原状回復請求の内容、請求の具体的方法|賃借人の故意・過失による汚損の拡大
民事|原状回復義務の具体的内容、賃借人に請求できる範囲|グレードアップに相当する部分の負担|国土交通省の原状回復ガイドライン
目次
質問
私は、とあるマンションの一室を所有している、不動産のオーナーです。この部屋は賃貸に出しており、賃借人が住んでいました。
先日、賃貸借契約が終了し、建物の明渡をしてもらったのですが、原状回復の確認のため建物内を確認したところ、部屋の中がカビだらけになっていました。トイレや窓付近のなどの水周りだけではなく、壁や床の大部分にカビが生えていて到底人の住める状態ではありませんでした。修理の業者さんによれば、結露のふき取りなどをきちんとしていればこのような状態にはならなかったとのことです。次の賃借人を住まわせるためには、全面的なリフォームが必要とのことで、莫大な費用が請求されています。
この金額について、従前の賃借人に何か請求をできないでしょうか。
回答
1 賃貸借契約の賃借人は、契約終了後立ち退きの際に、物件を借りた時点での原状に復する義務があります。しかし、借りた時点で全く新しい状態だったとしても、同じようにする義務は負わないと考えられています。賃料を支払って物を使用、収益するのですから劣化は避けられないため、どの程度まで原状回復義務があるのか問題となります。
賃借人への原状回復費用請求については、国土交通省や東京都が出しているガイドラインが重要となります。具体的には、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反(通常の使用を超える方法による使用)の場合には、一定の原状回復費用を請求は可能です。ただ、請求できる範囲からは、経年劣化・通常損耗による価値の減少分、必要な修理を超えて次の賃借人を迎えるための価値の増加(グレードアップ)に相当する部分は賃貸人の負担となります。
2 今回は、業者の意見等も参考にすれば、結露等の適切な措置を経ていれば被害の拡大は防げたということですので、賃借人の故意・過失等によるものとして一定の負担を請求は可能と思われます。破損個所をしっかりと特定するとともに(リフォームと修理の箇所を明確に区別)、耐用年数や修理の必要性・相当性を考慮した賃借人負担部分を確定して、請求を行っていく必要があるでしょう。
まずは、賃借人へ内容証明を送って様子を見ることになります。敷金との相殺を行い、保証人への請求も視野に入れておくべきです。相手が支払わない場合には、訴訟を起こすこととなります。訴訟を見据えて、汚損個所の写真による証拠保全、修理の見積書の作成をしっかり行っていくことが重要です。見積書においては、賃借人が負担すべきこと(必要性、相当性)につき、裁判所を説得しやすい記載にするよう、業者ともよく協議して進める必要があります。実際の進め方でお困りや不明点があれば、弁護士等の専門家にも相談されたほうが良いでしょう。
3 その他、原状回復に関する事例集としては、『リフォームを理由に敷金が返還されない場合の対応』や、こちらをご覧ください。
解説
1 賃貸借契約における原状回復請求とは
(1)まず、賃貸借契約における原状回復請求、とは何かについてみていきます。
賃借人は、賃貸借契約を終了した場合には、賃借物件を原状に復する義務を有しています(原状回復義務、民法598条1項、民法616条)。この条文からすると、賃借人に引き渡しを受けた時点での状態に原状回復義務があり、それに要した費用も負担しなければならないようにも思えます。
しかし、賃借人は、契約または目的物の性質によって定まった方法によって、賃借物件を使用し、その対価として賃料を支払っています(民法594条1項、民法616条)。そのため、賃借物件は年々劣化していくものであり、通常の使用によって生じた賃借物件の劣化まで賃借人に負担させることは酷な結果となります。
また、賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務(修繕義務)を負いますので(民法606条1項)、こちらに一定の費用負担をさせてもよいように思われます。賃料には、通常の使用に伴って発生した修繕費などの管理費用も含まれていると解するのが一般的です。
したがって、通常の使用にともなって通常生じるであろう建物価値の減少分については賃貸人負担、それを超えて賃借人に責任があるような汚損については賃借人負担と解するのが合理的と言えるでしょう。
(2)原状回復の費用負担については、国土交通省及び東京都が一定のガイドラインを出しており、それにしたがって運用が行われるのが実際です(参考:『国土交通省 原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』、『東京都 賃貸住宅トラブル防止ガイドライン』)。
上の賃借人と賃貸人の負担区分をまとめると、国土交通省ガイドラインによる定義では、原状回復とは、
「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」
とされています。
また、ガイドラインによると建物の価値の減少については、
- ①―A 建物・設備等の自然的な劣化・損耗等(経年変化)
- ①―B 賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)
- ② 賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等
の区分が考えられ、①にかかる回復費用については賃貸人負担、②にかかる費用については賃借人負担と解されています。
また、これを超える費用で、賃借人を新たに迎えるために退去時に古くなった設備等を最新のものに取り替える等の建物の価値を増大させるような修繕等、すなわちグレードアップに相当する費用については、賃貸人の負担となります。
以上をまとめると、損耗等を補修・修繕する場合の費用については
②の賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等について賃借人が負担すべきである。
他方、例えば次の入居者を確保する目的で行う設備の交換、化粧直しなどのリフォームについては、①-A、①-Bの経年変化及び通常使用による損耗等の修繕であり、賃貸人が負担すべきという結論になります。
(3)ただ、借主の故意・過失、善管注意義務違反による損耗等であっても、借主が原状回復費用を全額負担するというわけではありません。賃借物件の設備は、日々経年劣化・通常損耗しているのであり、その分の経費は賃貸人が負担すべきものだからです。
ガイドラインでは、設備ごとに耐用年数(例えば壁、クロスは6年)が設けられており、耐用年数経過の時期に応じて、借主負担割合が変動することとなります。例えば、クロスについて退去時に3年経過していれば、賃借人の故意・過失による取り換えを行った場合でも、最大で50%の負担を借主がすれば足りるということになります。耐用年数の考え方の代替手段として、入居年数によって賃借人負担割合を決めることも可能です。
もっともすべての設備について、経年劣化・耐用年数が考慮されるわけではありません。例えば、フローリング等の部分補修については該当しないと解されています。
ガイドラインによれば、「フローリングを例にとると、補修を部分的に行ったとしても、将来的には全体的に張替えるのが一般的であり、部分補修がなされたからといって、フローリング全体としての価値が高まったと評価できるものではない(つぎはぎの状態になる)。よって、部分補修の費用全額を賃借人が負担しても、賃貸人が当該時点におけるフローリングの価値(経年変化や通常損耗による減少を考慮した価値)を超える利益を獲得することにはならないので、経過年数を考慮する必要はない。むしろ、形式的に経過年数を考慮すると、部分補修の前後を通じてフローリングの価値は同等であると評価できるのに、賃貸人が費用の負担を強いられるという意味で不合理である。したがって、こうした部位等については、経過年数を考慮せず、部分補修費用について毀損等を発生させた賃借人の負担とするのが妥当であると考えられる。(なお、フローリング全体にわたっての毀損によりフローリング全体を張り替えた場合は、経過年数を考慮するのが適当である。)」との説明がされています。全体と一部の修理によって、経過年数の負担割合が変更になることがありますので、注意が必要です。
(4)また、原状回復の範囲については、原則として毀損部分に限られ、それ以外の修理については、グレードアップ相当として賃貸人負担になる場合が多いとされています。
以上より、原状回復費用の負担割合を決めるためには、
ア 賃借人の故意・過失、善管注意義務違反による汚損か否か、通常損耗・経年劣化によるものではないか
イ 毀損部位の特定、原状回復のためには一部だけの修理で足りないか(全体を変える必要はあるか、グレードアップではないのか)
ウ 修理が必要な個所について経年劣化を考慮するか
の観点が重要となってきます。
2 具体的な対処方法
(1)原状回復の範囲の確定
以上を前提に、今回の事案でどの程度の原状回復費用が請求できるのか、確認してきたいと思います。
今回の汚損個所は、壁や床の大部分、水回りとのことですので、それぞれ原状回復が必要な範囲をしっかりと特定していく必要があります。
破損個所について、経年劣化・通常損耗によるものか、賃借人の故意・過失・善管注意義務違反によるものかを区別する必要があります。汚損個所は、写真を撮るなどして証拠保全を図っておくべきでしょう。今回の汚損の原因ですが、結露のふき取りをきちんとしていれば被害の拡大を防げたはずということですので、通常の使用方法を遵守せずに汚損が生じたものとして、賃借人の故意・過失・善管注意義務違反による汚損と認定は可能と思われます。この点については、立会工事業者や宅建業者、弁護士の意見をよく聞いたうえで判断したほうが良いでしょう。
また、それぞれの部位ごとに、経過年数を考慮するのかどうかを考慮に入れる必要があります。例えば、上に述べたように壁・クロスの耐用年数は6年、便器等の水回りの給排水設備は15年となります。経過年数を計算して、賃借人の負担割合を計算していく必要上があります。
工事内容についても、よく協議していく必要があります。上記のように、賃借人に請求できる原状回復費用の範囲については、故意・過失汚損の場合であって、通常損耗・経年劣化及びグレードアップの範囲に含まれない範囲が対象となります。今回、全体的なリフォームが必要とのことですので、グレードアップに該当する部分かそうでないかの判定が重要になります(例えば、カビをふき取るだでで修理としては十分となった場合、その費用しか請求できない可能性も否定できません)。工事費用が膨大になる可能性もありますので、工事着手前には工事業者の見積もりをしっかりと取って、修理箇所の特定、工事をすることの必要性・相当性を十分に検討することとなります。修理業者、仲介業者、弁護士等の専門家とよく協議して進めるべきでしょう。
(2)具体的な請求手続
上記の検討を経て、賃借人に請求できる範囲が特定できた場合、具体的に賃借人に対する請求を行っていくこととなります。
もちろん、賃借人が納得してそのまま支払ってもらうことが重要ですので、工事業者が立ち会う際には賃借人にも同席してもらい、原状回復の必要性、賃借人負担の必要性についてしっかりと理解してもらうことが必要でしょう。工事見積についても賃借人に提示しておくことが望ましいといえます。
仮に賃借人に負担すべきところが合意できた場合には、請求書を送って支払いをしてもらうことになります。敷金が残っている場合には、そこと相殺することになるでしょう。
一方で、賃借人が既に退去してしまったり、負担割合の合意ができない場合には、強く請求していくことが必要です。まずは、敷金と相殺処理をすることになります。
その上で追加請求する必要がある場合には、内容証明を送って、費用の支払いを強く求めていくこととなります。賃貸借契約において連帯保証人がいれば、そちらにも請求することとなります。
賃貸人がそれでも支払わない場合には、公的機関を利用したトラブルの解決を目指すこととなります。東京都であれば、消費者生活センターや賃貸ホットラインなどの相談窓口があります。場合によっては、法的手続、具体的には、裁判所を通じて訴訟ないし支払い督促の手続によって回収を求めていくこととなります。訴訟とする場合には、証拠が重要になってきます。また、基本的には原状回復ガイドラインに従った運用となりますので、汚損の責任原因は誰にあるのか、修理の必要性・相当性はしっかり説明できるか(過大な請求になっていないか、経年劣化などを考慮していないかなど)、写真などの証拠はしっかりそろっているかという点をしっかりと確認しておくことが必要です。訴えを起こす場合には、専門家の助力を得ながら進めていくことも検討したほうが良いでしょう。
以上