火災事故と相続

民事|失火責任法の適用と相続人不存在による手続

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参照条文

質問:

父が他界して以降一人で暮らしていた母が,先日,自宅で火事を起こして亡くなりました。両隣の家にも被害が出ており,一方は半壊,もう一方は外壁のみの損傷ということのようです。母以外に死傷者は出ていません。

母の相続人は私だけですが,今後,隣家から高額な損害賠償請求を受けることになるのでしょうか。類焼特約付きの火災保険に加入していたようですので,保険金で対応できればと思うのですが,保険が下りない可能性はあるでしょうか。

また,母の遺産はどのように処理すれば良いでしょうか。父が亡くなった際に,遺産分割の協議をしていなかったことから,未分割である父の遺産も残っているはずですが,手をつけない方が良いのでしょうか。

回答:

1 失火による損害について隣人に賠償責任を負うか場合は、失火の責任に関する法律(失火責任法)失火により、単なる過失の場合は不法行為責任(民法709条)を負わず,重過失の存在が立証された場合に限定されます。故意による放火の場合は当然に責任を負います。

他方で、類焼特約付き火災保険に加入されていたということですが、火災保険金が支払われるか否かは保険契約によることになります。火災保険の約款には,保険契約者,被保険者,同居の親族等の故意又はこれと同視されるような重過失によって生じた損害に対しては,保険金が支払われないことを確認する免責条項が設けられています。そのため,火災事故が起きた場合は,保険会社の方で免責事由の有無を調査することになり,調査結果を踏まえて,保険金支払いの可否について正式な回答がなされることになります。

2 保険会社から保険金が支払われるとの回答があれば、問題はないのですが、保険会社から免責事由の存在を理由に保険金支払いを拒絶された場合は,故意・重過失を理由に失火責任法上の責任が肯定され,隣家への高額な損害賠償責任を負う可能性が高いため,母親との関係で相続放棄(民法938条)を検討すべきです。

相続放棄の期間は,相続の開始を知った時から3ヶ月以内とされているところ(民法915条1項),保険会社の調査が長引く等,3ヶ月の熟慮期間内に相続を承認するか放棄するかの方針を決めかねる場合は,管轄の家庭裁判所に対し,期間の伸長の申立てをすることができます(同条項但し書)。何もしないで熟慮期間が経過してしまうと相続を承認したことになってしまいますので注意が必要です。

相続放棄後,未分割となっている父親の遺産の処理が問題となりますが,法定相続分である2分の1は取得する権利があります。とはいえ,遺産分割協議が未了のまま母親が亡くなっている以上,相続財産管理人の選任申立てを行い,選任された管理人との間で遺産の分割方法を確定するまでは,預金の払戻しを含め,父親の遺産に手を付けるべきではないでしょう。相続放棄前に母親の遺産を処分すると相続を承認したことになり相続放棄が出来なくなりますし、相続後は他人の財産を処分したことになってしまいます。

なお,母親に対する損害賠償請求権を有していた罹災者は,当該公告期間内に,相続債権者として,相続財産管理人に対し請求の申出をすることで,現存する母親の財産の範囲で,按分割合による弁済を受けることができます(民法957条2項,929条1項本文)。

3 反対に,保険会社による保険金支払いが決定した場合は,母親が失火責任法上の責任を負う可能性が低いことから,相続放棄を検討する必要性も低いと考えられます。その場合は、他に相続人がいないということですから、戸籍謄本等の書類をそろえれば相続の手続きが出来ます。御兄弟等の共同相続人がいる場合は、お父様遺産を含めてお母様の相続財産についての遺産分割協議が必要となります。

4 いずれの場合でも,法的責任の有無とは別に,あなたが罹災者に対して,道徳的感情から任意に損害の補填を行うことは自由です。大きな被害感情を抱える罹災者からの問い合わせに対応するのは,精神的な負担が大きいと思われ,場合によっては,弁護士に一連の対応を任せるのも選択肢として考えられるでしょう。

解説:

第1 法的責任の有無

1 失火責任法

故意又は過失によって他人の権利を侵害した者は不法行為責任を負うことになります(民法709条)。この民法の定めからすれば,他人の家を過失により損傷させてしまった場合,不法行為に基づく損害賠償義務を負うことになりそうです。

しかし,失火に関しては失火責任法に特別の定めが置かれています。 失火責任法は,正式な法令名を「失火ノ責任ニ関スル法律」といい,明治32年に成立しました。この法律は,失火の場合には不法行為による損害賠償の規定を適用しないこととし,例外的に,失火者に重過失があることが立証される場合に限って不法行為による損害賠償を認めるという形に民法を修正しています。

この法律の趣旨は,木造家屋が密集している我が国では,類焼が発生しやすく,損害賠償責任が莫大になりがちになるが,それは過失者にとって酷な場合も多いという政策判断から,賠償責任を重過失が認められる場合に制限しようとするところにあります。

2 火災保険金の免責事由

通常,火災保険の約款には,保険契約者,被保険者,同居の親族等の故意又はこれと同視されるような重過失によって生じた損害に対しては,保険金が支払われないことを確認する免責条項が設けられています。すなわち,火災保険は,失火責任法の規定により対外的に責任を負わない(故意・重過失が存在しない)場合の補償を念頭に置いたものであり,対外的に責任を負う場合はそもそも補償対象外ということです。

通常,火災事故が起きた場合は,保険会社の方で免責事由の有無を調査することになり,調査結果を踏まえて,保険金支払いの可否について正式な回答がなされることになります。

第2 相続人のとるべき対応

1 保険会社から免責事由の存在を理由に保険金支払いを拒絶された場合

⑴ 相続放棄

この場合は,故意・重過失を理由に失火責任法上の責任が肯定され,隣家への高額な損害賠償責任を負う可能性が高いため(罹災者加入の火災保険で填補される損害は一部に過ぎない),子であるあなたとしては,母親との関係で相続放棄(民法938条)を検討すべきです。相続放棄をした場合,初めから相続人とならなかったものとみなされ(民法939条),負債も含め,一切の財産を引き継がないことになります。

なお,相続放棄の期間は,相続の開始を知った時から3ヶ月以内とされているところ(民法915条1項),保険会社の調査が長引く等,3ヶ月の熟慮期間内に相続を承認するか放棄するかの方針を決めかねる場合は,管轄の家庭裁判所に対し,期間の伸長の申立てをすることができます(同条項但し書)。

⑵ 未分割の遺産の処理

では,本件で相続放棄をした場合,父親の遺産の相続はどのように扱われるでしょうか。未分割の遺産の処理が問題となります。

父親の相続との関係では,本来,母親と子が2分の1ずつの法定相続分を有するため,その後母親が亡くなった際に子が相続放棄をしたとしても,父親の遺産の2分の1は相続する権利を有することになります。

一方で,母親の財産の取り扱いは,次のとおりです。本件のように,相続放棄により相続人が不存在となった場合は,被相続人の財産は法人とみなされ(民法951条),利害関係人の申立てにより相続財産管理人が選任されれば(民法952条1項),当該管理人が法人化された相続財産を管理,清算していくことになります。なお,相続放棄をした者は,「その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始めることができるまで,自己の財産におけるのと同一の注意をもって,その財産の管理を継続」する義務を負う(民法940条)とされ,本件では,相続放棄した子であるあなたが,相続財産管理人が選任されるまでの間,同義務を負うことになります。

上記のとおり,あなたが母親との関係で相続放棄をしても,父親の遺産のうち2分の1の法定相続分は相続する権利がありますが,具体的な遺産分割協議が未了である以上,相続財産管理人の選任申立てを行い,選任された管理人との間で遺産分割協議を行う必要があります。遺産分割協議が完了し,遺産の分配方法が確定するまでは,預金の払戻しを含め,父親の遺産に手を付けるべきではありません。場合によっては,相続放棄後に被相続人(母親)の遺産の一部を消費したと判断され,相続の単純承認をしたものとみなされてしまうリスクがあるからです(民法921条3号)。

⑶ 相続債権者(罹災者)の損害填補

相続財産管理人は,すべての相続債権者及び受遺者に対し,一定の期 間内にその請求の申出をすべき旨を公告することになります(民法957条1項)。母親に対する損害賠償請求権を有していた罹災者は,当該公告期間内に,相続債権者として,相続財産管理人に対し請求の申出をすることで,現存する母親の財産の範囲で弁済を受けることができます(民法957条2項,929条1項本文)。

また,あなたとしては,相続放棄をした上で,自身の資力内で任意の弁済を行うことも勿論可能です。法的に責任を負わないとしても,道徳的・倫理的な感情から,出来る限りの誠意ある対応をしたいと考えるのは,人間の心情として理解できるものです。

2 保険会社による保険金支払いが決定した場合

この場合,母親が失火責任法上の責任を負う可能性が低いことから,相続放棄を検討する必要性も低いと考えられます。

火災保険の類焼特約により,罹災者は,自身で加入していた火災保険でカバーできない財産的損害について,追加の補償を受けられる可能性があります。

ただし,それでも実損額には及ばないことの方が多いでしょう。自身の資力内で任意の弁済を行うか否かは,上記の場合同様,あなたの価値観にしたがい決めることになります。

以上

関連事例集

Yahoo! JAPAN

参照条文

●失火ノ責任ニ関スル法律

民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス

●民法

(不法行為による損害賠償)

第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

(相続の承認又は放棄をすべき期間)

第九百十五条 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。

2 相続人は、相続の承認又は放棄をする前に、相続財産の調査をすることができる。

(単純承認の効力)

第九百二十条 相続人は、単純承認をしたときは、無限に被相続人の権利義務を承継する。

(法定単純承認)

第九百二十一条 次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。

一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び第六百二条に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない。

二 相続人が第九百十五条第一項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。

三 相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。

(相続債権者及び受遺者に対する公告及び催告)

第九百二十七条 限定承認者は、限定承認をした後五日以内に、すべての相続債権者(相続財産に属する債務の債権者をいう。以下同じ。)及び受遺者に対し、限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において、その期間は、二箇月を下ることができない。

2 前項の規定による公告には、相続債権者及び受遺者がその期間内に申出をしないときは弁済から除斥されるべき旨を付記しなければならない。ただし、限定承認者は、知れている相続債権者及び受遺者を除斥することができない。

3 限定承認者は、知れている相続債権者及び受遺者には、各別にその申出の催告をしなければならない。

4 第一項の規定による公告は、官報に掲載してする。

(公告期間満了前の弁済の拒絶)

第九百二十八条 限定承認者は、前条第一項の期間の満了前には、相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

(公告期間満了後の弁済)

第九百二十九条 第九百二十七条第一項の期間が満了した後は、限定承認者は、相続財産をもって、その期間内に同項の申出をした相続債権者その他知れている相続債権者に、それぞれその債権額の割合に応じて弁済をしなければならない。ただし、優先権を有する債権者の権利を害することはできない。

(期限前の債務等の弁済)

第九百三十条 限定承認者は、弁済期に至らない債権であっても、前条の規定に従って弁済をしなければならない。

2 条件付きの債権又は存続期間の不確定な債権は、家庭裁判所が選任した鑑定人の評価に従って弁済をしなければならない。

(受遺者に対する弁済)

第九百三十一条 限定承認者は、前二条の規定に従って各相続債権者に弁済をした後でなければ、受遺者に弁済をすることができない。

(弁済のための相続財産の換価)

第九百三十二条 前三条の規定に従って弁済をするにつき相続財産を売却する必要があるときは、限定承認者は、これを競売に付さなければならない。ただし、家庭裁判所が選任した鑑定人の評価に従い相続財産の全部又は一部の価額を弁済して、その競売を止めることができる。

(相続債権者及び受遺者の換価手続への参加)

第九百三十三条 相続債権者及び受遺者は、自己の費用で、相続財産の競売又は鑑定に参加することができる。この場合においては、第二百六十条第二項の規定を準用する。

(不当な弁済をした限定承認者の責任等)

第九百三十四条 限定承認者は、第九百二十七条の公告若しくは催告をすることを怠り、又は同条第一項の期間内に相続債権者若しくは受遺者に弁済をしたことによって他の相続債権者若しくは受遺者に弁済をすることができなくなったときは、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。第九百二十九条から第九百三十一条までの規定に違反して弁済をしたときも、同様とする。

2 前項の規定は、情を知って不当に弁済を受けた相続債権者又は受遺者に対する他の相続債権者又は受遺者の求償を妨げない。

3 第七百二十四条の規定は、前二項の場合について準用する。

(公告期間内に申出をしなかった相続債権者及び受遺者)

第九百三十五条 第九百二十七条第一項の期間内に同項の申出をしなかった相続債権者及び受遺者で限定承認者に知れなかったものは、残余財産についてのみその権利を行使することができる。ただし、相続財産について特別担保を有する者は、この限りでない。

(相続の放棄の方式)

第九百三十八条 相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

(相続の放棄の効力)

第九百三十九条 相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。

(相続の放棄をした者による管理)

第九百四十条 相続の放棄をした者は、その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始めることができるまで、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産の管理を継続しなければならない。

2 第六百四十五条、第六百四十六条、第六百五十条第一項及び第二項並びに第九百十八条第二項及び第三項の規定は、前項の場合について準用する。

(相続財産法人の成立)

第九百五十一条 相続人のあることが明らかでないときは、相続財産は、法人とする。

(相続財産の管理人の選任)

第九百五十二条 前条の場合には、家庭裁判所は、利害関係人又は検察官の請求によって、相続財産の管理人を選任しなければならない。

2 前項の規定により相続財産の管理人を選任したときは、家庭裁判所は、遅滞なくこれを公告しなければならない。

(相続債権者及び受遺者に対する弁済)

第九百五十七条 第九百五十二条第二項の公告があった後二箇月以内に相続人のあることが明らかにならなかったときは、相続財産の管理人は、遅滞なく、すべての相続債権者及び受遺者に対し、一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において、その期間は、二箇月を下ることができない。

2 第九百二十七条第二項から第四項まで及び第九百二十八条から第九百三十五条まで(第九百三十二条ただし書を除く。)の規定は、前項の場合について準用する。