生前贈与と相続

民事|差押え債権の拡張|民執法153条1項|東京高決平成22年6月22日

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参考判例・条文

質問:

 先日,父が亡くなりました。父は亡くなる1年前に,私の兄に父の遺産の全てを相続させる内容の遺言書を残しておりました。その代わりとして,私には2000万円を贈与する約束を生前してくれ,その約束は誓約書という形で書面に残っています。誓約書の作成は遺言書作成の10日後でした。ところが,急性心筋梗塞で突然倒れたことから,その履行を受けないうちに逝去してしまったのです。

 母は既に他界していることから,相続人は私と兄の2人です。

 父の葬式も済んだことから,思い切って兄に生前贈与の話をし,2000万円を支払ってもらえないか打診をしてみたのですが,そのような紙切れは父の真意で書いたものではない,どうせ脅して書かせたのだろう,父の日記にもそのような趣旨の記載があった,などと言って取り合ってもらえず,現在まで支払われておりません。

 今後私はどうすれば良いのでしょうか。

回答:

1 相続債務のうち金銭債務その他の可分債務は法律上当然に分割され,各法定相続人がその法定相続分に応じてこれを分割承継するものとされています(最判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁)。

  ただし,相続人のうちの1人に対して財産全部を相続させる旨の遺言により相続分の全部が当該相続人に指定された場合,遺言の趣旨等から相続債務については当該相続人にすべてを相続させる意思のないことが明らかであるなどの特段の事情のない限り,当該相続人に相続債務もすべて相続させる旨の意思表示があったものと考えるべき,というのが判例の立場です(最判平成21年3月24日民集63巻3号427頁)。

  本件では,被相続人であるお父様がお兄様に遺産の全てを相続させる旨の遺言書を遺されており,債務についてはお兄様に全てを相続させる意思がないということが読み取れるような事情もないことから,お兄様に贈与金を全額請求できると考えるのが自然でしょう。

2 その上で,お兄様に対して書面で贈与金の請求を行いましょう。後々の裁判手続きを見据え,請求を行った事実を証拠化するために,内容証明郵便等の形式で送付するのが望ましいです。なお,お父様の遺産総額(持ち戻しの対象となる生前贈与含む)との関係で,2000万円という金額があなたの遺留分(全体の4分の1)を下回る場合は,同時に遺留分減殺請求を行う意思を明記するべきです。ただし,遺留分減殺請求は1年で時効消滅しますので,留意が必要です。

3 お兄様に書面で請求を行っても任意に履行をしてくれない場合は,法的手続きを検討する他ないことになります。

手段としては,調停や訴訟が考えられますが,お兄様の態度からすれば,調停での解決に資する事案とは思えず,基本的には,訴訟提起を見据えておく必要があろうかと思います。

また,執行逃れを未然に防止するために,あなたが把握しているお兄様の財産について仮差押えをすることも検討すべきです。

4 訴訟になった際にお兄様から予想される反論として,お父様の贈与の意思表示はあなたの脅迫に基づくものであるから,取り消しの対象となる(民法96条1項)という主張が想定されます。

  脅迫の立証というのは,そう簡単に認められるものではないですが,お父様の日記に脅迫をされたという趣旨の記載があれば,ある程度立証材料をお兄様が有していることになりますので,こちらは脅迫の事実を阻害するような事情をなるべく多く主張・立証する必要があるでしょう。

5 お兄様との間で話し合いをしても事態が進展しない状況にありますので,ここから先は弁護士に全て委任するというのも一つの考えです。内容証明の作成,仮差押え,訴訟といった手続きを全てお一人で進めるのは現実的には難しいと思われます。

4 生前贈与に関する関連事例集参照。

解説:

第1 相続開始に伴う権利義務の承継について

1 原則論

相続人は,相続開始の時から,被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継します(民法896 条)。権利義務という表現から分かるとおり,プラスの財産のみならずマイナスの財産(債務)も承継することになります。

相続人が複数存在する場合に,どのようにして権利義務の承継が決まるかと言うと,原則として,遺言書があればその内容にしたがい(ただし,遺留分を侵害する場合は別。この点は後述。),遺言書がなければ各共同相続人が遺産分割協議(民法906条)を行って,分割方法を決めることになります。

2 可分債権の取扱い

なお,預金債権等の可分債権について,最高裁判所は,「相続人数人ある場合において,その相続財産中に金銭その他の可分債権あるときは,その債権は法律上当然分割され各共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解するを相当とする」(参考判例①:最判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁)との見解を採用し,最判平成16年4月20日判時1859号61頁(参考判例②)でもその立場が踏襲されましたが,その後預金債権については,最大決平成28年12月19日民集70巻8号2121頁(参考判例③)により判例変更されるに至っております。

同決定は,「共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,いずれも,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。」と判示し,少なくとも預金債権については遺産分割の対象となることが明示されました。

この点,従前より銀行実務では,遺産分割協議書あるいは相続人全員の同意書等の提示がなければ払い戻しに応じない運用がされており,また遺産分割調停の実務でも,相続人間の同意のもと,預金も遺産分割協議の対象とすることが頻繁に行われてきました。そのため,今回の判例変更は実務上の扱いに整合する形をとったものに過ぎないという見方が出来ます。

いずれにしましても,遺言書がなければ,預金債権の分配は遺産分割協議によって決することになります。

3 可分債務の取扱いと本件について

(1) 被相続人の債務が分割することのできない不可分債務の場合,遺産分割協議で承継を決することになりますが,遺産分割成立までの間は相続人が共同で承継したことになるので,遺産分割協議未了の間に債権者から請求を受けた場合,相続人各自が債務の全部を履行する義務を負うことになります(民法430 条,432 条)。

これに対し,相続債務のうち金銭債務その他の可分債務は法律上当然に分割され,各法定相続人がその法定相続分に応じてこれを分割承継する,というのが最高裁判所の立場です(参考判例④:最判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁)。

    ただし,その後「相続人のうちの1人に対して財産全部を相続させる旨の遺言により相続分の全部が当該相続人に指定された場合,遺言の趣旨等から相続債務については当該相続人にすべてを相続させる意思のないことが明らかであるなどの特段の事情のない限り,当該相続人に相続債務もすべて相続させる旨の意思が表示されたものと解すべきであり,これにより,相続人間においては,当該相続人が指定相続分の割合に応じて相続債務をすべて承継することになると解するのが相当」との判示がなされ(参考判例⑤:最判平成21年3月24日民集63巻3号427頁),特定の相続人1人に全てを相続させる趣旨の遺言が存在する場合は,基本的にその者が債務も全て承継するという例外が示されました。

(2) 本件では,贈与金債務が問題となっており,これは可分債務です。被相続人であるお父様はお兄様に遺産の全てを相続させる旨の遺言を遺されておりますが,債務についてはお兄様に全てを相続させるつもりがない,ということが読み取れるような事情もないことから,お兄様に贈与金を全額請求できると考えるのが自然でしょう。

第2 遺留分が侵害されていないかの確認

 1 次に,お父様の遺言があなたの遺留分を侵害していないかどうか,念のため確認をしておくべきでしょう。

遺留分とは,一定の範囲の法定相続人に認められる,最低限の遺産取得分のことです。遺留分を侵害されている相続人は,遺留分を侵害している受遺者や受贈者に対してその侵害額を請求することができます(民法1031条)。

   なお,本件遺言の内容は「お兄様に財産を全て相続させる」というもので,いわゆる遺産分割方法の指定と解されます(参考判例⑥:最判平成3年4月19日民集45巻4号477頁)。民法には遺贈と生前(死因)贈与しか遺留分減殺の対象が規定されていませんが(民法1031条),遺産分割方法の指定について区別する理由がないことから,遺言書による遺産分割方法の指定が遺留分を侵害する場合も減殺請求は可能です(上記判例参照)。

 2 遺留分算定の基礎となる財産は,被相続人が相続開始時に有していた財産の価額に,贈与財産の価額を加え(持ち戻し),最後に相続債務を控除して算出します(民法1029条1項)。持ち戻しの対象となる生前贈与は,相続開始前1年以内の贈与に限定されるのが原則ですが,特別受益にあたる生前贈与は例外的に1年以上前のものであっても持ち戻しの対象となります(民法1044条,903条)。

   あなたの遺留分割合は4分の1ですので(民法1028条2号),持ち戻しの計算と債務の控除を行った上で,2000万円が全体に占める割合が4分の1を下回っていた場合は,お兄様に対して足りない部分も請求できることになります。

   遺留分減殺請求は1年で時効消滅しますので(民法1042条前段),留意が必要です。

 3 また、後日2000万円の贈与が否認されて認められなかった場合、全部の財産をお兄様に相続させるという遺言は遺留分を侵害していることになりますから、念のため遺留分減殺請求をしておくことが必要になります。

   遺留分減殺請求の消滅時効は減殺すべき遺言を知った時から進行しますから、2000万円の贈与が有効と信じていれば時効は進行しないと考えられますが、確実を期すためには遺留分減殺の意思を死亡後1年以内にしておいた方が良いでしょう。

第3 お兄様から贈与金を回収するための方策

1 任意の交渉

   まずはお兄様に対して書面で贈与金の請求を行うことになります。後々の裁判手続きを見据え,請求を行った事実を証拠化するために,内容証明郵便等の形式で送付するのが望ましいでしょう。

なお,遺留分が侵害されている場合は,減殺請求を行う旨も書き加えておくべきです。

2 調停

   お兄様に書面で請求を行っても任意に履行をしてくれない場合は,法的手続きを検討する他ないことになります。

手段としては,調停や訴訟が考えられます。親族ということもあり,まずは話し合いの手続きとしての調停から始めてみる,という選択もあり得るとは思いますが,調停の相手方は出頭するかどうか自由に選択出来てしまいますし,あくまでも話し合いの手続きなので,お兄様が嫌だと言えばそれ以上話は進まず,不調という形で終わってしまう可能性も十分に想定されます。

3 訴訟と仮差押え

  そのため,基本的には,訴訟提起を見据えておく必要があろうかと思います。

  また,仮にあなたが勝訴判決を得たとしても,お兄様が任意に支払わなければ,こちらから更に強制執行の申立てを行って,お兄様の財産から強制的に2000万円を回収するという面倒な手続きを採らなければなりません。そして,お兄様が執行の対象となり得る不動産をあらかじめ第三者に売却してしまったり,預金を引き出してしまったりしてしまうことも考えられないわけではありません。

  かかる執行逃れのような事態を未然に防止するためには,あなたが把握しているお兄様の財産について仮差押えをしてしまう(処分禁止の仮処分命令の申立て),という手段があります(民事保全法23条1項,)。一定の担保金を預ける必要はありますが(民事保全法14条1項。たとえば,不動産の場合は固定資産評価額の15~30パーセント程度。),最悪の事態に備えて,検討することをお勧めします。仮差押えを受けた債務者が,慌てて任意に債務を履行してくることもしばしばありますし(その場合,訴訟も不要となるので手間も少なくなります。),まさに仮差押えが有効な事案ということが出来るでしょう。

  なお,仮処分決定を得るためには,保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を疎明しなければなりません(民事保全法13条2項)。本件では誓約書という客観的証拠が存在するため,被保全権利の疎明は比較的容易と思われますし,お兄様の態度からすれば必要性の疎明も十分に出来るでしょう。

第4 訴訟上で想定される反論と立証活動

 1 お兄様のあなたに対する発言を前提とすると,訴訟になった際にお兄様から予想される反論として,お父様の贈与の意思表示はあなたの脅迫に基づくものであるから,取り消しの対象となる(民法96条1項)という主張が想定されます。

   脅迫の立証というのは,そう簡単に認められるものではないですが,お父様の日記に脅迫をされたという趣旨の記載があれば,ある程度立証材料をお兄様が有していることになりますので,こちらは脅迫の事実を阻害するような事情をなるべく多く主張・立証する必要があるでしょう。

 2 具体的には,脅迫を基礎付ける証拠が不足していることを指摘して当該事実を否認すると同時に,以下の間接事実を積み上げて,お父様が自ら進んで任意に誓約書を書いたというストーリーの合理性を基礎付ける活動が必要となります。

  ① 全体の財産に占める割合からして贈与が不合理とは言えない事実

    お父様の遺産に占める割合という観点から,お兄様の方があなたより多くの遺産を取得していたり,あるいは同じくらいの金額であったならば,贈与が不合理とは言えません。かかる事情は,お父様の真意に基づいて誓約書が書かれたというストーリーの合理性を基礎付ける事情となります。

    反対に,全体の財産が2500万円程度しかないということになると,あなたに多くの財産を生前に遺そうとしたことの合理性を説明できなければ(たとえば,介護を中心に行った,仕送りをしていた,お父様がお兄様に生活資金の援助をたくさん行っていた等),脅迫を加えたことがある程度推認されてしまいます(必ずしも強い推認とは言えませんが)。

  ② 誓約書の文字がしっかりしている事実

    脅迫を受けたのであれば,恐怖心から文字が震えたりするものです。そういった不自然さが全くなく,しっかりとした文字・文章で書かれているのであれば,脅迫の事実を否定する方向の事情となり得ます。

  ③ お父様との関係性

    お父様の生前,関係性が良好であった事実は,脅迫の事実を否定する方向の事情となります。また,お父様の介護を献身的に行った事実や仕送りをした事実等もあれば,それも贈与が真意に基づくことを基礎付ける方向に働きますので,主張すべきです。

 3 また,以上に加え,お父様の手書きの日記が証拠として出された場合は,当該日記の筆跡に疑問があればその成立の真正自体を争い,筆跡が異なる可能性があるという疑いを持たせるために,他の手書きメモの証拠提出を検討すべきでしょう。

第5 まとめ

   以上のとおり,最終的には訴訟に至る可能性も十分に想定されますので,仮差押えも含め,お一人で全て追行するのは困難な面が大きいです。

専門家である弁護士に手続きを依頼されるのも一つの手です。

以上

関連事例集

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※参照判例・条文

【参考判例】

①【最判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁】

「相続人数人ある場合において、その相続財産中に金銭その他の可分債権あるときは、その債権は法律上当然分割され各共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解するを相当とするから、所論は採用できない。」

②【最判平成16年4月20日判時1859号61頁】

「相続財産中に可分債権があるときは,その債権は,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されて各共同相続人の分割単独債権となり,共有関係に立つものではないと解される(最高裁昭和27年(オ)第1119号同29年4月8日第一小法廷判決・民集8巻4号819頁,前掲大法廷判決参照)。したがって,共同相続人の1人が,相続財産中の可分債権につき,法律上の権限なく自己の債権となった分以外の債権を行使した場合には,当該権利行使は,当該債権を取得した他の共同相続人の財産に対する侵害となるから,その侵害を受けた共同相続人は,その侵害をした共同相続人に対して不法行為に基づく損害賠償又は不当利得の返還を求めることができるものというべきである。」

③【最大決平成28年12月19日民集70巻8号2121頁】

「3 原審は,上記事実関係等の下において,本件預貯金は,相続開始と同時に当然に相続人が相続分に応じて分割取得し,相続人全員の合意がない限り遺産分割の対象とならないなどとした上で,抗告人が本件不動産を取得すべきものとした。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)相続人が数人ある場合,各共同相続人は,相続開始の時から被相続人の権利義務を承継するが,相続開始とともに共同相続人の共有に属することとなる相続財産については,相続分に応じた共有関係の解消をする手続を経ることとなる(民法896条,898条,899条)。そして,この場合の共有が基本的には同法249条以下に規定する共有と性質を異にするものでないとはいえ(最高裁昭和28年(オ)第163号同30年5月31日第三小法廷判決・民集9巻6号793頁参照),この共有関係を協議によらずに解消するには,通常の共有物分割訴訟ではなく,遺産全体の価値を総合的に把握し,各共同相続人の事情を考慮して行うべく特別に設けられた裁判手続である遺産分割審判(同法906条,907条2項)によるべきものとされており(最高裁昭和47年(オ)第121号同50年11月7日第二小法廷判決・民集29巻10号1525頁参照),また,その手続において基準となる相続分は,特別受益等を考慮して定められる具体的相続分である(同法903条から904条の2まで)。このように,遺産分割の仕組みは,被相続人の権利義務の承継に当たり共同相続人間の実質的公平を図ることを旨とするものであることから,一般的には,遺産分割においては被相続人の財産をできる限り幅広く対象とすることが望ましく,また,遺産分割手続を行う実務上の観点からは,現金のように,評価についての不確定要素が少なく,具体的な遺産分割の方法を定めるに当たっての調整に資する財産を遺産分割の対象とすることに対する要請も広く存在することがうかがわれる。

 ところで,具体的な遺産分割の方法を定めるに当たっての調整に資する財産であるという点においては,本件で問題とされている預貯金が現金に近いものとして想起される。預貯金契約は,消費寄託の性質を有するものであるが,預貯金契約に基づいて金融機関の処理すべき事務には,預貯金の返還だけでなく,振込入金の受入れ,各種料金の自動支払,定期預金の自動継続処理等,委任事務ないし準委任事務の性質を有するものも多く含まれている(最高裁平成19年(受)第1919号同21年1月22日第一小法廷判決・民集63巻1号228頁参照)。そして,これを前提として,普通預金口座等が賃金や各種年金給付等の受領のために一般的に利用されるほか,公共料金やクレジットカード等の支払のための口座振替が広く利用され,定期預金等についても総合口座取引において当座貸越の担保とされるなど,預貯金は決済手段としての性格を強めてきている。また,一般的な預貯金については,預金保険等によって一定額の元本及びこれに対応する利息の支払が担保されている上(預金保険法第3章第3節等),その払戻手続は簡易であって,金融機関が預金者に対して預貯金口座の取引経過を開示すべき義務を負うこと(前掲最高裁平成21年1月22日第一小法廷判決参照)などから預貯金債権の存否及びその額が争われる事態は多くなく,預貯金債権を細分化してもこれによりその価値が低下することはないと考えられる。このようなことから,預貯金は,預金者においても,確実かつ簡易に換価することができるという点で現金との差をそれほど意識させない財産であると受け止められているといえる。

 共同相続の場合において,一般の可分債権が相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるという理解を前提としながら,遺産分割手続の当事者の同意を得て預貯金債権を遺産分割の対象とするという運用が実務上広く行われてきているが,これも,以上のような事情を背景とするものであると解される。

(2)そこで、以上のような観点を踏まえて,改めて本件預貯金の内容及び性質を子細にみつつ,相続人全員の合意の有無にかかわらずこれを遺産分割の対象とすることができるか否かにつき検討する。 

ア まず,別紙預貯金目録記載1から3まで,5及び6の各預貯金債権について検討する。

 普通預金契約及び通常貯金契約は,一旦契約を締結して口座を開設すると,以後預金者がいつでも自由に預入れや払戻しをすることができる継続的取引契約であり,口座に入金が行われるたびにその額についての消費寄託契約が成立するが,その結果発生した預貯金債権は,口座の既存の預貯金債権と合算され,1個の預貯金債権として扱われるものである。また,普通預金契約及び通常貯金契約は預貯金残高が零になっても存続し,その後に入金が行われれば入金額相当の預貯金債権が発生する。このように,普通預金債権及び通常貯金債権は,いずれも,1個の債権として同一性を保持しながら,常にその残高が変動し得るものである。そして,この理は,預金者が死亡した場合においても異ならないというべきである。すなわち,預金者が死亡することにより,普通預金債権及び通常貯金債権は共同相続人全員に帰属するに至るところ,その帰属の態様について検討すると,上記各債権は,口座において管理されており,預貯金契約上の地位を準共有する共同相続人が全員で預貯金契約を解約しない限り,同一性を保持しながら常にその残高が変動し得るものとして存在し,各共同相続人に確定額の債権として分割されることはないと解される。そして,相続開始時における各共同相続人の法定相続分相当額を算定することはできるが,預貯金契約が終了していない以上,その額は観念的なものにすぎないというべきである。預貯金債権が相続開始時の残高に基づいて当然に相続分に応じて分割され,その後口座に入金が行われるたびに,各共同相続人に分割されて帰属した既存の残高に,入金額を相続分に応じて分割した額を合算した預貯金債権が成立すると解することは,預貯金契約の当事者に煩雑な計算を強いるものであり,その合理的意思にも反するとすらいえよう。

イ 次に,別紙預貯金目録記載4の定期貯金債権について検討する。

 定期貯金の前身である定期郵便貯金につき,郵便貯金法は,一定の預入期間を定め,その期間内には払戻しをしない条件で一定の金額を一時に預入するものと定め(7条1項4号),原則として預入期間が経過した後でなければ貯金を払い戻すことができず,例外的に預入期間内に貯金を払い戻すことができる場合には一部払戻しの取扱いをしないものと定めている(59条,45条1項,2項)。同法が定期郵便貯金について上記のようにその分割払戻しを制限する趣旨は,定額郵便貯金や銀行等民間金融機関で取り扱われている定期預金と同様に,多数の預金者を対象とした大量の事務処理を迅速かつ画一的に処理する必要上,貯金の管理を容易にして,定期郵便貯金に係る事務の定型化,簡素化を図ることにあるものと解される。

 郵政民営化法の施行により,日本郵政公社は解散し,その行っていた銀行業務は株式会社ゆうちょ銀行に承継された。ゆうちょ銀行は,通常貯金,定額貯金等のほかに定期貯金を受入れているところ,その基本的内容が定期郵便貯金と異なるものであることはうかがわれないから,定期貯金についても,定期郵便貯金と同様の趣旨で,契約上その分割払戻しが制限されているものと解される。そして,定期貯金の利率が通常貯金のそれよりも高いことは公知の事実であるところ,上記の制限は,預入期間内には払戻しをしないという条件と共に定期貯金の利率が高いことの前提となっており,単なる特約ではなく定期貯金契約の要素というべきである。しかるに,定期貯金債権が相続により分割されると解すると,それに応じた利子を含めた債権額の計算が必要になる事態を生じかねず,定期貯金に係る事務の定型化,簡素化を図るという趣旨に反する。他方,仮に同債権が相続により分割されると解したとしても,同債権には上記の制限がある以上,共同相続人は共同して全額の払戻しを求めざるを得ず,単独でこれを行使する余地はないのであるから,そのように解する意義は乏しい。

ウ 前記(1)に示された預貯金一般の性格等を踏まえつつ以上のような各種預貯金債権の内容及び性質をみると,共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,いずれも,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。

(3)以上説示するところに従い,最高裁平成15年(受)第670号同16年4月20日第三小法廷判決・裁判集民事214号13頁その他上記見解と異なる当裁判所の判例は,いずれも変更すべきである。

5 以上によれば,本件預貯金が遺産分割の対象とならないとした原審の判断には,裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,この趣旨をいうものとして理由があり,原決定は破棄を免れない。そして,更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。」

④【最判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁】

「連帯債務は、数人の債務者が同一内容の給付につき各独立に全部の給付をなすべき債務を負担しているのであり、各債務は債権の確保及び満足という共同の目的を達する手段として相互に関連結合しているが、なお、可分なること通常の金銭債務と同様である。ところで、債務者が死亡し、相続人が数人ある場合に、被相続人の金銭債務その他の可分債務は、法律上当然分割され、各共同相続人がその相続分に応じてこれを承継するものと解すべきであるから(大審院昭和五年(ク)第一二三六号,同年一二月四日決定、民集九巻一一一八頁、最高裁昭和二七年(オ)第一一一九号、同二九年四月八日第一小法廷判決、民集八巻八一九頁参照)、連帯債務者の一人が死亡した場合においても、その相続人らは、被相続人の債務の分割されたものを承継し、各自その承継した範囲において、本来の債務者とともに連帯債務者となると解するのが相当である。」

⑤【最判平成21年3月24日民集63巻3号427頁】

「本件のように,相続人のうちの1人に対して財産全部を相続させる旨の遺言により相続分の全部が当該相続人に指定された場合,遺言の趣旨等から相続債務については当該相続人にすべてを相続させる意思のないことが明らかであるなどの特段の事情のない限り,当該相続人に相続債務もすべて相続させる旨の意思が表示されたものと解すべきであり,これにより,相続人間においては,当該相続人が指定相続分の割合に応じて相続債務をすべて承継することになると解するのが相当である。もっとも,上記遺言による相続債務についての相続分の指定は,相続債務の債権者(以下「相続債権者」という。)の関与なくされたものであるから,相続債権者に対してはその効力が及ばないものと解するのが相当であり,各相続人は,相続債権者から法定相続分に従った相続債務の履行を求められたときには,これに応じなければならず,指定相続分に応じて相続債務を承継したことを主張することはできないが,相続債権者の方から相続債務についての相続分の指定の効力を承認し,各相続人に対し,指定相続分に応じた相続債務の履行を請求することは妨げられないというべきである。

 そして,遺留分の侵害額は,確定された遺留分算定の基礎となる財産額に民法1028条所定の遺留分の割合を乗じるなどして算定された遺留分の額から,遺留分権利者が相続によって得た財産の額を控除し,同人が負担すべき相続債務の額を加算して算定すべきものであり(最高裁平成5年(オ)第947号同8年11月26日第三小法廷判決・民集50巻10号2747頁参照),その算定は,相続人間において,遺留分権利者の手元に最終的に取り戻すべき遺産の数額を算出するものというべきである。したがって,相続人のうちの1人に対して財産全部を相続させる旨の遺言がされ,当該相続人が相続債務もすべて承継したと解される場合,遺留分の侵害額の算定においては,遺留分権利者の法定相続分に応じた相続債務の額を遺留分の額に加算することは許されないものと解するのが相当である。遺留分権利者が相続債権者から相続債務について法定相続分に応じた履行を求められ,これに応じた場合も,履行した相続債務の額を遺留分の額に加算することはできず,相続債務をすべて承継した相続人に対して求償し得るにとどまるものというべきである。」

⑥【最判平成3年4月19日民集45巻4号477頁】

「被相続人の遺産の承継関係に関する遺言については、遺言書において表明されている遺言者の意思を尊重して合理的にその趣旨を解釈すべきものであるところ、遺言者は、各相続人との関係にあっては、その者と各相続人との身分関係及び生活関係、各相続人の現在及び将来の生活状況及び資力その他の経済関係、特定の不動産その他の遺産についての特定の相続人のかかわりあいの関係等各般の事情を配慮して遺言をするのであるから、遺言書において特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言者の意思が表明されている場合、当該相続人も当該遺産を他の共同相続人と共にではあるが当然相続する地位にあることにかんがみれば、遺言者の意思は、右の各般の事情を配慮して、当該遺産を当該相続人をして、他の共同相続人と共にではなくして、単独で相続させようとする趣旨のものと解するのが当然の合理的な意思解釈というべきであり、遺言書の記載から、その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り、遺贈と解すべきではない。そして、右の「相続させる」趣旨の遺言、すなわち、特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させようとする遺言は、前記の各般の事情を配慮しての被相続人の意思として当然あり得る合理的な遺産の分割の方法を定めるものであって、民法九〇八条において被相続人が遺言で遺産の分割の方法を定めることができるとしているのも、遺産の分割の方法として、このような特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させることをも遺言で定めることを可能にするために外ならない。したがって、右の「相続させる」趣旨の遺言は、正に同条にいう遺産の分割の方法を定めた遺言であり、他の共同相続人も右の遺言に拘束され、これと異なる遺産分割の協議、さらには審判もなし得ないのであるから、このような遺言にあっては、遺言者の意思に合致するものとして、遺産の一部である当該遺産を当該相続人に帰属させる遺産の一部の分割がなされたのと同様の遺産の承継関係を生ぜしめるものであり、当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り、何らの行為を要せずして、被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきである。そしてその場合、遺産分割の協議又は審判においては、当該遺産の承継を参酌して残余の遺産の分割がされることはいうまでもないとしても、当該遺産については、右の協議又は審判を経る余地はないものというべきである。もっとも、そのような場合においても、当該特定の相続人はなお相続の放棄の自由を有するのであるから、その者が所定の相続の放棄をしたときは、さかのぼって当該遺産がその者に相続されなかったことになるのはもちろんであり、また、場合によっては、他の相続人の遺留分減殺請求権の行使を妨げるものではない。」

【参照条文】

●民法

(詐欺又は強迫)

第九十六条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。

2 相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。

3 前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

(不可分債務)

第四百三十条 前条の規定及び次款(連帯債務)の規定(第四百三十四条から第四百四十条までの規定を除く。)は、数人が不可分債務を負担する場合について準用する。

(履行の請求)

第四百三十二条 数人が連帯債務を負担するときは、債権者は、その連帯債務者の一人に対し、又は同時に若しくは順次にすべての連帯債務者に対し、全部又は一部の履行を請求することができる。

(相続の一般的効力)

第八百九十六条 相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。

(祭祀に関する権利の承継)

(遺言による相続分の指定)

第九百二条 被相続人は、前二条の規定にかかわらず、遺言で、共同相続人の相続分を定め、又はこれを定めることを第三者に委託することができる。ただし、被相続人又は第三者は、遺留分に関する規定に違反することができない。

2 被相続人が、共同相続人中の一人若しくは数人の相続分のみを定め、又はこれを第三者に定めさせたときは、他の共同相続人の相続分は、前二条の規定により定める。

(特別受益者の相続分)

第九百三条 共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、前三条の規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。

2 遺贈又は贈与の価額が、相続分の価額に等しく、又はこれを超えるときは、受遺者又は受贈者は、その相続分を受けることができない。

3 被相続人が前二項の規定と異なった意思を表示したときは、その意思表示は、遺留分に関する規定に違反しない範囲内で、その効力を有する。

(遺産の分割の基準)

第九百六条 遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。

(遺留分の帰属及びその割合)

第千二十八条 兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。

一 直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一

二 前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一

(遺留分の算定)

第千二十九条 遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。

2 条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利は、家庭裁判所が選任した鑑定人の評価に従って、その価格を定める。

第千三十条 贈与は、相続開始前の一年間にしたものに限り、前条の規定によりその価額を算入する。当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたときは、一年前の日より前にしたものについても、同様とする。

(遺贈又は贈与の減殺請求)

第千三十一条 遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。

(減殺請求権の期間の制限)

第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

(代襲相続及び相続分の規定の準用)

第千四十四条 第八百八十七条第二項及び第三項、第九百条、第九百一条、第九百三条並びに第九百四条の規定は、遺留分について準用する。

●民事保全法

(申立て及び疎明)

第十三条 保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。

2 保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。

(保全命令の担保)

第十四条 保全命令は、担保を立てさせて、若しくは相当と認める一定の期間内に担保を立てることを保全執行の実施の条件として、又は担保を立てさせないで発することができる。

2 前項の担保を立てる場合において、遅滞なく第四条第一項の供託所に供託することが困難な事由があるときは、裁判所の許可を得て、債権者の住所地又は事務所の所在地その他裁判所が相当と認める地を管轄する地方裁判所の管轄区域内の供託所に供託することができる。

(仮処分命令の必要性等)

第二十三条 係争物に関する仮処分命令は、その現状の変更により、債権者が権利を実行することができなくなるおそれがあるとき、又は権利を実行するのに著しい困難を生ずるおそれがあるときに発することができる。

2 仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。

3 第二十条第二項の規定は、仮処分命令について準用する。

4 第二項の仮処分命令は、口頭弁論又は債務者が立ち会うことができる審尋の期日を経なければ、これを発することができない。ただし、その期日を経ることにより仮処分命令の申立ての目的を達することができない事情があるときは、この限りでない。