中絶の慰謝料請求|交際相手の非情な対応によりうつ病を罹患した事案
民事|妊娠・中絶の慰謝料請求の可否および範囲|中絶を余儀なくされた女性側の被侵害利益の内容|東京高判平成21年10月15日
目次
質問
私は、当時お付き合いしていた彼氏と性交渉をし、妊娠するに至りました。私は、彼氏のことを愛していましたので、彼氏との間に子どもができることを嬉しく思いました。直ぐに彼氏にLINEで妊娠したことを伝えたところ、俺も嬉しいといった内容の返信がありました。ですので、将来について話し合いたいから、明日会えないか?と聞いたのですが、そのLINEを送ってから彼氏と音信不通になってしまいました。
その後も連絡を取ろうとしたのですが、一切連絡が取れませんでした。子どもを産むのか、それとも中絶するのか話し合いたいとLINEを送っても彼氏に既読スルーをされ、私は彼氏に捨てられたのだと思いました。経済的にも私一人で子どもを育てることは不可能だったので、やむなく中絶することを決意しました。
そこで、彼氏に、中絶するにはあなたの同意が必要だから、せめて一緒に病院に行って欲しいと伝えたのですが、中絶に同意するということが書かれた彼氏の署名・押印のある紙切れ1枚が私の住所に送られてきました。
私は、その紙切れ1枚を持って病院に行き、中絶しました。私は、愛していた彼氏のあまりに身勝手な対応に精神を病み、うつ病になってしまいました。
私は、元彼氏に対して、金銭の支払いを請求することができるのでしょうか。
回答
当職らとしても、質問者様の元彼氏のあまりに身勝手な対応に憤りを感じるところです。
質問者様の場合ですと、元彼氏に対して、不法行為に基づく損害賠償請求をすることが考えられます(民法709条)。
不法行為の成立として何が違法な加害行為なのか、侵害された法的な利益は何か、損害賠償の金額が問題となります。この点について、中絶するか否かを選択するに際して、女性は直接的に身体的、精神的苦痛を負うことになり、女性は相手方の男性からこうした不利益を分担する行為の提供を受ける法的利益を有している、と判断した裁判例があります(後掲東京高判平成21年10月15日)。質問者様は、元彼氏によってかかる法的利益を侵害されたとして、不法行為に基づく損害賠償請求をすることになります。
損害賠償の内訳は、治療費実費、慰謝料が主なものになりますが、相手に請求できるのは双方で負担ということになり半額となります。慰謝料については相手の態度や被害の程度にもよりますが50万から200万円程度の半額になります。判決まで長引いた場合は弁護士費用の一部も損害(認容額の1割程度の半額)として認められます。
解説
第1 不法行為に基づく損害賠償請求の要件
不法行為に基づく損害賠償請求が認められるためには、次の法律要件を満たさなければなりません。
- ①加害行為(加害者の故意・過失による違法行為)
- ②権利利益の侵害
- ③損害の発生及びその数額
- ④①と②との間の因果関係
- ⑤②と③との間の因果関係が
これらの法律要件は原告側が主張立証する必要があります。
以下では、各法律要件ごとに検討していきます。
第2 ①加害行為及び②権利利益の侵害の有無
1 性交渉や中絶自体は加害行為とならない
まず、注意していただきたいことは、相手方の男性との性交渉や中絶自体が加害行為に当たるわけではないということです。なぜならば、相手方の男性との性交渉は、質問者様の同意に基づくものであって、“違法”行為とは言えず、ひいては加害行為には当たらず、また、中絶自体も、相手方の男性に強要されたとまでは言えませんから、“違法”行為とは言えず、ひいては加害行為には当たらないからです。
2 保護される権利利益|裁判例の検討
ここで加害行為として取り上げられるべきなのは、質問者様が子どもを産むか、それとも中絶するかを迷っていた際に、質問者様の元彼氏がろくに話し合いにも応じず、あまりに不誠実な態度をとったということです。不誠実な行為であることは間違いありませんが、法的に違法な行為とまで言えるか問題となります。相手は何もしないのですから不作為ということで、何かをすべき作為義務があるか問題となります。
ここで参考になるのが東京高判平成21年10月15日の裁判例です。同裁判例の判決文全文は後掲いたしますが、作為義務について「子どもを産むか、それとも中絶するかを選択するに際して、女性は直接的に身体的、精神的苦痛を負うことになるところ、女性は相手方の男性からこうした不利益を分担する行為の提供を受ける法的利益を有し、相手方の男性はこうした女性の不利益を分担する行為を行う義務を負う。」として男性の作為義務を認めています。
この裁判の事案の概要と判決文の概要を以下で示します。
(1)事案の概要
東京高判平成21年10月15日の裁判例の事案の概要は次の通りです。
原告の女性は、結婚相談会社を通じて、被告の男性と知り合い、交際するに至った。原告の女性は、男女交際の一環として、被告の男性と性交渉をした。しかし、被告の男性の浮気が疑われたため、原告の女性は被告の男性と交際を解消するに至った。その後、先の性交渉に際して避妊具を装着していなかったため、原告の女性の妊娠が発覚した。そこで、原告の女性は、子どもを産むか、それとも中絶するかに関して、相手方の男性に対して、協議することを求めた。しかし、相手方の男性は「正直どうしたらいいか分からない」と言ってまともに協議に応じなかった。結局、子どもを産むか、それとも中絶するかの決定は原告の女性一人に委ねられてしまった。
(2)判決文の概要
東京高判平成21年10月15日の裁判例の判決文の概要は次の通りです。
子どもを産むか、それとも中絶するかを選択するに際して、女性は直接的に身体的、精神的苦痛を負うことになるところ、女性は相手方の男性からこうした不利益を分担する行為の提供を受ける法的利益を有し、相手方の男性はこうした女性の不利益を分担する行為を行う義務を負う。相手方の男性が子どもを産むか、それとも中絶するかの選択を女性の側に委ねるのみであったならば、上記の女性の法的利益が侵害されたものといえ、不法行為を形成する。
3 本件における検討
上記の東京高判平成21年10月15日の裁判例の事案の概要、判決文の概要に照らせば、質問者様が子どもを産むか、それとも中絶するかを迷っていた際に、質問者様の元彼氏がろくに話し合いにも応じず、あまりに不誠実な態度をとったという加害行為によって、質問者様の法的利益が侵害されたと言える可能性があります。
ただ、東京高判平成21年10月15日の裁判例は、事例判決(一般的な法律理論の具体的事件へのあてはめについて判断しただけの判決)であるとも言われています。ですので、実際に加害行為によって法的利益が侵害されたかを判断するに際しては(最終的に判断するのは裁判所ではありますが)、今伺っている以上に詳細に事情を教えていただく必要がございます。
第3 ③損害の発生の有無及びその数額
質問者様は、うつ病に罹患し、治療費・通院費を負担することになったほか、精神的苦痛を生じさせられていますから、その分、③損害の発生があったといえます。また、うつ病に罹患し、仕事に行けなくなったというような事情がある場合には、その分についても、いわゆる休業損害として③損害の発生があったといえます。
治療費・通院費に関する損害の額や、休業損害の額については、治療費の請求書や給与明細書、休業届等に基づいて算定することになります。
しかし、精神的苦痛に関する損害の額については、精神的苦痛が目には見えないものであることから、事細かに事情を検討する必要があり、質問者様の状況を把握し切れていませんので、一概に言うことはできません。
ただ、「民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準」、いわゆる赤本を参考にして考えますと(交通事故以外の場合にも参照されることが多いです。)、通常の労務に服することはできるが、うつ病のため、多少の障害を残すものである場合には、12級相当といえ、290万円という金額が一つの目安となり、その半額である145万円を精神的苦痛に関する額とすることがあり得ます。なぜ半額にするのかというと、東京高判平成21年10月15日の裁判例が「その損害賠償義務の発生原因及び性質からすると、損害賠償義務の範囲は、生じた損害の二分の一とすべきである。」と判示しているためです。
女性が被った不利益を男女で分配するという趣旨なのでしょうが、当職としては、そもそも相手方の男性が不誠実な対応を取らなければ、女性が精神的苦痛を被ることはなかったのですから、その責任は相手方の男性に全て帰責させるべきであると考えますから、同裁判例のこの箇所の判示には疑問を感じるところではあります。
③損害の発生の有無及びその数額を立証するために、診断書、治療費の請求書、給与明細書、休業届等を利用することになります。
第4 ④①加害行為と②権利利益の侵害との間の因果関係の有無
女性が、相手方の男性の不誠実な対応により、子どもを産むか、それとも中絶するかの決定を委ねられてしまい、うつ病に罹患してしまうということは、通常想定できる事象ですから、元彼氏の不誠実な対応、時期や質問者様がうつ病と診断された時期を特定し、④①加害行為と②権利利益の侵害との間の因果関係を立証することが可能です。
④①加害行為と②権利利益の侵害との間の因果関係を立証するために、質問者様と元彼氏との間のメールやLINEでのやり取りをまとめた報告書、中絶に同意するということだけが書かれた元彼氏名義の中絶同意書、診断書等を証拠として用いることになります。
第5 ⑤②権利利益の侵害と③損害の発生及びその数額との間の因果関係の有無
うつ病に罹患したことによって、治療費や通院費がかかったり、精神的な苦痛が生じたり、休業せざるを得なくなるということは、通常想定できる事象ですから、質問者様がうつ病と診断された時期や質問者様が休業せざるを得なくなった時期を特定し、⑤②権利利益の侵害と③損害の発生及びその数額との間の因果関係を立証することが可能です。
⑤②権利利益の侵害と③損害の発生及びその数額との間の因果関係を立証するために、診断書、休業届、治療費の請求書等を証拠として用いることになります。
第6 まとめ
元彼氏に対する不法行為に基づく損害賠償請求が認められる可能性がありますが、特に①加害行為、②権利利益の侵害の主張・立証の難易度が高いですから、どうしてもご自分でできなければ元彼氏との代理人交渉ということで弁護士へ相談し、そのうえで依頼することをお勧めします。
以上