事実に反する「相続分なきことの証明書」の有効性

家事・相続|「相続分のないことの証明書」の意義、裁判例を踏まえた無効主張のポイント|無効を主張する場合に適した訴訟形態

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参照条文

質問

私の父が亡くなりました。母は既に亡くなっていますが、私の他に兄と弟が一人ずつおり、兄が父と暮らしていました。

私は、結婚して既に父とは離れたところに住んでいたため、父の状況についてはよく知りませんでしたが、先日兄から「手続のために書いて」と言われて渡された「相続分のないことの証明書」という書面に署名・押印してしまいました。押印は実印で、言われるがままに印鑑証明書と併せて送りました。

しかし、後日弟から、父は広い土地をはじめ、遺産がある程度ある、という話を聞いたのですが、私はもう父の遺産は貰えないのでしょうか。

回答

1 あなたが署名押印してしまった「相続分のないことの証明書」は、「特別受益証明書」や「相続分不存在証明書」ともいわれており、民法903条2項を根拠として、登記実務上は有効なものとして取り扱われていることから、実務上用いられることがある書面です。そのため、仮にこの証明書の効力が認められてしまうと、あなたは遺産分割協議から排除され、いくら遺産があったとしても、分配を受けることはできない、という結論になってしまいます。この証明書ですが、民法903条2項を根拠とするのであれば、「特別受益を得ていること」が前提になっているはずで、実際の裁判例では、特別受益に当たる生前の被相続人からの贈与等がない場合には、その効力を否定する、という判断もなされています。

2 他方で、後述のとおり、その後の裁判例では、必ずしも特別受益の有無によって、証明書の効力を判断しておらず、具体的な作成の経緯から、証明書の作成が、遺産分割協議書の作成と同視できるかという視点から、遺産分割協議の有無を判断しているようです。生前の特別受益の有無にかかわらず、相続分がない、すなわち遺産分割により取得する財産はないと認めたといえるか否か、という問題となります。

3 ご事情を詳しくお伺いしないと何とも言えませんが、あなたが相続により取得する財産があると考えているのであれば、まずは他の相続人に対して、書面で証明書の効力を否定し、遺産分割協議を申し入れることが必要ですし、法的手続きとしては家庭裁判所での遺産分割調停と審判を念頭に入れる必要があります。いずれにしても、弁護士にご相談することをお勧めいたします。

4 その他の関連する事例集はこちらをご覧ください。

解説

1 はじめに

今回のご相談は、①「相続分のないことの証明書」とは何か、②「相続分のないことの証明書」に署名押印した場合、(どのような条件のもとで)有効なものとして取り扱われるか、③無効を主張できる場合、どのような形で主張することになるか、という点についてそれぞれ検討する必要があります。

2 「相続分のないことの証明書」について

(1) まず、そもそも「相続分のないことの証明書」とは何か、について説明いたします。

一般的には、相続が発生した場合、相続人全員が遺産分割協議をして、全員の合意のもとで遺産分割協議書を作成する、という流れをたどります。

しかし、主に遺産に不動産が含まれており、当該不動産の(相続)登記をする場面において用いられるのが、「相続分のないことの証明書」です。これは、上記遺産分割協議書とは異なり、その相続人の署名・押印(実印、印鑑証明書付き)があれば、当該相続人は遺産分割協議に参加する必要はなく、残った相続人の遺産分割協議書で、相続登記ができる、という書面です。

(2) この「相続分のないことの証明書」ですが、登記実務上は有効なものとして取り扱われています。その根拠として挙げられているのは、民法903条2項の規定です。同条項は、既に自らの相続分と同額あるいは超える額の生前贈与等の特別受益を受けていた相続人は、自らの相続分の取得ができない旨を規定するもので、「相続分のないことの証明書」(その性質から「特別受益証明書」ともいいます)はこの内容を証明するものです。

そのため、一般的な同証明書には、「甲(注:被相続人)の相続人である乙(注:当該相続人)は、甲の生前に既に生計の資本として相続分以上の贈与を受けているので、甲の相続については相続分のないことを証明する」といった文言が入っているのが通常です。また、遺産分割協議書には、具体的な遺産についての配分方法を決めるものであるから、遺産目録が付くものですが、上記証明書については、遺産目録等は不要とされています。

(3) 本件について、仮にあなたが書いてしまったのがこの「相続分のないことの証明書」であるなら、お兄さんは、あなたを遺産分割協議から排除して、弟さんと二人で遺産分割協議書を作成して遺産分割を終わらせることを考えていると思われます。

3 相続分のないことの証明書の有効性

(1) 以上を前提として、あなたの立場で具体的にどのような主張が可能か、という点について説明いたします。

(2) まず、上記のとおり、「相続分のないことの証明書」によって、不動産の登記ができてしまう、という一般的な登記実務については現状動かしがたいところです。

しかし、上記のとおり、この証明書は、あくまでも民法903条2項に規定する「特別受益があったことから、相続分が存在しない」旨の証明書です。

したがって、実際には特別受益がなかった場合、つまり生前贈与等を受けていなかった場合に、当該証明書は有効なのか、という問題が生じます。

なお、当該証明書には受けた生前贈与等の特別受益の具体的な内容を記載する必要はないこともあって、特別受益の有無にかかわらず、遺産分割協議から相続人を排除するために実際に使われることもあるようです。

(3) 実際に特別受益がなかった場合の「相続分のないことの証明書」の有効性について、まず無効としたものとして、名古屋地判昭和50年11月11日判例タイムズ334号285頁があります。

(「相続分のないことの証明書」について)原告がその意思にもとづき右証明書に押印したか否かはさて措き、本件全証拠によっても原告がSの生前に原告の相続分である一五分の二(Sの相続人が原告主張のとおりであることは双方間に争いがないからこれにもとづき計算すると原告の相続分はこのとおりとなる)にみあう財産の贈与をうけたような事実は認められず、従って右証明書の記載内容は虚偽であるといわねばならない。

本件のように相続人が「生前に贈与をうけたため相続すべき財産はない」旨の証明書に押印した結果、右相続人をはづして相続不動産につき相続を原因とする所有権移転登記手続がなされたが、実際にはそれに記載のような贈与がなされていない場合、要するに右証明書の記載内容が虚偽であるときには相続人がこの証明書に署名ないし押印をしてもその相続分を失うことはないと解すべきである。けだし、現実に証明書記載のような贈与がなかった以上、これに署名ないしは押印したからといって当然に相続財産に対する持分を失う積極的根拠はないというべく、またかりに右相続人がその相続権を放棄する意思をもっていたとしても、これにより相続分を失うことを認めるのは相続放棄制度に対する一種の脱法行為を容認することにもなるからである。ただ、被告はこの点につき、原告が自己の持分を他の相続人に贈与したことになる旨主張するのであるが、原告の右書面への押印は法律行為ではなく、単なる過去の事実の証明にすぎないのであるから、これをもって特定人への贈与の意思表示があったと認めることは困難である。

つまり、遺産分割協議書とは異なり、当該証明書は「特別受益があった事実を証明する」ものに過ぎないから、その事実が虚偽である以上、当該証明書に基づく登記は無効である、また相続放棄制度がある以上、当該証明書をもって相続権の放棄の意思表示とみることもできない、という理屈です。

この裁判例をみると、民法903条2項の「相続分を超える特別受益」が実際に存在していないのであれば、当該証明書も無効(この裁判例からすると、そもそも法的効果を生じさせるものではなく、当該証明書による登記が無効)ということになります。

(4) しかし、東京高判昭和59年9月25日判例時報1137号76頁は、特別受益の有無について判示することなく、「相続分不存在証明書」(本件でいう「相続分のないことの証明書」)及び印鑑証明書を交付した時点で、遺産分割協議が成立する、としました。

この裁判例は、上記名古屋地判と異なり、証明書の交付をもって、証明書を交付していない相続人に単独相続させる旨の遺産分割協議が相続人間で成立した、と判示しています。

また、名古屋高決平成9年3月5日家庭裁判月報49巻11号134頁は、当該証明書があることを理由として、遺産分割の審判を却下した一審に対する即時抗告事件ですが、次のように判示して遺産分割協議の成立を否定し、一審に差し戻しています。

本件記録によると、砺波市若林土地改良区は、土地改良登記令2条により代位して、別紙遺産目録記載1及び6ないし8の各土地の従前地については、昭和51年5月31日受付をもって亡K、次いで相手方Hへの、同目録記載2の土地の従前地については、同年6月8日受付をもって抗告人Nへの各相続登記の申請をし、各相続を原因とする所有権移転登記手続を了したこと、しかる後、相手方Hに対し同目録記載1及び6ないし8の各土地が、抗告人Nに対し同目録記載2の土地がそれぞれ換地処分されたことが認められ、この事実からすると、上記換地処分までの間に、遺産である上記各土地について、共同相続人間に遺産分割の協議がなされたと見られなくはない。

しかしながら、本件記録によると、上記砺波市若林土地改良区の代位登記は、上記換地処分の際に、相手方Hが、土地改良事業の換地処分のため必要があるといって、相手方Wを除く共同相続人からは昭和50年8月14日ころから同月23日ころまでの間に、相手方Wからは同51年3月10日ころに、いずれも「被相続人生存中に被相続人より相続分超過の贈与を受けているのでその遺産については受くべき相続分がないことを証明する。」と記載されたいわゆる「相続分なきことの証明書」各2通及び印鑑登録証明書各1通を集め、これを同改良区に提出したことによって行われたものであり、上記のころに共同相続人間で被相続人A1及びA2の遺産についての分割協議がなされた形跡は見られないこと、抗告人Nは、定年退職して平成7年12月に帰郷するまでは福岡県に居住しており、亡Kの生前に同人と相続の話をしたことがなかったこと、また抗告人Y及びDも、両親の遺産について亡Kらと話合いをしたことは一度もなかったこと、相手方H自身も、原審において、「登記手続は亡Kがしていたので、別紙遺産目録記載2の土地を抗告人N名義にするについて同人が承諾したかどうかは知らない。亡Kが亡くなって後、前記土地改良区から頼まれ登記をやり直すことになり、抗告人Nから相続分なきことの証明書を受けとったが、その時、他の土地はどうするかとの話は何もなかった。登記が完了して以降、遺産分割についての話は全くしていない。」旨陳述していることが認められ、これらの事実からすると、上記相続分なきことの証明書が作成されたことをもって、換地処分に際し被相続人A1及びA2の共同相続人間に遺産分割協議が成立したものと認めることはできない。

これは、「被相続人生存中に被相続人より相続分超過の贈与を受けているのでその遺産については受くべき相続分がないことを証明する。」と書かれた「相続分なきことの証明書」を「土地改良事業の換地処分のため必要がある」という理由で取得しており、「遺産についての分割協議がなされた形跡は見られないこと」と遺産についての「話合いをしたことは一度もなかったこと」から、遺産分割協議は存在していない、という判断のようです。

以上の各裁判例からすると、現在は、上記名古屋地判のように現実の特別受益の有無によって、当該証明書の有効・無効が判断されるのではなく、どのような経緯で当該証明書が作成されたか、すなわちあくまでも(実質的な)遺産分割協議がなされたか、という観点から判断される傾向にあるようです。

(5) そこで本件については、「手続のために書いて」とだけ言われて作成した、ということであれば、上記名古屋高決と同様に、実質的な遺産分割協議がなされたとはいえない、ということになる可能性があります。

4 具体的な対応

(1) 以上を踏まえた上で、本件においてどのような対応をするべきかですが、まず、当然のことですが、他の相続人である兄弟二人に対して、自分も遺産分割協議に参加する資格があること、すなわち先に送った「相続分のないことの証明書」が無効なものであることを示すことが必要です。

(2) 示す内容としては、上記の裁判例を踏まえて、①特別受益を受けた事実がないこと、②一切遺産分割協議が実施されていないこと、のうち、特に②について、証明書を作成した経緯についても、後の流れを想定して明確にしておくことが求められますし、やはり口頭ではなく書面(内容証明郵便)でおこなうことが必要です。

(3) もちろん、この書面に対する他の相続人の反応として、問題なく遺産分割協議に加えてもらえるようであれば問題ないですが、既に不動産の登記がなされてしまっていたり、あるいは主張を無視して遺産分割協議から排除されたまま、ということであれば、法的手続を検討することになります。

(4) 具体的な法的手続ですが、上記東京高判昭和59年9月25日では、証明書が無効であることを前提として、所有権移転登記手続請求訴訟を提起しています。上記のとおり、請求自体は認められませんでしたが、こういった形での訴訟を提起すること自体は否定されていませんので、選択肢としてはある、ということになります。

ただ、こういった訴訟の形を採ってしまうと、当該不動産以外の遺産についての処理が残りますし、そもそも不動産の共有名義を取得できたとしても、その後当該土地をどうするか、という問題は残ります。そのため、名古屋高決のように、遺産分割事件として、調停の申立をすることが最も適していると思います。

遺産分割調停を申立て、調停がまとまらないようであれば、そのまま審判に移行(家事事件手続法272条4項)させ、(名古屋高決のように)その中で証明書の効力の有無を争う、ということになります。

(5) いずれにしても、あなたを遺産分割協議から排除しようとした兄弟との交渉になりますから、難航が予想されますし、上記のとおり法的な判断が不可欠であるため、一度弁護士にご相談されることをお勧めいたします。

なお、本件は、遺産分割協議書が無効であることとパラレルに考えられるため、その場合の調停の申立てについては、本ホームページ事例集『無効と思われる遺産分割協議書がある場合、遺産分割調停・審判が出来るか』にも記載がございますのでそちらもご参照ください。

以上

関連事例集

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参照条文
民法

(特別受益者の相続分)
第九百三条 共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、第九百条から第九百二条までの規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。
2 遺贈又は贈与の価額が、相続分の価額に等しく、又はこれを超えるときは、受遺者又は受贈者は、その相続分を受けることができない。
3 被相続人が前二項の規定と異なった意思を表示したときは、その意思に従う。
4 婚姻期間が二十年以上の夫婦の一方である被相続人が、他の一方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地について遺贈又は贈与をしたときは、当該被相続人は、その遺贈又は贈与について第一項の規定を適用しない旨の意思を表示したものと推定する。

家事事件手続法

(調停の不成立の場合の事件の終了)
第二百七十二条 調停委員会は、当事者間に合意(第二百七十七条第一項第一号の合意を含む。)が成立する見込みがない場合又は成立した合意が相当でないと認める場合には、調停が成立しないものとして、家事調停事件を終了させることができる。ただし、家庭裁判所が第二百八十四条第一項の規定による調停に代わる審判をしたときは、この限りでない。
2 前項の規定により家事調停事件が終了したときは、家庭裁判所は、当事者に対し、その旨を通知しなければならない。
3 当事者が前項の規定による通知を受けた日から二週間以内に家事調停の申立てがあった事件について訴えを提起したときは、家事調停の申立ての時に、その訴えの提起があったものとみなす。
4 第一項の規定により別表第二に掲げる事項についての調停事件が終了した場合には、家事調停の申立ての時に、当該事項についての家事審判の申立てがあったものとみなす。