従業員の競業避止義務・経費の流用と損害賠償義務・刑事対応
民事|刑事|競業避止義務違反|経費の私的流用問題|最高裁平成22年3月25日判決
目次
質問:
質問:私が以前従業員として勤めていた不動産販売の会社から,横領での刑事告訴を検討しているとともに,損害賠償を検討しているという通知がありました。内容としては,私的に利用した飲食の費用を,取引先での接待に利用したとして経費請求して金銭を受け取ったことが横領に該当するということでした。また,退職前に,取引先複数社に対して,移籍先の会社の名刺を交付したところ,退職後に取引先が移籍先の会社と取引をするということになったのですが,その点が競業避止義務に該当するということでした。しかし,私は名刺を渡しただけであり,積極的な勧誘行為はしていません。また,在職中,このような競業避止に関する特約は結んでいませんでした。このような状況でも私は競業避止義務違反が成立してしまうのでしょうか。経費の流用の点も含めて,対応をどのようにしたらよいかアドバイスをいただきたいです。弁護士を依頼したほうが良いでしょうか。
回答:
1 私的な飲食代金を接待費として会社に請求、受領した行為は、経費の不正請求(流用)として,会社に対する不法行為が成立する可能性が高く,経費相当分の損害賠償義務を負うこととなります。また,刑事事件的にみても,詐欺罪や横領罪が成立する可能性があります。一般的に、個々の経費流用が回数、期間から詐欺に該当するか認定が難しいようであれば、逮捕という事態は回避できそうですが、会社側が民事訴訟を起こし裁判所で事実認定されてしまうとそれを根拠に刑事手続きに発展する可能性もありますので敗訴の事態が予想される場合は早期和解が必要になると思います。
一方,取引先に働きかけを行い,移籍後の会社に対して取引先を結果的に移してしまったという点については,競業避止義務違反が問題となります。ただ,本件では退職後については競業避止義務を契約上負っていないため,自由競争の範囲を逸脱した例外的な場合に限って,不法行為が成立する可能性があるにとどまります。本件でも名刺を交付したのみで積極的な勧誘行為をしていなければ,不法行為は成立しない可能性が高いでしょう。
ただ,訴訟のリスクは否定できません。事案に応じて早期解決のために一定の金額を支払示談でまとめるか,義務の存在を争っていくかについては,個別の判断となります。
2 仮に示談交渉をするとなった場合,経費の流用の点も含めて交渉を行うことが必要です。上に述べた通り,刑事事件化のリスクもありますので,告訴を今後しないことを含めた和解を成立させることが重要となります。
どの程度の金額を支払い,かつ相手と交渉をしていくかについては,ご自分で自信がなければ、専門的経験を有する弁護士に相談されたほうがスムーズな解決になると考えられます。お困りの場合には,お近くの弁護士に相談されたほうが良いでしょう。3 競業避止義務に関する関連事例集参照。
解説:
第1 本件で法的に問題になる点の検討
1 経費の不正請求の点
(1) 刑事責任について
経費の不正請求については,本来,会社は従業員が業務上に必要な正当な経費についてだけ従業員に支払義務を負うものであり,従業員が私的に使用した費用についても支払う必要はありません。
支払義務がないにもかかわらず,会社に支払義務があるかのように見せかけて経費を請求し,その経費を受け取る行為は,詐欺罪(刑法246条1)に該当する行為です。また,あらかじめ、接待費用として金銭を預かっていたのであれば、会社の経費を違法に取得したものとして,横領罪(刑法253条)にも該当し得ます。詐欺罪の場合には,10年以下の懲役刑を下される可能性があります。但し、犯罪行為成立のためには、故意の立証が必要です。1回だけ、少額の経費流用があっても、「間違った領収書で請求してしまった(詐欺や横領の故意は無く手続ミスであった)」と主張されると、刑事事件として立件することは困難な場合があります。
(2) 民事責任について
また,会社には法律上の支払義務がないにもかかわらず,あなたの違法な行為(詐欺行為)によって,金銭を支払ったのですから,会社には不法行為に基づく損害賠償請求権ないし不当利得に基づく返還請求権として,既に交付した分の経費の返還を求めることが可能です。
したがって,経費の不正請求の点については,民事上・刑事上の対応を行っていく必要があります。
2 取引先に対する名刺交付の点
(1)次に,取引先に対して名刺を交付し,移籍先の会社において引き続き取引を継続したことが競業避止義務に違反するかという点について検討していきます。
競業避止義務とは,会社に在籍している者(従業員や取締役等の役員)が,会社と同種の競合する取引を行ってはならないという義務のことをいいます。一般的に,従業員は在職中,労働契約の一内容として,競業避止義務を負うものとされています。
しかし,退職後,このような競業取引を行うことができない,と解するのでは,当該従業員の有する営業の自由(憲法22条1項)からしても大きな問題があると考えられます。仮に,当該従業員に退職後にも競業取引をしないことを義務付ける特約を設けられることもありますが,その有効性はかなり限定的に解されています。
そして,本件においては,そのような競業避止の特約も結ばれておりませんので,競業避止特約違反の債務不履行による損害賠償請求をすることは,会社はできないものと考えられます。
(2)ただ,競業避止特約を結んでいない従業員であっても,あまりにも悪質な態様の引き抜き行為がある場合には,債務不履行ではなく,不法行為が成立する場合もあるとされています。
最高裁平成22年3月25日判決によれば,「本件競業行為は,社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なもの」と評価できる場合には,不法行為が成立しうると解しています。
具体的に不法行為が成立するか否かは,当該競業行為の内容・性質(競業の程度),取引の経過,従業員の目的・動機など,様々な事情を総合的に考慮して,一般取引の範囲を逸脱するほど悪質な行為か否かによって,決せられることになるでしょう。ただ,上記のとおり,退職後の従業員の営業の自由の保障の観点からは,不法行為が成立する場合は極めて限定的に解すべきでしょう。
実際に,上記最高裁判例も次のような理由で不法行為は成立しないとしています。
「前記事実関係等によれば,上告人Y1は,退職のあいさつの際などに本件取引先の一部に対して独立後の受注希望を伝える程度のことはしているものの,本件取引先の営業担当であったことに基づく人的関係等を利用することを超えて,被上告人の営業秘密に係る情報を用いたり,被上告人の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行ったことは認められない。また,本件取引先のうち3社との取引は退職から5か月ほど経過した後に始まったものであるし,退職直後から取引が始まったAについては,前記のとおり被上告人が営業に消極的な面もあったものであり,被上告人と本件取引先との自由な取引が本件競業行為によって阻害されたという事情はうかがわれず,上告人らにおいて,上告人Y1らの退職直後に被上告人の営業が弱体化した状況を殊更利用したともいい難い。さらに,代表取締役就任等の登記手続の時期が遅くなったことをもって,隠ぺい工作ということは困難であるばかりでなく,退職者は競業行為を行うことについて元の勤務先に開示する義務を当然に負うものではないから,上告人Y1らが本件競業行為を被上告人側に告げなかったからといって,本件競業行為を違法と評価すべき事由ということはできない。上告人らが,他に不正な手段を講じたとまで評価し得るような事情があるともうかがわれない。
以上の諸事情を総合すれば,本件競業行為は,社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできず,被上告人に対する不法行為に当たらないというべきである。なお,前記事実関係等の下では,上告人らに信義則上の競業避止義務違反があるともいえない。」
すなわち,本件でも名刺を交付したのみであって,会社の営業秘密を殊更に利用したり,会社の信用を貶めるような態様で引継ぎを行ったりといった行為をしていなければ,不法行為は成立する可能性は大きいものではありません。また,取引先が自主的に移籍後の会社で取引を開始した,という事情があればより不法行為が成立する可能性は低いでしょう。
もっとも,働きかけの態様によっては,不法行為が成立するリスクもあり,また上記の経費の流用の点については責任があるといえますから、併せて一定の解決金を支払う方法によって,和解を成立させるという解決もありうるところです。
第2 具体的な弁護活動の内容
1 示談交渉
次に,具体的な会社との交渉方法について検討していきます。上に述べたとおり,経費の流用の点については少なくとも損害賠償義務が発生しますし,刑事事件化のリスクもあるため,早期に交渉を行う必要があると思われます。
また,上記のとおり,退職後の従業員においては競業避止義務が不法行為になることは原則ありませんが,態様によっては成立することもあり,その場合には多額の損害賠償(競業取引によって得た額など)を請求されるというリスクもあります。会社との紛争の早期解決という観点から,一定の金額を支払ってしまい,和解による解決を目指していく,という方法も一案です。
示談交渉の際には,不正な経費の請求ということで本件が刑事事件になり得るという点も考慮して,慎重に交渉をする必要があります。先方にも立証の点など早期解決のメリットを理解してもらいながら裁判外でも解決を目指していく必要があります。本件の場合、不正な請求により受領した金額全額の返還にプラスアルファというのが示談金として提案する金額になると考えられます。プラスアルファというのは事件の調査の費用や弁護士を依頼した場合の費用等の迷惑をかけた費用ということです。相手が個人の場合は慰謝料ということになります。被害金額にもよりますが、一般的には30万円から50万円程度と考えられます。被害金額の弁償については、分割払いということも交渉次第では不可能ではありません。刑事事件の進行状況の検討が必要ですが、競業避止義務違反の点については、賠償の必要はないことを説明して不正請求の点について示談するということで、刑事事件化を阻止することを目指す必要があります。双方条件がまとまった場合には,適切な和解合意書(特に刑事事件化を回避する文言は必須です)を交わす必要があります。
2 訴訟・刑事事件化の際の対応
仮に交渉での解決がなされない場合には,会社の考え方次第で訴訟(損害賠償請求)になりますが、その場合会社とすればまずは刑事告訴の手続きをとることが考えられます。刑事告訴をすることにより、刑事罰を与えるという目的もありますが、損賠償の交渉を有利にするということにもつながるからです。詐欺罪での刑事告訴が受理されると、金額にもよるでしょうが示談できないと起訴されることが予測されますから、不起訴処分とするためには早い時期に相当な示談金を提示する必要があります。刑事告訴後でも示談して告訴を取り下げてもらうことは可能です。刑事処分を軽減するためには被害金額に加えて迷惑料ということで、交渉段階より金額を加算する必要が出てくるでしょう。
示談交渉の進め方については,具体的な競業取引の経過によっても解決金の金額が異なります。本件では,刑事事件化される前の初動の対応が重要となりますので,不正請求については被害額の弁償を速やかに行うか、弁護士への相談をお勧めします。
以上