元従業員からの残業代支払い請求に対する対応
民事|労働法|残業代請求|最判平成12年3月9日|東京地裁昭和63年10月26日判決|労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準
目次
質問:
私は,長年建築工事の仕事を営んできました。法人化はしておらず,個人としての事業です。従業員として,常時10人程度の職人を雇っていたのですが,この度,先月に退職した従業員の代理人の弁護士から,勤務していた過去5年間の残業代が未払いであるとして,利息も含めて約900万円を支払えとの内容証明通知が届きました。しかし,うちの事業は,現場待機の時間が多く,労働時間の管理が難しいので,残業代は給料に含まれるということで職人は了解していました。また,仕事が多かった月は,ボーナスを渡していましたので,それと相殺することはできないでしょうか。もし,他のやめた従業員にも残業代を支払わなければならないとなると大変です。どのように対応したら良いでしょうか。
回答:
1 法人化していない個人事業の形態であっても,労働者を雇って仕事をさせている以上,使用者には,残業代を支払う義務が存在します。
支払う必要がある残業代の金額は,所定の労働時間を超えた時間について,基礎賃金に割増率をかけて計算します。
基礎賃金は,月給制の場合,就業規則などで決まっている1か月間の労働時間(所定労働時間)で割って算出します。
割増率は,法定労働時間(1日8時間、1週間で合計40時間)を超える場合は,原則として1.25倍となります。
また、残業代の未払い分については特別の遅延損害金や残業代と同額の付加金が課せられる場合がありますので注意が必要です。
2 なお,ご相談によれば,残業代は月の給与に含まれるとのことですが,就業規則等において,何時間までの残業代を何円と定めて含ませているかを明確に定めていなければ,固定残業代の支給があったとは認められません。また,ボーナスについては,残業時間分の対価として,時間換算で計算して毎月支払っているのでなければ,残業代とは認められないでしょう。
3 なお,残業代の計算のもととなる時間外労働の時間数は請求する従業員に主張立証責任がありますが、会社としても時間外労働の実態について資料を用意しておく必要があります。また、残業代請求の時効は,2年間とされています。そのため,今回のご相談でも,時効を援用すれば,2年間以上の残業代を支払う義務は生じません。また,相手との交渉によっては,残業代の遅延損害金を免除して合意することや,他の従業員も含めた第三者への秘匿も含めて合意することも可能です。経営への影響を可能な限り抑え,また今後の同種の紛争を回避するためにも,速やかに弁護士に相談して対策を講じることをお勧め致します。
4 残業代に関する関連事例集参照。
解説:
1 残業代支払いの義務と計算方法
近年,事業を営む方の多くが直面される問題として,(元)従業員からの残業代の支払い請求があります。
日本では,昔から「サービス残業」が常態化していましたが,法律上は,所定の労働時間を超えた部分については,必ず残業代(割増賃金)を支給しなければなりません(労働基準法37条1項)。これは,会社であっても,個人事業主であっても,人を雇っている以上生じる義務となります。
近年,この考えが広く一般の方にも浸透していることや,労働審判等の簡易な法的手続きにより残業代請求が可能となったこと,同手続きを取り扱う弁護士も多くなってきたことから,これまで支払ってこなかかった残業代の請求を受けるという事例が,非常に多くなってしまいます。
上で述べたとおり,残業代は,法律上支払う義務が認められやすい請求であることは間違いありませんが,適切な対応を取ることで,その支払い金額を大幅に抑制できる場合もございます。
2 残業代の計算方法
残業代は,法律上,時間外労働に対する割増賃金として規定されています(労基法37条1項)。支払う必要がある残業代の金額は,①所定の労働時間を超えた時間について,②基礎賃金に③割増率をかけて計算します。
①労働時間について
まず,①の所定の労働時間については,基本的には就業規則等で労働時間が設定されている時間が原則となりますが,法律上の上限となる労働時間が,1日8時間、1週間で合計40時間までとされています(労基法32条。法定労働時間)。そのため,基本的にはこの範囲を超えて労働をした場合には,その時間が残業代計算の対象となります。なお,一定の小規模の事業の場合,法定労働時間が異なる場合もあります。
なお,ここでいう「労働時間」とは,「使用者の指揮命令下に置かれていた時間」を意味します(最判平成12年3月9日)。工事現場等での待機の時間の扱いについてですが,完全に労働から解放されて自由な時間であれば,労働時間には含まれません。しかし,仕事の指示があればすぐに作業できるように待機している状態であれば,労働のための拘束になりますので,労働時間に含めて残業代を計算しなければなりません。
細かい判断は,弁護士等に勤務の実態を説明した上で,判断してもらうと良いでしょう。
②基礎賃金について
次に②の基礎賃金の算出方法ですが,月給制の場合,就業規則などで決まっている1か月間の労働時間(所定労働時間)で割って算出します。例えば,1日8時間労働で,月の休日を除いた勤務日数が20日,月の給料が25万円の場合,25万円÷8時間×20日≒1563円が基礎賃金となります。なお,基礎賃金の計算の基礎となる給料には,通勤手当や家族手当等の手当ては含まれませんので,その金額は控除することができます(労基法37条5項)。
なお,本件では,従業員にボーナスが支給していたとのことですが,ボーナスを残業代とみなすことは,原則としてできません。残業代は賃金であり,賃金は毎月一回以上,期日を定めて支払う必要があるため,ボーナスのような臨時の支給ですと,残業代の支払い遅延となるためです(労基法24条2項)。
一方,毎月ボーナスを出していたような場合には,当該支給を残業代とみなせる可能性もります。しかし,当該毎月のボーナスの支払いが,残業代としての時間計算でなければ,残業代とみなすのは難しいでしょう。逆に,毎月のボーナスですと,それも基本給と同等の扱いの賃金であるとして,基礎賃金計算の基礎に含まれてしまう可能性も否定できません。
ボーナスの計算方法について,弁護士に説明をしてみることをお勧めします。
③割増率について
割増率は,法律上,細かい分類が規定されています。まず,労働時間が法定労働時間(1日8時間,1週間で合計40時間)を超えた場合、その法定労働時間外の残業については、割増率を1.25倍として残業代を計算します。休日に残業した場合には,割増率が1.35倍として,残業代を計算します(労働基準法第37条第1項の時間外及び休日の割増賃金に係る率の最低限度を定める政令)。
その他,一定の業種の大企業の場合には,法定休日以外の実際の労働時間が法定労働時間を1か月あたり60時間以上超えた場合、その60時間を超えた部分の残業については、割増率が1.5倍と高くなります(労基法138条)。
さらに,これらの残業が、深夜(午後10時から午前5時まで)である場合には、割増率に0.25が加算されます。つまり,休日ではない深夜残業となると,割増率が1.5倍,休日の深夜残業ですと1.6倍となります。
詳細な計算については,弁護士に相談してみてください。
3 固定残業代の可否
なお,ご相談によれば,残業代は月の給与に含まれるとの了解があったとのことですが,当該主張が認められるためには,労働契約や就業規則において,いわゆる固定残業代として,「月給25万円(30時間分の固定残業代5万円を含む)」といった賃金の定め方をしなければ,適法とはなりません。そして,そのような定め方をしていることを,従業員にも周知させる必要があります。
そのような就業規則の定めがないと,月の給与内で固定残業代の支給があったとは認められないでしょう。
なお,現実の時間外労働により発生する割増賃金が,固定残業代を超えた場合に,それを超えた差額賃金を支払わなければなりません(東京地裁昭和63年10月26日等)。
いずれにせよ,就業規則の内容や,契約時の説明等について,詳細を確認する必要がございます。
4 本件での対応
(1) 残業代の計算と裁判上の見通し
労働者の立場からすると,上記の点に踏まえて,最大限労働者に有利な解釈のもとに,残業代を計算してくるのが通常です。そのため,使用者の側としては,労働時間の管理や基礎賃金の計算について,不利益がないように詳細を検討する必要があります。
なお,労働時間については,基本的に残業代を計算する労働者の側で,働いた労働時間を証明する証拠をそろえる必要があります。そのような証拠が無い限りは,裁判上も,残業代の支払い義務が認められることはありません。もっとも,実際の裁判等においては,労働者が自ら作成した手書きのメモ等でも,証拠としての価値が認められるケースが多いです。労働者自作のメモが証拠になってしまうというのは,使用者にとって不利にも思われますが,この背景には,労働時間の管理は会社の義務でもある以上(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準(平成13年4月6日付け基発第339号)),会社の側で労働時間を示す証拠を提示できない限りは,多少に不利益扱われても仕方がない,という考えがあるようです。支払うべき残業代を計算するにあたっては,このような点も留意する必要があるでしょう。
(2) 遅延利息と付加金
労働者への賃金の支払いが遅れた場合,商人である使用者には,年6%の遅延損害 金を支払う義務が生じます。これは,残業代についても同様です。
さらに,労働者がすでに退職している場合,未払いの賃金に対しては,退職した日の翌日から年14.6%の割合による遅延利息を支払わなければならないとされています(賃金の支払の確保等に関する法律6条1項)。
つまり,労働者が在職中の場合には,未払い賃金の金額に対し、支給日の翌日から退職日までは年6%の割合で計算し,退職日の翌日から支払日までは,年14.6%の割合で遅延損害金を支払わなければならないことになります。
更に、未払いの残業代と同額の付加金の請求ができることになっています(労基法114条)。
もっとも,弁護士を通じて和解による解決をする場合,これらの遅延損害金や付加金については,支払免除として和解をすることも多いです。
(3) 時効の援用
また,残業代については,残業代請求の時効は,2年間とされています(労基法115条)。そのため,今回のご相談でも,時効を援用すれば,2年間以上の残業代を支払う義務は生じません。ご注意いただきたいのは,時効は,その利益を受ける当事者が援用(内容証明郵便等による通知)をしなければ,効果がありません。援用する前に,労働者側に対して,時効の対象となる債務(割増賃金の支払い義務)があることを認めてしまうと,時効の援用権を喪失してしまう場合があります。そのため,安易な返答は控え,速やかに弁護士に相談することをお勧めします。
(4) 紛争拡大の防止
最後に,この種のケースで問題となるのは,退職金の請求が他の労働者へ波及することや,当該労働者が労働基準監督署へ告発等をすることです。残業代の未払いについては,刑事処罰の規定があり(労基法119条),悪質性が強いと刑事処罰(六箇月以下の懲役又は三十万円以下の罰金)の対象となる場合もありますので,請求を受けた場合には可能な限り誠実に対応する必要があるでしょう。
弁護士が代理をして残業代について和解をする場合には,相手方との交渉により,紛争について第三者(他の労働者など)への漏示や,労基署等への告発を行わないという合意を締結することも可能です。
経営への影響を可能な限り抑え,また今後の同種の紛争を回避するためにも,速やかに弁護士に相談して対策を講じることをお勧め致します。
以上