LGBTの職場問題
民事|トランスジェンダー|ブルーボーイ事件|東京高裁昭和45年11月11日判決|東京地裁令和元年12月12日判決
目次
質問:
私はトランスジェンダーMTF女性で、(MTF 出生時に男性と割り当てられたが、性自認が女性の人)生時の性別は男性ですが女性を性自認しています。性別適合手術は受けておらず、戸籍上の性別は男性のままです。接客業に勤務し、女性用トイレも使用していましたが先日上司に呼ばれ、「あなたが女性用トイレを使うことについて苦情が来ているので男性用トイレを使ってくれないか。もしくは職場の女性全員から同意書を取ってくれないか。」と言われてしまいました。恥ずかしくてドキドキして心臓が止まる思いでした。仕方なく休憩時間などに社外の施設のトイレを利用するようにしていますが不便でなりません。なんとか穏便に女性用トイレを使うことはできないのでしょうか。上司から性別に関して嫌味を言われることも悩んでいます。
回答:
1、トランスジェンダー(複数の性同一性、ジェンダー・アイデンティティの総称)に関する法的取り扱いは、古くはブルーボーイ事件で性別適合手術が母体保護法違反で有罪判決が確定するなど、社会的に否定される時代が続きましたが、社会的な認知が進むにつれ、性別適合手術の合法性が確認されるに至り、手術を実施した者の戸籍上の性別変更を認める「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が2003年に成立し、2004年から施行されるに至っています。トランスジェンダーが法的に認知されています。
2、これを受けて社会生活上のあらゆる場面におけるトランスジェンダー差別の不利益取り扱いを法的に是正する動きが広がっています。2006年には厚生労働省が「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」というガイドラインを定めています。公務員の職場における規律について、人事院規則10-10「セクシュアル・ハラスメントの防止等」も定められました。
3、公務員の職場の事案ですが、平成27年に提訴された職場トイレの問題の裁判があり、令和元年12月に下級審判例で職場の女性トイレを使用させる要求を認める判断も出ています。
4、あなた自身のトランスジェンダーの内容にもよりますが、御相談の事例では現在の法令に照らすと、あなたの職場の取り扱いは不当な差別と評価し得る行為と思われます。女性トイレを使用させることについての話し合いがうまく進まない場合は、弁護士を代理人に立てて交渉してもらうことも検討して下さい。職場環境の改善についても、職場に文書で申し入れをして交渉することができます。法的には職場に対する労働審判や仮処分や確認訴訟や請求訴訟などにより権利を確定させる手段もありますが、交渉により円満に合意することが好ましいでしょう。
5、関連事例集参照。
解説:
1、特例法成立まで
古来、身体の生物学的な性別と性自認が異なる人々は存在し続けてきましたが、伝統的な宗教観の影響もあり、社会的には迫害を受けてしまう歴史が長く続いてきました。しかし、ルネッサンスを経て、近代憲法の整備にともなう基本的人権の保障や、いわゆる新しい権利としての幸福追求権、自己決定権や、精神医学の研究の進展などにより、身体的性別と自認する性別が異なる場合にも、本人が自分らしく生活していけるように社会的に協力していくことが必要という考え方が広がるに至っています。
1969年昭和44年のブルーボーイ事件では、1964年に十分な診察を行わずに性転換手術(現在の性別適合手術)を行ったとされた産婦人科医師が、1965年に麻薬取締法違反と優生保護法(現在の母体保護法)違反により逮捕され、1969年に有罪判決を受けました。この頃はトランスジェンダー性的少数者に対する社会的な認知が進んでいない情勢にありました。
※ブルーボーイ事件判決、東京高等裁判所昭和45年11月11日抜粋「現在日本においては,性転換手術に関する医学研究も十分ではなく,医学的な前提条件ないしは適用基準は勿論法的な基準や措置も明確でないが,少なくとも次のような条件が必要であると考える.
(イ)手術前には精神医学ないし心理学的な検査と一定期間にわたる観察を行うべきである.
(ロ)当該患者の家族関係,生活史や将来の生活環境に関する調査が行われるべきである.
(ハ)手術の適応は,精神科医を混えた専門を異にする複数の医師により検討されたうえで決定され,能力のある医師により実施されるべきである.
(ニ)診療録はもちろん調査,検査等の資料が作成され,保存されるべきである.
(ホ)性転換手術の限界と危険性を十分理解しうる能力のある患者に対してのみ手術を行うべきであり,その際手術に関して本人の同意は勿論,配偶者のある場合は配偶者の,未成年者については一定の保護者の同意を得るべきである.」
判決を詳細に検討すると、当時の裁判所も性別適合手術を全否定しているわけではなく、慎重な要件のもとに合法的に手術し得る場面が存在し得ることも判断していたことが分かります。
昭和から平成に時代が変わり、1980年代から90年代にかけて、フェミニズム、ゲイレズビアン研究、トランスジェンダー研究、クイア研究が蓄積していきました。1992年の埼玉医科大学の症例をきっかけとして、1995年に同大学倫理委員会に「性転換治療の臨床的研究」として「男性-女性の性転換」の施術が申請され、翌96年に条件付きで「外科的性転換術」の実施を認める答申が発表されました。
これを受けて日本精神神経学会では、1997年5月に「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」を答申し、厚生労働省も1998年8月に要件を満たした性別適合手術が母体保護法に違反しないことを確認し、1998年10月16日には、埼玉医科大学において我が国で初めて公に性同一性障害の治療として性別適合手術が施行されました。
※性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第4版)
https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/journal_114_11_gid_guideline_no4.pdf
これを受けて2003年7月に議員立法で「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が制定され、2004年7月に施行されています。
短い法律ですので、全文引用します。
第1条(趣旨) この法律は、性同一性障害者に関する法令上の性別の取扱いの特例について定めるものとする。第2条(定義) この法律において「性同一性障害者」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。
第3条(性別の取扱いの変更の審判)
第1項 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
一号 二十歳以上であること。
二号 現に婚姻をしていないこと。
三号 現に未成年の子がいないこと。
四号 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五号 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
第2項 前項の請求をするには、同項の性同一性障害者に係る前条の診断の結果並びに治療の経過及び結果その他の厚生労働省令で定める事項が記載された医師の診断書を提出しなければならない。
第4条(性別の取扱いの変更の審判を受けた者に関する法令上の取扱い)
第1項 性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法(明治二十九年法律第八十九号)その他の法令の規定の適用については、法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。
第2項 前項の規定は、法律に別段の定めがある場合を除き、性別の取扱いの変更の審判前に生じた身分関係及び権利義務に影響を及ぼすものではない。
2、特例法制定後の動き
これらの流れを受けて社会生活上のあらゆる場面におけるトランスジェンダー差別の不利益取り扱いを法的に是正する動きが広がっています。2006年には厚生労働省が男女雇用機会均等法11条4項を受けて、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」というガイドラインが定められ、この中にトランスジェンダーの保護も規定されています。
「なお、職場におけるセクシュアルハラスメントには、同性に対するものも含まれるものである。また、被害を受けた者(以下「被害者」という。)の性的指向又は性自認にかかわらず、当該者に対する職場におけるセクシュアルハラスメントも、本指針の対象となるものである。」
※厚生労働省、事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(平成18年厚生労働省告示第615号)令和2年6月1日版※男女雇用機会均等法第11条(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置等)
第1項 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。
第2項 事業主は、労働者が前項の相談を行つたこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
第3項 事業主は、他の事業主から当該事業主の講ずる第一項の措置の実施に関し必要な協力を求められた場合には、これに応ずるように努めなければならない。
第4項 厚生労働大臣は、前三項の規定に基づき事業主が講ずべき措置等に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(次項において「指針」という。)を定めるものとする。
第5項 第四条第四項及び第五項の規定は、指針の策定及び変更について準用する。この場合において、同条第四項中「聴くほか、都道府県知事の意見を求める」とあるのは、「聴く」と読み替えるものとする。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605548.pdf指針の一部を抜粋致します。
>「性的な言動」とは、性的な内容の発言及び性的な行動を指し、この「性的な内容の発言」には、性的な事実関係を尋ねること、性的な内容の情報を意図的に流布すること等が、「性的な行動」には、性的な関係を強要すること、必要なく身体に触ること、わいせつな図画を配布すること等が、それぞれ含まれる。当該言動を行う者には、労働者を雇用する事業主(その者が法人である場合にあってはその役員。)、上司、同僚に限らず、取引先等の他の事業主又はその雇用する労働者、顧客、患者又はその家族、学校における生徒等もなり得る。
>(1)事業主の責務
>法第11条の2第2項の規定により、事業主は、職場におけるセクシュアルハラスメントを行ってはならないことその他職場におけるセクシュアルハラスメントに起因する問題(以下「セクシュアルハラスメント問題」という。)に対するその雇用する労働者の関心と理解を深めるとともに、当該労働者が他の労働者(他の事業主が雇用する労働者及び求職者を含む。(2)において同じ。)に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる同条第1項の広報活動、啓発活動その他の措置に協力するように努めなければならない。なお、職場におけるセクシュアルハラスメントに起因する問題としては、例えば、労働者の意欲の低下などによる職場環境の悪化や職場全体の生産性の低下、労働者の健康状態の悪化、休職や退職などにつながり得ること、これらに伴う経営的な損失等が考えられる。
>また、事業主(その者が法人である場合にあっては、その役員)は、自らも、セクシュアルハラスメント問題に対する関心と理解を深め、労働者(他の事業主が雇用する労働者及び求職者を含む。)に対する言動に必要な注意を払うように努めなければならない。
>(2)労働者の責務
>法第11条の2第4項の規定により、労働者は、セクシュアルハラスメント問題に対する関心と理解を深め、他の労働者に対する言動に必要な注意を払うとともに、事業主の講ずる4の措置に協力するように努めなければならない。
公務員の職場における規律について、人事院規則10-10「セクシュアル・ハラスメントの防止等」も定められ、運用ガイドラインの中で性自認を保護する規定が含まれています。この規則は民間企業の雇用関係に直接適用されるものではありませんが、上記の男女雇用機会均等法11条4項や、これを受けた厚生労働省の「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」を具体化した規定ですから、民間企業の規律を解釈する上でも参考になるものです。一部抜粋致します。
※人事院規則10-10「セクシュアル・ハラスメントの防止等」最終改正平成19年4月1日
https://www.jinji.go.jp/sekuhara/kisoku.pdf
※人事院規則10-10「セクシュアル・ハラスメントの防止等の運用について」最終改正令和2年4月1日https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/10_nouritu/1032000_H10shokufuku442.html
>3 セクシュアル・ハラスメントになり得る言動
> セクシュアル・ハラスメントになり得る言動として、例えば、次のようなものがある。
>一 職場内外で起きやすいもの
> (1) 性的な内容の発言関係
> ア 性的な関心、欲求に基づくもの
> ① スリーサイズを聞くなど身体的特徴を話題にすること。
> ② 聞くに耐えない卑猥な冗談を交わすこと。
> ③ 体調が悪そうな女性に「今日は生理日か」、「もう更年期か」などと言うこと。
> ④ 性的な経験や性生活について質問すること。
> ⑤ 性的な噂を立てたり、性的なからかいの対象とすること。
> イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
> ① 「男のくせに根性がない」、「女には仕事を任せられない」、「女性は職場の花でありさえすればいい」などと発言すること。
> ② 「男の子、女の子」、「僕、坊や、お嬢さん」、「おじさん、おばさん」などと人格を認めないような呼び方をすること。
> ③ 性的指向や性自認をからかいやいじめの対象としたり、性的指向や性自認を本人の承諾なしに第三者に漏らしたりすること。
3、裁判例
東京地裁令和元年12月12日判決(一部抜粋)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/244/089244_hanrei.pdf『主 文
1 人事院が平成27年5月29日付けでした国家公務員法(昭和22年法律第120号)第86条の規定に基づく原告による勤務条件に関する行政措置の各要求に対する平成25年第9号事案に係る判定のうち原告が女性トイレを使用するためには性同一性障害者である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとの経済産業省当局による条件を撤廃し,原告に職場の女性トイレを自由に使用させることとの要求を認めないとした部分を取り消す。
2 被告は,原告に対し,132万円及びこれに対する平成27年11月21日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。』
『本件トイレに係る処遇については,遅くとも平成26年4月7日の時点において原告の性自認に即した社会生活を送るといった重要な法的利益等に対する制約として正当化することができない状態に至っていたことは,上記3(1)エにおいて説示したとおりである。しかしながら,本件判定は,本件トイレに係る処遇によって制約を受ける原告の法的利益等の重要性のほか,上記3(1)エにおいて取り上げた諸事情について,考慮すべき事項を考慮しておらず,又は考慮した事項の評価が合理性を欠いており,その結果,社会観念上著しく妥当を欠くものであったと認めることができる。
5 したがって,本件判定のうち要求事項aを認めないとした部分は,その余の原告の主張についての検討を経るまでもなく,その裁量権の範囲を逸脱し,又はその濫用があったものとして,違法であるから,取消しを免れない。』
本件は、性別適合手術を受けておらず戸籍上の性別が変更されていなかったMTFトランスジェンダー女性公務員の女性トイレ利用を認めた判決でした。性別適合手術を受けるための「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」では性別適合手術を実施するための条件として希望する性別での1年以上の実生活経験の存在を挙げており、「性別適合手術を受けて戸籍上の性別が変更されていない」ことを理由にMTF女性の女性トイレの利用を拒否することがナンセンス矛盾であることが分かります。公務員の職場環境に関する判例ですが、民間企業における取り扱いの場面においても参照すべき先例の一つです。
4、御相談の事例の対応方法
上記に見てきたとおり、法令やガイドラインなどはトランスジェンダーMTF女性の実生活体験を保護するものが増えており、MTF女性であれば女性トイレを使うことが法的にも可能な状態に至っているものと解釈することができます。当然、公共トイレなどでも女性トイレを利用して差し支えないでしょう。
他方、トイレが性別に分けられてきた従来の経緯や、一般人の性的羞恥心を保護する必要性もあることから、あなたがトランスジェンダーMTF女性として女性トイレを利用することを要求していくためには、単なる個人の一時的な要求ではないということについて証拠資料を以て主張立証していくことが必要です。具体的には、性同一性障害に十分な理解と経験を持つ精神科医の診察を受け、2人の精神科医が一致して性同一性障害と診断を受けることが必要です。診断書が取得できたら、職場に対して文書で申し入れを行い、面談などの交渉を行います。
上司からのセクハラ言動なども違法な行為として、差し止め請求や損害賠償請求の対象となり得ます。男女雇用機会均等法11条1項および「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」に基づいて、職場環境の改善について文書で申し入れを行い、面談などの交渉を行います。必要に応じて代理人弁護士に代理や同席を依頼することもできます。セクハラ言動などの証拠を記録として保存しておくことが必要です。
いずれの交渉も合意が難しい場合は、法的には職場に対する労働審判や仮処分や確認訴訟や請求訴訟などの法的手続きを検討することも可能ですが、できる限り交渉により円満に合意することが好ましいでしょう。代理人弁護士を介在させることにより交渉による円満合意が促進される場合もあります。ご心配の場合は一度経験のある弁護士事務所に御相談なさると良いでしょう。
以上