第一種市街地再開発事業における借家人の保護
都市再開発|組合設立認可前と認可後において借家人が取り得る手段|地区外転出者等への補償(法91条)と通損補償(法97条)の具体的内容|地区外転出の場合の賃借権の評価(法91条1項)に関する問題点
目次
質問
私が代表取締役を務める会社は,第1種市街地再開発区域内に存在するビルの1フロアを借りて,クラブ(ディスコ)を運営しています。再開発に伴い,当該ビルからの立ち退きを求められています。
当社としては,再建築後の建物内でクラブを運営することを第一に考えていますが,立退き料を受領して近隣の建物に移転することも検討したいと考えています。
今後借家権の買い取り交渉や権利変換といった手続きを進める上で,どのような選択肢があるのか,メリットとデメリットを含めて教えて頂きたいです。また,都市再開発法による補償を受けられる場合,どういった項目について補償されるのかも知りたいです。
回答
1 はじめに
市街地再開発事業によるビルの建て替えの場合、借家人の明け渡しは、①建て替えのために立ち退いて再開発後に再入居する場合(賃貸借契約継続)と、②建て替えのために立ち退いて再入居しない場合(賃貸借契約解除)の2通りの退去方法があります。手続きの進み具合や退去方法によって交渉の相手方、交渉の内容等が異なります。
第1種市街地再開発事業の場合、一般的に5名以上の地権者により設立された市街地再開発組合が施行者となります。そこで、この組合の設立を前提として説明します。
2 明渡交渉の相手方、内容について
組合設立前(準備組合段階)の明渡交渉(賃貸借契約解除)の相手方は、建物の所有者、賃貸人です。
組合設立後の建て替えのための退去(賃貸借契約継続)については、市街地再開発組合が交渉の相手方になります。組合設立後に賃貸借契約を解除する形での退去については、建物所有者、賃貸人が交渉相手となりますが、組合に対して「借家権について権利変換を希望しない旨の申し出」を行う場合の借家権価格の見通しについての交渉については市街地再開発組合が交渉相手となります。
交渉の内容については解説において詳しく説明しますが、組合設立前の段階では通常の建物の明け渡し交渉と同様です。借地借家法に従って、借家人の権利は保護されています。賃貸人側からの退去申し出には当事者双方の事情を考慮した「正当事由」が具備されていることが必要とされています。
組合設立後になると、都市再開発法の権利変換という手続きに従って、強制的に明け渡しを進めることができます。権利変換手続きにおいては、建て替え後のビルの建物について借りることを希望するか、退去するかを借家人が申し出ることになっています。どちらを希望するかは、借家人の意思で決めることができます。組合に対して何も申し出しなければ、建て替え後のビルに再入居することが選択されたことになります。
以上のとおりですから、従前と同様の建物での賃貸の継続を希望する場合は、権利変換手続きにより、建て替え後の建物(現在の賃貸人が取得する建物)に借家権の設定を受けることができます。
どの段階で立退きを合意するかはケースバイケースで、どの段階での立退合意が賃借人に有利かは一概には言えませんが、組合設立前の段階では協議の余地があるのに対し、設立後は交渉の余地は少なくなります。
3 地区外転出等の申し出をした場合の補償内容
第一種市街地再開事業は、再開発事業の都市計画決定があった後で、再開発事業の事業計画案の施行認可手続となり、施行認可に伴って再開発組合設立も認可されて成立します。再開発事業の施行の認可等があると、認可についての公告がされ、公告後30日以内に、借家権の取得を希望しない旨の申し出を組合に対して行うことができます(法71条3項)。
これを、「地区外転出等の申し出」と言います。地区外転出を申し出た借家権者は、権利変換計画において再建築後の建物に借家権の割り当てを受けることができませんが、公告後31日目の評価基準日における、「近傍類似の土地、近傍同種の建築物又は近傍類似の土地若しくは近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額」の補償を受けることができます。
なお,再開発に伴って退去をする権利者(借家人も含む)は都市再開発法97条1項に基づき,移転費や新しいクラブの営業が再開できるまでの間の営業補償等を得ることが出来ます。
4 権利変換により借家権の取得を希望した場合の問題点
同じ場所でクラブ事業を継続することを重要視するのであれば,権利変換を希望するのが安全ですが,権利変換後に再開発ビルの建築を経て営業を再開できるまでの期間(一般に4年以上掛かると言われています)が非常に長く,それまでの補償が十分になされない可能性があります。勿論、退出と再入居で2回の転居が必要となります。
他方で,同じ場所でのクラブ事業に拘らない場合は,借家権相当額の補償を受け,当該資金を基にご自身でテナントビルを探すという選択をした方が合理的な場合もあります。借家権の価額が高額に評価される場合もありますし,新たな入居先さえ見付けてしまえば,仮設営業の必要もなく,スムーズに今後のクラブ事業を進めることもできます。結局のところ,重視する事項によって選択も変わってくるということができるでしょう。
5 91条1項および97条1項の補償内容
都市再開発法91条1項は,地区外転出者を対象に,施行主(再開発組合など)が権利の対価補償金を支払うべきことを定めた規定です。対価の算定基準は法80条1項で「近傍類似の土地、近傍同種の建築物又は近傍類似の土地若しくは近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額」とされていますが、借家権取引のほとんど見られない地域など、事案によりこれがゼロとなってしまう可能性もあります。
97条1項は,再開発に基づく物件の移転により物件の権利者が通常受ける損失につき,施行者が補償すべきことを定めた規定で,「通損補償」と呼ばれています。具体的な補償項目については解説をご参照ください。
6 地区外転出等のリスクと対策
都市再開発法の手続による借家権の地区外転出補償額はゼロとなってしまうリスクがありますが、借家権の権利変換を受ける形を採った上で、賃貸人との任意の交渉により、建物賃貸借を合意解除する方法により、立ち退き料相当額を受領できる可能性もあります。
7 関連事例集
その他の都市再開発に関する事例集は、関連事例集をご覧ください。
解説
第1 第一種市街地再開発事業で借家人が取り得る手段
市街地再開発事業は、都市再開発法に基づいて施工地区内の建物等を一度取り壊して更地とし、新しい道路や公開空き地や公園などの公共施設の整備された施設建築物(再開発ビル)を建築する事業です。
民有市街地の開発には地権者全員の合意が必要となるのが原則的な手続きですが、一部の反対により計画が実行できないという弊害を除いて全員の同意がなくても地権者の権利を変換して都市の再開発を促進するという制度です。
市街地再開発には都市の防災機能を高め住民の安全に資するという公共的効用も期待されており、私的所有権といえども無制限に権利行使することは許されていないのです。
市街地再開発事業には、第一種市街地再開発事業と第二種市街地再開事業があります。ご相談の第一種再開発事業は、権利変換方式ともいわれ、「権利変換手続き」という手続きにより従前の建物や土地の権利者の権利を再開発ビルの建物に関する権利(「権利床」といいます)に原則として等価で変換する事業です。
ちなみに、第二種市街地再開発事業は、公共性及び緊急性の高い再開発事業において、地方公共団体などが主体となって、区域内の権利を施行者が一旦全て取得した上で、地権者に対償として金銭または再開発後の建築施設の一部が与えられる「管理処分手続き」により再開発を行うものです。
第一種市街地再開発事業において借家人が取り得る手段について、組合設立前と後に分けて説明します。
1 組合設立認可前の段階
(1)概要
一般的に第1種市街地再開発事業は、開発区域内の5人以上の地権者が発起人となり、区域内の地権者の3分の2以上の同意を得て、市街地再開発組合を設立申請して進められることになります。
再開発事業の認可前、市街地再開発組合(以下「本組合」と呼びます。)の設立認可前においては,本組合設立の準備をする「準備組合」や、「勉強会」や「協議会」が組織され、再開発手続きの前段階の調査や意思形成などの作業を行います。この段階では、通常の借地借家法の適用を受ける借家権について、ビルの所有者個人との間で借家権買取り交渉を行うことになります。
再開発事業における法的な処理としては、事業の認可決定後からが一般的な建替えの場合と異なる手続きとなると考えておいてよいでしょう。賃貸人との関係では賃借人は借地借家法で保護されていることは、都市再開発法の適用を受けない一般的な建替えの場合と変わりありません。
(2)利点
借家権相当額の補償を受けるという意味では,本組合の認可がされる前にビル所有者との交渉によって借家権を買い取ってもらう方が,本組合認可後に組合から補償金を得るよりも柔軟な交渉がし易いという利点があると考えられます。その理由は以下のとおりです。
本組合認可後における補償金の支払いは,近傍類似の土地,近傍同種の建築物又は近傍類似の土地若しくは近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める「相当な価額」を基準として算定され,権利変換計画に定められることになり(都市再開発法(以下「法」といいます。)73条1項12号,80条1項,91条1項),交渉の余地は少なくなると考えられます。
金額に不服がある場合,施行者に意見書を提出し,採択されなければ各自治体の収用委員会に価額の裁決を申請することができますが,収用委員会の裁定価額も,土地収用法を基準とした判断になります。
収用委員会の裁決に対して更に不服がある場合は,最終的には施行主との間の当事者訴訟を裁判所に提起して,裁判官の判断を仰ぐしかありません。裁判となると,原告として証拠による立証をしなければならないため,手間がかかるのみならず,必要な営業補償の立証ができずに思うような補償金額を得られない可能性もあります。
(3)欠点
組合設立前に、賃貸人=ビル所有者との間で借家権の買取り交渉を行う場合,再開発によって貴社が特別の犠牲を受けたわけではないので,法97条(損失補償)で補償されるような移転料や仮営業所のための費用等を組合(準備組合)から受けることはできません。賃貸人に対して、交渉によって損失補償を請求していくことになります。
また,ビル所有者の資力も現時点で不明なので,当該交渉がどの程度現実的なものなのかについて十分に検討しないと,十分な損失補償を受けられない可能性も否定できません。
なお、組合設立前の借家権の買い取りは、当事者間の任意の交渉ですから、賃貸人側に契約解除の意思がない(再開発後の物件に借家人が再入居しても差し支えないと考えている)場合は、買い取りの話が全くできない可能性もあります。
2 本組合設立認可後の段階
組合が設立された後の段階では、借家人は(1)権利変換手続により新たな賃借権を取得するか、(2)地区外転出等の申し出をして借家権の評価額の補償を受けるかを選択することができます。以下、それぞれ選択した場合の利点と欠点について解説します。
(1)権利変換による新たな賃借権の取得
ア 概要
市街地再開発区域内に借家権を有する者は,後述の借家権の取得を希望しない旨の申し出をしない限り,権利変換によって,現在借りている建物の所有者に将来与えられることとなる施設建築物の一部について,借家権が与えられるよう保護されています(法77条5項)。
貴社についても,権利変換を拒まない限りは,現在借りているビルの借家権が消滅する代わりに,ビル所有者が将来取得するビルの一部について,同等の借家権を取得できることになります。
家賃その他の借家条件については,賃貸人=ビル所有者との間で協議しなければなりません(法102条1項)。協議が成立しないときは,施行者たる組合は,当事者の一方又は双方の申立てにより,家賃の額等につき組合の裁定を受けることができます。この裁定には、学識経験者からなる審査委員の同意や、自治体の市街地再開発審査会の議決を経る必要があり、一定程度の相当性が担保されています。
さらに,新しい建築物にてクラブの音響設備等を設置して営業可能な状態に至るまでの営業補償を,法97条1項に基づき組合に請求できます。具体的な補償内容は第2で後述いたします。
イ 利点
権利変換手続に乗る選択をする一番の利点としては,本件再開発区域内にて引き続きクラブを運営できる点にあると考えます。権利変換手続きに乗らず,立ち退いた上で,別途本件地区にてクラブを運営できそうな場所を探すという選択肢もありますが,良い場所が見つかる保証はありません。
本件地区において今後もクラブ事業を継続していきたいという強いお気持ちがある場合は,権利変換手続きを検討されるのが安全かもしれません。ウ 欠点
権利変換後の建物にクラブを開設して営業を開始するまでの期間は相当長期間にわたることが予想されます。営業開始までに5年以上かかることも十分に想定しなければなりません。そして,その間の仮設クラブ開設費用や営業補償等につき必ずしも十分な補償が受けられるとは言い切れず、交渉が必要になります。
この点で,(2)で述べる借家権価額の補償を受けた方が,仮設営業の間の費用をより多く賄える場合もありえます。
(2)借家権の取得を希望しない旨の申し出(地区外転出等の申し出)
ア 概要
権利変換による借家権取得を希望しない場合は,本組合設立認可の公告から30日以内に施行者である本組合に対して、その旨の申し出をする必要があります(法71条3項)。
当該申し出をした場合,権利変換計画の中で、評価期日(本組合設立認可公告から31日目、法80条1項)における消滅する借家権の価額が定められることになります(法73条1項12号)。実務上、当該価額が「ゼロ」と記載されてしまう場合もあるようです。当該価額に不服がある場合は,前述のとおり,施行者に意見書を提出し,採択されなければ収用委員会に価額の裁決を申請することができます。裁決の内容にも不服がある場合は,裁判所に当事者訴訟(行政処分=収用委員会の裁決により形成された当事者間の法律関係の変更を求める行政訴訟)を提起する他ありません。
また,立ち退きに当たって,移転費や新しいクラブの営業が再開できるまでの間の営業補償等を得ることが出来ます(法97条1項)。この場合の補償内容についても第3で後述いたします。
イ 利点
当該区域の借家権に相当の価値があり、これが継続的に流通しており、譲渡価格の相場も形成されている場合、当該借家権に「近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額」として相当の価額を観念しうる場合には、坪単価次第では借家権が高額に評価され、高額の退出補償金が得られる可能性があります。
ウ 欠点
権利変換により借家権を取得する場合と比較して,同じ地区でクラブを運営できる場所が見付つかる保証はないため,結果的に他の地域に移転せざるを得ないこととなり,ひいては常連客の喪失等にも繋がりかねません。
本件再開発地区におけるクラブ事業の実現を最優先事項と考えるのであれば,この点は重要な判断材料になるでしょうし,反対に,他の代替地域での事業を容認できるのであれば,さしたる欠点とはならないとも考えられるところです。
この点に関しては,本組合の認可前までに,組合との間である程度の交渉をして見通しを立てることが肝要でしょう。
(3)借家権者の保護に関する局長通達・付帯決議と、借地借家法30条強行規定
再開発手続きにおける借家権者の保護については、少し古いものですが昭和51年に建設省の局長通達が通知されており、市街地再開発手続きの運用にあたって各行政担当者が留意すべき事項の中に、借家権者の保護が図られているかどうかというものが含まれています。昭和55年には、都市再開発法の一部を改正する法律案に対する衆参両院建設委員会の付帯決議が採択されています。
また、借地借家法30条では、賃貸借契約書に当事者の合意による特約があっても、法定更新(つまり入居の継続)などについて賃借人に不利益なものは無効になるという強行規定が定められています。賃借人の生活や仕事に重要な契約である建物賃貸借契約の解釈においては、賃借人の保護を十分斟酌することが必要であることを法律が宣言しているのです。都市再開発法の規定で借家権の取り扱いについてどのように定められているとしても、借地借家法30条の制度趣旨を完全に没却することはできません。
第一種市街地再開発事業において、土地建物所有者である地権者は、再開発組合の組合員として事業計画承認決議や権利変換計画承認決議に参加することができますので、権利変換の面積が減少させられたとしても自分たちの決議でその事業計画を選択したと言えますが、借家人はその決議に参加することができません。地権者(組合員)であれば、床面積が不足する場合に、増し床制度(都再法79条の他、多くの組合で任意の増し床申し出制度がある)を活用して、生活やビジネスを継続するための手段を執ることもできますが、借家人には増し床を申し出る権限も与えられておらず、権利変換で床面積が減少させられてしまったら救済する手段や方途がありません。土地収用手続きにおける完全補償説(最高裁判所昭和48年10月18日判決)の趣旨に鑑みても、借家権面積は100パーセント以上が保障されるべきと主張することが必要でしょう。
借家権の再配置の位置や面積や通損補償について理不尽な対応をされているとお考えの場合は、この局長通達や付帯決議や強行規定の趣旨を実現できるよう、代理人弁護士にも相談して対応なさると良いでしょう。
https://www.mlit.go.jp/notice/noticedata/sgml/044/77000142/77000142.html
昭和51年4月1日、建設省都再発第19号、建設省都市局長・住宅局長通知、都道府県知事および指定都市の長あて
4 借家権者の保護について
促進区域の指定、市街地再開発事業に関する都市計画の決定、市街地再開発事業の施行等に当たっては、借家権者はその地区内に居住し、又は営業している者であり、事業の施行により直接的な影響を受けるものであるのでその意向を十分把握し反映させることに努めるとともに、市街地再開発事業の施行区域内に居住する借家権者等で、市街地再開発事業の施行により住宅に困窮することとなる者に対しては再開発住宅の制度(昭和四九年一〇月一日付け建設省住街発第七四号建設事務次官通達「再開発住宅制度について」参照)があるので、その積極的活用を図ること。
また、組合施行の市街地再開発事業については、借家権者は法律上組合員となることはできないが、組合の発起人が事業計画を作成するときは借家権者と協議し、また組合の設立後当該組合が事業計画の変更又は権利変換計画の作成若しくは変更をするときは借家権者の組織する協議会等と協議し、その意見を十分考慮してこれらの計画を定めるよう組合等を指導すること。
昭和55年4月25日、衆議院建設委員会付帯決議抜粋
政府は、本法の施行に当たり、次の事項について適切な措置を講じ、その運用に遺憾なきを期すべきである。
1 都市再開発方針の策定にあたっては、地域住民の意向が十分反映されるよう配慮すること。
2 市街地再開発事業の実施に際しては、借家人、借間人等を含めた関係権利者の生活の安定・向上を図るよう努めることとし、特に転出を余儀なくされる零細な居住者の補償等については特段の配慮を行うこと。
昭和55年5月13日、参議院建設委員会付帯決議抜粋
政府は、本法の施行に当たり、次の諸点について適切な措置を講じ、その運用に遺憾なきを期すべきである。
1 都市再開発方針の策定にあたっては、地域住民の意向を十分配慮すること。また、市街地再開発事業を円滑に推進するため、補助、融資及び税制上の措置について、さらに拡充するよう努めること。
2 市街地再開発事業の実施に際しては、借家人、借間人等を含めた関係権利者の生活の安定を図るよう努めることとし、特に転出を余儀なくされる零細な居住者の補償等については、特段に配慮すること。
借地借家法30条(強行規定)この節の規定に反する特約で建物の賃借人に不利なものは、無効とする。
3 小括
以上、借家人が重視する事情や再開発地域の状況によって、借家人側の対応は変わってきます。ここまで述べたことを下記にまとめたのでご参照ください。
組合設立認可前 | 組合設立認可後 | ||
---|---|---|---|
権利変換を受ける場合 | 地区外転出等の申し出をする場合 | ||
交渉相手 | 建物の所有者、賃貸人 | 再開発組合 | |
手続 |
| 地区外転出等の申し出をしない限り権利変換手続により新たな賃借権を取得することができる | 本組合設立認可の公告から30日以内に本組合に対して地区外転出等の申し出をする必要 |
利点 | 組合認可後に補償金を得るよりも柔軟な交渉が可能 | 建て替え期間は仮店舗営業し、再開発ビル建築後は再入居して従前の地区で引き続き営業を継続することが可能 | 転貸禁止条項の無い借家権で、借家権の流通価格相場を観念し得る地域であれば、法91条1項に基づいて退出補償金を得られる可能性 |
欠点 |
|
|
|
第2 法91条および法97条が定める補償の具体的内容
最後に,法が規定する補償の内容について説明いたします。
1 都市再開発法91条1項の補償
法91条1項は,地区外転出者を対象に,施行主が権利の対価補償金(法80条1項)を支払うべきことを定めた規定です。
法第91条第1項 施行者は、施行地区内の宅地(指定宅地を除く。)若しくはこれに存する建築物又はこれらに関する権利を有する者で、この法律の規定により、権利変換期日において当該権利を失い、かつ、当該権利に対応して、施設建築敷地若しくはその共有持分、施設建築物の一部等又は施設建築物の一部についての借家権を与えられないものに対し、その補償として、権利変換期日までに、第八十条第一項の規定により算定した相当の価額に同項に規定する三十日の期間を経過した日から権利変換計画の認可の公告の日までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額に、当該権利変換計画の認可の公告の日から補償金を支払う日までの期間につき年六パーセントの割合により算定した利息相当額を付してこれを支払わなければならない。この場合において、その修正率は、政令で定める方法によつて算定するものとする。
第80条第1項 第七十三条第一項第三号、第八号、第十六号又は第十七号の価額は、第七十一条第一項又は第四項(同条第五項において読み替えて適用する場合を含む。)の規定による三十日の期間を経過した日における近傍類似の土地、近傍同種の建築物又は近傍類似の土地若しくは近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額とする。
借家権については,当該地域において借家権取引の慣行があって当該借家権に財産的価値(借家権価格)が認められるときに有償で評価されると考えられています。
借家権価格とは、相続税評価基準や、道路収用時の損失補償基準などで用いられる、借家人の経済的利益を算定するための計算により算出される、借家人の有する経済的価値であり、主な計算方法として、「割合方式」、「補償方式」、「差額賃料還元法」の3種類があります。
不動産鑑定士が鑑定評価を行う場合は、それぞれの方式で借家権価格を算出した後で、例えば差額還元7、割合方式1.5、補償方式1.5などの加重平均を行い、鑑定士の評価として金額を出すことが多いようです。
この重み付けは、評価対象地の特性を踏まえて算出されます。(参考判例=銀座のビルの立ち退き事案で8億円の立退き料と引き換えに明け渡しを命じた東京地裁平成3年5月30日判決。)
(1)割合方式
割合方式は、税法上用いられる、相続税財産評価基準における借家人の権利相当額の評価方法を準用して求める計算方法です。実際の計算方法は、相続税財産評価基準通達94番で指定されています。
借家権の価額は、次の算式により計算した価額によって評価する。ただし、この権利が権利金等の名称をもって取引される慣行のない地域にあるものについては、評価しない。
借家権価格=借家権の目的となっている家屋の価格(土地建物合計)×借家権割合×賃借割合」
ここで、 「借家権割合」は、国税局長の定める割合ですが、30パーセント程度が多いようです。不動産鑑定士の鑑定評価では、東京都心の商業地の場合は35パーセントが用いられる場合もあるようです。賃借割合は、建物内の賃借部分の床面積の割合です。
割合方式の算定にあたって、建物賃貸借契約の締結時に賃借権設定の対価として建物価格の数割を超えるような「権利金」を支払っていた場合には、この権利金の価額も借家権評価に考慮される場合もあります。例えば、入居時に、賃料の前払いとしてではなく、賃借権設定の対価として、建物時価の5割相当の権利金を支払って入居したのであれば、少なくとも借家権価格は建物時価の5割を超えるであろうと考えることができるわけです。但し、このような権利金取引は不動産価格の高騰時にみられたもので、近時行われることは珍しいことと言えます。
(2)補償方式
補償方式は、道路用地買収時などに用いられる「公共用地の取得に伴う損失補償基準」の建物移転等に伴う借家人に対する補償額に手法を準用して求められたものです。実際の計算方法は、公共用地の取得に伴う損失補償基準細則第18で指定されています。
借家権価格 = 返還されない権利金補償額(※1)+ 返還される権利金補償額(※2)
(※1)返還されない権利金補償額 = 標準家賃月額 × 補償月数
ここで、標準家賃月額は、新たな建物を賃借する場合の賃料相当額で、事案により2~4割の範囲で面積を増額した建物の賃料で計算することができます。
補償月数は、従前の賃借建物に照応する建物の当該地域における新規賃貸事例において標準的と認められる一時金(権利金、保証金、敷金など)の月数とされています。
(※2)返還される権利金補償額 = (標準家賃月額 × 補償月数 - 権利金返還見込額)× { (1+r)^n - 1 } ÷ (1+r)^n
ここで、rは年利率で、nは従来賃貸契約が継続すべき期間で10年が標準期間です。
要するに、借家契約が中途解約されずに継続していた場合は、標準的な権利金の額から、退去時に戻ってくる権利金の金額を控除した残額を、貸主に預託していることになり、この期間の利息相当額を、預託した対価として賃借人が利益として受けることになるので立ち退きの場合には補償が必要になる、という計算です。
(3)差額賃料還元法
差額賃料還元法は、評価対象建物の経済価値に即応した適正な賃料(正常実質賃料)から実際に支払っている賃料を控除したいわゆる借り得分を、その差額が持続するべき期間の利益を現在価値に還元して求められる計算方法です。
「借り得」というのは、入居時に賃料の前払いとしての性格を有する権利金(償還されない権利金)を一時払いしていた場合や、契約当事者間の過去における特別な経緯(お世話になった事情など)により格別に賃料が優遇され低廉に設定されていた場合などが考えられます。
賃貸物件の経済的価値を同物件に投下された資本と見て、それを一定の期待利回りで運用した場合に得られる運用益に賃貸物件の維持に必要な管理費と公租公課を加えた額を正常実質賃料とします。
借家権価格 = (正常実質賃料(※3)- 支払い年間賃料(現行賃料)) × 持続年数の複利年金現価率(※4)
(※3)正常実質賃料=対象物件価格(土地建物合計)×期待利回り+管理費+公租公課
(※4)複利年金現価率={(1+r)^n-1}÷(r×(1+r)^n)
r=利率、n=期間(年数)
持続年数は、現行賃料のままで借り得を生かして賃借できる期間で、10年程度が用いられることが多いです。
複利年金現価率は、持続年数の利益が現在(立ち退き時)に償還されるので、現在価値に換算するものです。
例えば、利率5パーセントで10年の期間に対応する複利年金現価率は7.72です。
参考のために、複利年金現価率表をこちらで参照下さい。
この計算方法では、借家権設定時の権利金が数式に含まれませんが、実質的に借り得部分には、償却される権利金が含まれていると考えることができますので、具体的事案においては、借家人の権利を不当に害するおそれは無いと解釈されています。
(4)借家権取引慣行の無い地域における借家権価格ゼロのリスク
都市再開発法80条1項の解釈では借家権価格がゼロと評価されてしまうリスクが常に存在します。判例の集積が不十分な分野ですが、一例を御紹介致します。
東京地方裁判所平成27年6月26日判決
・借家権の消滅と91条補償の要否について施行者は,第一種市街地再開発事業の施行地区内の宅地若しくは建築物又はこれらに関する権利を有する者で,法の規定により,権利変換期日において当該権利を失い,かつ,当該権利に対応して,施設建築敷地若しくはその共有持分,施設建築物の一部等又は施設建築物の一部についての借家権が与えられないものに対し,その補償として,失われる宅地若しくは建築物又は権利の価額たる法80条1項所定の「相当の価額」に,所定の修正を加え利息相当額を付して支払わなければならない(法91条1項,80条1項,73条1項12号)。
この91条補償は,施行地区内に有していた権利に対応する権利が第一種市街地再開発事業完了後の施行地区内において与えられずにその権利を失う者に対して,当該権利の消滅の対価として支払われるべき補償であるということができる。
もっとも,法71条は,権利変換を希望しない旨の申出等について定めているところ,上記の申出の内容は,①施行地区内の宅地の所有者及びその宅地について借地権を有する者については,これらの資産の価額に相当する金銭の給付を希望することであり,施行地区内の土地に権原に基づき建築物を所有する者については,建築物の価額に相当する金銭の給付か又は建築物を他に移転するかを希望することであると規定されている(同条1項)のに対し,②施行地区内の建築物につき借家権を有する者については,単に,借家権の取得を希望しないことであると規定され,金銭の給付を希望することがその内容に含まれていない(同条3項)。
上記のとおり,同条の1項と3項とが権利変換を希望しない旨の申出等の内容を書き分けているのは,借家権は,賃貸人の承諾なく第三者へ譲渡し得ないものであり,取引慣行自体が存在しないことが一般であって,客観的な取引価格を認識することが困難であるのが通常であることに基づくものと解される。そうすると,同条3項の規定は,施行地区内の建築物につき借家権を有する者は,借家権の消滅の対価として当然に何らかの金銭の給付を受けられるものではないことを前提にしたものと解することが相当である。
以上によれば,法は,施行地区内の建築物について借家権を有する者が地区外転出の申出をした場合において,法91条1項に定める91条補償が支払われるべき対象者に形式的には当たるとしても,必ず借家権の消滅の対価として法91条に基づき金銭の給付による補償をしなければならないとの立場をとるものではないといわざるを得ない。
東京高等裁判所 平成27年11月19日判決(上記地裁判決の控訴審判決)
控訴人らは,本件建物部分の明渡しは不随意の明渡しであるから,本件借家権の価格の補償の要否を判断するに当たり,客観的な取引価格を問題とすること自体誤りであり,取引価格が存在しない限り借家権価額は0円であるとする原判決の法解釈は立法者意思にも反するものである旨主張する。
しかしながら,原判決は,借家権者が法87条2項により失う借家権の価額は,法80条1項において,所定の評価基準日における近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額と規定されていることから,この文言に従い,施行者が91条補償により補償すべき額は,借家権の取引価格を基礎として算定すべきものであるとしたものである。
また,甲33号証(衆議院建設委員会議事録)によれば,都市再開発法案審議における政府委員の答弁内容は,権利変換を希望しない借家人については,施行者が直接借家権を評価して補償すること,その借家権の評価に当たっては,近傍同種の借家権の取引に権利金授受の慣行があるかどうかといった形によって借家権価額の存在が認められる場合には,取引価格を中心に,賃貸借契約の諸条件を考慮して評価するというものであって(取引価格等の「等」とはこれらの考慮要素を指すものと解される。),近傍同種の借家権取引に照らして借家権価額が認められない消滅借家権についてまで,他の評価方法によって補償を行うことを明らかにしたものとは認め難いから,このような借家権について91条補償をしないことが立法者意思に反するものともいえない。
控訴人らの上記主張は,法91条の文言を離れて独自に解釈するものであり,採用することができない。
つまり、裁判所は、法71条3項の申し出(借家権の取得を希望しない旨の申し出)が、71条1項の申し出(自己の有する宅地、借地権若しくは建築物に代えて金銭の給付を希望する申し出)とは格別に異なる定め方(金銭の給付を希望するとの文言が抜けていること)をしていることと、取引実勢価格の具体的認定を根拠として、借家権の取得を希望しなかった旧借家権者に対する補償額をゼロ円と裁定することも法に反しないと判断していることになります。
実際の再開発手続きにおいて、再開発組合が策定する権利変換計画の中で借家権価格の評価がゼロとされたり、その価額についての収用委員会における裁決がそのままゼロと認められるケースも少なくないと推測されます。
近年、国土交通省や宅建業協会の標準契約書を見ても分かるように、入居時の建物賃貸借契約書で「賃借権譲渡禁止特約」が規定されていることが多いですが、そのような場合は要注意です。賃借権の譲渡が禁止されているということは、賃借権を譲渡するときの価額も観念することができないということになってしまいます。
結局、現在の都市再開発法の条文と裁判所の判例を前提とすれば、「借家権の取得を希望しない旨の申し出」には、補償額がゼロ円となってしまうリスクが存在すると言わざるを得ません。この申し出を検討する場合には、当該借家権の設定された区域において、具体的に借家権の流通価格を見積もりすることができるかどうか、借家権の相場価格が形成されているかどうか、慎重な検討が必要になります。
なお、この地区外転出に伴う「借家権価額」の補償が受けられない場合でも、転居費用や、新しい賃貸住宅との賃料差額などの実損害については、以下に説明する97条1項の損失補償として別途受けることが出来ますので以下の項目を御参照下さい。
2 都市再開発法97条1項の通損補償
(1)損失補償の具体的内容
97条1項は,再開発に基づく物件の移転により物件の権利者が通常受ける損失につき,施行者が補償すべきことを定めた規定です。「通損補償」と呼ばれるもので、土地建物の明け渡しまでに支払われることになっています。
一般的に,通損補償の補償項目としては,以下のものが挙げられるようです。なお,通損補償の具体的内容については,権利変換計画で定められません。施行者が,上記項目に関して基準や細則を策定し,それに基づいて評価・補償が行われるのです。
ア 工作物補償電話・アンテナ・看板・クーラー・冷蔵庫等の取付けや内装に対する補償です。
イ 動産移転料家財・商品等の移転費です。
ウ 移転雑費移転するのに必要な雑費です。
エ 仮住居補償地区内で現に居住する権利者に対し,土地の明渡しに伴い仮住居を必要とする場合の補償です。
オ 地代・家賃減収補償事業の施行により,地代や家賃を得ることができないときの補償です。
カ 営業補償事業の施行に伴い,通常営業を一時休止する必要があると認められるときの補償や,営業規模縮減の際の補償,さらには売上の減少や得意先の喪失等の補償を受けることが可能と考えられています。
(2)本件に関する考察
再開発ビルに入居するまでの間,仮設施設での営業を継続することになるとすると,以下のような補償を受けられるものと考えます。
ア 工作物補償
移設できる工作物については移設費,移設できない工作物については維持保存状況を勘案した現在価額で算定するのが原則です。ただし,クラブにおける防音設備等,一度導入すれば半永久的に使用できるといえるような工作物の場合の価額算定は,別途考慮が必要なようにも思えます。この点については,交渉で対応すべき点かと思います。
イ 動産移転料
本件ビルに存在する備品等の移転に要する費用の補償を受けられます。
ウ 移転雑費
法令上の手続きを要する場合の費用や広告費等の補償を受けられます。
エ 営業補償
仮設施設での営業を行う場合,従業員の休業期間に応じた休業補償,減収補償,仮設店舗借入れ費用(家賃については,従前の家賃との比較により補償を受けるべきか否か決まるものと考える。)や設備の設置費用等を得ることができると考えられます。
ここで,補償期間に関しては注意が必要であると考えられます。
第1に,権利変換による借家権取得を希望しない場合は,再開発ビルに入居することが前提となっていないため,仮設施設へ移転して営業を再開できるようになるまでの間の補償で足りると判断されることになると思われます。
第2に,権利変換による借家権取得を希望した場合,理論上は再開発ビルへの再入居までの間の補償が得られることになっています。
これらの補償につき具体的にどの範囲まで補償されるかについては,組合が提示する基準次第なところもあり,やはり交渉によって結論が大きく変わってくる部分と言わざるを得ません。
第3 事実上の借家権買い取り
以上のように、都市再開発法の手続において借家権の取得を希望しない旨の申し出を行い補償を受けるという手段はリスクの大きな手続ということになりますが、賃貸人との関係では、賃借権の権利変換を選択した上で、賃貸人と賃借権の合意解除をする可能性は残されています。
賃貸人の立場で言えば、再開発後に権利変換によって取得する建物に借家権の負担があるかどうかは、重大な関心事です。借家権の負担が無ければ、自分自身が竣工と同時に入居することもできますし、「未入居新築物件」として市場で新築物件価格で売却することができます。賃借人が入居した状態でも建物所有権を売却することはできますが、その場合は、いわゆる「オーナーチェンジ物件」という扱いになり、物件の買い主が賃貸収入目的の投資家に限定されてしまうため、一般的に数%から1割程度、売却価格が下がってしまう可能性があります。
そして、賃借人の立場で言えば、借家権の権利変換を受けて再入居する場合は、取り壊し前の退出と、建替工事期間約4年間の仮店舗営業と、再開発ビルへの再入居という2回の転居を行う必要がありますが、再開発ビルからの退出をするのであれば、転居は1回で済みますし、仮店舗の営業も行う必要が無くなります。仮店舗営業時に避けられない収入減少について十分な補償を受けることができるかどうか、不透明な要素も懸念されます。
このように、貸し主側にも借り主側にも、賃貸借契約を解約した上で地区外退出することに一定の利益がありますので、双方の利害が一致すれば、和解金を授受した上で賃借権の合意解除ができる可能性も十分あります。再開発の手続と併行して交渉することになりますので、再開発手続の経験のある弁護士に御相談なさると良いでしょう。
以上