労災事故と民事損害賠償請求の交渉方法
民事|労災|後遺症慰謝料
目次
質問:
私の会社の従業員が建築工事中,鉄骨が落下してきて腰と左足が下敷きになってしまいました。直ちに救急搬送されたのですが,足の付け根に人工関節を入れなければならず,足の可動域がこれまでの半分以下になってしまいました。事故の原因はクレーンで運搬していた鉄骨の固定が緩かったため,ほどけて落下してしまったことが理由ですが,元請は最終的な責任は負うといっています。今後,従業員は労災申請したいと言っていますが,どのように交渉を進めていくべきでしょうか。後遺症で今後仕事ができないので,可能な限り多くの金銭賠償をもらいたいと言っています。
回答:
1 労災事故においては,第一に労働基準監督署に対して労災給付の申請手続きをすることになりますが、障害(補償)給付の中に,後遺障害等級を判断する手続があり,この認定によって,後遺症の等級が確定し,その後の後遺症慰謝料及び逸失利益の金額に大きな影響が出てきます。
後遺症認定に際しては,まずはこれまで診療に当たっていたかかりつけの医師により適切な後遺症診断書を作成してもらうことが必要です。さらに,代理人弁護士等の意見書などと共に,労働基準監督署により高い等級を認定してもらうような形で申請を行うことが重要でしょう。
本件では,等級の内,最大で「一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの」として8級の認定を受けられる余地があります。
2 そして,労働基準監督署による審査の後,後遺障害等級の認定を前提として障害一時金の給付がなされることになります。ただ,この保険給付額のみでは十分な損害賠償額とはいえません。不足分については、別途元請に対する損害賠償請求が可能です。
労基署の給付認定後は,使用者(元請)に対して,交通事故における損害賠償基準(赤本)をベースに損害賠償請求交渉を行うべきでしょう。保険給付額から損益相殺した金額を請求することになります。金額の算定については,労基署で出た等級をベースに,後遺症慰謝料,後遺症逸失利益,入通院慰謝料,その他実費などを請求することができます。
ただ,元請も責任を否定してくることもありますし,過失相殺や赤本によらない基準その他賠償額を減額するように交渉してくることもありますので,その場合には訴訟などの手続を取ることになります。後遺症の認定から専門的な知見が必要になりますので,お困りの場合にはこれらの問題に精通した弁護士への相談をお勧めします。
3 労災に関する関連事例集参照。
解説:
第1 労災事故における損害賠償
1 労災補償とは
今回,元請から依頼を受けていた建築工事に関し,下請の従業員が事故に巻き込まれてしまったということで,労災申請を検討しているとのことですので,簡単に労災保険制度(労災補償)についてみていきます。
労災保険制度とは「労働者の業務上の事由または通勤による労働者の傷病等に対して必要な保険給付を行い、あわせて被災労働者の社会復帰の促進等の事業を行う制度」です。詳しい内容については,厚生労働省のHPを参照ください。
<参考HP>厚生労働省 労災補償
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/rousai/index.html
労災保険は,原則として一人でも労働者を使用する事業は,業種の規模の如何を問わずすべてに適用されます。通常の建築業者であれば,労災保険に加入しているのが通常といえます。
ここで,元請けの労災保険を請負契約であっても適用されるかが問題ともなり得ますが,労災保険における労働者とは「職業の種類を問わず、事業に使用される者で、賃金を支払われる者」をいうものとされ,労働者であればアルバイトやパートタイマー等の雇用形態は関係ありませんし下請け業者の従業員であっても,実質的な指揮監督に服して工事をしていたのであれば,元請会社の労災保険の適用対象になります。
2 労災保険給付の概要
次に労災保険の適用を受けた場合,どのような給付を受けられるのでしょうか。この点については,様々な給付の種類があり,厚生労働省において紹介されています。
<参考HP>厚生労働省 労災保険給付の概要
代表的な給付項目と給付内容は,以下のとおりです。
(1)療養(補償)給付 ・・・ 業務災害又は通勤災害による傷病により療養するとき
必要な療養の給付(通院費が支給される場合あり)
(2)休業(補償)給付 ・・・ 業務災害又は通勤災害による傷病の療養のため労働することができず,賃金を受けられないとき
休業4日目から,休業1日につき給付基礎日額の60%相当額
(3)障害(補償)一時金 ・・・ 業務災害または通勤災害による傷病が治癒(症状固定)した後に障害等級第8級から第14級までに該当する障害が残ったこと
障害の程度に応じ,給付基礎日額の313日分から131日分の年金
(4)遺族(補償)年金 ・・・ 業務災害又は通勤災害により死亡したとき
遺族の数等に応じ,給付基礎日額の245日から153日分の年金
(5)遺族(補償)一時金 ・・・ 遺族(補償)年金を受け取る遺族がないとき,遺族(補償)年金を受けている人が失権し,かつ,他に遺族(補償)年金を受け取る人がいない場合であって,既に支給された年金の合計額が給付基礎日額の1000日分に満たない時
給付基礎日額の1000日分の一時金
(6)葬祭料,葬祭給付 ・・・ 業務災害又は通勤災害により死亡した人の葬祭を行うとき
31万5000円に給付基礎日額の30日分を加えた額
(7)傷病(補償)年金 ・・・ 業務災害または通勤災害による傷病が療養開始後1年6月を経過した日または同日吾において次の各号のいずれにも該当するとき(1)傷病が治癒(症状固定)していないこと (2)傷病による障害の程度が傷病等級に該当すること
障害の程度に応じ,給付基礎日数の313日分から245日分の年金
(8)介護(療養)給付 ・・・ 障害(補償)年金または傷病(補償)年金受給者のうち,第1級の者又は第2級の精神・神経の障害及び胸腹部臓器の障害の者であって,現に介護を受けているとき
常用介護の場合は,介護の費用として支出した額(限度有) 親族等により介護を受けており介護費用を支出していない場合,または支出した額が57030円を下回る場合は57030円(限度有) 親族等により介護を受けており介護費用を支出していない場合または支出した額が28520円を下回る場合は28520円
(9)二次健康診断等給付 ・・・ 事業主が行った直近の定期健康診断等において,次の(1)・(2)いずれにも該当するとき (1)血圧検査,血中脂質検査,血統検査,腹囲又はBMIの測定の全ての検査において以上の所見があると診断されていること (2)脳血管疾患または心臓疾患の症状を有していないと認められること
二次健康診断及び特定保健指導の給付
(10)その他,直接の保険給付ではありませんが,社会復帰促進等事業として,アフターケア・義肢等補装具の費用の支給,外科御処置,労災就学等援護日,休業補償特別援護金等の支援制度があります。
3 労災保険給付の手続 ~ 特に後遺症の認定
労災給付の申請手続については,当該労働者の所属する事業場の所在地を管轄する労働基準監督署長宛に,所定の労災保険給付請求書を作成して,提出することによって行います。詳しい手続・必要書類については各労働基準監督署に事前に確認しておくとよいでしょう。
ここで最も重要なのは,後遺障害等級の認定にもつながる,障害(補償)年金ないし一時金の申請になります。労災事件の場合には,交通事故のような後遺障害の認定機関(損保料率機構)に相当するのが,労働基準監督署になります。そして,後遺症の内容・等級によって損害額が大きく変動することになるのです。したがって,障害年金・一時金の認定において,障害等級をより高いものにするように動くことが極めて重要になります。後遺障害認定の点は,後述します。
所定の書式による申請を行った後,労働基準監督署によって審査がなされ,保険給付決定が下されることとなります。
4 労災保険給付以外の損害賠償について
以上,労災事件に関する損害の店舗の手段として,労災保険給付についてみてきました。ただ,労災保険給付は人身損害における損害賠償としては一部のものに過ぎません。労災保険給付以外の損害については,元の使用者に対して請求することになります。この点,使用者は被用者(下請も含みます)を使用して利益を取得しているのですから,そこから生じた損害については賠償すべきです。そして,使用者は被用者の業務に当たってその生命身体に対して配慮すべき義務(安全配慮義務)があり,これを怠った場合には,債務不履行に基づいて損害賠償責任を負うことになります。今回の場合も,労災保険給付以外にも,債務不履行ないし不法行為に基づいて別途損害賠償請求が可能です(債務不履行か不法行為かは、法律構成の違いですが、いずれにしろ安全配慮義務違反が責任の根拠となり、両者には違いはないと考えておいてよいでしょう)。
そして,交通事故の場合には,保険会社による賠償基準や日弁連交通事故相談センターが提示している損害賠償基準(いわゆる赤本基準)が定められており,後遺症による慰謝料・逸失利益等の損害賠償が認められています。
金額としては,こちらの赤本基準による損害賠償の方が労災保険給付よりも大幅に高いです。したがって,労災保険給付では足りない分については,使用者(元請)に対して請求を行うことが可能です。人身損害という損害の内容は共通し,赤本基準による賠償は労災事件においても当然に妥当しますので,この基準での賠償額取得を目指していくこととなります。
なお,労災保険給付を受けた場合,使用者に対する損害賠償請求との関係が問題となりますが,この点はいわゆる二重取りを防ぐため,労災で受け取った金銭については控除(いわゆる損益相殺)されることとなります。
この点,赤本基準による具体的な損害項目については,以下のとおりです。
(1)積極的損害 ~ 治療費・交通費などの実費
入通院に際して実際に支出した,治療費・交通費などの実費になります。これについては,必要かつ相当な範囲が損害として認められることが通常です。ただ,症状固定後のリハビリに関する費用は賠償対象外とされることが多いでしょう。
(2)消極的損害その1 休業損害
後遺症として症状固定(これ以上治療しても症状が改善しないと判断された時点)するまで,仕事を休業した場合には,その分の収入の減少は休業損害として請求が可能です。
(3)消極的損害その2 後遺症による逸失利益
後遺症が残ってしまった場合,労働能力が将来にわたって失われることとなります。将来働けなくなった分の失われた経済的利益については,後遺症による逸失利益として請求が可能です。この点は,基礎収入額をまず確定の上,後遺症の等級に応じた労働能力をかけ,労働能力喪失期間に対応したライプニッツ係数(原則67歳までの期間をもとに算定)をかけて計算することが通常です。
直,後遺症の等級認定については後述します。
(4)消極的損害その3 入通院慰謝料
後遺症による症状固定まで,入通院をした場合には,その期間に応じた入通院慰謝料(入通院に伴って受けた精神的損害に対する金銭賠償)を受けることができます。この点は,期間に応じて赤本基準にしたがって計算・請求することが可能です。
(5)消極的損害その4 後遺症慰謝料
また,慰謝料としては入通院慰謝料の他に,後遺症になってしまったことによる精神的苦痛に対する慰謝料も認められています。後遺症慰謝料の金額については,後遺症の等級に従って,赤本基準で金額が一律決まっています。
上記の赤本基準に従った損害額の算定については,一度弁護士などの専門家に相談されることをお勧めします。
第2 具体的な交渉方法・手順
1 労働基準監督署への申請・特に後遺症の認定について
以上,労災保険給付及び使用者(元請)に対して損害賠償を請求するに当たっては,後遺症の等級認定が極めて重要であることが分かりました。それでは,具体的な交渉方法についてみていきます。
上に述べたとおり,労災事件においては後遺症の等級認定は,労災給付における障害(補償)一時金の判断の際に労基署が行うこととなります。そして,労基署が認定した後遺障害等級を元に,元請と交渉をしていく方がスムーズであると考えられます。
ここで,労災における後遺障害等級の認定基準については,労働者災害補償保険法施行規則に定めがあります。具体的には厚生労働省のHPを参照してください。
<参考HP>厚生労働省・後遺障害等級認定基準
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken03/
この基準は,交通事故自賠責保険における後遺障害等級と内容としてはほぼ同一となります。
重要なのは,ここで後遺障害として適切な等級を主張して,労働基準監督署に認定してもらうことです。
本件でこれを見ると,足の付け根に人工関節を入れなければならず,足の可動域が半分以下になってしまったとのことです。下肢の後遺障害等級としては,様々なものがありますが,機能的な障害等級として考えられるのは,8級の「一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの」,10級の「一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの」,12級の「一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」などが考えられます。
この点の認定においては,まずかかりつけの病院において適切な後遺障害診断書を書いてもらうことが重要です。8級が認められるためには,可能域が腱側の2分の1以下に制限されていることが必要なので,その点はしっかりと診断書に書いてもらう必要があるでしょう。この点,医師に面談の上後遺症と今後の見込みについて,しっかりと伝えることが必要です。後遺症の認定・損害賠償請求に精通した代理人弁護士を通じて医師に意見を伝えることが重要といえます。
そして,医師による症状固定の判断,後遺症の認定が可能となった段階で,生涯一時金の申請を労働基準監督署に行うこととなります。申請段階では,上記の後遺障害診断書と共に,代理人弁護士からどの後遺障害等級が認定されるべきなのかを記載し体験書を合わせて出すことが有用です。
なお,労働基準監督署も,担当の医師がおり,後遺障害等級の認定に当たっては直接保険給付申請者と面談を行い,診察をすることとなります。その上で,最終的な後遺症の等級認定がされることとなります。したがって,面談・診察の際には事故の自覚症状(特に就労・日常生活が困難なこと)についてしっかりと伝えておく必要があるでしょう。
2 労災の認定後,使用者との交渉・訴訟
労基署における診察後,しばらくしてから労災保険給付の通知が届くことになります。ここに給付項目ごとの支払額が記載されており,その額から認定された等級が判明することになります。
労基署における認定後遺症等級は,その後の使用者との交渉において大きく影響を及ぼすことになりますし,裁判所も原則として労基署の認定した等級を前提に損害額の判断を下すことになると思われます。なお、労基署の認定に不服な場合は、労働者災害補償保険審査官に宛てた審査請求、さらに不服であれば訴訟という方法もありますが、一度下された認定を変更するのは、時間も手間もかかりますから初めの認定の段階でできるだけ資料を提出して正しい判断が下されるようにしておく必要があります。
そして,上記の赤本基準に従った損害額をまず算定し,そこから保険給付額を損益相殺させた金額を賠償請求していくことになります。ただ,労災保険給付の際には問題とならなかった過失相殺(被用者側の落ち度を考慮して損害額を相殺・減額。民法418条,722条)の主張がされることもありますし,赤本基準による損害賠償を争ってくることも十分に想定されます。
この点については,損害賠償請求交渉に精通した代理人弁護士に交渉を代理してもらうことも視野に入れた方が良いでしょう。仮に交渉でまとまらないような場合には,訴訟を提起しその中で判決・和解による解決を目指していく必要があります。
以上のとおり,労災事故に伴う損害賠償については段階があり,また後遺症の内容によって金額が大きく変わりますので,これらの損害賠償に関して専門的知見を有した弁護士に一度相談されることをお勧めします。
以上