市場内における人身事故と被害者の救済
民事|労災と損害賠償請求|大阪地判平成5年7月6日
目次
質問:
魚市場内で働く夫が,走行中のターレの荷台から転落し,左足を骨折してしまいました。元どおり歩行ができるように,リハビリを続けて来ましたが,主治医の話では,右足の関節可動域に現在も制限が出ており,おそらくこれ以上の改善の見込みはないだろう,とのことでした。
ターレの荷台部分は,本来的に人が乗ることが想定されていないのですが,その魚市場内では,各従業員がターレの荷台部分をタクシー感覚で使っている実情があり,また,荷物の落下を防止するために,使用者の指示で荷台部分に人員を配置するということが日常茶飯事でした。今回の事故も,荷台に乗って荷物を支えるよう業務上の指示を受けた主人が,カーブ時に振り落とされてしまった結果生じたようです。荷台に腰掛けていたところ,運転手の右折時にバランスを崩して落下した,というものでした。
今後夫が受けることのできる補償について教えてください。
回答:
1 ご主人は仕事中の災害(業務災害)によって負傷しているため,本件は労災事故と認められるでしょう。
2 まずは勤務会社や元請会社に労災の手続き(主に書面)への協力を求めることが必要です。勤務会社の担当者と協力関係を築きながら,療養補償給付の申請手続き,休業補償給付の申請手続きを進める必要があります。いずれの申請書にも事業主の証明印が必要となりますので,勤務先会社の担当者を通じて,お願いをすることになります。
加えて,今回あなたには後遺症が残ることが強く予想されますので,担当医師との間で適宜協議をし,適当なタイミングで症状固定の判断をしてもらい,後遺症等級認定のための診断書を記載してもらうことになります。その上で,障害補償給付の申請手続きを進め,労基署の担当医との面談を経て,認定された等級に応じた一時金あるいは年金を受け取ることになります。
後遺症等級認定については,労働者災害補償保険法施行規則・別表第一の障害等級表(1級~14級)にしたがって判断されることになります。本件での具体的な等級認定の見通しや進め方については解説をご参照ください。
3 以上が労災保険関係の手続きですが,今回のように重度の後遺症が残る場合,労基署から支給される給付金だけで損害の全てが填補されるとは考え難く,したがって,事業主への損害賠償請求を別途検討する必要があります。
具体的な損害の算定方法については,交通事故における損害賠償算定基準(民事交通事故訴訟損害賠償算定基準・日弁連交通事故相談センター著)を参考にするのが通例です。
4 その他の関連事例集は下記のサイト内検索で調べることができます。
解説:
第1 労災の給付申請手続きについて
1 はじめに
労働者災害補償保険制度は,使用者である会社をあらかじめ国が運営する保険に加入させておき,業務上の事由又は通勤による労働者の負傷,疾病,障害,死亡等が発生した場合に国が保険給付を行うこととする制度です(労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)1条,7条1項)。使用者に資力がないような場合に,国から給付を受けることができる,労働者保護のための制度で,原則として労働者(労働基準法第9条でいう「労働者」)を一人でも使用する事業は強制適用事業とされます(労災保険法3条1項)。
本件事故が,業務上の事由による労働者(ご主人)の負傷に該当することは明らかであり(労災保険法7条1項1号),労災保険の適用を受けることのできる事案といえます。
今後あなたが受けるべき保険給付は以下のとおりです。
2 療養補償給付
療養補償給付は,治療費を国が立替払いしてくれる制度です。業務災害・通勤災害により,労災病院・労災指定医療機関等で療養(治療)を必要とする場合は,療養の必要が生じたときから,傷病が治癒するか,死亡又は症状が固定化して療養の必要がなくなるまでの間,原則として必要な療養の給付(現物給付)が行われます(労災保険法13条1項,3項)。
これにより,費用等を気にすることなく,治療に専念することができます。
申請方法については,療養補償給付たる療養の給付請求書に,「負傷又は発病の年月日」「災害の原因及び発生状況」に関する事業主の証明を受けた上で,病院等を経由して所轄労働基準監督署長に提出することで行われます。
勤務先会社の担当者を通じて協力を求めることになります。
3 休業補償給付
業務災害又は通勤災害による傷病の療養のため労働することができず,賃金を受けられない時は,休業の4日目から休業の続く間,休業損害を填補する目的で給付基礎日額の60%が毎月支給されます(労災保険法14条)。
「給付基礎日額」とは,労働基準法第12条でいう「平均賃金」に相当する額とされ,事故発生前の3ヶ月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額を,その期間の総日数で除した金額をいいます。
申請方法については,療養補償給付の場合と同様に,休業補償給付支給請求書を所轄労働基準監督署長に提出することで行われ,事業主の証明も必要となります。
4 障害補償給付
⑴ 概要
後遺障害が残ってしまう場合は,別途障害補償給付の対象となります。医学上一般に承認された治療方法をもってしても,その効果が期待し得ない状態で,かつ,残存する症状が,自然的経過によって到達すると認められる最終の状態に達したときを「症状固定」と呼びます。これ以上改善の見込みがなく,後遺障害が残ると医師が判断した場合は,症状固定とした上で,後遺障害診断書を作成してもらいます。
この後遺傷害診断書を基に所轄労働基準監督署の方で等級を決定し,決定した等級に応じて,労働能力の喪失に伴う将来の逸失利益の填補を目的として,一定の年金(障害等級1〜7級)又は一時金(障害等級8〜14級)が支給されることになります(第15条)。
申請方法は,障害補償給付支給請求書と医師に書いてもらった専用の診断書を所轄労働基準監督署長に提出する方法によります。障害補償給付支給請求書については,事業主の証明が必要ですので,ここでも勤務先会社に協力を求めることになります。
⑵ 障害等級認定について
ア 不利な等級にされないためには
症状固定後の後遺障害等級認定は,法に規定された障害等級表(労災保険法施行規則別表第一)に基づいて行われることになります。
労働基準監督署が等級を認定する上でポイントとなる要素については,周知されているわけではなく,労災や交通事故における等級認定実務の専門的知見が必要です。基本的には,主治医の診断書の記載内容によって等級が判断されることになりますが,医師とはいえ,必ずしも労災の認定基準に明るいとは限らないため,診断書の書き方如何によって,本来受けられるはずの等級が認定されないという事態もあり得るところです
弁護士であれば,最大限有利な等級の認定を引き出すために,主治医と面談をする等して,抜け落ちのない診断書を取得した上で,労基署宛てに法律の専門家の立場から等級に関する意見書を提出することが可能であり,予想に反して不利な等級を付けられてしまうことを防止できます。
なお,診断書を労基署に提出すると,ご本人が一度労基署で専属医師の診察を受け,その結果も踏まえて等級が決定されることになります。そのため,労基署での医師面談の結果も等級に影響を及ぼす重要な局面といえます。不利な等級を認定されないためにも,自身の症状を整理して必要なことを全て伝えられるようにしておく必要があります。
イ 本件において予想される等級と留意点
本件では,ご主人に足の関節可動域の制限が後遺症として残る見込みとのことですので,この点に関して簡単にご説明します。
足の関節可動域の制限については,患側の足(負傷した方の足)の三大関節(股関節,膝関節,足関節)のうち何個の関節の可動域が制限されているか,そして健側の足(負傷していない側の足)と比較してどの程度制限されているか(強直しているのか,2分の1以下なのか,4分の3以下なのか)により,等級が異なってきます(5級5号,6級6号,8級7号,10級10号,12級7号)。
足の関節の主要運動と参考運動の測定結果を診断書に記載することで,ある程度等級の目処が立ちますが,医師によって測定方法やその正確さにばらつきがありますので,あらかじめ,後遺症等級認定をする上で必要な項目を正確に測定し,診断書に記載してほしい旨を主治医に伝えておくと良いでしょう。
なお,系列を異にする13級以上の障害が2以上ある場合は,「併合」処理がなされ,最も重い等級を1つ繰り上げることとされています。そのため,関節可動域の制限以外にも後遺障害が残る可能性があるようでしたら,併せて診断書に記載してもらう必要があります。
第2 事業主に対する損害賠償請求について
1 はじめに
以上が労災保険関係の手続きですが,労基署から支給される給付金だけで損害の全てが填補されるとは考え難く,事業主への損害賠償請求(事業主の債務不履行あるいは不法行為)を別途検討する必要があります。特に今回のように後遺症が残る場合,は損害賠償の金額も多額になることが予想されますから事業主への請求は不可欠となります。
損害の項目としては,財産的損害と精神的損害に大別でき,さらに財産的損害は,積極損害(人件費,交通費,住居関係費,雑費,弁護士費用等)と消極損害(症状固定前は休業損害,症状固定後は後遺症による逸失利益)に,精神的損害については入通院慰謝料と後遺症慰謝料に分類することができます。
そもそも労災の場合,慰謝料(入通院慰謝料・後遺障害慰謝料)が支給されませんし,休業補償も60%しか支給されません。また,後遺障害が残っても,将来の逸失利益の支給はされません。本来の損害全てを補償することまでは,元々予定されていないのです。
症状固定までは労災の休業補償給付を受け取りながら生活をしていただき,症状固定後は考えられる最大限の損害額を算定した上で各事業主に賠償を求めていくことになるでしょう。早期解決の観点からは,交渉段階での和解で終結させることが望ましいですが,金額面で折り合いが付かない場合は,訴訟提起を考えることになります。
2 責任原因と過失割合について
使用者は,労働者の身体・生命や健康について十分配慮すべき安全配慮義務を負っています(労働契約法第5条)。
この使用者が尽くすべき安全配慮義務を怠ったという前提で,損害賠償請求を行うことになります。
使用者側からは,必要な注意を尽くしていたのだから,安全配慮義務違反の事実はないとの主張や,義務違反があったとしても被用者側(ご主人)にも過失が存在したのだから,過失相殺がされるべきとの主張が想定されます。
しかし,小型特殊車両であるターレットトラック(道路運送車両法第3条,同施行規則第2条,別表一)の乗車定員は1名とされており(道路交通法57条1項,同法施行令22条1項),荷台に人を載せることは前提とされていないため,使用者は,法令に反してご主人を荷台に配置していたことになります。荷台に乗車させること自体が危険な行為であり,安全配慮義務を尽くしていたとの言い分は認められないでしょう。
また,ご主人が特異な体勢で乗車していた等,明らかな過失を基礎付ける事情がない限り,ご主人の過失割合が大きく認定される可能性も低いと考えられます。
なお,トラックの荷台で荷物を支えていた労働者が本件同様転落した事案において,労働者の体勢に着目して1割の過失割合を認定した裁判例がありますが(参考裁判例:大阪地判平成5年7月6日・交通事故民事裁判例集26巻4号882頁),基本的には,荷台に乗車させる行為自体が危険ですから,大きな過失割合を認定される可能性は低いと言ってよいでしょう。
3 損害項目ごとのポイント
⑴ 財産的損害
ア 積極損害
領収書等をしっかりと保管しておくことに尽きます。また,本件に関して何らかの支出をした場合は逐一ノート等に書き留めておくと良いでしょう。
イ 消極損害
(ア)症状固定前(休業損害)
休業補償給付は平均賃金の60%しか補償されませんので,残りの40%については別途事業主に請求すべきでしょう。
(イ)症状固定後(後遺症による逸失利益)
労働能力喪失率や労働能力喪失期間については等級や年齢によって一義的に決まりますので,あまり問題となることはありません。しばしば問題となるのは,基礎収入をどのように設定するか,という点です。
この点,基礎収入の算定は事故前の収入を基礎とするのが原則です。ただ,現実の収入が賃金センサスを下回る場合には,当該賃金センサスに規定された額を得られる蓋然性があれば,賃金センサスによることが許されます。ご子息の直近の収入が賃金センサスに満たないような場合は,賃金センサスの額を基礎収入額として計算すべきであることを説得的に主張する必要があるでしょう。
⑵ 精神的損害(慰謝料)
入通院慰謝料については,交通事故における損害賠償算定基準を参考に,入院期間と通院期間に応じて算定されるのが一般的ですので,さほど問題となることはないでしょう。また,後遺症慰謝料についても,交通事故における損害賠償算定基準を参考に,等級に応じた裁判基準の額を主張すべきでしょう。
以上
【参考裁判例】
●大阪地判平成5年7月6日・交通事故民事裁判例集26巻4号882頁
三 過失相殺 前記一で認定したところによれば、本件事故は、被告渡邉が、亡張が運送に不慣れな日雇い労務者であることを知りながら、仕事を急ぐ余り、積荷にロープをかける等の安全措置を講じることなく、荷台に亡張らの作業員を乗せて積荷が落下しないように押さえておくよう命じ、走行中に、荷台の作業員や積荷の様子に注意を払うことなく、急カーブの道路を徐行せずに進行したため、亡張が荷台から落下して死亡したもので、被告渡邉の過失は重大であるが、他方、亡張も、被告渡邉から荷台に乗つて積荷を押さえておくよう命じられたとはいえ、荷台の枠に腰掛けた極めて不安定な姿勢で乗車していたため、急カーブで落下しかけた積荷の机を押さえようとして机とともに落下し、本件事故の発生を招いた点で過失があるといわなければならず、右の諸事情を考慮すれば、本件事故発生について、被告渡邉には九〇パーセントの、亡張には一〇パーセントのそれぞれ過失があると解される(なお、原告は、被告渡邉側が亡張に付して危険を強いておきながら、これを被害者側の過失として主張することは、信義則に反し許されないと主張するが、被告渡邉が積荷にロープをかける等の安全措置を講じることなく、荷台に亡張らの作業員を載せて積荷が落下しないように押さえておくよう命じた点で、被告渡邉が亡張に危険を強いたことは認められるものの、その際、被告渡邉が亡張に対して、荷台の枠に腰掛けた極めて不安定な姿勢で乗車することまで指示していた事情は窮えないのであるから、この点を被告張の過失として考慮することが信義則に反するとは解されない。)。
そうすると、二九九三万三九五七円(前記二1、2の損害合計額)に右過失割合を適用した過失相殺後の金額は、二六九四万五六一円となる。
四 以上によれば、原告の被告らに対する請求は、九〇万五六一円(前記過失相殺後の金額二六九四万五六一円に前記二3の弁護士費用を加えた二七〇二万五六一円から前記争いのない損害填補額二六一二万円を控除したもの)と内八二万五六一円(前記二3の弁護士費用を控除したもの)につき本件交通事故発生の翌日である平成三年九月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由がある。
以上