本基準)にしたがって裁判外の示談に応じるかについては,事案及び弁護士の交渉内容によって異なり得るところです。交渉での早期解決を希望する場合には,ある程度の譲歩も必要になると思われます。
仮に裁判外の示談が決裂するような場合には,紛争処理センターを利用して和解案のあっせんを受けるか,訴訟提起を行う必要があります。
2 損害項目について
損害の項目は,症状固定の前後で異なってきます。
症状固定とは,一般的に「これ以上治療を継続しても症状の改善が望めない状態になったとき」をいうものとされます。症状が固定したときに,まだ障害が残っているということであれば,それは「後遺障害」と呼ばれます。
症状固定前に主に認められるのは,治療費や交通費など実際に支出した費用の賠償を求める「積極損害」,負傷の期間内に仕事ができなかったため受けた休業損害,通院や入院に伴って生じた慰謝料などの失われた利益の賠償を求める「消極損害」になります。
一方,症状固定後に主に認められるのは「消極損害」ですが,後遺症に伴って生じた苦痛を慰謝料として請求する後遺障害慰謝料,また,後遺症が生じたことによって将来にわたって収入が減少した損害の賠償を求める逸失利益が大きな損害項目になります。
? 症状固定前の損害
ア 積極損害
治療関係費用,付添費用,雑費,通院交通費等が挙げられます。領収書をしっかりと保管しておく必要がございます。
イ 消極損害
(ア)休業損害
休業損害とは,交通事故によって収入が減少した場合に,休業前の収入との差額を賠償するものです。事故前の収入を基礎として,受傷によって休業したことによる現実の収入減分について,賠償の対象となり得ます。直近の給与明細書,源泉徴収票が主要な証拠になるでしょう。
(イ)入通院慰謝料
入通院慰謝料とは,入通院に伴って受けた精神的苦痛を慰謝料として算定し,損害賠償を認めるものです。
入通院慰謝料の算定においては,入通院期間を基礎として「赤い本」に記載されている別表の基準によることになります。
入通院慰謝料については,特に保険会社の算定基準と金額に差が出るところですので,保険会社との交渉時には特に問題になることが多いです。
? 症状固定後の損害
ア 後遺症慰謝料
後遺症が生じた場合には,後遺障害診断書が医師により作成され,後遺障害の内容に応じて,後遺障害別等級表(自賠法施行令の別表第1及び第2)のいずれかの等級が認定されることになります。
<参考HP>国土交通省HP・後遺障害等級表
http://www.mlit.go.jp/jidosha/anzen/04relief/jibai/payment_pop.html
どの等級に該当するかによって,後遺症慰謝料の金額は大きく変わってくるところです。後遺症の認定については,一般的に「損害保険料率機構」という機関が行うものですが,後遺障害診断書及び画像や診断経過などの一見資料を総合的に考慮し,基本的には書面審理のみによって決定されるものですので,後遺障害診断書の記載内容は非常に重要です。
後遺障害等級を認定してもらうには,自覚症状,他覚所見等について正確に把握するとともに,後遺障害診断書に適切な記載をしてもらうことが必要になります。
イ 後遺症逸失利益
後遺障害により失うことになった,将来得られたはずの利益を「逸失利益」といいます。
逸失利益の算定方法を計算式にすると,以下のようになります。
(計算式)
逸失利益=基礎収入額×労働能力喪失率×労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数
基礎収入の算定は事故前の収入を基礎としますが,現実の収入が賃金センサスを下回る場合には,平均賃金額を得られる蓋然性があれば,賃金センサスによることが許されます。家事従事者の基礎収入は,休業損害と同様に賃金センサスを用います。
労働能力喪失率は,後遺障害別等級表にしたがって判定されます。
労働能力喪失期間は,症状固定日から67歳までとするのが通例です。67歳を超える者については,簡易生命表の平均余命の2分の1を喪失期間とします。
ライプニッツ係数は,労働能力喪失期間に応じて数値が決まっています。
(参考HP)国土交通省HP・ライプニッツ係数
http://www.mlit.go.jp/jidosha/anzen/04relief/resourse/data/syuro.pdf
第2 本件の対応について
1 保険会社からの示談申入れについて
おそらく,あなたに連絡が来ているのは,加害者が加入している任意保険会社だと思われます。任意保険会社のサービスとして,加害者個人に代わって示談の交渉を行う,示談代行サービスというものがありますので,本件の示談申入れもその一環だと思われます。
保険会社との間で示談をする場合,普通は清算条項というものが入り,それ以降,事故起因した損害の賠償を求めることができなくなります。
そのため,示談に応じるのは,全ての損害が確定してからにするのが望ましいといえます。特に,将来的に後遺症が発生する可能性が否定できないという状況下で,簡単に示談に応じてしまうと,将来後遺症が発生した際に認められるであろう,後遺症慰謝料や逸失利益等が請求できないおそれが出てきますので,注意が必要です。
2 本件では,初診時に脳挫傷やくも膜下出血といった頭部外傷が見られ,かつ,意識障害も2週間以上継続したということですので,仮に何らかの記憶障害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害等が発現した場合は,自賠責保険審査会の高次脳機能障害専門部会で審査・認定を受けるべき事案といえます。
したがいまして,少なくとも半年程度は様子を見て,高次脳機能障害の諸症状が発現していないか,経過を観察する必要がございます。
主治医ともよく相談をして対応を決めるべきでしょう。経過観察後,主治医の意見として後遺症が残る可能性は乏しいということであれば,その時点までの損害を算定し,示談交渉を行うことになりますし,仮に高次脳機能障害と診断された場合は,症状固定後に後遺症等級認定を受けた上で,損害の算定を行い,保険会社との交渉を行うことになります。
3 なお、後遺症の有無が確認されるまで時間がかかり、治療費等の支払いが大変で、早く賠償金の支払いを受ける必要があるということであれば、後遺症を除いた損害について示談することは可能です。また、被害者請求として自賠責保険金を請求することも可能です。
第3 高次脳機能障害の認定に向けた活動
1 認定基準について
損保料率機構調査事務所は,審査する必要性のある事案を選別するための基準と実質的な等級認定基準を定めています。
? 損保料率機構自賠責損害調査事務所による判断基準
以下の5条件のうち1つに該当すれば,自賠責保険審査会の高次脳機能障害専門部会で審査・認定を受けるシステムとなっています。
@初診時に頭部外傷の診断があったこと
A頭部外傷後に重い意識障害が6時間以上あったか、軽い意識障害が1週間以上継続していたこと
a半昏睡ないし昏睡で、開眼・応答しない状態(JCSで3桁、GCS8点以下)が少なくとも6時間以上続くこと
b軽度意識障害(JCS1ないし2桁、GCS13ないし14点が少なくとも1週間以上続くこと)
B診断書に、高次脳機能障害、脳挫傷、びまん性軸索損傷等の記載があること
C診断書に、高次脳機能障害を示す典型的な症状の記載がある、知能検査、記憶検査等の神経心理学的検査で異常が明らかとなっていること
D頭部画像上、初診時の脳外傷が明らかで、少なくとも3か月以内に脳室拡大,脳萎縮が確認されたこと
? 自賠法施行令上の認定基準
その上で,自賠責施行令上の等級として,1級1号(神経系統の機能は精神に著しい障害を残し,常に介護を要するもの),2級1号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの),3級3号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの),5級2号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの),7級4号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの),9級10号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に分類されます。
そして,より具体的には,@意思疎通能力,A問題解決能力,B作業負荷に対する持続力・持久力,C社会行動能力の4つの能力を6段階評価でどの程度喪失し,いくつ喪失したか,といった基準で上記等級への当てはめがなされるのが実務上の運用です。
? 後遺症等級認定のための書類準備
高次脳機能障害として上記各等級の認定を受けるにあたっては,後遺障害診断書,頭部外傷後の意識障害についての所見,神経系統の障害に関する医学的意見,MRI等の画像データ等を主治医の協力の下に収集し,併せて同居のご家族に日常生活状況報告という書類を記載してもらう必要がございます。
特に,神経系統の障害に関する医学的意見と日常生活状況報告には,それぞれ能力の喪失の程度を選択する欄があり,等級認定の参考になるものですので,正確に記入する必要がございます。また,日常生活状況報告には具体的なエピソードを記載する欄がございますので,上記認定基準に従い,どの能力がどういった形で喪失しているのかについて詳細に記載する必要がございます。
後遺症等級認定は,原則として書面審査ですので,提出するこれらの書面の内容は非常に重要とお考えください。
等級認定を確実にしたいのであれば,高次脳機能障害について知見のある弁護士に依頼し,主治医との面談等も含め,全て任せてしまうのが安心です。
第3 まとめ
本件では後遺症として高次脳機能障害が発現する可能性が否定できない事案です。早期段階から弁護士に相談し,発生する後遺症の見逃し等がないようにすると共に,高次脳機能障害が疑われる場合は,医師面談,必要書類の収集,保険会社との交渉等の一切を弁護士に任せてしまうことをお勧めいたします。高次脳機能障害は,後遺症等級認定の中でも,難易度の高い部類に位置付けられます。その分野に精通した弁護士を探されると良いでしょう。
以上