年金振り込み口座に対する差し押さえ
民事|差押え債権の拡張|民執法153条1項|東京高決平成22年6月22日
目次
質問:
質問:私は,現在,年金と生活保護を受給しながら生活をしています。この間,裁判所から債権差押えなどの記載がある通知が家に来ました。どうやら私の預金が差押えられてしまったみたいです。差し押さえられた預金は,私が受給している年金を預けていたものです。年金がないと生活が成り立たなくなります。この差押えはなんとか外すことはできないでしょうか。
回答:
1 民事執行法には,差押禁止債権の範囲の変更の申立てを行うことができるとの規定が置かれています。預金の原資の全てが年金で、生活費に使われる金員であることが証明できれば,差押禁止債権の範囲が拡張される可能性は高いでしょう。
2 年金が差押えられてしまったということですが,まず,年金の受給権そのものは差押えが禁止されているので,年金そのものは差押えがされることはなく,受け取ることができます。しかし,年金の受領方法が銀行口座などに振り込まれる場合は,振り込まれた年金は,振り込みされた直後から,年金の受給権から預金債権というものになります。そして,預金債権は,差押えが禁止されていない財産にあたりますので,差押えの対象になってしまいます。
3 しかし,民事執行法には,差押禁止債権の範囲の変更の申立てを行うことができるとの規定が置かれています。そして,預金の原資の全てが年金ということであれば,差押禁止債権の範囲が拡張される可能性は高いでしょう。差押禁止債権の範囲の変更の判断の際には,債務者や債権者の生活状況などの事情が考慮されます。裁判例を見ますと,年金を原資とする預金が生活費として使用されており,今回の差押えの対象となった部分も生活費として使用する予定であったことが証明できた場合には,申立てが認容されていることが多いです。申立てが認容されると,差押命令の全部又は一部が取り消されますので,取り消された部分の預金は,今までどおり引き出すことができるようになります。
なお,差押命令が送達されてから1週間を経過すると,取り立てられてしまう危険があるため,差押えの取消しを行う場合には,すぐに申立てを行う必要があります。この申立があると裁判所は第三債務者に対して、差し押さえられた債権の支払の禁止を命じることが出来ますので、裁判所の判断が出るまで、支払いはできないことになります(民執法153条1項)。申立ての際には,預金の原資の全てあるいはほとんどが年金であること,その預金は生活費に使用する予定であり,差押命令により,生活に著しい支障が生ずることなどを主張,立証することになります。それらの事情が立証できれば,申立てが認容され,差押命令の全部又は一部を取り消してもらうことができます。
4 差押禁止債権に関する関連事例集参照。
解説:
第1 債権差押えと差押え禁止債権について
1 債権差押えの内容について
債権差押えとは,民事執行法(以下「民執法」といいます。)に規定されている強制執行の一つで,債務者の財産のうち,債権を執行の対象として回収を図るというものです(民執法143条から166条)。債権差押えの執行の手続の内容としては,裁判所が債務者と第三債務者(債務者の有している債権の債務者のことをいいます。)に差押命令というものを発令し,その旨の文書を送達します(民執法145条3項)。差押え命令が第三債務者に送達されると,第三債務者は,第三債務者から見れば債権者である債務者に弁済をすることができなくなります。また,債務者も,第三債務者に債権の取立をしたり,債権を譲渡するなどの処分をすることができなくなります(民執法145条1項)。
そして,差押命令が送達されて日から1週間を経過すると,債権者は,第三債務者に,債務者が有していた債権を自ら取立に行き,回収を図ることができます(155条1項)
2 差押え禁止債権について
債権者は,自らの債権の回収を図るため,債務者の財産をできるだけ多く金銭に替えようとします。それ自体は,当然のことですが,あまりにも多くの財産が差し押さえられてしまうと,今度は債務者が生活できなくなってしまいます。そこで,民執法は,債務者の生活に最低限必要の範囲に関しては,差押えを禁止しています(債権につき民執法152条,動産につき同法131条参照)。民執法では,債権に関しては,同法152条で給料の4分の3までは差押えを禁止しています(同条に例外も規定されていますが)。
3 その他の法律による差押えの禁止について
民執法には,差押え禁止債権として,給料やそれに準ずる債権しか挙げられていませんが,他の法律にも差押えを禁ずる規定があることがあります。
例えば,生活保護を受給して生活している者は,生活保護法による受給がなければ生活ができませんので,生活保護費などを差し押さえられたら大変なことになってしまいます。ですので,生活保護法には,被保護者がすでに受給した保護金品(動産)や,今後受給する権利(債権)は,差し押さえることができないとする規定があります(生活保護法58条)。
また,年金生活者が,年金を差し押さえられると,やはり生活ができなくなってしまう可能性が高いため,年金の給付を受ける権利(債権)は差し押さえることができないとの規定があります(国民年金法24条,厚生年金保険法41条1項)。
第2 差押え禁止債権の範囲の変更について
1 問題の所在
年金を例にとりますと,上記のとおり,年金を受ける権利を差し押さえることはできません。したがって,年金受給権が差し押さえられ,第三者である債権者が,勝手に年金の支払いを受けて,年金を持って行ってしまうということもありません。
しかし,現在の年金の支払いは,受給者の預金口座に振り込まれる形で支払われていますが,年金が預金口座に振り込まれてしまうと,以後は預金債権という形で存在することとなります。そして,預金債権に関して は,差押えが禁止されていませんので,振り込まれた金銭が年金であったとしても,差押えの対象となってしまうのです。裁判例も「年金がいったん受給者の預金口座に振り込まれた場合には、年金は預金債権に転化し、差押禁止債権としての属性を承継しないから、当該預金債権の全額を差し押さえることができると解される」と判事したものがあります(東京高決平成22年6月29日)。もっとも,実際は年金であるのに差し押さえられて,その金銭が使用できなくなってしまうと,受給者にとって非常に不都合な状態となることが多いといえます。そこで,このような場合に,差押えが禁止される範囲を変更したほうがよいのではないかという問題意識が生じます。
2 差押え禁止の範囲の変更について
民執法は,差押えが禁止される債権の範囲を,形式的,画一的な基準により定めているので,その基準のまま禁止の範囲を決めてしまうと不都合が生じることがでてきます。そのような場合のために,民執法は,差押え禁止の範囲の変更という制度を定めています(民執法153条)。
差押え禁止債権の範囲の変更は,差押え命令を発令した裁判所(執行裁判所といいます。)に,変更の申立てを行います。そして,裁判所が,範囲を変更することが相当であると判断をすれば,差押え命令の全部もしくは一部を取り消します(民執法153条1項)。裁判所は「債務者及び債権者の生活の状況その他の事情を考慮し」て判断するものとされ(同項),判断の際には債務者を審尋することも多いです(民執法5条)。なお,差押え命令が送達されてから1週間を経過すると,債権者が第三債務者に取立てを行うことができますので(民執法155条1項),できる限り早く申立てを行う必要があります。
3 範囲変更の要件など
「債務者の生活状況」については,現在の一般的な生活水準に比較して,債務者が差押えによって著しい支障を生じない程度の生活水準を確保し得るか否かが基準になると考えられているようです。一方,「債権者の生活状況」としては,債権者の生活又は営業の状態,他の収入及び資産,請求債権額等が問題となり,これらを比較考量して,範囲変更の必要性の有無及び程度が決定されると考えられています。
また,民執法153条1項は,「その他の事情」も考慮要素としていますが,多くの場合は,「債権者又は債務者の生活状況」に関する事情に還元されると考えられます。裁判例も,差押禁止債権の範囲の拡張の申立ての際には,主に「債務者の生活状況」を考慮して判断しています。
第3 参考裁判例
1 東京高決平成22年6月22日 肯定
厚生年金を原資として振り込まれた預金債権が差押えられたとして,差押え命令の取消しを求めたところ,原資のすべてが年金によるものと認めることはできないとして申立てが棄却されたので,申立人が抗告をした事案です。
原審(東京地決平成22年4月23日)では,本件差押命令が送達された当時,預金口座には11万7830円の預金が存在したこと,10万円の入金が2回あったこと,差し押さえられた預金債権の口座には,従前から各種年金や税金の還付金が振り込まれていたこと,生活費の支払いが継続的にされていたことが認定されました。しかし,申立人の他の年金が振り込まれていた口座から10万円が引き出され,同日,現金10万円を本件口座に振り込んだものであるとの事実が認定されたものの,振り込まれた10万円が全額年金であると認めるには疑問が残るとし,差押の対象となった預金債権の原資のすべてが年金によるものとは認められないと判断しました。そして,申立てには理由がないとして,申立てを棄却しています。
抗告審では,原審と異なり,入金された10万円は,年金を預け替えしたものであると認定しました。これらの事実関係から,本件口座の入金は「預金利息を除いては、いずれも年金の入金か、他口座で受け取った年金の預け替えによるものであり、これから上記生活費の支払にあてられた後の本件差押命令がされた平成22年3月5日の残高11万7830円は、年金を原資とするものと認めるのが相当であり(上記預金利息16円についても、本件口座が年金受取口座であることに照らして、年金を原資とするものと認めるのが相当である。)、この預金残高も、すべて抗告人の生活費の支払にあてられることが予定されていたものと認められる」と認定し,差押え禁止債権の範囲の変更を認め,差押え命令を取り消すこととする旨の決定をしました。
2 札幌高決昭和60年1月21日 肯定
給料債権に対して差押え命令がなされ(給料債権の4分の3を控除した残額),その一部取消しを申し立てた事案で,原審(札幌地決昭和59年11月6日)が一部取消しを認めたことから,債権者が抗告をした事案です。
抗告審では,申立人の給料総額は,1か月平均13万8200円,実収入が1か月約9万3900円,昭和59年の賞与が合計約23万4000円であることから,申立人が自由に使用し得る収入は1か月平均約11万3400円程度であることが認定されました。また,年金を受給していたものの,他の借金の返済に充てるため,自由に使用することはできないこと,申立人は配偶者を扶養しており,配偶者は病気のため収入がないこと,申立人夫婦の生活費は,毎月約9万9800円であることなどの事実も認定されている。
これらの事実関係から,裁判所は,給料債権の差押命令は,4分の1にあたる金2万8350円が対象となっているが,収入の剰余部分と考えられるのは,収入から生活費を控除した金1万3600円であるとし,金1万円を超える部分の差押え命令を取り消すとの原審の判断は相当であると示しました。
3 東京高決平成22年6月29日 消極
本件は,年金を原資とする預金債権24万0547円のうち12万3954円に対して,差押命令がなされたところ,差押命令の取消しを申し立てたが棄却されたため,抗告をした事案です。
この事案の原審(東京地決平成22年4月23日)では,24万0547円のうち,12万3954円は年金が原資になっていると認めることができるとした。しかし,差押命令が第三債務者に送達される約2週間前に,申立人が100万円を引き出しており,全てを生活費に使用したとは認められず,生活維持のために十分な資産を有しているものと考えられるとも認定した。そして,申立人の収入が年金のみであることを考慮しても,本件差押えによって,申立人の生活に著しい支障が生じるとまで認められず,差押禁止債権の範囲変更を認める必要性はないと判断しました。
抗告審も「民事執行法153条1項に基づき差押禁止債権の範囲の変更の申立てがされたときは、年金給付受給権の差押えが禁止された趣旨が債務者の生計を維持しその生活の保障を確保することにあることに配慮し、当該預金の原資が年金給付であることが認められれば、生計を維持する財産や手段があることなどその取消しを不当とする特段の事情のない限り、当該預金債権に対する差押命令は取り消されるべきであると解するのが相当である」「特段の事情の有無の判断に当たっては、当該預金の形成過程や使用の状況その他差押禁止債権の範囲を変更することを必要とする債務者及び債権者の生活の状況等の事情を考慮する必要がある」との一般論を示した上で,原審の判断は相当であるとして,抗告を棄却しました。
以上