【民事、労働法、退職金の支払請求の可否、不支給とされた場合の対策、東京高判平成25年7月18日判決】
質問:私は,20年勤務していた会社を自己都合により退職しました。待遇は,正社員で地位は課長職でした。会社を退職した理由としては,上司との折り合いが合わなかったためです。退職後,私には退職金が支払われませんでした。会社に対して理由を聞いてみましたが,先方によれば営業成績が他の従業員と比べて極めて低いものであり,営業日報を出さないなど会社の指示に反したので,退職金の不支給条項に該当するというのが理由でした。しかし,会社の退職金支給規定には勤続年数に応じて退職金が支払われる旨明記されていますし,上に述べた理由も退職金を支払わないほどの重大な理由になるとも思えません。会社が支払わないという態度は強固ですが,退職金が支払われるにはどうしたらよいでしょうか。弁護士に依頼するなどしたほうが良いでしょうか。
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回答:
1 まずは退職金の請求の前提となる各種証拠(雇用契約書,労働条件通知書,就業規則,退職金支給規定,退職届けなど)の確保が必要です。場合によっては,会社に対して開示を請求することになります。
退職金支給規定や就業規則を確認して,退職金の算定(通常は算定基礎賃金×在籍年数などの客観的基準により算定が可能です)を行います。実際に算定ができた場合には,内容証明郵便などで,こちらの請求内容を詳細に伝えることになります。
2 一方,会社は退職金の不支給事由に該当することを主張する可能性が高いところです。しかし,退職金の賃金後払い的性格や功労褒賞的性格に鑑み,不支給事由に該当する場合は,会社に対して著しく正義に反するような不正行為をした場合に限られると解するのが実務です。今回でも会社の主張する行為が軽微なものであるなどとして不支給事由に該当しないことを詳細に主張しておくことが必要でしょう。場合によっては,上記の内容証明の中で主張しておいた方が良い場合もあります。
3 会社が内容証明などによる請求を踏まえ,対応をしてきた場合には,適切な金額での退職金を支払うよう交渉を行っていくことになります。双方金額に合意ができれば和解をすることになりますが,できない場合には,労働審判や訴訟の手続をとることになります。
早期解決,争点の複雑さ,証拠関係,相手方の対応内容などを踏まえ,いずれの手続きにするかを決めていくことになります。退職金請求に際しては,労働基準法などの専門的知識及び同種事件の経験なども必要になってまいりますので,お困りの場合には労働問題に詳しい弁護士への相談をお勧めします。
4 その他,退職金請求に関する事例集としては,No.1434等を参照してください。その他関連事例集として1451番、1441番、1380番、1369番、1359番、1356番、1133番、1062番、925番、915番、842番、786番、763番、762番、743番、721番、657番、642番、458番、365番、73番、5番、労働審判手続きは995番、他書式集参照。
解説:
第1 退職金の内容,不支給事由
1 退職金とは
(1)退職金の定義,性質
今回,会社が退職金の支払を拒否しているということですので,退職金の概要について検討した後,具体的な請求のために必要な事情,交渉の方法について検討していきます。
退職金とは,雇用契約が終了した際に労働者に対して支給される一時金のことをいいます。
退職金が,労働協約,就業規則,労働契約などで支給することが明言され,支給基準が定められている場合は,会社に具体的金額での支払義務があると判断され,その場合の退職金は「賃金」と認められ,労働基準法などの各種労働法の保護を受けられることとなります。しかし、退職金の支給、あるいは支給基準が会社の裁量に委ねられている場合には,退職金は単なる恩恵的給付であり,労働基準法の「賃金」(労働の対価)には該当しません。
(2)退職金の支給根拠
多くの企業において,退職金は,その就業規則ないし退職金規程が作成され,それに基づいて支給されていることが多いところです。
退職金に関する定めを就業規則によって定める場合には,「三の二 退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項」を定めなければならないとされています(労働基準法89条)。
具体的な退職金の支払については,算定基礎賃金に,勤続年数別の支給率を算定されることが多く,このように明確に定めがある場合には,退職金は労働の対価,すなわち賃金の後払い的性格を有するとされます。ただし,懲戒事由など一定の事由がある場合には,退職金の一部不支給ないし全額の不支給が認められることも多く,賃金的性格の他に,功労褒賞的性格(会社に長年貢献してきたことに対する褒賞の意味)も有しているとされています。
このように,退職金は明確に就業規則等に定めがある場合には,労働基準法における賃金と同様の性格を持ちます。この賃金の後払い的要素を持つことは,退職金が賃金とすれば、賃金の支払いと同様の法的な保護を受けることになり退職金不支給について制限的な方向での意味を持つこととなります。いったん明確に定められた賃金は,会社が一方的に減額することは,労働基準法上,就業規則の変更(減額な要件があります)となり,労働者の個別の同意がなければできないことになります。
なお,退職金債権は,退職金支給事由発生後(退職時)から,5年で時効消滅するので注意が必要です(労働基準法115条)。
3 退職金の請求に必要な事実,不支給事由
(1)退職金請求権の発生
次に,退職金の具体的な請求権が発生するための要件をみていきます。
退職金請求権が発生するための請求原因事実(主張すべき事実)としては,以下の通りとなります。必要となる証拠についても,述べていきます。
ア 雇用契約の成立
退職金は,賃金の後払いないしこれまでの在職期間に対する功労褒賞を意味するものであり,当然に雇用契約が成立していることの立証が必要となります。雇用契約書,労働条件通知書といった,雇用契約を基礎づける重要な証拠の確保・保管・取得が必要になります。
イ 退職金支払の定めがあること
上に述べた通り,退職金請求権は,会社において明確に定めがある場合に限り発生することとなります。
就業規則,労働契約,労働協約等に支給に関する定めがあるかをまず確認し,ない場合には会社において退職金支払いの慣行・あるいは個々の同意があることが必要です。基準に関する定めに関する証拠(就業規則,雇用契約書,労働協約など)については,しっかり確保しておく必要があるでしょう。
ウ 退職金算定の基準に関する定めがあること
退職金請求権が具体的に発生しているといえるためには,上記退職金支払の定めにおいて,具体的に退職金の算定が可能であることが必要です。多くの企業の場合,退職金支払いの定めがある場合,算定基礎賃金×在籍年数といった支払基準が定められていることが通常です。算定が可能かどうかについては,就業規則などの証拠をよく確認することが必要です。
エ 労働者が退職したこと
退職金は,従業員(労働者)が退職したことを前提に発生するものですので,退職した事実については,こちらで立証する必要があります。自主退職であれば,退職届または退職合意書,解雇であれば解雇理由通知書等を確保しておくことが必要です。なお,退職金請求に当たっては,退職原因は特に問わないものとされています(もっとも懲戒解雇の場合,後述の不支給事由に該当すると会社で判断される可能性が高いところです)。
オ 退職金算定の根拠となる事実があること
上記ウの退職金支払基準に,請求者自身が該当していることが必要です。在籍年数などを立証することになりますが,通常は上にあげた証拠(雇用契約書,就業規則,退職届)などで,立証ができるものと考えられます。
(2)退職金請求に対する不支給事由の抗弁
これに対する会社の抗弁(退職金請求を拒否することが可能)としては,以下のものが考えられます。
ア 退職金の不支給・減額事由に該当すること
本件でも会社は,営業成績が低いことや業務日報を提出しないことを理由に退職金の不支給を主張しており,この事実を主張しているものと考えられます。
退職金支給規定や就業規則において,退職金の支払を認め,また支給基準が明確に定まっている場合であっても,一定の不支給・減額事由に該当する場合には,退職金を減額ないし支払わないとする規定(不支給条項)を設けていることが多いです。
具体的な不支給の事由については,各会社の就業規則などの定めによるところが多いですが,懲戒処分に該当するような事由(会社に対する不正行為)を行ったような場合に,不支給事由に該当すると判断する例が多いです。
本件でも,一定の懲戒処分に相当する事由があるものとして不支給事由に該当するというのが会社の判断になりますが,会社の自由な判断で不支給事由に該当すると解してよいのかが問題となります。
退職金については,賃金の後払い的性格を有することから一度定められた賃金については,労働基準法上一方的に変更することは原則としてできないのであり,退職金の不支給事由についても制限的に解するべきとの解釈が一般的です。また,退職金は,長年会社に貢献してきたことへの功労褒賞的性格を有するものであり,これを覆すほどの会社への不正行為を働いた場合に限る,というのも実務上の一般的な考え方です。
退職金の不支給事由該当性については,様々な裁判例において争われているところですが,直近の判例においても,退職金が不支給・減額されるのは,「労働者の永年勤続の功労を抹消してしまうほどの著しく信義に反する行為があったとき」に限定すべきとされています(東京高判平成25年7月18日判決)。
ここで,どのような事情を考慮して「著しく信義に反する行為」があったのかを判断するのかも問題となりますが,概ね(1)当該行為の内容・程度,(2)使用者に及ぼした影響や損害の程度,(3)過去に同種の行為があった場合の退職金支給の有無・減額の程度との比較,(4)当該労働者の過去の実績といった事情を総合的に考慮して決することになります。
本件において問題となるのは,営業成績が悪いこと,業務日報を提出しなかったという点ですが,一般的に営業成績が悪いことは懲戒解雇に相当するような事由ではありませんし,業務日報を提出しないことも単なる手続を経なかったことに過ぎませんので,会社に対する不正行為の程度としては軽微なものに過ぎません。また,取引先などに損害を及ぼしているわけでもないので,会社の損害の程度としても大きいものではありません。これまでに懲戒処分歴がないような場合には,退職金不支給や減額の事由には該当しないというべきでしょう。
したがって,本件でも,原則に従い,就業規則や退職金支給規定の算定根拠に従って算定した退職金の請求が可能といえるでしょう。
第2 具体的な退職金の請求方法
1 裁判外の交渉
以上述べた通り,本件では、退職金の支払いに関する規定がある限り一定の退職金の請求が可能といえます。では,次に退職金の具体的請求方法について検討していきます。
まずは,法的手続きを介さない任意の交渉が考えられます。会社が誠意ある対応をみせる場合には,もっとも早期に問題を解決できます。
請求の前提として,こちらの退職金請求の根拠となる証拠をしっかりと確保しておくことが必要でしょう。上に述べたとおり,まずは雇用契約を基礎づける証拠(雇用契約書,労働条件通知書),退職金の支給の根拠となる証拠(就業規則,退職金支給規定),退職の事実そのものを基礎づける証拠(退職届,解雇理由通知書)が必要でしょう。仮に,一部確保できなかった場合には,会社に開示を求めていくことになります。
次に,具体的な請求を行います。まずは退職金の算定(就業規則などの算定基準に従った具体的金額の算定)の上,内容証明郵便などの方法で会社に自身の主張をしっかりと伝えることになります。また,不支給事由に該当することは会社に主張立証責任があるのですが,事前に会社が争っている場合には,先行して不支給事由に該当しないことをしっかりと主張しておくと,交渉が有利に進めることが可能です。
もっとも,交渉の仕方については,会社の対応や落としどころなど諸般の事情を踏まえて行っていく必要があり,専門的な労働法の知識・経験も必要になります。訴訟外の交渉とはいっても,代理人弁護士を立てて交渉に臨んだ方が経済的利益及び早期解決の観点からも有益な場合が多いところですので,弁護士への相談を強くお勧めします。
仮に,会社が内容証明に対して対応してきた場合には,支払額に関する交渉を行い,了解できる金額提示であれば,そのまま和解(示談)による解決で支払いを受けることが可能です。
2 労働審判
交渉において反応がない場合や,納得できる範囲の金額提示出ない場合には,法的手続をとることになります。
もし,早期解決を優先するのであれば,法的手続のうち,労働審判を選択する方が良いと思われます。
労働審判とは,労働関係に関する事項について,個々の労働者と使用者との間で生じた民事に関する紛争について,労働審判委員会が調停または審判をする手続きになります(労働審判法参照)。申立てから最終的な判断が出るまでの平均的な期間は2か月半程度です。
労働関係に関する事項については,賃金の後払い的性格を有する退職金の支払請求事件もここに該当します。
ただ,労働審判に適さない場合もあります。例えば,争点が多く短期間で終了しないような場合や,会社に早期解決の意欲がない場合には訴訟に移行することがあるので,逆に訴訟より時間がかかることもあります。裁判所が出した審判に対して異議が出されれば,申し立て時にさかのぼって訴えの提起があったものとみなされるためです。
どのような場合に労働審判を申し立てたほうが良いかについては,就業規則等で退職金支給の根拠が明らかな場合,不支給事由に該当しないことが明らかな場合が挙げられます。
そして,労働審判の手続きですが,3回以内の期日において審理を終結しなければならないとされており(労働審判法15条2項),1回目の期日において,争点整理・証拠調べ・調停が行われることとなります。
注意が必要なのは,労働審判は第1回の期日で争点整理や証拠調べが終了することとなるため,この期日までの準備が極めて重要になることです。したがって,提出できる証拠については全て提出し,申立書においても請求原因にとどまらず不支給事由に該当しないことを詳細に記載しておく必要があります。
このように,労働審判は,実際には代理に弁護士を選任して申立てをすることが必須の手続といえますので,申立を検討される場合には弁護士に相談したほうが良いでしょう。
3 訴訟
仮に労働審判を選択しない場合,地方裁判所などに訴訟を提起することになります。時間は比較的かかってしまいますが(6月〜1年程度),裁判所の終局的判断を仰ぐことが可能な手続きです。適切な訴状および証拠をそろえて裁判所に提出し,相手方の反論を踏まえながら,裁判所の判決を求めていくことになります。もっとも,判決の前に和解の話になることが多く,かなりの数の労働訴訟が,和解により終結しています。
いずれにせよ,退職金請求においては,労働基準法その他関連法規に関する専門的知識,経験が必要になりますので,弁護士に一度相談されることをお勧めします。
<参照条文>
労働基準法
第九章 就業規則
(作成及び届出の義務)
第八十九条 常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
一 始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
二 賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
三 退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
三の二 退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
四 臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
五 労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
六 安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
七 職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
八 災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
九 表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
十 前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項
(時効)
第百十五条 この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は二年間、この法律の規定による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては、時効によつて消滅する。