遺産分割と税務対策
家事|相続税|生産緑地対策|準確定申告
目次
質問:
先日,父が亡くなりました。父の遺産のほとんどは,先祖代々引き継いできた多数の不動産で,固定資産評価額でも10億円は下りません。
他方で,十分な現金が残っておらず,今後支払うべき高額な相続税の捻出が出来そうにありません。不動産の大部分は広大な生産緑地(農地)と収益物件ですが,どれも簡単に売却することが出来るとは思えない状況で心配です。
相続人は母及び私含む子供2人の合計3人ですが,相続税の捻出の問題に加えて,遺言書がないためにどのように遺産を分割するかについても話し合いがまとまりそうになく,途方に暮れています。
今後の税金の支払いや遺産の分割について上手く進めるためにはどうしたら良いでしょうか。
回答:
1 今後,税務上の手続きとして必要となるのは,収益物件からの賃料収入等の確定申告(準確定申告)と相続税申告です。
準確定申告については,相続の開始があったことを知った日(通常は被相続人=お父様の死亡日)の翌日から4ヶ月以内に(所得税法124条1項),確定申告については翌年の3月15日までに(所得税法120条1項),申告と納税を行う必要があります。
相続税の申告・納税期限は相続開始を知った日(被相続人の死亡した日)の翌日から10ヶ月以内です(相続税法27条1項,33条)。
遺産分割協議が期限内に成立しない場合でも,この期限は変更できませんので,間に合わなければ,各法定相続人が法定相続分に応じた申告・納税を仮に行い,後の分割協議に基づき修正申告を適宜行うことで調整することになります。
申告が遅れると無申告加算税,納税が遅れると延滞税が掛かってきますので,注意が必要です。
不動産を担保提供をして延納の申請をすることも出来ますが,前提として,担保に供する不動産を各相続人が確定的に取得していなければならない,すなわち遺産分割協議が成立していなければならないことは言うまでもありません。
2 税金を余分に発生させないためにも,全ての申告・納税を期限内に行うのが望ましいですが,特に相続税はかなり高額となることが予想されますので,どのように相続税を捻出するか,ということを事前によく考えておかないと,期限までに捻出できずに延滞税も嵩んでいってしまう,ということになりかねません。
また,相続税の申告期限までに遺産分割協議が成立していないと,配偶者に対する相続税額の軽減(配偶者控除),小規模宅地等の特例,農地の納税猶予等の優遇措置の適用を受けることができない,というデメリットがあります。配偶者控除や小規模宅地の特例については,申告期限までに相続税の申告書と一緒に「申告期限後3年以内の分割見込書」を提出しておき,遺産分割協議の成立日から4ヶ月以内に更正の請求を行えば,これらの特例を結果的に使うことはできますが,一旦は高額な相続税を負担しなければなりません。
3 相続税のために捻出しなければならない金額を最小限にするという意味では,申告期限前に遺産分割協議をまとめること,可能な限りの税制優遇措置の適用を受けられるよう税理士と綿密な打合せを重ねることが不可欠ですが,それでもやはり不動産の一部の売却は避けて通ることができないでしょう。遺産分割協議の前段階で,取り急ぎ相続税分の資金を確保するために,全員の同意を得て一定の不動産を売却する,ということは考えておくべきです。
あるいは遺産分割協議成立後であれば,各相続人が取得した不動産を担保に金融機関から融資を受けるという手段や物納という手段もあり得ます。
しかし,相続税の申告期間である10ヶ月という期間は想像以上に短く,その間に多岐にわたる遺産を整理して分割協議をまとめるのは至難の業といえます。
不動産の売却を検討する場合は,どの不動産を売却するかについても慎重な判断が必要です。農地を売却しようとする場合は,生産緑地指定の解除申請を行った上で,地目を宅地等に変更して売却することになりますが,指定解除には最短でも3ヶ月程度はかかることから,早めに動いておく必要があります。
4 このように,特に遺産の評価額がある程度高額な事案では,遺産分割協議と納税の問題を切り離して考えることは相当でなく,相続税を最小限に止めるために相続人全員である程度協力し合いながら進めていくことが必要です。税理士と弁護士双方への依頼を検討されると良いでしょう。
5 相続税に関する関連事例集参照。
解説:
第1 税務上の手続きについて
1 概要
相続発生に伴う税務上の手続きとして必要なのは,収益物件からの賃 料収入等の確定申告(準確定申告)・納税と相続税の申告・納税です。
確定申告については,1月1日から被相続人の死亡日までに確定した賃料所得を申告する「準確定申告」となります。死亡日以降12月31日までの収益は物件を相続した相続人の賃料所得になりますから翌年の確定申告が必要になります。
従って、被相続人が、例えば2月1日に亡くなった場合は、亡くなる前年の収入についての確定申告を3月15日までに行い、6月1日までに亡くなった当該年度の故人の収入について準確定申告を行う必要があります。申告期限を過ぎると延滞税が賦課されたり、税制上の優遇措置を受けることができなくなる場合もありますので注意が必要です。
相続人がこれまで個人事業主としての活動を行ったことが無い場合は,新たに所轄の税務署へ個人事業主の開業届を提出する必要があります。また,税額を抑えるためにも,青色申告承認申請書も同時に提出しておくべきです。
2 申告・納税期限と無申告加算税・延滞税
(1) 準確定申告については,相続開始を知った日(通常は被相続人=お父様の死亡日)の翌日から4ヶ月以内に(所得税法120条1項、同124条1項),申告と納税を行う必要があります。
相続税については,相続開始を知った日の翌日から10ヶ月以内に(相続税法27条1項,33条)申告・納税を行う必要があります。
いずれの期限も絶対的なもので,期限内に遺産分割協議が成立しない場合でも変わることはありません。その場合,各法定相続人が法定相続分に応じた申告・納税を仮に行い,後の分割協議に基づき修正申告を適宜行うことで調整することとされております。
(2) 申告期限から2週間が経過した後に税務調査を受けて申告した場合は税額の15%を無申告加算税として支払わなければなりません(税務署から連絡が来る前に自主的に申告した場合は5%となります。)。
また,各納税期限までに納税ができないと,延滞税の対象にもなりますので,注意が必要です。納期限の翌日から2ヶ月を経過する日までの期間については,年「7.3%」と「特例基準割合+1%」のいずれか低い割合を,さらに,納期限の翌日から2ヶ月を経過する日の翌日以後については,年「14.6%」と「特例基準割合+7.3%」のいずれか低い割合が各々適用され,平成30年度で言えば年利2.6%ないし8.9%の延滞税が課されることになります。
(参考)国税庁HPより延滞税の割合について
https://www.nta.go.jp/taxes/nozei/entaizei/keisan/entai_wariai.htm
3 延納について
相続税額が10万円を超え,金銭で納付することを困難とする事由がある場合には,納税者の申請により,その納付を困難とする金額を限度として,担保を提供することにより,年賦で納付することができます。これが延納の制度です。
(参考)国税庁HPより相続税の延納について
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4211.htm
しかし,延納の制度を利用するためには,担保提供が必要となりますので,遺産分割協議が成立して不動産が各相続人に名義移転されていなければなりません。
第2 相続税の特例について
1 概要
以上が税金の申告・納税に関する大まかな流れですが,相続税に関して負担軽減のための特例が幾つか用意されております。本件に関連しそうなものをご紹介いたします。
2 特例の種類・内容について
(1) 配偶者の税額軽減(配偶者控除)
被相続人の配偶者が遺産分割や遺贈により実際に取得した正味の遺産額が,法定相続分を上回らない限りは,配偶者に相続税はかからないという制度です。
非常に大きな控除が受けられますので,必ず適用を受けるべきです。
(参考)国税庁HPより配偶者の税額の軽減について
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4158.htm
(2) 小規模宅地等の特例
相続開始直前まで被相続人等の事業の用に供されていた宅地等(特定事業用宅地等)又は被相続人等の居住の用に供されていた宅地等(特定居住用宅地等)について,限度面積の範囲内(200から400平米)で,相続税の課税評価額を一定割合(50%から80%)減額する制度です。
(参考)国税庁HPより小規模宅地等の特定について
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4124.htm
適用要件については上記国税庁のHPに記載されておりますが,少なくとも被相続人(お父様)の配偶者(お母様)が自宅を取得したような場合には,この特例の適用を受けることが可能でしょう。
(3) 農地の納税猶予
農業を営んでいた被相続人から一定の相続人が一定の農地等を相続や遺贈によって取得し,農業を営む場合には,一定の要件の下にその取得した農地等の価額のうち農業投資価格による価額を超える部分に対応する相続税額は,その取得した農地等について相続人が農業の継続を行っている場合に限り,その納税が猶予される,という制度です。農業投資価格は通常の宅地評価額の数百分の一の水準ですので,要するに,農業を終身的に行う代わりに相続税がほとんど猶予されるということです。
そして,①特例を受けた農業相続人が亡くなった場合,②特例を受けた農業相続人が農地を一括生前贈与した場合,③特例を受けた農業相続人が,農業経営を20年間継続した場合は,将来的に納税が免除されます。
(参考)国税庁HPより農業相続人が農地を相続した場合の特例について
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4147.htm
相続税申告時に,農業委員会から交付される相続税納税猶予適格者証明書を提出すると共に,納税猶予を受け続けるためには,3年に1度税務署に継続届出を行うことが必要です。
3 申告期限内に遺産分割協議が成立しないことのデメリットについて
相続税の上記特例は,相続税の申告期限内に遺産分割協議を成立させておかないと適用を受けることができません。この点が,申告期限内に遺産分割協議が成立しないことのデメリットです。また,上記のとおり,延納の制度も利用できません。
なお,配偶者控除や小規模宅地特例については,申告期限までに相続税の申告書と一緒に「申告期限後3年以内の分割見込書」を提出しておくことで,遺産分割協議成立後(3年以内の成立が必要)4ヶ月以内に,修正申告や更正請求により,その優遇を受けることができます。
しかし,この場合,一旦は特例の適用を受けない税額を納付する必要があるため,一時的にでもその分の現金を捻出しなければなりません。遺産の内訳として現金が少なく不動産が大半を占めるために,相続税を被相続人の預金や相続人自身の預金で賄いきれない場合は,不動産の売却を検討しなければなりません。
また,農地の納税猶予の特例については,申告期限内に遺産分割協議が成立しない限り,当該特例の適用を受けることはできません。しかも,上記のとおり,農業委員会から相続税納税猶予適格者証明書の交付を受ける必要もあるため,申告期限ギリギリに協議が成立したのでは間に合いません。納税猶予の適用を受けたい(税務上の優遇措置を受ける代わりに終身的に農業を営みたい)と主張する相続人がいる場合,農業委員会への届出等の期間を考慮して,早めに遺産分割協議を成立させておく必要があるのです。全体の遺産分割協議が難しい場合は,一部だけの分割協議書を作成するのも一つの手です。
4 小括
このように,相続税の負担軽減のための特例については,スピード勝負なところがありますので,遺産分割協議と税務申告の問題について,早い段階から税理士,弁護士と協議することが不可決といえます。特に,本件のような遺産が多岐にわたって相続税の金額が大きくなりそうな事案では,被相続人の生前から,ある程度の相続税対策や逝去後のシミュレーションを重ねておくことが肝要です。遺言書の作成もその一環といえるでしょう。
第3 相続税の捻出について
1 申告・納税期間からくる限界
そうはいっても,本件では不動産を売却して資金を作るか,あるいは不動産を担保に融資を受けるか,それとも物納の制度を利用するかしないと,相続税の納税が出来ません。このうち,不動産を担保に融資を受ける手法や相続税の物納を利用する手法は,いずれも遺産分割協議を成立させて不動産の名義を特定の相続人に移転させておかなければ,利用できません。
時間的な猶予があればそのような方法も採り得なくはないですが,実際には難しいことが多いです。というのも,遺産が多岐にわたる場合は,遺産の整理をするだけでも相当の時間が掛かります。専門家である税理士に相続税の申告書類の作成を依頼したとしても,数ヶ月は掛かるでしょう。元々,10ヶ月という相続税の申告期間は,こういった複雑な事案には十分とは言い難い期間なのです。
こういった観点から,遺産分割協議の前段階で,相続税を確保するために全員の同意を得て不動産の一部を売却する,という方法を検討せざるを得なくなる可能性が高いでしょう。
2 生産緑地指定の解除
(1) 生産緑地とは
不動産を売却するとして,どの不動産を売却するのかは,相続人間で話し合って決めることですが,本件では担保の目的となっていない不動産が生産緑地しかない,ということですから,生産緑地の指定を解除して市場価値を上げてから売却する,という方法を検討しても良いでしょう。
生産緑地とは,生産緑地法3条1項により定められた生産緑地地区の区域内の土地又は森林をいいます(生産緑地法2条3号)。簡単に言えば,都市部に緑地や農地を保全する目的で定められた制度です。
①公害又は災害の防止,農林漁業と調和した都市環境の保全等良好な生活環境の確保に相当の効用があり,かつ,公共施設等の敷地の用に供する土地として適しているものであること,②500平方メートル以上の規模の区域であること,③用排水その他の状況を勘案して農林漁業の継続が可能な条件を備えていると認められるものであること,といった条件を満たす農地について区域指定が可能とされており(生産緑地法3条1項各号),お父様が所有されていた農地もこの条件を満たしていたものといえます。
生産緑地は営農が前提となっておりますので,建築制限等の重大な制限が課されることになります(生産緑地法8条1項)。
※参考URL,国土交通省の解説ページ
https://www.mlit.go.jp/toshi/park/toshi_city_plan_tk_000041.html
(2) 生産緑地指定の解除の方法
生産緑地指定の解除が認められるのは,①生産緑地指定から30年経過した場合,②病気などの理由で主たる従事者が営農することが困難になった場合,③主たる従事者が死亡し,その相続人等が営農しない場合の3通りです(生産緑地法10条)。
解除に至るまでの手続きは,以下のとおりです。
まず,生産緑地の解除を申請するには,市町村長に生産緑地の買取りの申出を行わなければなりません(生産緑地法10条)。
しかし,実際に自治体が買取りに応じることはほとんどありません。財政上の問題が大きいようです。自治体が買取りに応じないことが分かっていても,法律上の要請なので,この手続きを省略することはできません。
その後,市町村長から,買取りに関する諾否の通知が1ヶ月以内に書面で来ます(生産緑地法12条1項)。
市町村長が買い取らない旨の通知を行った場合は,およそ2ヶ月間,農業従事者に対して生産緑地の取得のあっせんを行います(生産緑地法13条)。
制約の多さから,買い手が見付かるのは極めて稀であり,2ヶ月間買い手が付かなければ,ようやく生産緑地指定の解除が受けられることになります(生産緑地法14条)。
指定の解除を受け次第,市場で売却するために宅地への地目変更等を済ませ,不動産業者等を通じて早期の売却を目指す流れとなります。
買取りの申出から指定の解除に至るまで3ヶ月掛かりますので,生産緑地指定の解除にもかなりの時間が掛かるということは認識しておかなければなりません。
なお,農地の納税猶予制度を利用したいと考える相続人がいれば,生産緑地指定の解除を行うかどうかで揉めることも想定されます。一部分だけの指定解除を受ける,という方法もありますので,解決が遅れないよう,柔軟な話し合いが求められます。
3 収益物件の売却
どうしても間に合わなければ,収益物件の売却も検討しましょう。共同担保の目的となっているとしても,オーバーローンでなければ,金融機関が売却を断る理由はありませんし,ある程度の差益が生まれますので,その差益を相続税として捻出する方法もあり得るところです。
第4 まとめ
以上述べてきたとおり,遺産分割と納税の問題は切り離して考えることができないため,特に遺産が多岐にわたって複雑な場合は,税理士と弁護士双方からのアプローチが不可欠といえます。早急に税理士,弁護士に手続きを依頼されることをお勧めいたします。
以上